目を覚ましたら談話室がやたら静かで、私が寝てる間に打ち上げはお開きになっちゃったのかと思った。私が起きたのに気付いたのか、近くに座っていた莇くんがこちらを向いて、気まずそうに、というより戸惑っているような様子で、テーブルの方を顎で指した。
そこにいたのはシトロンくんと、見たことのない男の人。二人を中心に劇団のみんなが集まっていた。どうしてか、すごく静かで、雰囲気が暗い。
けれどすぐ、男の人の説明やみんなの言葉で、この異様な雰囲気の理由がわかった。
シトロンくんが、王子様で。
王様になるために、国に帰らないといけなくて。
それはつまり、MANKAIカンパニーを去らないといけないということ。
***
「……」
「……」
「……」
外は快晴。いつも通り三人での登校……なんだけど、空気が重い。かなり重い。
シトロンくんのことも勿論ある。あるけれど……
私は莇くんと言い合いをしてから、未だ仲直りしていないのだ。絶賛喧嘩中、なのである。
「えっとー……」
九門くんがあからさまに気を遣って、莇くんや私に話しかけてくれるのが申し訳ない。九門くんに話しかけられたら返事をしつつ、気まずくて、どうしたらいいかよくわからなくて、莇くんの方をまともに見られない。話しかけるなんてもってのほかだ。だって、莇くん、まだ怒ってるだろうし。
だからって、私もただ謝るわけにはいかないっていうか、私の言いたいことも、ちゃんと理解してほしい。私だって莇くんが傷付くのは嫌だし、出来ることなら助けになりたいよ。なのに、全然それをわかってくれないんだから!
「二人で一度ちゃんと話し合うとかさ!」
「もう話した」「話したもんっ」
九門くんの提案に、全く同じタイミングで返事をして、一瞬ドキッとしたというか、仲良しみたい、なんて反射的に喜んでしまったのは、恋する乙女なので仕方ないと思う。
***
「むぅ……」
納得がいかない。
流石に九門くんに悪いから、寮に帰ってから謝って、ちゃんと事情も説明した。既に莇くんからも話を聞いたらしいけど。その結果、どんな状況であれ「好きにしていい」なんて言うのはよくないと、心配そうな顔で注意されてしまった。
こんなことを話したら東くんとかカズくんには叱られそうだし、伊助くんはあれでも一応保護者だから、こういう相談って妙に恥ずかしくてしたくない。必要以上にショックを受けちゃいそうで心配だし。本当は、ここにいる中で一番恋愛達者な気がする亀吉に相談したいけど、伊助くんにバレそうだから諦めた。
だから詳細を話しても怒らなそうな真澄くんに相談してみたけど、九門くん以上にはっきりと、私が悪いと言われてしまった。理由は、「俺だったら監督にそんなこと絶対にしてほしくない。そんなことを言われたやつらも許さな(以下略)」だ。しかも、最終的には私にも「そういうことは言うな」って言うから、心配してくれてる!?と驚いた。私も一応家族だから、って言ってくれたのは嬉しくて、にやにやしたら「きもい」と一刀両断されたけど。
「壁にミミー、障子にメアリー、背後にシトロンネ」
「わぁっ!? シトロンくん!」
「二人の声、ワタシのところまで聞こえてきたヨ。やっぱりなまえ、アザミと喧嘩してたネ」
「うん……」
私達の様子がおかしいの、わかられてたんだ。しょんぼりと頷いた私を安心させるようにシトロンくんが笑う。その優しい笑顔に、ぎゅっと心臓が痛くなった。だって、もうすぐこの笑顔を見れなくなっちゃう。今誰より大変なのは自分のはずなのに、わざわざ私に声をかけてくれる優しいシトロンくんに、会えなくなっちゃうから。
「ごめんね、シトロンくんが帰らないといけないって時にこんなことで……」
「ノーノー、だからこそダヨ。ワタシが帰る前に、いつものパリパリでコロコロな二人を見たいネ」
「パリパ……えっ、待って正しい日本語あるのそれ?なんなのか全然わかんないんだけど!」
本当になに?見当もつかないよ?と混乱している私を置いて、シトロンくんが話を進める。まってまって、莇くんと私はどう見えているの、すごく気になるんだけどシトロンくん!?
「なまえもアザミも、お互いを大事にしたいだけダヨ」
「……うん。莇くんが優しいの、わかってるよ」
すごく、すごくわかってる。
それに、皆が私を心配してくれてるのだってわかってるよ。でも……
「だからなまえは、次はアザミが心配しない方法でアザミを助けたらいいネ!」
「え?」
「なまえなら出来るヨ」
当然のように言ったシトロンくんの言葉は、これまでに言われてきたものとは違っていて、でも、もしかしたら根本的には同じなのかもしれない。けれど、私も莇くんのことが心配だとか、助けたいとか、そういった気持ちをシトロンくんが正面から受け止めて肯定してくれたのが嬉しくて。「次」と言ってくれたのが嬉しくて。温かな気持ちがじんわりと身体に広がっていくのを感じながら、「うん」と深く頷いた。
「いい子いい子ダヨー!」
ぽんぽん、とシトロンくんに頭を撫でられて、それから頭を抱えるようにハグされる。いづみちゃんに言うように私のこともレディと言ってくれるシトロンくんだけど、こういう時、絶対レディとは違う扱いを受けている気がする。
「もー!シトロンくんってば私のこと、実際以上に子ども扱いしてるでしょ!私一応もう高校生だよ!」
「オー!なまえが怒ったヨー!」
ぷんすかと怒る動作をすれば、怖がるふりをしてくれるシトロンくんとの、こんな他愛もないやり取りももう出来なくなるんだと、何故か唐突に実感した。
ぴたりを動きを止めた私を不審がることなく、言葉を待っていてくれるシトロンくんは、やっぱり私よりもずっと大人だ。
あーあ。やっぱり、寂しいな。嫌だな、シトロンくんがいなくなっちゃうのなんて。
ぜったい、やだな。
「……ねぇ、シトロンくん」
ぽつりぽつりと、なにを考えるでもなく、言葉が勝手に口から出ていく。
「春組、せっかく六人になったのに、五人になっちゃうよ」
「みんなに申し訳ないと思ってるヨ」
「まだシトロンくんと観れてない時代劇いっぱいあるよ」
「そうネ、ワタシもなまえと観たいと思ってたドラマいくつもあるヨ」
目に溜まっていく涙を自覚しながらもシトロンくんを見上げれば、今日一番の優しい笑顔で私を見つめていた。その顔を見るのがつらくて、悲しくて、寂しくて、堰き止めていたはずのものは一瞬で決壊してしまい、ぼろぼろと涙が零れていく。
「っシトロンくん、帰っちゃやだよお!」
「そうやってババをこねるの、やっぱりまだ子どもダヨ」
「ババじゃなくて駄々だよおー」
うわあん、と泣きながら訂正する私の頭をシトロンくんの温かな手が撫でる。その手が心地良くて、この手に撫でていてもらえるなら、シトロンくんがずっとここにいてくれるなら、私はまだまだずっと子どものままでもいいって思った。
「……でも、素直に気持ちを言えるのは、ある意味大人かもしれないネ」