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公演の前に楽屋にも顔出せって監督に――劇団員でもないのに監督なんて呼ぶのは変だけど、それ以外に妥当な呼び方がねーから仕方ねえ――言われたし、クソ左京だけじゃなくて他のヤツらにまで声をかけられて劇場に引っ張って行かれた。その時になんとなく違和感があった気がしたけど、そんなのは楽屋に入った途端目にした夏組のヤツらのうっすい化粧で飛んでった。

「ふざっけんなよ!全員顔落としてこい!」

念のため持ってきたメイク道具を広げて、次々に役者達にメイクを施していく。最後の一人が終わったところで、さっき感じた違和感の正体に唐突に気が付いた。
――今日は朝からアイツを見ていないからだ。

みょうじなまえという人は、変人ばかりが住んでいるあの寮でも異色の存在だ。人間性がとかじゃなくて、立場が。
支配人の親戚という理由で寮に住んでるあの人は、俺と同じで劇団に所属していない。所属はしてなくても完全に劇団の一員なあの人と、居候してるだけの俺じゃ全く違うけど。
俺が居候を始めた頃から何かと気にかけてきて……ただその気のかけ方が、他のヤツらと違って毎回あまりに必死だから、こっちが大丈夫かと聞きたくなった。だから適当な返事では済ませられないことが多くて、ちょっと困る。
流れでいつも途中まで一緒に登校しているから、寮のなかでは話す方。
つーか土筆高校に通うあの二人は、二人していまいち年上って感じがしねーから、みょうじさんやらなまえさんって呼ぶのが正しいんだろうけど、なんとなくしっくりこなくて、未だに名前を呼んでない。本人が気付いているかは知らねーけど。

だから、結構顔をあわせることが多い。
だから、大体目に入る。というか向こうから入ってくる。
だから……朝から一度も見てないことに、こんなに違和感がある。今日は散々楽しみにしていた公演初日だってのに。

「どうしたんだ、莇」
「あー、ちょっと用事。先行ってて」
「時間までには必ず来いよ」
「んなこと言われなくてもわかってんだよ」

余計なことしか言わねー左京に舌打ちをする。とりあえず先に行くことにしたらしい五人の背中を見送ってから踵を返した。
なんでこんなことしてんのかは自分でもわかんねーけど。
ただ、声がした気がしたから。

***

劇場の裏は、中の様子とは正反対で、人気もなく静かだ。足を踏み出した時に細い枝を踏んづけたらしく、ポキッと折れる音がした。
その音に、少し先で小さく丸まっていた影がびくりと反応する。

「何してんだよ」
「……っ」

俺が声をかけると、蹲っていたそいつは弾かれたように顔を上げた。
はらはらと涙が頬を伝う。どれだけ泣いていたのか、目は赤くなっている。見慣れたはずの顔の、見たことのない泣き顔に、目を見開いた。
なんで……なんで泣いてんだよコイツ。

「あざみく……なんで、ここ……」

しゃくりあげながら問いかけられて、それは先に俺が聞いただろと思いながらも返事をすることにした。それ以外にどうしたらいいか、わかんなかった。

「人の声が聞こえた気がしたから来てみた」
「う、うえぇーっ?」
「はぁっ!?」

俺の答えを聞いた途端情けない声と共にへにゃっと歪んだ表情に慌てる。こ、これじゃ俺が泣かしたみてーだろ!
目線にあわせてしゃがめば、ごめん、と、うるさかったかな、といった言葉が途切れ途切れに聞こえてきた。

「別にうるさかったわけじゃねーけど……。俺以外に気にしたヤツはいないみたいだったし。 で、なんでこんなとこで泣いてんだよ。何かあったのか?」

何かあったなら、劇団のヤツらに話せばすぐにどうにでもなるだろう。この短期間でも、コイツがあの人達に可愛がられてることは十分にわかってる。

「そ、その……き、んちょう、してっ」
「は?」

緊張?

「いつもっ、こう、なの」

いつも、二日目以降は色々手伝うものの、舞台の初日だけはゆっくり観劇してほしいと監督に言われているらしい。そしてその初日、必ずコイツは自分が出るわけでもないのに緊張し過ぎて耐えられなくなって、誰にもバレないようにここで一人泣いているんだそうだ。最初の公演から、毎回ずっと。
何か仕事があれば気が紛れるのではと思って一度は手伝いを申し出たものの、結局動きながら涙が止まらなくてダメだった。
いつもはもっと静かに泣いてるけど、今回は九門のことがあって更に緊張して泣いていたから、俺が気付いたのかもしれないって説明は、どこまで本当かわかんねーけど。いつもこれくらいボロボロに泣いてるって言われた方が納得いく気がする。

「このこと、誰も知らねーのか?」
「たぶん」
「別に隠れなくたって……」
「ダメだよ」

公演前なのに、邪魔しちゃいけない。心配させちゃいけない。役者でもない自分だから、尚更。
そう言うコイツの気持ちは、もしかしたら劇団のヤツらよりかは部外者の俺のがわかるのかもしれないと思った。
未だに小さく丸まってる身体は、いつも以上に小さくて頼りなく見える。それに手を伸ばすべきなのか、どうしたらいいのか、わかんなくて戸惑う。泣いてる女相手にどうしたらいいかなんて、知らねえ。

「あざみくん、ごめんね。びっくりさせちゃって。……公演までには、いつも絶対行くから。先、行っててね」

最初より大分しっかりした口調にホッとする。
……こういう時にどうしたらいいかなんて知らねーけど、でも、コイツの言う通りにすんのだけは違うだろ。
俺が立ち去らずに隣に移動したら、驚いてまん丸くなった黒い瞳が俺を見上げた。

「なんで?」
「別に」

なんで、と答えられるだけの理由はねーけど。コイツをここに一人にすんのはなんとなく違うっていうか、なんとなく嫌だと思った。

「……どこ行ってたか聞かれたらどうすんだよ」
「え?」
「アンタ、誤魔化すの下手そうだし」
「……えへへ」

自覚あんのかよ。
若干呆れながら、普段と同じ態度に安堵しながら、小さく息を吐く。意外と風通しの良いこの場所は、夏の屋外の割には涼しい。ここが日陰じゃなかったら、日焼けすんぞって怒ってたな。
すると、ぽつりと、隣から幾分落ち着いた声が聞こえた。

「お芝居の不安とかは、ないんだよ。ぜんぜん」
「え?」

それはちょっと意外だった。心配で泣いてるのには、そういう意味も含まれてるもんだと思ってた。
すると、ハンカチからパッと顔が上がる。

「だって、お芝居ってすごいんだよ!」

涙で濡れた瞳が光を受けて、どうしてか、やたらキラキラして見えた。

はじめは演劇なんて何も知らなかったし興味もなかったけど、ここのヤツらが初めてやった舞台を観てから世界が変わったこと。あの人達の立つ舞台が、成功とか失敗とかそういうことを超えて、どれだけまっすぐで、輝いてるか。そんなあの人達が立つからこそ今日の舞台も絶対大丈夫だって、時々言葉を途切れさせながら、話す。俺にはよくわかんねーけど。
そういえばコイツ、公演楽しみって言って、最初からただ舞台を観ることだけを楽しみにしてたな。

やがて満足したのか、「行こうか!」とケロッとした顔で言ったのには、今度こそ呆れたけど。
顔を洗って、緊張で泣いてたなんて様子おくびにも出さずに劇場に行ったアイツは夏組の舞台を見届けて、「よかった!よかったね!」と心底嬉しそうに、幸せそうに笑っていた。さっき半泣きで俺に話をした時みたいに、キラッキラと目を輝かせて。
また泣くんじゃないかと思ったけど、本当にずっと笑ってたから、ちょっと驚いた。

あれから、「お芝居ってすごいんだよ!」と言ったアイツの――なまえの顔が、何度も脳裏を掠める。
……まあ、たしかに公演は、良かったと思うけど。

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