『一生に一度なら、式も挙げようよ』
 

 
 
 
 小さな公園で彼が私に囁いた言葉に嘘がないと知っていた。あれから暫くして、作業と両立しながら短期間で結婚式を挙げられそうなサービスを探したけれど現実は中々そう上手くはいかない。時折かなり短期で請け負ってくれる式場があったが、大抵が既に満了。もしくは信用に値しないようなサイトばかりだった。思わずため息を吐きながら補助監督時代から使っているデスクの上に肘を付き、意図的に姿勢を悪くする。……人に見せられるような状態じゃないなぁ、と思いつつ以前から愛用していたこの場所が奇跡的に残されていることに少しだけ心が安らいだ気がした。
 
 

 
 
「……閑夜さんがそんなに溜息を吐くなんて珍しいですね」
「うん、ちょっと中々欲しい情報が見つからなくて……」
 
 

 
 それは困りますよね、と私の言葉に同意しつつ労いの言葉を掛けてくれる伊地知くんにありがとう、と感謝を口にした。こうやって彼と並んで仕事に……正確には私がしているのは仕事ではないが、何かに取り組むのは凄く久しいことだ。時間に換算すればきっと思っているよりも短いはずなのに、ここに至るまでの経緯や事件を思えば途方もないくらい悠久の出来後のように感じられる。
 
 
 伊地知くんは良い後輩だ。それ以前にとても良い補助監督だ。彼の力が無ければ乗り越えられなかった案件ばかりだし、彼がいるからこそ安心できる術師も多かった筈だ。優しくてしっかりしている伊地知くんがここまで生き残っているのが何よりの証拠だと思う。……悪運の強さも含めてきっと、これからも彼は誰かを見送る立場になるはずだ。いつか私も彼にその役目を背負わせてしまうのはひどく心苦しかった。……今彼に謝ったとしても伊地知くんを困らせるだけで、それは単なる自己満足になってしまう。だからこそ、私は何も言えなかった。
 
 
 

 
「───なぁに仲良く二人でランデブーしてんの?」
「ご、五条さん!?いつの間に……」
 
 

 
 
 ぬっ、と間を引き裂くように細長い胴体を割り込ませた彼の姿に伊地知くんが心臓を押さえながら勢い良く跳び上がったのが分かった。……本当は一言忠告したかったのだけれども、彼の気配が何も言うな≠ニ告げていたので如何にも出来なかった。今度こそ声に出して「ごめんね」と伊地知くんに謝れば「閑夜さんは気付いてたんですね……」と荒い呼吸を必死に整えながら眼鏡をずらしてヘナヘナと普段よりも更に身を縮こませてしまっている。本当に悪いことをしてしまったようだ。
 
 
 
 

「つーかさ、もう俺も捺も五条なんだけど」
「あ、し、失礼しました……ご結婚おめでとうございます……」
「ありがと。……で、見つかった?」
「ええ、一応見つかりましたが……」
 
 

 
 
 
 流石伊地知だね。そう言いながら彼の開いたホームページを上から下までじっくりと見つめる五条くん……もとい悟くん≠ヘ透き通るような美しい瞳に画面を反射させ、それから一度大きく頷いた。やるね、と一言で投げ掛けられた十分すぎる賛辞の言葉に伊地知くんは目の玉が落っこちてしまいそうなほど驚愕し、とても小さな声で恐縮です、と呟く。……正直、何が起こっているのかついて行けない私はおずおずと悟くんを見上げることしかできない。彼には何か調べたいことや気になることがあったのだろうか?それなら私も手伝えば良かった、と、色々な可能性を頭に巡せる。しかし、五条くん……いや、悟くんはそんな私の考えを見抜いていたらしい。視線が交わった瞬間にっこりと笑った。
 
 
 
 
 
「明日、写真撮りに行こう」
「……写真?」
 
 
 
 
 
 にやり。一言で説明するのであれば悪戯っぽい笑顔を浮かべた彼に私の目は釘付けになる。少年らしさを残した無邪気な笑い方は隠し事をしているのだと、彼をあからさまに演出しているようだった。隣に居た伊地知くんはその言葉に「明日ですか!?」と大慌てで自身の携帯電話を取り出すと、いそいそとページを見ながら電話番号を打ち込んでいく。……そんな彼の姿に今迷惑をかけているのが恐らく自分達だと察するには余り有り、声を噤んでしまうのは仕方のないことだ。あぁごめんなさい伊地知くん……そうやって更に心の中で謝罪を重ねるが悟くんはあまり気にしていないようだ。これもまた二人の間柄らしいと言えばらしいのだが。
 
 
 

 
「何とか予約、できましたよ」
「流石有能。どっちも?」
「はいどっちも≠ナす」
「そりゃ良かった!今度領収書でも……」

 
 

 
 
 そう言おうとした悟くんの言葉を「いえ、」と遮った伊地知くんは椅子から立ち上がるとスーツの皺を伸ばすようにキュ、と下向きに軽く引き下げる。ただでさえきっちりとアイロンされたスーツが更に畏まったが、それでも伊地知くんは私達二人から目を逸さなかった。今だけは敢えて言わせてください、と許可を取ってから彼は一つ咳払いをする。そして、
 
 
 
 
 
「五条さん、閑夜さん……改めて今までありがとうございます。───そして、結婚おめでとうございます」
 
 
 
 
 
 何よりも深く、深く頭を下げたのだ。以前と比べて少しだけ白髪が見える彼の黒髪には苦労が滲み出ている。それでも彼はずっと、その体勢を保ち続けていた。……今までありがとうなんて、そんなのきっと、言うべきは私達の方だ。自然と目を合わせたのは私と悟くんは同じ気持ちだったに違いない。特に彼は態とらしい息を吐き出しながら伊地知くんの肩を掴んで殆ど無理やり頭を上げさせると「オマエ馬鹿だな」とストレートに罵倒して見せた。
 
 
 
 
 
「今それを言うのはオレたちだろ。……こっちの台詞取ってんじゃねぇよ」
「いえ……私は本当にお二人にはお世話になりましたので……こんなことで良いなら幾らでも手をお貸しします。結婚祝いでもなんでもさせて下さい」
 
 
 
 
 
 こんなこと。そう語る彼の体越しに見えるのはシンプルかつ洒落た雰囲気のスタジオの写真と「フォトウェディング」というテレビやインターネットの中で数回聞いたことのあるはじめて@用するサービスの名前だ。パチパチと瞬いた私を見下ろしていた柔らかな青は、緩やかに半月型に形を変化させると「僕、欲張りなんだよね」そう言って私に堂々と微笑み返した。
 
 
 
 

 
 
「すっごくお似合いですよ……!」
「……そ、そうですかね……?」
 


 
 
 
 
 眩しい。そんな言葉では足りないくらいの眩い空間。白を基調とした品のあるスペースには物理的な眩しさを表す照明も多かったが、何よりこの空気を作り出す圧倒的なキラキラ≠ェまぶしくて仕方なかった。色取り取り揃えられたドレスに、宝石が沢山使われた可愛らしい小物たち。自分がこんな場所を利用する日が来るなんて、そう思いながら全身鏡に映し出されたわたしと目を合わせる。……そこに映し出されたのはまるで、知らない人のようだった。
 
 
 この世界でこの仕事をしている以上純白≠ニいう言葉には縁がないと思っていた。……上品な光沢と繊細なレースで折り重なった一点の曇りもない白。私が着るにはあまりにも美しすぎる白。普段黒を纏い、闇に生き、影に助けられて生きてきた私には、この世界には光が多すぎる、そんな気がしてならないのだ。
 
 
 テレビのコマーシャルや映画のスクリーン。結婚雑誌の中に居る女の人がそのまま質量を持って現実に現れたような、それ程までに私が私であるという実感が沸かない姿だった。髪も化粧も一人では絶対にやらないほど丁寧に、綺麗に結われている。───自分が自分ではないみたい。様々な創作物で聞いてきた耳馴染みのあるこの言葉があながち嘘ではないのだと、私は今身を持って知ることになってしまった。
 


 
 
 
「……お待たせ」
 

 

 
 
 その一声≠ノ今ここに居る人々が皆、息を呑んだのが分かった。少し重いくらいの体をゆっくりと翻し、私はその場で振り返る。瞬間、飛び込んできた輝きに思わず目を細める。カツン、と気持ちの良い足音を響かせながら確実に私の前に近付く気配に頭を持ち上げた。……想像はしていた。彼が白を纏えばどうなるのか頭の中でイメージはしていた。でも、相手が五条くんなのだ。私の想像なんてゆうに飛び越えてしまう。それが、彼だ。
 


 
 
「……す、ごい……」
「凄い?」
「王子様、みたい」
 
 
 


 
 白髪に蒼眼。神様に祝福されて生まれてきたような美しい容姿に真っ白なスーツ。一見すれば華奢にすら見える色使いだが、広がった肩幅には確かな筋肉を感じさせた。タキシードなんて人生で着る機会は早々ない筈なのに、外国人を思わせる長身と彼から溢れる圧倒的な存在感には借りもの≠ナは無く五条くんのために作られたのではないか、と思うほどに美しいラインを弾き出している。スタッフの女性達も私の言葉に無意識に頷いていた。今の五条くんは誰見ても、御伽話から出てきた王子様に他ならない。
 
 
 


 
「じゃあ捺は僕だけのお姫様ってことだね」
「えっ、」
「……凄く綺麗だよ」
 

 
 

 
 そっと。救い上げるような優しい手付きで彼は私の掌を持ち上げる。薬指に嵌められた指輪を愛おしそうに撫でながら囁くような声で唱えられた言葉は魔法みたいだ。幼い頃漠然と憧れたアニメーションの中に登場するお姫様。それはきっと、素敵な男性がいて成立する。……五条くんはこんな私でもお姫様にしてくれる、そんな人だった。小さく頷いた私に笑い返した彼は、整った姿で堂々とカメラの前にある撮影スペースへと腕を引きながら誘っていく。見惚れていたスタッフさんが慌てて私のドレスの裾を持ち上げてくれたのが分かった。それじゃあお願いしまーす、なんて。きっちりとした風貌に反するラフな声掛けにカメラマンの男性が目の色を変える。五条くんはきっと、最高の被写体だ。
 
 
 


 
「緊張してる?」
「し、てる……」
「ガチガチじゃん、ほら深呼吸して……」
「……五条くんは緊張してなさそう」
 
 
 


 
 そりゃ自分より緊張してる人が隣に居るとねぇ?そう言いながら目を細めた彼は喉の奥を鳴らすような楽しげな笑い方をしていた。そんな彼にカメラのフラッシュが一層増したのが分かる。誰が見ても王子様だと答える今の容姿に何かを企む子供みたいな笑顔が合わさると所謂……ギャップ、のようなものが生まれて彼は更に魅力的になった気がした。一瞬ぼんやりと、カメラのレンズを忘れて五条くんをただただ見つめる。綺麗だとかカッコいいだとか、そんな言葉では足りない。足りないくらい、五条くんは素敵な人だった。真っ直ぐ前を見据える無駄ない横顔が、完璧なシルエットを弾き出す。五条くんは本当に、
 
 

 
 
「───悟。」
「ぁ、」
「……また忘れてたでしょ?」
 
 

 
 
 グッと背中を丸めて耳元に顔を寄せた彼は自身の名前を呟いた。私に浸透させて教え込むような、棘のない低い声で紡がれた言葉。しっかりしてよ僕のお姫様、と続いたのは揶揄うような戯けた表現だったが、あくまで彼の発する音は穏やかだ。さとる、くん……無意識に震えた声帯と交わる瞳。ふ、と彼の目に色が載る。あ、と思った時にはもう既に彼との距離はゼロになっていた。上がる歓声と黄色い悲鳴。パシャパシャと刺すようなシャッター音。……あー、ゴメン。そう言いながら離れた時に見えた彼の顔はほんの少しだけ照れくさそうだった。
 
 

 
 ……結局。無事に全枚数を撮り終わり、個人でのショットも幾つか撮影して貰った。着替え終えた私たちが帰り際に見せてもらった写真の中にはそれはもうバッチリと鮮明にキスシーンが残されており、今度は私が顔を染める。隣に座る五条くんは羞恥を乗り越えているらしい。意気揚々と「全部買います」と言い切っていた。沢山のスタッフさんに見送られながら扉を潜り、疲労にも似た形容し難い感覚と不思議な心地よさに包まれながら五条……悟くんと手を繋ぐ。これは慣れたんだねと嬉しそうな彼に私もほっこりと穏やかな気分になったのも束の間。すぐ腕を上げてタクシーを捕まえた彼にもう一店舗§Aれ込まれることになるのを今の私はまだ知らない。
 
 
 
 

純白



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