「明日出しに行こう」という五条くんの言葉に嘘はなかった。公園で呼吸出来なくなるくらい五条くんとキスを交わした次の日。私達は機能が生きている役所を探して二人で婚姻届を提出しに行った。アイマスクを付けていない五条くんが呪術師と馴染みのない場所に向かうのは久しく、周りの人たちの視線が痛いを通り越してしまうほど沢山突き刺さる。それでも五条くんは慣れているのか気にしていないのか、平然と私と共に窓口に並んでいたけれど、受理されるまでの時間は何処か落ち着かなさそうにしていたのが印象的だった。
 

 
 
「おめでとうございます」
 
 
 

 初めこそ驚いたように五条くんを見ていたお姉さんだったが、最後に一つ頷き、笑って私たちを祝福する言葉を告げる。五条くんは何度か瞬きをしてから「ありがとう」と絵に描いたような綺麗な微笑みを浮かべた。私はもちろんだが、お姉さんも、隣に座っていたおばさまも皆がその笑顔に夢中になっていて、ひょんなことだが五条くんの格好良さを再確認してしまった。帰り道にそれを伝えようといたけれど、想像以上に上機嫌に私の手を取って歩く彼を見ていると何だかどうでもよくなってしまって、私もその温もりを素直に享受する。
 

 
 五条くんはやっぱり他の人と比べても特別な人だ。でも、全部が全部特別なわけじゃない。五条くんの持つ、私と近い部分もたくさん知っている。……こうやって、好きな人と手を繋いで幸せな気持ちがするのはきっと、同じだ。今日のご飯は何にする?と楽しげな瞳でこちらを覗き込む彼に「どうしよっか」と普遍的な返事を口にする。東京から少し離れれば人間の世界は以前までと変わらずにいつも通り滞りなく回っていた。すれ違う人々の忙しない顔を時折横目に見て、終わりの足音を知っているのは私たちだけなのだと悟る。そういう意味でも私たちは、普通であり、普通ではない。
 
 
 

 
「僕、捺の作ったオムライスが食べたいなぁ」
「んー……半熟がいい?」
「とろとろ甘々のヤツ」
 
 
 

 
 じゃあ卵買って帰らないとね。そんな私に彼は嬉しそうに頷いて更に歩幅を大きくする。人々と逆行するように進む私たちが数分前に夫婦になったことなんてきっと、誰も知らない。確かな事実だった。
 
   

 
 
 

 
 
 とろとろ甘々≠ネ彼好みのオムライスを二人で食した後、彼の好みはオムライスだけに適応されないモノだと教えられるような夜を過ごした。五条くんとの行為は正直今まで付き合ってきた男性と比べると大変な方だとは思う。それは別に上手いとか下手だとかそういうことではなく、埋まらない体格差や身長差に起因していた。
 
 

 だからこそ彼は、すごく優しく、丁寧に愛そうとしてくれる。五条くんの手は大きいし、その手から繰り出される呪力の凄まじさや体術のレベルは昔からよくよく知っていた。そんな彼が細やかに、探るような優しさで私に触れるのはくすぐったい気持ちにさせられる。挿入する前に目一杯時間を掛けて痛みを与えないように下準備をする所は何となく、普段の彼のらしさ≠感じさせて、私はそれが好きだった。体位だってそうだ。昔の私は男の人と性行為をするときに一々そんなこと考えていなかったが、彼との行為ではどうすれば負担なくお互いに気持ちよくなれるのか、と考えてしまうくらいだ。……実際、彼と体を重ねるようになってまだ数えられる程度だが、五条くんの優しさは痛いほど伝わってきたし、私も彼にできるだけ応えたい、と思っている。
 
 
 
 
 
「っ、はぁ、はぁ……」
「ん……おつかれ、捺」
 
 
 
 
 
 彼に縋るようにして息を整える私の背中を撫でながら、五条くんが下から掬い上げるようにキスをする。彼の顔を見下ろすのは珍しい経験だ、ぼんやりと霞む思考の中そんなことを考えた。……今日私が彼に提案したのは、女性が座っている男性の上に乗り、二人で抱き合う行為……俗に対面座位と呼ばれている体位だったのだが、普段は五条くんが物凄く無理をして体を丸めることでやっと出来る口付けをこんなにも簡単に交わすことが出来るのは少し、いや、かなり感動的だった。
 
 
 そんな私の思考を読んだのか、五条くんは唇を離すと「捺ってほんと真面目だよね」と苦笑しながら指先で私の頬を軽く撫ぜる。真面目にしているつもりはあまりないけれど、彼にはそう映ったらしい。そうかなぁ、と語尾が掠れた声で聞き返せれば五条くんはベッドサイドに置いていたペットボトルを手渡して飲むようにと促してくれた。
 
 
 

 
「セックスにまでこんなに真剣だと思わなかったよ僕」
「……だって、いつも五条くん体勢辛そうだし、如何にか出来る方法はないかと思って……」
「その結果が対面座位≠ネのはぶっ飛んでるよね割と」
 

 
 
 
 そう言いながらも満足げな口調でもう一度軽くリップ音を響かせながらキスをした彼は「ま、好きだけど」と結局はカラリと笑ってみせる。五条くんはすごく綺麗な顔をしていて、それは行為中でも乱れることがないのだからずるいと思う。勿論グッと眉を寄せるような顔とか、他にも色々な顔を見せてはくれるけれど、根本的な美しさやかっこよさはいつどんな時にも損なわれない。……対する私は自分がどんな顔をしているのか想像するのが怖くなる。途中でどうしようもなくなって五条くんに全てを任せることが多いから余計に心配だ。自分を特別かわいいだとかそんなことは思わないけれど、最中の顔なんて多分、かわいくないと思う。振り落とされないように無我夢中で、オトナの女の人とはきっと言い難い。
 
 
 

「……どうしたの?まさか何処か痛んだり、」
「ううん、そうじゃないんだけど……」
「じゃあ教えて。捺の嫌なことはしたくない」
「……その、わたし、あんまり可愛くないかなぁと思って」
「…………ハ?」
 
 

 
 気が抜けた、というよりは怒りにも近い一文字。あ、と思った時にはもう五条くんは額に皺を刻んで非常に解せないと言わんばかりの顔をしている「……お前の何処が何だって?」なんて、少し棘のある攻撃的な口調に戻った五条くんはある意味懐かしさを感じた。やや戸惑いがちに五条くんはいつ見てもかっこいいから自分はどうなんだろうと不安になった<Rトを伝えれば彼はここ最近で1番の大きな溜息を吐き出す。
 
 

 
「あのね。捺がそう思うなら僕も同じようなことを思ってる、って考えないの?」
「た、確かにそうかもしれないけど……」
「……あー、いや。違うな……不安にさせてる僕も悪いか」
 
 

 
 初めこそジトリとした目を向けていた五条くんは次第にほんのりと困ったような顔で自身の髪を掻き回した。それこそ私にとってはそうじゃない≠ニ思うくらい十分過ぎるほど彼の想いは伝わっている、そう感じていたけれど、五条くんは納得していないらしい。それからするり、とくびれのある腰辺りを撫でつけた彼は喉の調子を整えるように一度咳払いをした。
 
 
 

 
「捺は普段露出する服とか着ないからさ、シてるときにしか分からないけど……すごく綺麗な体をしてるよ」
「そ、そんな……」
「ずっと触っていたくなるくらい肌は吸い付くし、筋肉も付いてしなやかで……でも柔らかい」
「う、」
「そんで、いつも真っ直ぐな目が俺だけを見て……濡れて潤んで、もうダメって顔になるのが……めちゃくちゃ興奮する」
 
 
 

 
 赤裸々という言葉では片付けられないほど赤裸々に五条くんは話始める。見上げる彼の視線に籠る熱の温度が増しているのが分かり、恥ずかしくてたまらなくて、どうしようもなく逃げて隠れてしまいたくなる。だけどそれを許してくれるはずもなく、五条くんはゆっくりと背中を支えながら私をマットレスに押し倒すと、ちゅ、と鎖骨のあたりにキスを落とした。慈しむように丁寧に、くまなく肌をなぞり始める形のいい唇にますます緊張が込み上げる。それでも、五条くんは少しも止める気がなさそうだった。
 
 
 

 
「捺の体はちょっと、甘い匂いがして……それが、すげぇ可愛くて」
「っ、や、」
「今みたいな、っ、声も……ぜんぶ、かわいいし、」
「も、もういい、から……五条くん、わかったから」
「無理。分かってないだろお前……俺が、いつもどんな思いでお前のこと抱いてるか、」
 
 

 
 
 
 艶と呼ぶにはギラギラと。蠱惑的な青い瞳が私から離れなかった。その視線だけで五条くんに全てを支配され、操られるような感覚。無意識に熱い吐息が零れて、五条くんがそれを勿体なさそうな顔で拾い上げるみたいにキスをする。捺、と私を呼ぶ声が愛しくて、切なくて、心を揺さぶるような音を秘めていた。体を縫い付けるみたいに指を絡めて手を繋ぎ、覆い被さるような体勢で私を見下ろす五条くんは急かされた顔をしながら喉を震わせる。
 

 
 
「……そんなに締め付けて、可愛い、顔して、」
「ぁ、」
「これ以上俺のこと、好きにさせてどうすんの……」
 
 
 
 

 責任取ってよ。そう言いながら噛みついた五条くんはまるで、踏み掛けていたブレーキから足を離したような、切れかけの電池を入れ替えたときのような、そんな風に見えた。そこに堂々と横たわる愛情が私にも分かりやすいくらいに色付いて輝いている。……いい?とたった二文字の許可を取るような言葉を今の私が突き放す訳もなく、私達はもう一度皺の寄ったシーツの海に深く、深く、溺れた。
 
 
 
 
 
 


 
「そういえば、いつまで俺のこと五条くん≠チて呼ぶの?」
 
 
 

 
 不意に投げかけられた疑問に思わずぱちぱちと瞬きをした。生まれたままの姿で布団の中へと潜り込み、お互いの方を向きながら横たわっていた私達を不思議な沈黙が包み込む。……えっと。そうやって歯切れの悪い言葉を口にした私に五条くんは分かりやすく整った眉を持ち上げると「考えてなかった?」と少し拗ねた子供のように追撃してきた。
 

 
 ……結局あの後。ヘトヘトになるくらい愛されてしまった私はしっかりと五条くんが如何に私のことが好きなのか≠教え込まれてしまった。彼に好かれている自覚は一応持っていたけれど想像以上に真っ直ぐと素直に伝え直されてしまい、それを享受すること以外何も考えられなくて、最後には自重した彼が「これ以上入ってると永遠に繰り返すわ」と名残惜しい顔をしながら解放したことで行為自体は終わりを告げることになる。その後も私の体を拭いながら散々愛を伝えてくれた彼にどうにも恥ずかしくなってしまったが……嬉しい、とも感じた。そんな五条くんが今問いかけた疑問≠ヘそっと目を逸らして私が考えないようにしていた、痛いところを突かれる……そんな疑問だった。
 

 
 
 
「……そ、それは……」
「……さっきもさ、そりゃ五条くん五条くんって必死に俺を呼んでるのはめちゃくちゃ可愛かったけど……お前も五条≠カゃん、って思って」
「そうだよね、そうなんですよね……」
 
 

 
 
 私も、気付いていなかった訳ではなかった。婚姻届を提出して名実共に「五条捺」になった自覚はあったし、どうにかしないといけない……と思っていた。思ってはいるのだが……いかんせん、私の口はもう「五条くん」という響きを覚え切っている。多分もう、ずっとこの言葉は忘れないだろうなと思うくらいには彼のことを呼んできた自負がある。だからこそ上手くタイミングが掴めなかった。普通のカップルはいつから呼び名を変えるものなのだろうか?自然と変わるのか、話し合ってその瞬間から変えていくのか、分からないことだらけだ。
 
 
 

 
「……元も子もないんだけど、もう私五条くんって名前に慣れちゃってて……その、」
「上手く変えられない、って?」
「……ごめんなさい」
 

 
 
 
 明らかに不服そうな彼に謝罪を口にすれば、謝らなくてもいいけどさ、と言いながらも五条くんはやっぱり明らかに「呼んでほしい」と言わんばかりの顔をしている。彼のしたい事とか、そういう気持ちは出来るだけ……それが私に出来る事であれば叶えたい、と思う。そのくらい私も彼のことが好きだし、大切に思っていた。……ふ、と息を整えて気持ちを落ち着かせる。えも言われぬ緊張の中、私は彼のことをじっと見つめた。
 

 
 
 
「……さ、」
「……」
「……さとる、くん……」
「……なぁに?」
 
 
 

 
 ほんの少しだけ、呆れを含んだ返答だった。ただそれでも五条くんの瞳は嬉しそうにきらきらの流星みたいに輝いていて胸がキュッと甘く締め付けられる。五条くんは今多分、誰が見てもすごく、幸せそうな顔をしていた。男の人に可愛いと言うのは憚られるものだけど、今の彼は間違いなく、可愛らしかったと思う。
 
 
 

 
「五条くん嬉しそうだね……」
「……また五条って呼んでる」
「あ、」
 
 

 
 
 ……くるり。まるでオセロみたいに一瞬でまた不満げな顔へと変化した彼に誤魔化すような苦笑いを溢した。気を抜けばやっぱりこうなるらしい。十年間もそう呼んできたのだから仕方ない……とは思うけれど、これから先は私も五条なわけで、やっぱり今の呼び方では可笑しい。口が慣れてなくて、と苦しい言い訳を紡いだ私にふぅん……と彼は訝しげだ。
 
 
 

 
「……俺は結構、決めたらすぐに呼び方変えたのに」
「……そう、だったね。あの時はびっくりした」
「びっくりだけ?」
「……ううん。嬉しかった」
 

 
 
 
 思い返しても色々と大変だった廃工場での任務の後。非常階段に座りながら自身を後悔したあの日。私は見ているだけしかできなくて、ただ必死に三人を助けたくて、それだけの為に全力を尽くした。それだけの為にしか、動けなかった。そんな自分が情けなくて、悔しくて、どうしようもない時に彼は……五条くんは、私を正当に評価した上で、認めてくれた。ケジメのように、私を名前で呼ぶようになった。硝子や夏油くんと同じように彼の中の一人として扱われて、何より彼の気持ちが嬉しかったのだ。
 
 
 
 

「……」
「…………」
「さ、」
「……」
「さとるくん……」
 
 

 
 
 待ち侘びるような視線に背中を押されてもう一度。彼の名前を呟いた。しばらく黙りながらそれを聞いていた彼は……もう一回、と私を見つめる。さとるくん、と拙い響きが口の端から落っこちて、それを聞き終えた彼はぎゅ、と私の体を抱き寄せる。そのまま耳元に添えられた五条くんの唇が捺、と私を呼んだ。
 
 
 
 
 
「……もっかい呼んで」
「っ、さとるくん……」
「もう一回、」
「悟くん……」
 
 
 
 
 五条くんの……さとるくんの声がじん、と鼓膜の奥を揺さぶる。普段は少し高いくらいなのに、不意に吐き出されるしっとりとした低音にぞわりと肌が粟立つ。何度かそんなやりとりを続けてから、彼はもう一度しっかりと私を胸元に押し込めると「慣れてないなら、慣れるまで呼んで」と自身の髪を擦り付けるようにして頭を動かした。大型犬みたいないじらしさを感じる仕草に自然と透き通る白髪に指を通して……がんばる。と伝えれば今はそれでいいよ、と赦しを与えてくれた。……悟くん。馴染みのない名前だけど、どうしようもない愛おしさを感じるのはきっと、それが彼だからなのだろう。五条悟くん。私の尊敬する、私の、だいすきなひと。そんな彼の願いを叶えられるように少しずつ頑張ろうと決意して、私はゆっくりと瞼を閉じた。
 
 

なまえ



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