冬の空はすぐに表情を変える。捺の母親への挨拶の後、 彼女家を出た時にはもう空が幻想的な赤みを帯びていた。思った以上に長居してしまったことを反省しつつも彼女の助手席へと乗り込む。……本当は僕自身で運転したいところだったけど、この格好では事故を起こしかねない。それに僕よりずっと彼女の方が車の扱いは上手いはずだ。適材適所、と言ったところだろうか。


 燃えるような紅色とは裏腹に、一秒一秒刻々と冷たい空気が押し寄せてあっという間に夜が来る。トンネルの中でふと盗み見た捺は何処かすっきりとした顔をしていた。……それはきっと、彼女が母親と話せた事が影響しているのだろう。
 
 
 
 
 
「……五条くん、ありがとう」
「……それは何に対して?」
「私を……家まで引っ張り出してくれたこと、かなぁ」
 
 
 
 
 
 捺の過去については学生の時に聞いた事がある。腐った呪術界においてそう珍しくない話。父親の幻影に囚われた死に急ぐ彼女の姿が気に食わなかった当時の自分をよく覚えていた。生きるのを諦めようとした、父に呪われた彼女に僕は散々なことを口走った気がする。詳しい内容を覚えているわけではないが、放っておいたらきっと死体の山に加わることになるであろうその姿勢が許せなかったのだ。そして、彼女をそんな数に縛り付けた父親のことすらも憎らしく思っていた。……それがまさか、こんな風に顔を合わせるなんて思いもしなかったが。
 
 


 
「捺の親父さんって、僕との結婚を許してくれそうな人?」
「うーん……初めは反対するかも?」
 
 
 

 
 彼女の実家にある仏壇は細かな埃一つなく、丁寧に掃除されているのが伝わってきた。閑夜家にとって父親の存在は良くも悪くも大きかったのだろう。黒光りした位牌からは生も死も何も感じられないのに、母親だけが住むあの家には漠然と足りない♀エ覚がした。パズルのピースが一つ欠けているような、そんなまどろっこしくなるような違和感。だからこそ捺と母親の間にも表現が難しい収まりの悪さが確かに存在した。
 
 
 遺影に映る彼女の父親は穏やかな笑顔を浮かべていた。きっと善人なのだろう、そう伝わってくる顔だった。反対するかもしれないと述べた捺は「でも、」と言葉を一旦区切ると思案するように少しだけ視線を上に向けた。それからすぐにまた真っ直ぐとフロントガラスを見据えると曇りない瞳で口を開く。
 
 
 
 
「お父さんなら、きっと分かってくれる」
 
 
 
 
 五条くんが素敵な人だって。締め括られた声には凛とした響きが詰め込まれている。少しの迷いもない、そんな強さが感じられた。それは僕たちの結婚を認めてくれた彼女の母親にとてもよく似た、曲がらない意志を感じさせる表情。僕の好きな顔つきだった。……僕が仏壇の前で手を合わせて彼に伝えたことはひとつだけ。時が来たら謝りに行きます≠スったそれだけ。もしかしたら向こうで捺の目の前で殴られるかもしれない。それだけのことをしている自覚はあった。ただ僕も、いつか彼に会えた時は娘を呪うのはやめろとは言ってやるつもりだ。
 
 


 ……結局あの後、僕たちの馴れ初めやエピソードを話せる範囲で母親へ語るうちに捺と彼女の間にあった壁は融解されたように思う。初めこそ挨拶すらも拒むほどあの家への思い出が父親の死で塗り替えられていたが、元は仲の良い親子だったらしい。打ち解けるまでそう時間は掛からなかった。二人揃って途中から僕をカッコいいと囃し始めた時は流石にどう答えるべきか迷ったが、感謝を伝えることでなんとか乗り切った。同じくソラに居るはずの親友が俺を見ていれば「猫を被るな」と指摘されそうだ。
 
 
 
 
 
「婚姻届、出しそびれちゃったね」
「あぁ……そうだね。でも代わりに捺のお母さんと話すの盛り上がっちゃったし、小さい頃のアルバムも見せてもらったから有益な時間だったよ」
「あ、あれは忘れてよぉ……」
 
 
 
 
 
 ちらり、と流石に聞き流すことができなかったのか捺が唇を尖らせて僕に抗議する。可愛かったよ、と喉を鳴らすがそれでは納得しないらしい。肩を落として「お母さん調子に乗ってたからなぁ」と何処か砕けた調子で母親への文句を口走る様子もまた、僕の知らない彼女の一面だった。今の面影を残した捺の子供の頃の写真や血縁のある人物に向けられる態度……随分彼女と親しくなったと思っていたが、まだまだ底は深い。僕は彼女の中へと今まさに沈んでいる最中なのだろう。でも、嫌じゃない。寧ろ、そうありたいとすら思っている。
 
 
 
 
「じゃあ明日出しに行こっか」
「……でも、いいの?他に予定は……」
「これ以上大事な予定なんてないでしょ?」
 
 
 
 
 また遠出することになるかもだけど。徐々に瓦礫が増え始めた道路に視線を向けながらそう言うと捺はそうだね、と困ったように笑った。あの日渋谷に送り出してもらったルートを逆走するかの如く郊外から都心に……いや、都心だった場所に近づく程荒れてゆく世界はまるで大きな自然災害の後のように見える。大枠で言えば呪霊自体災害のようなものだが、古代文明の跡地のようなその景色は新鮮でもあった。退廃的でどこか寂しい雰囲気はしんしんと冷える夜道を引き立たせ、散らばった豪華な宝石みたいな星々が助手席の窓からも覗き見ることができる。……ふと、思い立った。
 
 
 

 
「……今ってさ、路駐しても切符切られないよね?」
「え?」
「折角だし、高専に戻る前にデートでもしようよ」
 
 

 
 
 ぱちくり、と瞬きする彼女に「ほら車止めて」と態と少しだけ急かすような口調で訴える。捺は何度か周りを回してからゆっくりと、辛うじて残されたガードレールのそばに闇の中に溶けてしまいそうな黒い車を駐車させた。先にドアを開けた僕に慌てて続いた彼女を運転席まで迎えに行くと、そのまま恭しく頭を下げて手を差し出す。捺は一瞬目を丸くしていたがすぐに仕方なさそうな笑顔を浮かべて応えるように掌を重ねた。
 
 

 彼女と恋人≠ニいう形になって数日が経過したが、言わばこれが僕たちにとっての初デートかもしれない。家……というか、仮住まいとして寄生しているあの部屋や高専で会うことはあれど、外に出て二人で並んで歩くのは随分久しい事のように感じられた。僕たちの関係に名前が付いてからでは恐らく初めてで、だからこそこれも立派な初デート≠ニしてカウントしても差し支えはないだろう。
 
 

 この地区は恐らく被害の中心地という訳ではなかったのだろう。殆どの建物は形を残しており、倒壊のため敢えなく、というよりは避難誘導で空っぽになってしまったように見える。電気も生活音もまるでない、まるで真夜中みたいだ。そんな空間に響く僕たちの足音は映画やドラマのSEのようにさえ感じさせた。
 
 
 

 
「ここを歩いているとまるでさ、僕たちだけの世界になったみたいじゃない?」
「うん……静かで、本当に私達だけしかいない」
 
 

 
 
 きゅ、と握る手に力を込めた捺があたりを見渡す。所々木造らしい家が崩れていたり、屋根の一部が歩道に落ちていたり、そんな光景は退廃的な気分を掻き立てる。特別この場所に思い出があるわけでもないのにノスタルジックに陥って、不思議な感覚だ。なんとなく僕も彼女の手をしっかりと握り直した。離してしまわないように、もう一度。
 

 
 住宅街を練り歩き、暫くすると少しだけ開けた場所に辿り着く。そこにはコンクリートジャングルなんて呼ばれる東京では珍しい小さな公園があった。こぢんまりとしているがブランコや鉄棒といった主要な遊具と木製のベンチが置かれている。幾つか根本に盛られた土だけが残されている場所もあり、時代の流れと共に撤去されたであろう事が察せられた。人々の記憶から忘れられた、眠る公園。僕と捺は示し合わせずに自然と視線を交わすと自然と足を其方へと向かわせる。今では淘汰されつつある水銀灯が人影のない公園に青白い光を行き渡らせていた。

 
 
 

「……昔ね、こんな人気のない公園で会ったの」
「会った?」
「うん。……夏油くんに」
 
 
 

 
 彼女をブランコの一つに座らせて、隣に自分も腰掛ける。ギィギィと油の足りない鎖が擦れる音が二人だけの公園に木霊する中、捺がよく知りすぎた*シ前をポツリと吐き出した。それは、それこそ示し合わせた≠謔、に触れて来なかった名前。今とは違って中身と外側が一致していた頃の友人。……傑と?そうやって僕も懐かしい響きを口にする。何の他意もない、同級生との日常会話で彼を呼ぶのはそれこそ、どのくらいぶりなのだろう。
 

 
 
「……うん。何でかな、あの公園なら会える気がしたんだ」
「……アイツと、何話したの?」
 

 
 
 捺は前に向けていた視線を一度地面に落とすと、そのまま土を蹴り出してブランコを漕ぎ始める。振り子のように控えめに揺れ始めた遊具に乗りながら「一緒に来ないか、って」彼女はそう答える。……何つー誘いをしてくれてんだ。僕が初めに思ったのはそれ≠セった。
 
 

 
「公園で子供みたいに遊んで……最後に勝負したの。夏油くんに付くかどうかを賭けて」
「結果は?」

 

 
 トン、と、ぐらつくブランコから音も立てずに優雅に飛び降りた彼女の黒いスカートがはためく。闇に溶けそうな捺の背中は少しだけ寂しそうに見えた「……私の勝ちでもあり、彼の勝ちでもあったかな」冷たい風に持ち上げられた細い髪がキラキラと月に照らされる。僕は自然とその隣に並び立ち、傑に口説かれてたなんて知らなかった。そう言って頬を緩める。僕を見上げた捺は一度瞬きをしてから同じように唇をほんのりと丸くすた。
 
 

 
「うん。……他の人に話したの、五条くんが初めてだから」
「……そっか」
「夏油くんってちょっと格好付けたがるところもあったけど、でも……優しい人だった」
「ちょっとどころじゃないけどな」
 
 
 
 
 拳が握られていた彼女の手をそっと、解くように握った。何か一点を見据えるような目をしていた捺が何を考えているのかは予想が付く。動く死体を止めて、アイツを眠らせたい。おそらく、そんなところだろう。そこに含まれる感情が憎しみなのか、怒りなのか、明確に読み取ることは出来なかった。だけど……どちらにせよ、彼女の肩に無駄≠ネ力が篭っているのは確かだ。
 
 

 
 
「僕さ、あんまりこういう公園で遊んだことないんだよね」
「そう、なの?」
「そう。大体ウチに居たし、高専に入ったら態々こんな所には来なかったからさ」
 
 

 
 
 だから。と、それを理由に僕は捺を連れ回した。子供用の鉄棒では彼女は何とか一回転出来ていたが、そもそも僕は足を浮かせるのすら難しかったし、シーソーは体重が違いすぎてずっと捺が宙に浮いていた。滑り台では無理やり二人で滑ろうとして彼女の体を背中から引き寄せたけど、結局緩やかな傾斜では流れ落ちることが出来ず、ただ僕が地面よりも少しだけ星に近い位置で捺の体を抱き締めただけになった。……でも、それでも楽しかった。
 

 
 滑り台から降り、最後に街灯の下にまで歩いてきた僕たちは軽く息を吐いてから向かい合って、思わず笑いだす。別に絵になるようなロマンチックな展開なんてなくて、二人の大人が遊具を楽しんだだけなのに僕も彼女もしっかりと公園を満喫してしまったらしい。悪くないね、と呟いた僕に捺はここ最近で一番楽しかったと喉を鳴らした。
 

 
 
 
「さっきの話、何で僕にしようと思ったの?別にずっと、誰にも言わないことも出来たのに」
「……五条くんにはもう、隠し事とかしないでおこうって思って」
「それは妙案だ」
 
 

 
 
 機嫌よく目を細めた僕をじっと見つめた捺が不意に、五条くんは何か秘密にしてることってある?と質問を返した。うーん、と答えを探すように思い返してみたけれど僕が彼女に隠していた∴齡ヤの出来事はもう、沖縄の浜辺で伝えてしまっていた。それ以上、言えなくて後悔したことはもう、無い。その結論に至った僕は素直に「ないよ」と答えた。
 

 
 
 
「僕が捺に秘密にしてたことは、君のことが好きだってことぐらいかな」
「……五条くん」
「東京でまた会えた時、もう失敗しないって決めた」

 

 
 
 捺の左手の薬指に輝いた青い宝石をそっとなぞった。失敗や後悔はきっと、人並みに重ねてきた。だからこそ、次どうするかを考えてきたのだ。僕は彼女の腰に腕を回し、もう片方を小さな指先と絡める。そのままゆったりと、海外映画のワンシーンのようにくるりと僕たちは回転した。気分はウエスト・サイド・ストーリーだ。あんな悲愛にするつもりはないけれど、なんて。音楽はそよ風、スポットライトの代わりに現代では廃止が進む水銀灯。それでも目の前にいる彼女は美しかった。清廉とした白百合のような透き通る輝きをもちながらも、大きな花弁の奥に隠された真っ直ぐと芯の通った魂……いわば茎≠ノ惹かれた。汚れを知らないわけではない。汚れの中でも上を向き、立ち続ける姿が何よりも美しいのだと思う。
 
 

 腕を伸ばして彼女がその場で華麗に回るのを支えながら見つめる。見様見真似の真似事で、本当の社交ダンスなんて知らない。でも、僕にとっては君が誰よりも輝いて見えた。クルクルとスーツ姿で踊る捺が僕の胸元に収まり、二人の顔が近付く。寒さに色付いた白い吐息すらも触れてしまいそうな距離で彼女は可笑しそうに破顔した。
 
 

 
 
「……スーツと和服って、ちょっとヘンだね」
「……場所が公園なのもヘンだよな」
 

 
 
 
 静かな住宅街で声を顰めて笑い合い、それからそっと唇を重ねる。掠めて触れるだけの音のない口付け。本来ならそこで終えるのが展開としてキレイ何だろうけれど、ピクリと跳ねた白い首筋に目を奪われて、離れそうになった捺の柔らかな感覚追いかけるようにもう一度キスをした。映画ほど整ったものではなく、俗っぽい口付け。僕の体重に負けて背中が反り始めた彼女を支えて、捺が控えめに胸元を叩くと名残惜しく思いながら口を離す。……息、できないかと思った。夜でも分かるほど頬を染めた捺の抵抗が可愛らしくて仕方ない。
 

 
 
 
「捺は和服と洋服、どっちのが似合うかな」
「……なんの話?」
「んー、正装はどっちがいいかって話」
 
 

 
 
 キョトン、と僕の言葉に首を傾ける捺にこっちの話だと切り上げれば「五条くんが秘密を作ってる」と指摘されてしまい、思わず、ぷっ、と噴き出してしまった。確かに、そうだ。これはヒミツに他ならない。……あのね、と一言。耳打ちするように語りかける。そんな未来の展望に捺は瞠目した後、五条くんらしい、と呆れと温もりを兼ね備えた優しい笑顔を浮かべた。
 
 
 
 

逢引は公園で



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