車の免許を取ったのは呪術師から補助監督への転向を決めた時だった。今まで乗せてもらう立場だったのが、乗せる立場に変化して、そこで初めて当時お世話になった彼らがどんなことを思いながらハンドルを握っていたのかを知る。私はそれこそ……術師を乗せるようになってすぐの頃霊柩車≠ナも運転しているような気分だったのをよく、覚えている。
 

 
 真っ黒なボディで公道の他、時には道無き道を行く。事前に情報を読み込むからこそ、私がどんな場所に、どんな敵の前に人を送り出しているのか嫌でも意識してしまった。常に人手が足りていないこの界隈、無茶な任務に迫られている人を死地へ送り出すことも少なくはない。特に、学生を乗せる時は常に憂鬱な気持ちを頭の片隅に抱えていた。……でも、人間は不思議なものでどんなに辛い環境にもある程度適応できる。人は、慣れることができるのだ。私も例外ではなかった。
 
 

 高い志を持つ彼らを彼岸へと引き渡す。その行為を肯定するつもりは微塵もなくて、勿論開き直るつもりもない。ただ……誰かがこの役割を担わなければいけないのも事実だった。日々鈍麻する心の中、私なりに出した答えが「常に万全を整える」ことだ。幾ら非道な行いでも、幾ら心を痛めても、それは呪術師にとって何もプラスにならない。それどころか私たちが悪影響を及ぼす可能性もある。……だからこそ、笑顔で、居心地良い空間を提供することを心掛けるようにした。過不足なく正確な情報を伝えて、必要な時は全てを賭けて協力する。それが私の、補助監督という仕事への折り合い≠ナあり向き合い方≠ナもあった。……生死に関わるし、やり甲斐を覚えるような仕事ではないけれど、此処が、私に残された居場所だったのだ。
 
 
 

 
 ───フロントガラスが雨粒に叩かれ軽快な音を鳴らす。ワイパーが必死に視界を掻き分けようとしているが、突然の夕立にはあまり効果が無いらしい。大雨に見舞われながら、ふと、私は補助監督としての自分を思い返していた。……今から戦闘を行う呪術師に不安を与えないように。その気持ちを忘れず数年間働き続けていたのに、渋谷へと五条くんを送り届けた時には仕事に就いた当時のような、拭いきれない恐怖を感じてしまったあたり、私はきっとまだまだだった。
 
 
 そして、今こうやって、過去を回想できるほど静かに車を走らせている理由はこの車の行き先にある。最近は自らで呪霊の情報を不満足に揃え、不満足な状態で祓除に向かうことが常だった私にとって、少し新鮮な気分だ。こんなにも穏やかな気持ちで目的地へと急ぐ日がまた来るなんて、思わなかった。車に取り付けられたデジタル時計は日付と今の時刻を示している。……約束の時間まであと三時間を切っていた。
 
 
 
 
 
「これだけやればオッケーっしょ」
「しゃけ!」
「そうだね。五条先生も喜んでくれる……と思いたいけど、」
 
 
 
 
 どう思いますか?伺うような顔で私を見た乙骨くんに笑顔で「きっと喜ぶよ」と返すと彼やその周りに立つ数人がふぅ、と安堵の息を漏らす。それから間も無くあの飾りが曲がっているとか、電気は消したほうがいいかとか、沢山の温かなアイデアで溢れた空間の隅で私は緩やかに目を細める。見慣れた高専の一角に生まれた華やかな空間。古風な木造建築に似つかわしくないカラフルな輪飾りや金色のバルーン。彼をイメージした青と白を基調とした爽やかなガーランド、そしてその後ろに配置された黒板にはデカデカと「五条先生おめでとう!」の文字が刻まれていた。近辺にはチョークで想い想いのメッセージが綴られており、今しがた書き終えたらしい真希ちゃんが私を手招きする。
 
 
 
 
 
「捺さんまだだよな?アレを泣かせるような名言頼むよ」
「えぇ?難しいなぁ……」
「期待してるぜ。後は……あ!虎杖、お前もまだだろ!」
 
 
 
 
 
 やや大股で脹相さんと話している虎杖くんの元へ歩いていく真希ちゃんを見送って、彼女から託された先端の欠けた歪なチョークをぎゅ、と握る。個性豊かな文章の数々を見上げる程に頬が緩んでいくのが分かった。……今日は十二月七日。年に一度やってくる五条くんの誕生日だ。
 
 
 
 
   

 

 
 こうなった経緯は偶然≠セった。獄門疆から解放されても来たる決戦の日に向けて忙しなく動き、根回しを続ける彼の忙しさは東京が終わる前とさほど変わりはしなかった。五条くんは運命だと話していたが、たとえ運命だとしても彼はそれを大人しく受け入れるような人ではない。万全の準備を整えた上で両面宿儺に勝利≠キるという運命を引き寄せようとしていた。その為なら五条くんは何も怠らない。それが私の知る、五条悟という人だった。
 
 

 次は七日には帰るよ、と彼曰く「行ってきますのキス」を落としてからヒラヒラと手を振って高専を出ていく背中を見送ったのは五日前。今までと比べると少し長い期間の不在になる。それまでに歌姫先輩と楽巖寺学長に会って調整を……脳内で予定を組み立てながら愛用のスケジュール帳を開いてみる。そして、丁寧に青色のペンで書かれた誕生日≠フ文字にピタリ、と足が止まった。瞬間的に記憶を辿り沖縄への任務の後、彼の誕生日を忘れないようにと記載した自分の姿を、思い出す。……そうだ、十二月は五条くんの誕生日があるんだった。

 
 
 数秒の逡巡の後、すぐに私は神奈川県の有名な洋菓子屋さんを調べてクリームと苺が沢山乗ったホールケーキを予約する。プレートの名前はどうしますか?と電話越しのお姉さんが軽やかな声で私に尋ねる。当たり前のように彼の呼び名を口にしようとしたが、学生時代のことを思い出し少しだけ迷った末、私にとってはあまり馴染みのないソレを伝えることにした。
 

 
 お姉さんの丁寧な挨拶を聞いてから電話を切り、開いたままの手帳へケーキを取りに行く時間を記載する。次は……と、するべきことを考えながら高専の廊下を歩いていると奥からこちらに向かってくる綺羅羅ちゃんと秤くんの姿が見えた。この二人なら、と私は手を挙げて彼らに呼びかけた。
 
 

 
 
『秤くん、綺羅羅ちゃん!ちょっとだけ、いい?』
 
 
 
    

 
 
 

 
 私の中で交わった彼≠フ呪力が蠢いたのが分かった。気配が呼応するように空気が震えて、自然と私の視線は高専の門の方へと向けられる。少しずつ鮮明になるカタチに彼もまた私の呪力を辿って此方に向かっていることが分かった。慌ててその場に居た生徒達に五条くんが帰ってきたことを伝えて、騒然とした教室の中で皆が一斉に蹲み込む。最後に私が入り口付近のスイッチを押して電気を落とし、辺りが暗闇に包まれた。数十秒後、薄ぼんやりとした廊下の灯りが扉の前に立つ彼のスラリとしたシルエットを浮かび上がらせる。誰もが息を呑んだ。少し建て付けの悪いドアが木の擦れる音を立てながら開いて、そして、
 
 
 
 

 
「……捺?どこに、」
「「五条先生誕生日おめでとうー!!!」」
「おめでと!」
「しゃけ!」
 
 

 
 
 
 ───パンッ! と 教室の蛍光灯が光を作り出したのと同時にたくさんの破裂音が響いて色とりどりのテープが宙を舞う。同じくして細かな雪紙が空気中を舞い、私の視界の中で五条くんは沢山の浮遊物に包み込まれて見えなくなってしまった。特有の焦げ臭さが少しずつ掻き消えて、彼はまじまじと黒板に書かれた文字を見つめて、それから一言「……あ、僕?」と自身に指先を向けた。
 

 
 初めに駆け出したのは誰なのか。当たり前だろ!という言葉が飛び交い、五条くんの周りに人集りが出来る。無下限に数人が弾かれて、慌てて接続を切った彼の体を真希ちゃんが思い切り叩いて「イテェ!」と声が上がる。途端に上がった笑い声とあー!という叫び。ついさっきまで潜められていた楽しさが爆発したように辺りが喧騒で満ちた。食器が配られ、グラスにオレンジジュースが注がれる。捺さん、と虎杖くんが私を呼んで、決められていた役割を全うするために白い箱を抱えながら五条くんの前へと立ち並んだ。未だ驚きが消化され切っていない様子の彼だったが、私を見るとなんだか少しだけ呆れたような、安心したような顔で口角を緩めた。
 
 

 
 
「……これ、捺の差し金?」
「差し金は私かな。でも、ここまで用意してくれたのはみんなだよ」
 
 
 
 

 そう話しながらそっと箱の蓋を開けていく。おぉ!と感嘆の声を高羽さんが一番に吐き出した。真っ白な、雪のようなショートケーキ。濃い卵の黄色が映えたスポンジとその間に挟まる瑞々しいジャム。そして、真っ赤に熟れた苺に囲まれたチョコレートで出来たネームプレートに描かれているのは彼の、下の名前。
 
 
 
 
 
「……お誕生日おめでとう。悟くん」
「……ありがとう」
 
 
 
 
 
 ほんのりと瞳を大きくしてから、彼は穏やかな落ち着いた笑みを溢した。学生時代夏油くんと肩を並べて大口を開けていたのとは違う、大人びた笑顔。五条くんの感謝の言葉に秤くん達が湧き立った。あちこちでグラスがぶつかり合う音がして、あっという間に勉学の場はパーティ会場へと変化する。主役の彼は教壇の方へと連れて行かれて「力作だろ」と真希ちゃんから黒板のメッセージについて説明を受けることになった。……数日前までたくさんの怪我を携えながらも必死に戦っていた子供達が皆、年相応に笑い合い、今を楽しんでいる。そんな光景はなんだか、すごく出来の良い夢を見ているようだ。ここに入ってきた時はほんの少し疲労を滲ませる表情をしていた五条くんも、今はすっかり教師の顔になっている。五条くんと私も……気付けば随分と大人になった。
 
 

 
 
「成功したみたいだね」
「……うん。大成功って感じ」
 
 

 
 
 いつの間にか騒ぎを聞きつけ、教室の後ろの扉から煙草を指に挟みながら一部始終を見ていた硝子が目を細めて呟いた。同意するように頷いて私も彼女の隣で静かに彼らを見つめる。先月ひと足先に二十九歳を迎えていた硝子がふと、五条くんの方から目を逸らさずに口を開く。
 
 
 

 
「捺はさ、自分が二十九になった時何をしてるかって想像できた?」
「こうなってたら良いな……とかは子供の時思ってた、かなぁ」
「私もそう。小さい頃って二十九とか三十ってめちゃくちゃオトナに見えてたけどさ、」
 
 
 
 
 
 案外なってみると、まだまだ子供だよね。そう言いながら硝子はポケットから携帯灰皿を取り出すと先端を押し付けて残り火を押し潰す。その行為はまさに大人らしい仕草なのに、彼女の横顔には学生時代と然程変わらない、どこか幼なげな雰囲気が残されていた。……私は、自分が大人になった姿をどんな風に想像していただろうか? ある時は漠然と女の子らしくお姫様に憧れたり、ある時は仕事の出来るキャリアウーマンに憧れた日もあった。大人として自立して、家庭を持つ……そんな普遍的な将来を思い描いていた、そんな気がする。
 

 
 
 
「……人間っていつから大人になれるんだろうね」
「哲学的な話?」
 
 
 

 
 ケラリ、と俯き加減に笑った硝子は白衣のポケットに腕を入れながら「さあね」と適当な返事を零す。そんな私たちに気付いたのか、ふと生徒達に囲まれていた五条くんが教室の後ろに振り向いた。一度硝子に向かってヒラリと手を振り、彼女もそれに応えるように軽く腕を上げる。……二人のやりとりはなんだかドラマみたいでカッコいい。ちょっと羨ましいな、なんて考えていると彼の瞳がばっちりと私を捕らえた。確かにこちらを見ていると瞬間的に気付けるのは縛りのせいなのだろうか。今確かに五条くんは私を見ていた。そして、口を何度かパクパクと開閉させる。……紡がれた四文字の正体に自然と頬が笑顔を作った。
 
 

 
 
「……通じ合っちゃってまぁ、」
「……うん。通じ合っちゃったかも」

 
 

 
 うわ。露骨に嫌そうな顔をした彼女は私と五条くんを交互に見てから「流石契約者同士は違うね」と大袈裟に肩を落とす。その言葉に思わず私は硝子の顔をまじまじと見つめてしまった。……契約者という単語。まだ誰にも話していないけれど、もしかして彼女は知っているのだろうか?
 
 
 

「……何その顔?あのね、今のアンタからは五条の呪力がダダ漏れ≠ネの」
「えっ、そうなの?」
「自覚無かったんだ……多分皆分かってるよ」
 
 
 

 
 詳細までは把握していないだろうが、大体の予想は付くだろうという彼女の見解になんだか途端に恥ずかしさが込み上げる。別に隠したかった訳じゃないけれど……こうも分かりやすくバレバレなのは照れ臭い気持ちになってしまった。皆というのは恐らく学生達も含まれている……んだろうな。アイツの独占欲を甘く見るなよと妙に真剣な面持ちをした友人に何も言い返す言葉が見つからない。
 
 


「遂にめでたく捺は五条に呪われちゃったんだ」
「……どっちかっていうと、呪い合ったに近いのかなぁ」
「……アイツ、今さっきなんて言ってたの?」
 

 

 
    
『あとでね』
     

 
 


 ……ひみつ。そうやって彼女の追及を逃れた私に硝子は不満げな声をあげた。彼女は彼に独占欲が強いと評価したけれど、もしかすると私にも似たような感情があるのかもしれない。大したことのない、何でもない彼の言葉を私だけのものにしてしまったことに罪悪感とも優越感とも違う、言葉にならない不思議な感覚に襲われた。……本格的に訪れた十二月を意識させるような肌寒さ。降り続いていた雨は少しずつ、雨足を弱めている。
 
 



 
 約十年ぶりの誕生日。あの頃とカタチが変わった私達は今もまだ、彼と出会ったこの場所で生きている。当時と比べて賑やかになった教室で束の間の温もりを享受した。……この盛り上がりを見るに、彼の「あとで」に付き合うまで、もう少し時間がかかりそうだ。なんて。

いちごとチョコレート



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