異様な空気が車内を包んでいた。後ろの席に座るのは少し不機嫌そうに目を伏せている昨日東京駅まで送り届けた伏黒くんと、窓ガラスに寄りかかるようにして眠る短髪の男の子。そして、私の隣の助手席で喜久福を美味しそうに頬張りながら「捺もいる?信号であーんしようか?」なんて笑う、東京に居たはずなのに伏黒くんと共に帰ってきた五条くん。この状況は、一体どういうことなんだろうか。







「特級呪物の回収?」
「はい、仙台まで」







こくり、と頷いた彼をミラー越しに見つめる。少し息を吐いて嫌そうな顔をしている伏黒くんの気持ちはよく分かる。東京から仙台までなんて相当な距離になるし、私も学生時代の長距離移動が必要な任務は疲れる事が多くて苦手だった。1年生の頃はまだ楽しめていたけれど、学年を重ねるごとに移動へとワクワクは薄れていき、最終的には面倒だなぁという気持ちが先立ってしまうのが、大人になったような気がしていた。それを1年で実感している伏黒くんは普段の振る舞いからも分かる通り落ち着いて冷静な少年だった。





最も彼に尋ねておいて何だが……私は彼の任務を既に知っている。今回の伏黒くんの任務は"特級呪物両面宿儺の指"の回収である。補助監督である私は事前に任務の詳細を確認してから術師を送り届けることが常であり、それは私たちの職種の当たり前だ。こうして本人に尋ねるのは学生担当をしている時のある種のテストみたいなもので、任務に向かう術師がその任務をどのように受け止め、理解し、遂行しようとしているのかを報告する義務が課せられている。知識面が疎かである場合はこちらから補足したり、他にも精神面で乱れが生じている場合はフォローし、必要に応じて担任に伝えるのも私の役目だ。


この制度は、学生時に精神的な不調が積み重なり高専を離反し呪術師から呪詛師へと転向したとされる、とある青年の事件がきっかけで設立された。提案の原案は現東京都立呪術高等専門学校の学長である夜蛾正道……もとい夜蛾先生によるもので、東京高専と京都高専二校の合意のもの施行されている。一番にこの案に賛成したのは五条悟、彼だと楽巖寺学長から聞いた時はどうしようもない感情に包まれたのをよく覚えている。きっと彼も私も、同じようなことを考えたんだろう。……去年、聖夜にいってしまった彼のような生徒をこれ以上排出するわけにはいかない。学生は学生らしく、守られるべきである。少なくとも今の私はそう考えていた。


だからこそこうして事前に、特に1年生には毎年手厚くフォローをするように意識しているのだけれども、この様子だと今の伏黒くんには私の手助けは大して必要ないらしい。仙台までという距離には多少不満そうではあるが、特級呪物……しかも、あの呪いの王両面宿儺の指の回収という任務に対して程よい緊張感を持っているのも分かるし、何か大きな予定外が起こらない限りは無事に遂行できそうだ。





「伏黒くん、何か不安なことは?」
「……そうですね。今までの記録を見せて頂いた限り、回収自体は特に問題無く終わっているみたいですが……呪いに当てられて呪霊が寄ってくるケースも多いので、そこは気を付けようかと」
「うん、そうだね。一応最大でも2級程度のものが多いけれど……近くにそれ以上のがいたら寄せられる可能性はあるかな」
「ええ、その時はまた閑夜さんか五条先生に連絡させてもらいます」
「分かりました、いつでも出られるようにしとくね」




やはり彼は優秀だ。注意すべき点をきちんと調べているし、過去の同じ事例も閲覧している発言がある。1年生のこの時点で慎重に真摯に任務と向き合い、リスクマネジメントを行えるのは簡単なことではないし、彼の性格や持ち合わせている感覚が鋭いのかもしれない。それに応える為にもこの2日は担当の私も気を張らないと、なんて思い直していると伏黒くんはじっと私を見てから「……向こう着いてから、何時頃に向かうか連絡します」と告げた。え?と抜けた声を出す私に閑夜さんは本当に寝ずに待ってそうだから、と呆れた顔をした伏黒くんに思わず苦笑いしてしまった。彼は中々人を見るのが得意らしい。2日くらいなら徹夜できるかな、なんて考えていたのはすっかりお見通しだったようだ。ごめんね、と謝った私にゆっくり首を横に振った伏黒くんは、気持ちは分からなくないです、とあまつさえ優しく共感してくれたのでもっと恥ずかしくなってしまった。いやぁ、今の高校生は凄いなぁ……




「閑夜さんは、」
「ん?」
「本当に五条先生と付き合ってるんですか」
「っえ!?」




目に飛び込んできた赤信号と伏黒くんからの質問に思わず強くブレーキを踏み込んだ。少しバウンドした車体に慌てて後ろの彼を振り返り謝れば少し驚いた様子ではあったが大丈夫です、と答えてくれたのでゆっくりと息を吐き出した。にしても、まさか伏黒くんにそんなことを聞かれるなんて……やっぱりあの時無理やりにでも五条くんにちゃんと冗談だと否定して貰えば良かったかもしれない。全然違うよ、と今度こそハッキリと伝えれば伏黒くんは軽く肩の力を抜いてから「そうですか」と呟く。





「安心しました」
「安心?」
「閑夜さんみたいな人と軽薄の塊のあの人が付き合っていたら何か、心配になるので」
「……そうかな?」





はい、と頷く彼は五条くんを想像しているのか少し額に眉を寄せる。五条くんは一体伏黒くんに何をしてしまったのだろうか。というか、何をすればこんなに警戒されてしまうのだろうか。一応、悪い人じゃないよ、と担任である彼の株を下げないように声を掛けたけれどあまり伏黒くんにはその言葉は響いていないみたいだ。私だって君が思うほど出来た大人じゃないし、と曖昧に笑いながら辿り着いた駅の隅の方に車を止めて、がんばってね。と伝えると伏黒くんは私をじっと見つめてから少しだけ表情を柔らかくすると、




「ありがとうございました」
「ううん、送るのも私の仕事だしね」
「他にも、色々心配して聞いてくれましたよね」
「あー……」
「ちゃんと任務を果たして帰ります。……閑夜さんも今度は急ブレーキ、気を付けて下さい」




なんて薄く綺麗な笑みを浮かべてそのまま彼は車を降りていった。ぽかん、としている間にも一礼してから改札へと歩いていく男の子らしい背中を見届けて、ゆっくりとハンドルにもたれ掛かる。なんだ、そこまでちゃんと分かってたのか。……やっぱり聡い子だ、と感じながらも、気を遣わせてしまったことや最後に冗談まで言われてしまったことがどうにも恥ずかしさと力不足を感じ、もっと上手くやらないとなぁ、とひっそり反省した。……それが、2日前の朝の事だ。








彼は宣言通りにその日の夜、呪物の回収に向かう事を連絡してくれた。結果、予定していた場所に呪物は無く、次の日に付近を捜索することにした事、そして次の日杉沢第三高校に潜入調査を始めた事……そこまで細かく連絡してくれていた彼だったが、途中から一切の返信が無く、次に連絡があったのは五条くんからの「僕と恵ともう1人を連れて帰るからよろしくね」という端的かつ意味のよく分からない内容の電話だった。困惑しつつも東京駅まで車を回して現れたのは伏黒くん、五条くん……そして"もう1人''であろう見知らぬ男の子の姿だった。



車内で聞いたのは今回の任務でのイレギュラーについてだった。回収予定であった両面宿儺の指はこの少年が所持していた事、指に当てられた呪霊が活発化し交戦になった事、交戦の結果この少年が"両面宿儺の指"を丸呑みにし、受肉した事……ここまででも衝撃的な内容であったがそれ以上に驚いたのは、彼が千年生まれなかったとされる両面宿儺の器である可能性が高い事だった。ちらり、と見た彼の顔は子供らしくあどけない。仙台の子だから東京の光景は珍しい物なのだろう。先程からずっと窓の外を見ては目を輝かせていた。……きっと彼は数日前まで普通の少年だったはずだ。突然現れた呪いに襲われ、選択を余儀なくされてこの世界に飛び込んでしまった。どんな不安やどんな気持ちで今車に乗っているのか、私には計りきれない。




「虎杖くん、自己紹介が遅れてごめんなさい。閑夜捺です」
「あ、うっす、どうも!虎杖悠仁です!……って知ってるか」
「うん、さっき教えてもらったからね」
「悠仁、捺は僕のコレだからいくら綺麗でも狙っちゃダメだよ」
「虎杖、五条先生の言う事の大半はまともに聞かなくていい」
「え、そうなの?じゃあ今の冗談?」




目を丸くして私に視線を向けた彼に大きく頷いた。今度は伏黒くんのような誤解を与えなくて済みそうだ。隣の五条くんはなんだか不満そうにつれないなぁと呟いていたけれど、つれるつれないの話ではない。私たちには何の関係もない、というのが事実だし……虎杖くんはふぅん、と言いながらもどこか少し楽しそうに笑顔を浮かべている。不思議なことに彼は既に五条くんや伏黒くんと馴染んでいるように見えた。自分の境遇を理解しても尚、こうして笑みを浮かべて普通で居られるのは並の精神じゃない。もし私ならきっと、耐えられないだろう。自分が呪いの王と混じり、いつか必ず死刑になるなんて、想像も付かない。伏黒くんに呪術界の事を聞いている姿は本当にただの気持ちのいい高校生の男の子にしか見えなかった。




「このまま高専へ?」
「うん、そう。とりあえず学長と面談かな?ま、大丈夫だろうけど」
「……そうだね、そんな気はする」
「で、明日はもう1人迎えに行くから〜……捺、またお願いできる?」
「え?私、七海くんの送迎があるけど……」
「七海ィ!?」




後ろで既に交流を深め始めている2人の邪魔をするわけにもいかず、何の気無しに五条くんに話しかけたけれど、僕を捨てる気!?と隣で騒ぎ始めた姿にやめた方が良かったかもしれないと思った。ゴメンね、と取り敢えず謝ったけれど、明らかに納得していません、と描かれた顔に眉を下げて笑った。私も出来ればもう1人の一年生とも顔合わせしたかったけれども、それより先に彼との任務が割り振られてしまっていたし、それを蔑ろにする気にはなれなかった。七海くんもまた優秀で、とても出来た後輩だ。そんな彼が働きやすいようにサポートするのは補助監督としての重要な役割なのでもう一度謝ってから「今回は伊地知くんに頼んでね」と彼に伝えると渋々、といった調子で彼は私から目を逸らし、どっかりと深く助手席に腰掛けてながらスマホに視線を落とした。気を悪くしたかな、と少し心配しつつも、今度は伏黒くんに指摘されないように安全運転を心掛けようと私も前を向いてハンドルを軽く握り直した。けれど、この時の私は隣に座る彼がせっせと何処かに脅しという名の連絡をしていることも、そのおかげで明日の自分の予定が大幅に狂わされる事を、まだ知らずにいた。




最近の子は凄い



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