「お忙しいのにすみません」





後ろの席に座るゴーグルを付けた彼の突然の謝罪に首を傾げた。……私のこと?とワンテンポ遅れた問いかけに七海くんは不思議そうな顔をしてから閑夜さん以外に誰が居るんですか、と答えたけれど、私が忙しいなんて話を彼にしたことはあっただろうか?そもそも別に今は大して忙しい訳ではないのだけれども……上が何かしら気を利かせてくれたのかな、なんてぼんやりと考えていたけれど、彼の口から出た「帰りは伊地知くんが来ると聞いたのでそう解釈したのですが」という言葉に思考が停止する。私はそんな話聞いていない。脳裏に過ぎったのは昨日の不満そうに助手席に座る五条くんの姿で、まさか、と思いつつも高専に確認の電話をして溢された名前に頭を抱えた。どうして彼はこんな事を?七海くんは私の様子を見て大体の経緯を悟ったのか、非常に哀れそうな視線を向けながら、いつもお疲れ様です、と労いの声を掛けてくれた。こんな時でも彼は優しい後輩だ。






「いつもありがとね、捺」
「失礼しまーす!」
「失礼します」
「失礼……あ、女の人!」






20時頃、当然のように掛かって来た五条くんからの「お迎えよろしく」の依頼に従い車を走らせた。本当は多少文句を言いたい気持ちもあったのだけれども、彼の楽しそうな声とその後ろで聞こえる昨日乗せた彼らともう1人の女の子の声になんだか気が削がれてしまい、結局は二つ返事で了承してしまった。窓越しに見えた初々しい一年生三人の並ぶ姿になんだか少し昔を思い出して小さく笑みを浮かべる。 扉を開けた後の律儀な挨拶にはーい、と返事をしていると、最後に後ろの席へと乗り込んできたボブカットの女の子が目を光らせた。それに、初めまして、と自己紹介するのも既に幾分か慣れたやり取りだ。虎杖くんは彼女に私の名前を嬉々として教え、それを聞いた彼女は「私は釘崎野薔薇、よろしく捺さん!」と笑顔を見せてくれた。クールな印象を与える美人さんだけれども、フランクに野薔薇で良いわ、と言うその顔は年相応で私も顔を緩めた。近年少しずつ増えては来たが、呪術界でも未だに第一線で活躍するのは男性が多い。女の子が増えてくれるのは特に理由があるわけではないけど嬉しかった。伏黒くんを挟むようにしてワイワイと東京について話す2人は任務終わりだというのに随分パワフルで、若さをしみじみと感じる。でも、真ん中の伏黒くんは少しだけ窮屈そうにしていたので三人乗せるには狭かったかな、と心の中で謝罪をした。



一年生達のフレッシュな会話を耳に入れながら隣で鼻歌を歌いそうなくらいに機嫌良さそうな五条くんをチラリと見た。もしかして彼は彼なりに私と野薔薇ちゃんの交流を手助けしてくれたのかもしれないけれど……やっぱり突然の予定変更は困る。ある程度事前に教えてくれていれば私も自分で調整をしたんだけれども、彼は私に教える気はなかったみたいだしどうすればいいのだろうか。サプライズのつもりか、はたまたちょっとした嫌がらせなのかその真偽は不明だが、一応少しはこちらの事情も伝えてみるべきだろうか。あとで時間を作って、そして、




「捺、どこでも良いから入りやすいコンビニ入ってくれない?」
「……あ、うん、じゃあ次のとこで」




突然、思考していた相手に声を掛けられ驚きつつも慌てて首を縦に振る。五条くんも満足そうに頷いて新作のスイーツが食べたくて、と口角を持ち上げ、深くシートに体を預けた。相変わらず甘党なんだなぁ、と感じつつも高専から一番近いコンビニに車を入れると彼は至極当たり前のように「捺も欲しいものあるんだよね?」とハンドルを持つ私の手をそっと引き剥がした。え?と戸惑いの声を零した私を五条くんは変わらない笑みで見続ける。その動作に直感的にただの気まぐれというよりは何か意図があるような気がして、そっと小さく頷くと、じゃあ行こうかと彼はすぐに長い足を車の外に出したので、待っててね、と後ろの3人に慌てて伝えながら半ば強制的に彼の後に続いた。



自動ドアが開くときのコンビニ特有の電子音を聞き流しつつ、スタスタとスイーツコーナーの方に向かう五条くんの背中を追いかける。大きな体を屈めて、どれにしようかな〜、なんて選ぶ彼の隣で居心地悪く立ち尽くす私に捺にも何か奢ってあげるよ、と五条くんは楽しそうだ。言われるがままにケースに並ぶスイーツに目を向けたがどれも煌びやかで確かに彼が悩むのも頷ける。良いの?と確認のために問いかけた私に勿論、と言いながら場所を譲ってくれた彼の手にはクリームがたくさんのったプリンが握られていた。それを見るとプリンも捨てがたい気がするし、爽やかなフルーツゼリーやティラミスも気になる。私も結構甘いものは好きだからマジマジと吟味したくなってきた。






「で、僕に何か言いたいことでも?」
「……え?」
「あの子達の前だと言い辛かったんでしょ」






背後から聞こえた声に一瞬、体が固まる。彼の声は決してキツい訳でもなければ怒っている様子も無いのに不思議な威圧感を醸し出していた。まるで私が悪いことをしてしまったかのような錯覚に陥りそうになる。五条くんは、私が考え事をしていたのをとっくに見抜いていたらしい。選んだままでいいよ、とそっと髪を撫でた彼の手付きに更に筋肉が強張ったような気さえもする。怖いわけではないのに、中々どうして緊張感があった。ほんの少しだけ昔の彼を思わせる雰囲気に口の中が乾いて上手く言葉が出てこない。




「……どうして、」
「うん」
「どうして、私に送迎担当を変えたの?」




本当はやめてほしい、と言うつもりだった。でも、彼が態々こうして時間を取ってくれたことに何か意味があった気がした。だからこそ彼の行為の意図を知りたいと思った。知らなければならない気がした。レジから店員の会計の声がぼんやりと聞こえる。私の後ろに立つ五条くんは、うーん、と呟いたけれど、その声色は決して困っていたり、悩んだ声では無く、あくまでも形式的に呟いただけのようだった。まるで、私の質問に対する確実な答えを自身に携えているみたいで、それを如何にして伝えるのかを考えている、そう感じた。




「……僕は、これでも忙しいからね。いつも皆についていられるか分からない」
「それで、私に?」
「頼れる大人が居るとのびのびできるでしょ?」




でも、とそこで一旦言葉を切った五条くんの声と気配がグッと近付いた。ぞわりとほぼ無意識に鳥肌が立って、続く緊張感にバクバクと心臓が鳴っている。それは半分くらいは建前で、と潜められた彼の低い声が私の耳を刺激する。真後ろに立つ五条くんは言った。






「毎日捺の顔が見たいから、って言ったら、怒る?」






彼の言葉をすぐには理解出来なかった。毎日私の顔が見たい……そんなこと初めて言われたし、それにどうやって反応するのが正解なのかも分からなかった。何よりも、五条くんが私にこんなことを言うなんて、正直、考えられなかったのだ。毎朝教室で挨拶しても、顔も見たくないと言わんばかりにいつも不満そうに見られて、目を逸らされて、弱いから下がれとまで言われていたのに、何故今になって私の顔が見たいのだろうか。ゆっくりと振り返ったそこに居る彼は少し身を屈めて、じっと探るように私を見ていた。覆われた布の奥にある瞳の真意は、分からない。





「……でも、今は高専でほぼ毎日見てるよね?」
「あ、そうなる?」





私の返事にそっかあ、と口を緩めた彼は困ったような、それでいて楽しそうな雰囲気で笑っている。難しいね、言葉って、とクツクツ喉を鳴らす仕草がどんな感情で為されているか分からない。五条くんはひょい、と私が手に持っていたみかんゼリーを抜き取るとそのままレジへと歩いていった。私が止める間も無く2人分のスイーツを購入した五条くんは3人が待つ車へと私と隣り合うように足を進める。明らかな好奇の目で見てくる野薔薇ちゃんとガラス越しに目が合って何と無く気まずく感じつつドアに手を掛けると最後に五条くんは「3人のことも僕のことも、よろしくね」と言った。安全運転で?と尋ねると彼はニンマリとしながら首を横に振って、それ以外も、と言い残し、そのまま先に車へと乗り込んでしまった。


少し面食らいつつも息を吐いてほとんどヤケな気分で私もドアを開けて座る。駐車場から出て道路を走りながら彼の言葉と先日の硝子の証言を思い返した。"昔から大して変わらない"と彼女は言っていた。確かに真意を知るのが難しいのは今も同じだけど、でも、と考えるほどに分からなくなる。甘いものを奢ってくれるのも、顔が見たいなんて言うのも、昔なら絶対に無かった。けれど、こうして今生徒を想うように友人や何も知らない人々を助けようと、文句を言ったり悪態を吐きながらも正しい行いをしようとするところは確かに変わらないのかもしれない。五条くんは、悪い人じゃない、私が知る彼の事実なんて、それぐらいしか無かった。……本当にもう、言葉って難しい。背後からのヒソヒソとした声と学生らしい興味深そうな視線を感じつつ、ひとまず私は"安全運転"を意識しながらハンドルを握りしめた。




怒る?



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