「私には挨拶なしかい?天元」






彼女と出会って以来、初めて聞いたであろうヒリついた声。長い睫毛に象られた九十九さんの瞳が鋭い色を宿したのが見えて思わず息を呑み込んだ。彼女以外の皆が黙り込む空間で、天元と呼ばれたその人物……と呼ぶには異形な彼はあくまで静かな口調で彼女とは初対面ではない事を告げる。目のような器官を四つ携えたその顔に気を取られ、上手く2人の会話が頭に入ってこなかったけれど、彼は自らの身を守る為に薨星宮を閉じた、という事らしい。……なんだか不思議な気持ちだ。私達にとって天元は絶対の存在な筈なのに、こうして話している時の雰囲気は親戚のお爺さんみたいで親近感が湧くし、それでいて確かに近寄り難く厳かなオーラを滲ませている。





「羂索に君が同調していることを警戒した。私には人の心までは分からないのでね」





丁寧な響きで九十九さんの疑問に答えていく彼は「羂索」という聴き慣れない響きを呟いた。私がそれに引っ掛かりを覚えるよりも先に九十九さんが聞き返すと天元は「かつての加茂憲倫であり、今の夏油傑の体に宿る術師」だと説明した。……羂索、という名前を咀嚼するように小さく唱える。私の友人を屈辱し、五条くんを封印した人物。今の私が、憎むべき相手。黒い感情が渦巻いて気分が悪くなる。はぁ、と零した吐息に禍々しい意思を感じた。






「天元様は何でそんな感じなの?」





からり、とした問い掛け。九十九さんと天元の平和とは言い難い空気感に突如放り込まれたソレ。不思議そうに天元を見つめる虎杖くんの感じた疑問は尤もだ。天元はそんな彼を見つめて柔らかく笑みを浮かべると"年老いたから"だと答える。天元は不死ではあるが不老ではない。一般的な人生を辿る私にその違いを理解するのは難しいが、五条くんと夏油くんが臨んだあの任務に失敗して以来、彼の老化は加速しているらしい。今では天元という存在は個を指すのではなく、この世界の天地全てを包含しているようだ。……正直スケールが大きすぎてイメージが付かない。では今私たちの目の前に立つ彼は天元であり、天元ではない、ということなのだろうか。いつだって誰かの上に立つ者は不自由なのだと実感した気がした。






「……すみません」
「僕達はその"羂索"の目的と獄門彊の解き方を聞きに来ました。知っていることを話してもらえませんか?」






九十九さんと天元のやり取りが燃え上がりそうな中、そんな空気感を察した伏黒くんと乙骨くんがここに来た本来の目的について話を戻す。天元はそれを聞き快く承諾した……ように見えたが、一つ条件を出させてもらう、と付け加えるように前置きをした。それから乙骨くん、九十九さん、脹相さん、そして私の四人の名前を静かに呼び掛けると、この内の二人に自分の護衛をして欲しい、という旨を告げた。彼の申し出に九十九さんと私が眉を顰めたのは、きっと同じタイミングだったに違いない。フェアじゃない、と不満げに長細い腕を上げた彼女はそこに至るまでの理由を求めている。私も同じ気持ちだ。護衛と言えどもこれはあまりに曖昧で不確実な願いで、具体性に欠けている。




天元は九十九さんの言葉に少しだけ口を噤んだ後、私たちの目的の一つであった羂索について話し始める。夏油くんの偽物……もとい、羂索の目的は"日本全土に生きる人類の進化の強制"のようだ。渋谷で対峙した時、羂索本人も似たような事を言っていたと記憶の中から拾い上げたが、あれは嘘ではないらしい。そして、その具体的な方法は"人類と天元の同化"なのだという。先程天元が語った今では個を指すものではない、という会話を思い出して小さく首を縦に振る。日本の各土、天地に散らばった天元の自我と人間が同化する事で術師を超えた新たな存在が世に生み落とされる……そして、それが世界に流れ出る事で今の東京のような状況が各地で形成される、と天元は推測している。



何故羂索はそんなことを望んでいるのだろうか。彼の言動は確かに術師というよりは研究者に近い物があった。何か過去に理由があった?どうしても果たさなければいけない約束があった?……それとも、そこに明確な理由はなく、ただの子供染みた興味でしかないのかもしれない。……思わず掌を強く握り込んだ。そんなことのために、私の友人は苦しめられているのだろうか?そんな我儘に沢山の人が犠牲になっているのだろうか?やはり私にはそれが理解出来なかった。尤も、たとえ羂索がどんな理由を持ち得ていても、私は渋谷での一件を許すことは出来ない。そこまで綺麗で、純粋な大人にはなれない。


……奇抜なスーツに身を纏いつつも真面目に生きた彼の姿が瞼を過ぎる。まだ死ぬには早すぎる、何度思ったのか最早思い出せない。どうして貴方だったのか、何故神は彼を連れ去ってしまったのか、私には分からない。それとも全てが姿を変えてしまったこの世界から"一抜け"させてやる、そんな優しさなのだろうか。そう考えないと自分の中に折り合いが付かなかった。彼が生きるにはこの世界は汚れ過ぎていた。







「でもそれって天元様が同化を拒否すればいいだけじゃないっスか?」
「……そこが問題なんだ。進化を果たした今の私は組成としては人間より"呪霊"に近い」







真希ちゃんと天元のやり取りを耳に入れ、瞬間的に脳裏に浮かんだのは、無二の友人の姿。親友によって彼岸へと手向けられていた筈の、彼の顔。天元様の言いたい事が今、はっきりと分かった。だから彼は護衛を必要としている。だからこそ、彼は恐れている。……私達は忘れてしまっていたのかもしれない。術式という名前が与えられても尚、呪いは、呪いだ。







「私は呪霊操術の術式対象だ」







私を含め、その場にいた全員が息を呑んだ。今の天元が全てを拒絶しているのはこの為だったのだ。数え切れないほどの月日を生きる術師である羂索の力は天元でも予測し切れない。この世界の安定を保つ上で彼の存在は必要不可欠。私達が彼を同化から守り切らなければ、世界が崩壊してしまう。九十九さんは声を荒げながら何故今なのかを叫ぶように問い掛けた。宿儺とも関わりのある羂索の仕掛けたこの事態が何故、よりによって今、起きてしまったのか。天元はそんな叫びに淡々と事実を述べていく。



過去に六眼を持つ術師に二度敗れた羂索の前には全てを徹底しても尚、六眼持ちを殺しても、邪魔は現れる。世界の安寧を保つ為、六眼持ちは世界に生み落とされるのだ。……だからこそ羂索は殺すのをやめた。よりによって無下限と六眼を掛け合わせて生まれた五条くんを相手にしようとするほど、羂索は馬鹿じゃなかった。六眼を持つ人間は同時に二人は存在しないなら、生きたまま戦闘不能にすれば良い。そんな考えの元、彼は"獄門彊"を探した。







「……だが11年前、予期せぬ事が起こった。"禪院甚爾"の介入だ」







禪院甚爾の名前は私も知っていた。五条くんと夏油くんを死の淵まで追いやった呪力を持たない存在。天与呪縛の究極系であり、完全に呪力を保たない人物。彼に関しては補助監督になってからデータベースで読み漁ったこともある。それだけ彼は呪術界において興味深く異質な存在だ。何の因果か私の父親と似た境遇でありつつも、私にとって彼は、父とは違う道を歩んだ一種の"モデル"だった。禪院に生まれ虐げられた彼の強い想いや感情は奇しくも力になる。禪院甚爾は自らの運命を、その周りの運命を変えてしまうほどの大きな歪みになった。星漿体と天元の同化失敗による天元の老化、個の意識の消失……様々な誘因が積み重なり、その大手となったのが、






「そしてそこには、呪霊操術を持つ少年」






夏油くんだった。ぎゅ、と奥歯を噛み締める。皮肉な話だった。彼は非術師を憎み続け、非術師を全て排除しようとした。そんな彼の悲願が羂索によって叶えられようとしている。呪霊操術という呪いが、番狂わせを起こした。死滅回游は羂索の野望の前段階であり、天元との同化のための"慣らし"一体羂索はどこまでを想定し、動いているのだろうか。薄寒い予感が背中を駆けて身震いをする。想像すらしたくない。





「となると……」
「……少なくとも死滅回游に参加してルールを追加しないといけないね」
「……ですよね」





天元の話を聞いた乙骨くんと伏黒くんは私に目を向けた。その視線に一つ頷いて「死滅回游に参加する以外に手段がない」ことを声にすると、二人も倣うように首を縦に振る。結局このゲームに参加しない、という選択肢は私達には用意されていない。ここまでも彼は予測出来ているのだろう。何とかして番狂わせを起こす手立てを考えないと、彼を出し抜くのは難しい。伏黒くんの言う通り五条くんの解放も同時に進める必要があるし、課題は山積みだ。






「天元様、」
「その前に誰が残るか決めてくれ」
「私が……っ!?」





天元の言葉に右手挙げようとした私を、ぐ、っと押さえ込んだのは染めたてみたいに美しいブロンドを靡かせた九十九さんだった。私が残ろう、と当然のように述べた彼女の正面には脹相さんが立っていて、彼もまた自分が残ることを高らかと宣言するのだ。それに慌てるのは私の方で、咄嗟に九十九さんの腕から逃れつつ、二人へと対峙する。戦力を考えても彼らに着いて行くのは特級である九十九さんだと考えていたのに、本人は全くその気がないように見えた。





「ど、どうしてですか!?生徒の側に居るのは出来るだけ実力者の方が……」
「加減して戦うのは苦手なんだ。こっちの方が暴れられそうだろう?それに天元とも話足りなくてね」
「なら脹相さんは!?虎杖くんの近くに居たいんじゃ……!」
「悠仁には乙骨かこの女……そしてお前の協力が必要不可欠だろう。加茂憲倫……羂索がここに天元を狙ってくるなら尚更だ。奴の命を絶つことが弟達の救済だからな」






それに、と言葉を区切った脹相さんはじっ、と黒真珠みたいな瞳を私に向ける。想像もしていなかった表情に思わず面食らい、喉の奥が詰まった私に彼は静かに口を開いた。落ち着いた低音で紡がれた言葉に彼の隣に立った九十九さんも首を縦に振る。私の肩にポン、と手を置いて捺ちゃんにしか頼めないんだ、と真っ直ぐな目に見つめられると、もう私は反論出来なかった。






「俺やこの女より、お前の方が子供達と関わりが深いだろう」






……彼の言った事は尤もだった。私は自分の力不足を心配していたが、結局それは彼らを守り通すという責任から逃れようとしていたのかもしれない。九十九さんや脹相さんに任せれば大丈夫だと、思い込みたかったのかもしれない。ここに来た以上、私は自分の役目を全うしなければならない。その為に私は呪術師に戻ったのだ。何がなんでも大切なものを護るために、私はここに立っていてる。ふ、と視線を向けた先には生徒達が私の決定を待っていた。小さく息を整える。……こくり、と頷いた。私に出来ることであれば、全てを賭ける。そんな覚悟を持って。


決まりだね、と笑った九十九さんと何処か安心したような複数の視線に少しだけ自分を恥じた。生徒達も不安に決まっている。私がしっかりしないと不要や心配を与えてしまうんだ。気持ちを入れ替えるように軽く頬を叩いた。もう、迷わない。






「ありがとう……これが五条悟の解放、その為に必要な獄門彊"裏"だ」






禍々しい気配を放つ六面体の箱を空間から取り出した天元に息を呑む。彼曰く、この中にも五条くんが居るらしい。封印されたのは羂索の持つ表の獄門彊の筈なのに……どういう理屈なのかさっぱり分からないが、少なくともこれをこじ開けても彼は封印から解かれるようだ。強制的に術式を解除する為には「天逆鉾」「黒縄」といった特別な呪具が必要なのだと天元は語る。






「だが、天逆鉾は11年前五条悟が海外に封印したか破壊してしまった」
「何してんの先生!」
「黒縄も去年五条悟が全て消してしまった」
「何してんだあの人は!」






二人の可愛い生徒から突っ込まれている光景に思わず苦笑する。それを見ていた乙骨くんも困ったような笑顔を浮かべていた。この会話が五条くんに聞こえていたら彼もまた苦い顔をしていたに違いない。彼が先手を取って破壊という行為まで自ら行うことには必ず意味がある。この場合は少なくとも前者は天逆鉾による術式の強制解除で死の淵を彷徨った経験からなんだろうな、と推測できた。彼は彼自身の力をよくよく理解している。自分の力が呪術界にどれだけの影響を及ぼしているのかも分かっていた。だからこそ、今の彼にとって脅威となり得る存在を抹消しようとしていた……んだと思う。あくまでの私の推測でしかないけれど、きっと、的外れという訳ではない。





「手はあるんだろ?」
「あぁ。死滅回游に参加している泳者の中に"天使“を名乗る千年前の術師がいる。……彼女の術式はあらゆる術式を消滅させる」
「術式を……消滅させる?」
「……そんな術式があるんですか?」





伏黒くんと同じく訝しげに天元に問いかけたが、彼は私を見るとクスリ、と笑みを浮かべる。君がそれを言うのか?とでも言いたげな表情に私は益々眉を寄せた。彼は何を言いたいのだろうか。……そういえば、彼は私を「忠魂の君」と呼んだ。忠魂、という響きには覚えがある。だからこそ少しだけ知ることに恐ろしさを感じた。でも……これから先、私が戦っていく中で術式の本質を知らずにいることは不利を招きかねない。






「……天元様、貴方は私を"忠魂"と呼びましたよね?あれは一体どういう意味ですか?」
「……あぁ、君は知らなかったね。君の持つ術式は"影を操る"ものではないんだ」
「私の父の家に伝わる術式は"忠魂呪法"でした。それと関係が?」






天元はゆっくりと頷く。私が陰影操術と呼んでいるこの術式は影を操り、再構築するものだと思っていた。そう信じて生きてきた。……だけど、それが根本から違っていたとしたら?呪いの世界においても"思い込み“の力は良くも悪くも強い。自分が出来ないと思えば思うほどできる事は狭まり、逆に解釈を無限に広げることができれば"化ける"のだ。私は、もしかすると、ずっと間違っていたのかもしれない。






「六眼でも見抜ききれない程の思い込みだ。君に課せられた抑圧や肯定感の低さは大きな枷となっている。……もっとも、五条悟は君にある才を無意識に感じていたとは思うが」
「……私の、才能」
「君が陰影操術だと思っていたものはあくまで"忠魂呪法"の一種だ。影を操っているのでは無く、一時的に呪力を注ぎ"魂"を込めている」






消滅させるものとは"真逆'の性質だ、と述べた彼にそれってどう違うの?側から話を聞いていた虎杖くんが小さく手をあげる。天元はハッキリと「全てが違う」と言い切った。ただ使役しているのではなく、無から有を"生み出す"ことができる特異的な術式の一つだと彼は述べた。……真依ちゃんの構築術式もそうだが無い物から新たに生み出す……零から一を作るのはある種不可能に近い事なのだ。自然界の摂理に反する故、莫大なコストが掛かる。だから彼女の限界はあくまでピストルの弾ひとつまでだった筈だ。






「……でも、私はその力に対して代償が軽すぎませんか?」
「それは君が影にしか魂を込められないから……いや、込めていないからだ。だからこそ少ない代償でその術式を使用できている。……謂わば君は影達の母親のようなものだ」
「……母親……」
「羂索は命を与える術式には興味があるだろう。もし呪霊操術を持つ彼が居なければ、君を"使っていた"可能性も高い」







ヒュ、と肝が冷える想いだった。夏油くんがいなければ私がその対象だった?……私は、無意識下に夏油くんに護られていたのかもしれない、ということだろうか。きっと彼にそんなつもりはないだろうけど、結果的にそんな形になっていた。ぎゅ、と掌を握り込む。ならば尚更、彼を助けなくてはいけない。天元は君達の世代は全てがイレギュラーだ、と呆れまじりに息を吐く。彼の存在はあくまでこの世界の天秤であり、そこで測れない何かが起こる事は十分な異常事態なのだろう。






「なら捺ちゃんはもっと上手く戦えるようにも、強くもなれるね」
「……九十九さん」
「だってそうだろう!今からもっと熱を増す事は目に見えてる。その前に君の本質が分かったことはプラスじゃないか」






九十九さんの大きな目が私を捉えた。爛々とした色合いやそこに込められた意志の強さには何となく、五条くんに似たものを感じる。彼がここにいたら、もしかすると似たようなことを言って激励してくれていたのかもしれない。……ありがとうございます。と素直に感謝を伝えた。私ももう一度自分の術式と向き合わなければならない。いや、向き合いたい。そう固く誓った。五条くんと夏油くんを救うため、できることは全てしたい。もう、後戻りはしない。ここに居る皆が決意を秘めた顔をしていた。ここからは具体的な作戦会議になるんだろう。一つ、深呼吸をしてから、首に下げたネックレスに触れた。五条くん、私、やれるだけやってみる。そんな願いにも近しい言葉を唱え、改めて天元に向き直った。向かうは死滅回游の攻略。きっと、やり遂げてみせる。





忠魂の君



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