走る、走る、走る。廃墟と化している夜の街を駆け巡り、月に照らされて現れた影に触れ、手当たり次第に呪霊に向かわせた。低級ならそれだけでも闇に掻き消えていくけれど、準一級からは簡単にはいかない。崩れ落ちたファストフード店で縮こまり、いつの物かも分からないバーガーを貪る姿は呪いというよりは野生動物のようにも見えた。……全身に呪力を巡らせる。思考は冷静さを保ち、頭に狙いを定めた。弓状に引き絞った影に矢を添えて呼吸を止める。そして、悍ましいその顔が私に気付いたその瞬間に手を、離した。





パンッ、と張り詰めた風船が弾けるように割れる感覚。紫色の血が飛び散って、次第に蒸発したように何処かに還っていく。目を閉じて精神を集中させ、近くの気配を探ったけれど、コイツ以上にそれらしいモノは見つからない。使役した影を解放しながら大きく、大きく、深呼吸をした。今の東京に新鮮で美味しい空気があるのかはわからないけど、でも、あぁ、今日も私は、生き延びた。







「……五条、くん、」






近くに停めていた車に乗り込んでハンドルを握った。ちょうど目の前、フロントガラス越しに夜空が見えて、相変わらず眩しく佇む星の名前を口にする。正確には星の名前ではなく、それは彼の名前なのだけど、今の私にとってあの恒星は五条くんと同じくらいに勇気をくれる大事な存在だ。



任務終わりの術師は大抵の場合、補助監督が迎えにいく事が多いけれど、この状況下では全ての術師の送迎が不可能に近いことぐらい分かっている。だから私は少しだけ無理を言って車を一台借り、自分で情報を収集し、現場に向かい、任務をこなし、高専に帰る生活を続けていた。……苦だとは思っていない。だけど、誰かと居る時間が少なくなるのはやっぱりどこか寂しくもあった。こうなるまでは自覚が無かったけれど、私にとって色々な世代の人と関わり、笑い合い、話を聞ける場であったこの車内は特別な空間だったようだ。






「……今から少しの間、僕も捺もただの自分になってみない?」
「ただの、じぶん?」
「そう。しがらみとか、仕事とか……しなきゃいけない事をちょっとだけ忘れて、2人で話そうよ」





巨大な液晶やネオンといった、街を賑やかす明かりの全てが消えてしまった東京にタイヤの跡を付けていく。あの日、彼の背後に見た景色とはまるっきり変わってしまった都市はきっと、昏睡状態だ。目覚めない夢の中で揺蕩っているのだろう。こんな現実を彼が見たらどう思うのだろうか、どう感じるのだろうか。私には予想も付かない。……五条くんに会いたい。だけど、想いとは裏腹に、彼にこんな世界を見て欲しくない、そんなエゴを抱えた私は、自分勝手なのだろうか。ただ言われたままに祓い続ける私が彼の目にどんな風に映るのか、少しだけ怖かった。







ハロウィンの一件で電線が切れてしまったのか本当に真っ暗なトンネルの中を走り抜け、外れにある山の方へと車を進める。ヘッドライトだけでは照らしきれない人気のない道路は世界の未来を暗示しているような気がした。嫌な想像はするものじゃない、頭では理解していても中々不安は拭えない。夏油くんではない"誰か"が計画した死滅回游という悪趣味なゲームが始まるまでもう時間がなかった。具体的な対策も、どうすべきなのか、私がどんな立場で関われば良いのか、何もかも分からない。


ひとりだと強がる相手もいなくて自嘲した笑みが溢れた。続く任務で戦闘のスキルは上がっても、私自身の器が小さければ充分な力が発揮できないことなんて、身近な彼を見てきたのだから知っている筈だ。……だけど、やっぱり簡単な道ではない。五条くんのような圧倒的な芯も、強さも、心意気も、わたしには全然足りていない。





何度目か分からない溜息を吐き出そうとした瞬間、突然助手席に投げ捨てていたスマートフォンから軽やかな音色が響き渡った。咄嗟に手を伸ばそうとしたけれど、一瞬の思考の後、傍に車を止めてから受話器のマークに触れる事にした。こんな真っ暗なトンネルで車を寄せるのと、ながら運転をしないことではどちらが悪いのか見当も付かないが、政府が立ち入りを許可していない場所に今更誰かが通るとも思えなかった。はい、閑夜です。と慣れた口調で電話口に声を掛けると帰って来たのは、よく知る落ち着いた青年の声だ。





「……伏黒くん?」
「……何でそんなに不思議そうなんですか」





呆れ混じりの低音。少しだけ口元に笑みを浮かべて、ごめんね、と返した私に名前見てなかったんですね、と呟く彼はすっかりお見通しだったらしい。今は車ですか、危なく無いですか、と仕切りに訪ねてくる伏黒くんは以前にも増してなんだか私に過保護になっている気がする。年下の男の子に心配を掛けている不甲斐なさを感じつつもちゃんと道路脇に停めている、と伝えると、彼は安心したように「そうですか」と答えた。……トンネルの中だということは黙っておこう。







……"あの日"以降も伏黒くんとの夜のお茶会は続いている。最近は乙骨くんと遠くの方まで見回りに行っているので少し途切れてしまったけれど、彼はずっと、ただ真摯に私の隣に立って星を眺めてくれていた。伏黒くんは、聡い子だ。私が落ち込んでいることにとっくに気付いていて、ずっと側に居てくれたんだと思う。彼も辛い立場なのに、疲れているはずなのに、それでも毎晩彼はそこに現れた。



彼は私を「好きだ」と言った。その言葉にきっと嘘はない。伏黒くんがそんな冗談を言う子じゃないと、この半年を通じて理解していた。だから私も彼の想いに気付かないフリはしなかった。意図的に目を逸らす事が相手を苦しめる可能性があると私は学んだから。彼はやっぱり優秀で頭のいい男の子だ。私が彼をそっと押し返した時にはもう、全てを察していたんだろう。零れ落ちた感謝の言葉に伏黒くんは苦しそうに、それでいて何処か分かっていたかのように目を伏せていた。







「……閑夜さんは五条先生が好きなんですか」

「……もし、俺と先に出会っていたら、俺を好きになってくれましたか」






2つの問いへの答えはどちらも素直な私の気持ちだ。私は、やっと五条くんの事が好きだと気付いたし、もし、伏黒くんのような優しくて真面目な男の子に学生時代に出会っていたら好きになっていたかもしれない。でも今の私にとって2人は違った形ではあれど、大切な人であることに違いはなかった。伏黒くんはこの身に代えても護るべき生徒であり、五条くんは私の大部分を占めるかけがえの無い存在なのだ。




「……虎杖が、見つかりました」
「…………え?」




一拍遅れて反応した私に言及せず、伏黒くんは続ける。虎杖くんが、見つかった?その言葉を頭の中で反復し、嚥下しようと必死に思考を巡らせる。その間にも彼は禪院直哉と会敵したこと。脹相と名乗る謎の人物と共に虎杖が行動していたこと。乙骨くんの結んだ上層部との契約は既に達成され、破棄されたことを告げていく。次々と報告される状況に正直ついて行くのがやっとだが、頭に浮かんだのは彼の太陽みたいな晴れやかな笑顔だった。他に何かありますか、と私の反応を待つ伏黒くんにひとつだけ、一番気になっていた事について尋ねた。






「虎杖くんは、元気だった?」
「……!はい、一度死んだのにピンピンしてます」






人騒がせな奴ですね、と電話越しに聞こえた声は柔らかく穏やかだ。きっと伏黒くんも気張っていたのが解けて安心したのだろう。少しだけ泣きそうな気分を堪えながら「おつかれさま、ありがとう」と伝えると伏黒くんは一瞬黙ってから、それ、俺が帰ってからもう一度言って下さい、なんて呟いていた。冗談なのか本気なのか分からない。でも、これくらいなら何度でも言うよと頬を緩めれば、彼は「直ぐに帰ります」とだけ矢継ぎ早に電波に乗せ電話を切ってしまった。ツー、ツー、と無機質な電子音が耳元に響いて、彼の珍しくせっかちな行動に少しだけ笑みが零れた。ふ、と詰まっていた息を肺から押し出して、運転席の窓を開ける。吹き込んできた風は先程と比べると随分爽やかで、滲み出すように勇気が貰えた。……頑張ろう。まだ私はやれる。



よし、と軽く頬を叩いて気合を入れ直した私は強くハンドルを握り直す。彼らを出迎える為にも早く高専に帰ろう。乙骨くんと伏黒くんを、そして何より虎杖くんを、五条くんが残した高専という受け皿で、少しでも救えるように私は私ができることをしよう。いつだってそうだ。私には私にしかできない戦い方がきっとある。そうやって教えてくれたのは彼なのだから。














「憂太、これ見てよ」





どう思う?そうやって楽しげに首を傾げた先生の姿をよくよく覚えている。僕に虎杖くんのことを頼んだ先生は地元の料理を食べながらスマートフォンの画面を向けてきた。そこに映っていたのは美しい所作で佇むスーツ姿の女性だった。つい先程僕の問いを否定した先生を思ってつい見上げてしまったけれど、彼はその視線に気付いたらしい。女性関係の問題なんて無いってば、と呆れたように肩を落としていた。……まあ、確かにそうだ。五条先生の忙しさは高専に居た時から知っているし、彼が態々貴重な空き時間を大した興味がない一度きりの女性に費やすとは思えない。ならばこの写真の女性は?先生と彼女はどんな関係なのだろうか。




「……綺麗な人ですね」
「でしょ?ま、渡さないけど」




コロコロ、と喉を鳴らした彼は画面を何度もスワイプさせては整った唇を持ち上げて満足そうな笑みを零している。僕も隣から覗いていたけれど、暫くしてから、どの写真に映る彼女も今こうしてパネルを見ている僕や先生と視線が交わることが無いことに気付いた。……つまり、正面から撮られた写真が一切存在しないのだ。大抵が華奢な後ろ姿や柔らかなラインを描く横顔ばかりで、彼女の顔をしっかりと認識できるショットは未だに現れない。一抹の不安が過り、もう一度先生を見上げて「これ、盗撮とかじゃないですよね……?」と念のために尋ねると、彼はサンゲラス越しでも分かるくらいに大きく瞬きをした。





「まさかぁ!そんな訳ないじゃん!」
「そ、そうですよね!良かった……」
「そんな大層なものじゃなくて"ちょっとした"隠し撮りだしね」
「全然良くなかった!?」





言い方を変えただけですよね!?と抗議する僕に五条先生はやっぱりヘラヘラと可笑しそうに笑うばかりでその真意は読めない。複雑な気分で次々と移り変わる液晶を見ていたけれど、ふ、と突然現れた、明らかに画質の落ちた画像に今度は僕が目を瞬かせた。これは教室……だろうか?撮影場所より少し遠い位置に見えるのは見覚えのある木造の机に座っている髪を結った女性。もっとそれを確認しようと荒いピクセルに瞼を細めたけれど、無慈悲に画面は切り替わる。……場所自体に変化はないが、その女性が心なしか前の一枚よりも大きく収められている気がした。そんな少しずつズームされていく画像が6枚程度続き、その顔が間違え探しのように徐々に鮮明になっていく。勿論、鮮明と言えどもタカが知れているのだが。






「あっ、」
「……懐かしいなぁ」






思わず声を上げた僕に続けて、五条先生はしみじみと独り言のように呟いた。強い日差しが照り付けているのも気にせずにサングラスを耳から外した彼は、ただ真っ直ぐに青い瞳を画面に向けている。辛うじてそこに居るのが"こちらを向いている女性"だと分かったが、手振れが酷く、女性が誰なのか判別すら付かない、彼が見ていたのはそんな写真だった。それでも先生はあまりに愛おしそうな手付きで指先を画面に触れさせる。今の彼を見ればきっと誰でも感じる筈だ。例え"それ"が誰なのか分からなくても、この人物が先生にとって掛け替えの無い女性だということを。






「……この人は、」
「僕の同期、捺って言うの」
「捺さん…………」






小さく頷いた先生はマジマジとその写真を眺めてからゆっくりとサングラスを掛け直す。こんな優しい雰囲気の先生見た事ないなぁ、と子供ながらに彼が向ける"捺さん"への感情や想いを感じつつ、どんな人なのか、と尋ねてみた。彼はそうだなぁ、と降り注ぐ熱射とは比べ物にならないくらいに穏やかな声を吐き出しながら雲一つない晴天の空を見上げる。先生の青に負けないくらい、この日は天気が良かった。






「すっごく可愛くて良い子でさ、」
「はい」
「色々真面目だし、優しいし?もう欠点とか全然無いんだけどね」
「そんなにですか?」
「いや、そりゃあるにはあるよ?無理しすぎるとか我慢するから心配だ、とか」
「……それって欠点なんですか?」
「さぁ?僕はそういうトコも含めて好きだからなぁ」






好き。五条先生の口からそんな言葉が紡がれる日が来るなんて、と、こっそり驚愕する僕に気付いているのかいないのか。彼はニヤニヤと今度は人が悪そうな顔をして「僕もいつか憂太みたいに呪っちゃうかも」と喉を鳴らす。相変わらずブラックジョークにしてはブラック過ぎる、と苦笑するのを見た彼はもっと楽しそうに目尻に皺を寄せると冗談だよ、と笑った。……本当に冗談なのかなぁ、と思った当時の僕はきっと、間違っていない。だって今の彼女はきっと、彼に呪われてしまっている。










ゆらり、と不安定に揺らいだ炎を見ていると何故か9月のことを思い出した。先日高専でやっと出会えた"捺さん"は五条先生の言う通り、素敵な女性だった。先生が見せてくれた写真と似ている落ち着いた微笑みは人に安心感を与えるものだったし、こんな状況でも彼女は強く有ろうとしていた。そんな姿にきっと先生は惹かれたんだろうな、と僕は直感的に理解したし、きっとその感覚は間違って無いと思う。


だからこそ……彼女を愛する彼が、捺さんを呪ってしまっている現状は苦しかった。伏黒くんとも少し話したけれど、捺さんはどうやら随分弱ってしまっているらしい。まだ関わって日が浅い僕にはこんな状況でも真っ直ぐに茎を伸ばそうとしている花のように見えたけれど、普段ならもっと美しい花を既に咲かせているのだろうか。そんな彼女に会える日が来ると良いな、と仄かな興味の元願うと共に、その日を迎えるためにはきっと先生が必要不可欠である事も理解していた。







……まずは一歩。虎杖くんを見つけられたのは大きな収穫だ。僕に任せてくれた先生の気持ちに報いる為にも僕は僕なりにやるしか無い。彼女だけが映された写真しか持っていなかった先生のフォルダに僕が撮った2人のツーショットを追加する時が少しでも近くなることを祈りながら、僕は刀を背負って立ち上がった。目指すのは高専だ。







手振れ補正



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