「伏黒くん!」
「ッはい!"満象"!!」






私の声に彼が器用に指先で影絵を作る。彼の背後のビル壁に投影された象は黒から広がるようにして自分の姿を大きくさせ、彼の隣に堂々と立ち並ぶと、宙に向けて大きくひと鳴きしてから呪力の込められた"濁流"を物凄い勢いで噴き出した。呪霊達は逃げる暇も無く高圧に流され、水が引いた時にはもう、何も残ってはいなかった。複数の呪霊の拘束するために私が使役していた影は辛うじて残ってはいたが、かなり呪力を削られている様子だ。……一つの式神でこの威力、やはり彼には類稀な才能がある。近くでこうして戦闘を見る機会は今まであまり無かった分、私としてもかなり勉強になった。そんなことを考えているなんてつゆ知らず。上手く祓えた事に少し安心したように息を吐き出した彼はそのまま満象を解除し、影に溶かしてから私の元へと駆け足で近寄ってきた。





「……すみません、少し出力強過ぎました」
「ううん、ちゃんと祓えてたし良いと思うよ」





伏黒くんにそうやって返しながら私も掠れかけている数体の影に触れ、ありがとう、と告げながら元の場所へと戻してやる。溶けるようにして夜に消えていった影達を見送りつつ、でも、もっと細かく調整出来たら強くなるね、と彼に笑いかけると少し驚いた顔をしてからしっかりと伏黒くんは頷いてくれた。私も昔は呪力調節が下手で五条くんに怒られていたなぁ、とぼんやりした記憶を辿り、少し懐かしく感じた。伏黒くん、彼の呪術のセンスはかなり高いと思う。私が彼と同じくらいの時はもっともっと素人で自分の術式も碌に分からずがむしゃらだったけれど、伏黒くんは能力を使い分けするのも上手く、根本的なセンスが飛び抜けていると感じた。今の満象の水だって十分的を絞れていたし、火力も高い。私とこんな風に合わせて戦った経験が無いのに使役した影を"壊さない"ラインを突いていたのも筋がいい証拠だろう。……私達の後進はちゃんと育っている。


五条くんが教師を目指した理由は今、少しずつ実ろうとしている。それが良いことなのか、悪いことなのかは私には正直、分からない。呪霊の勢いが増しているこの時代に、まだ生きるべき子供達が危険に晒されるのが正しいのか、分からない。だけど私は五条くんの同級生として、友人として、彼が望んだ"それ"が叶うならば嬉しいと思う。五条くんが自分の人生を懸けて取り組んでいるものが、想いが、届くのであれば、応援したいし、支えたいとも思っている。……勝手なのかもしれないし、生徒達にとってはとばっちりなのかもしれない。なら、私はその分少しでも彼等を護る為に生きたい。人間が行動する理由なんて多分、そんなものだ。






「大分……片付きましたね」
「そうだね、伏黒くんお疲れさま。疲れてない?」
「俺は大丈夫です。閑夜さんは?」





大丈夫だ、と言いつつもここまで動きっぱなしだった彼の顔には薄く疲労が蓄積しているのが分かった。流石にこのまま帳の周りを走りながら祓除し続けるのは中々リスクが高い。疲労により咄嗟の判断力や思考が鈍るのは人間である限り仕方なのないことだし、そのせいで怪我をしては元も子もないだろう。……伏黒くんが無理をしやすいタイプなのは見ていれば分かる。私が頼りないからかもしれないけれど、先程から彼は分担された仕事以上のこともやろうとしているし、これではきっと、だめだ。一瞬考えてから閃いた対処法に心の中で彼に謝罪しつつ、態とらしく息を吐き出す。伏黒くんはよく人を見ている優しい子だ、きっと直ぐに気付くだろう。





「……閑夜さん、一度そこで座りませんか」
「……そうだね、ここまで続くと伏黒くんもちょっと疲れちゃうよね」
「はい、疲れました。……だから隣にどうぞ」





青緑の瞳が私の溜息を捉えてすぐ、彼は近くのベンチにまで私を連れて歩いてくれた。自らが先に座ってから促してくれるその行為に、本当に優しい子だなぁ、と思いながらその善意を利用してしまった嫌な大人の自分にこっそりと自嘲した笑みを浮かべた。実際はきっと、私より彼の方が呪力の消費が激しく、疲弊している筈だ。それを本人が自覚しているのかは分からないけれど少なくとも私はまだ十分動けるだけの体力も呪力も残っている。だけどそれを素直に発して彼の為に休むことを提案しても伏黒くんのプライドや迷惑を掛けられないという気持ちが勝り、断ってしまうのではないか、と推測した。試しても、本人に聞いてもいないからこれはあくまで私の推測の域を出ないけれど、きっと彼は誰かに甘える事や、自分の不調を伝えるのは得意な方ではないと思う。真面目だからこそ誰かの足を引っ張ることだけはしたくない、そう考える人なのではないだろうか?何となくそう感じている。……私も、昔は特に同じようなタイプだったから。


失礼します、と一言断り、伏黒くんの隣にそっと体を置く。暗く静かな珍しい渋谷の隅に私達は座っていた。ちらりと視線を向けた隣の彼が深く腰掛けながら背中を丸め、暫く押し黙っているのを見るに恐らく予想は大きくは外れていないだろうと確信しつつ、私もふぅ、と改めて篭っていた息を吐き出した。少し声に乗ったその音は案外晴れやかだと思った。





「……こんな時にこんな事をしていていいんでしょうか」
「こんな時だからこそ、かな?ここから先休む機会があるとも限らないから。出来る時に回復しないとね」





伏黒くんはパチリ、と一度瞬きしてから「そう、かもしれませんね」と何処か納得したような口調で呟くと私を真っ直ぐ見つめて閑夜さん、と名前を呼んだ。黒くて長いまつ毛の奥にある綺麗な目が向けられて少し驚きながら、どうしたのかと問いかけると彼は一呼吸置いてからゆっくりと頭を下げる。




「すみません、俺の為に」
「……えっと、」
「俺がヘタってたからですよね、提案してくれたの」





あぁ、失敗したなぁと直ぐに理解した。どうやら彼は私が思うより何倍も聡明な男の子だったようだ。伏黒くんに気を遣わせないために言い出した行為だったけれど、どうやら裏目に出てしまったらしい。どうにか誤魔化せないか、と少し視線を彷徨かせたけれど顔を上げた彼の透明感のある瞳に見つめられると上手く言葉が出てこなくて、ごめんね、と謝ることしか出来ない私に彼は首を横に振って、助かりました、と言葉を続ける。助かった、なんて言われると思っていなかったのでつい、きょとんとしてしまうのに伏黒くんは冷静に、落ち着いた様子で口を開いた。





「……いつもより飛ばし過ぎてる自覚はあるんです。閑夜さんに負担をかけたく無くて」
「そんなこと、」
「でも、自惚れでした。俺なんかより閑夜さんの方が術師として生きてきた期間も長いのに、驕ってたんです」
「私は寧ろ……伏黒くんが此処までやれる事にびっくりしてたんだよ?私は君より少しだけ経験値が溜まってるだけ」





素直な彼の戦いへの感想を答えた私に伏黒くんは疑り深そうな目を向ける。明らかに信じていなさそうな反応に口元で笑いながら本当だよ、と再度伝えると、やっと彼の表情が少し和らいだように見えた。私もそれを見て思わず胸を撫で下ろす。学生と信頼関係を持って闘う、というのは中々難しい。彼の中では此処までの戦いは及第点に達していないのに対し、私から見た伏黒くんは十分に、むしろ及第点以上の働きをしてくれていると感じていた。そこの齟齬を確実に潰して、その子に分かるよう形で得意を伸ばせるように援助する、という指導がきっと教師には求められているんだろう。……難しい仕事だな、としみじみ感じながら自然と頷いていた私に閑夜さん、ともう一度彼は名前を呼ぶ。





「今からはちゃんと、頼ります。だからフォローお願いしても良いですか」
「……うん、勿論。私で良いなら精一杯頑張るよ」
「……何でそこで謙虚なんですか」





私の返事にぐ、と訝しそうな顔を浮かべた伏黒くん。……しかし、私は彼を見ていなかった。呪術師の本能、というやつなのかもしれない。私は彼の言葉を満足に理解するより先に彼の腕を引き、そのまま固い地面へと自らと伏黒くんの体を傾けていく。コンマ何秒の世界でガチン、と重苦しいプレス機のような音が辺りに響いた。驚愕したように瞼を開いた彼はそこでやっと自分の後ろに居たモノを知覚する。黒くて本当の実体が捉えられないその巨体、目がない代わりに大きな口だけで構成された悍ましい姿、そして、その中に覗くびっしりと針が並べられたように見える歯。瞬間的に悟った。この呪霊は、強い。





「閑夜さッ……!!」
「息止めて!!!」




。伏黒くんは驚いてはいるがキチンと指示は通ったらしく、口を腕で塞いでいる。お互いの無事を目だけで確認し合ってから頷き、私は指を地上に向けてから人差し指、中指、薬指を立てて彼に見せる。伏黒くんは私の意図を把握したらしく、すぐに動けるように体勢を整えた。3、水面を見上げるように影の上へと目を向ける。2、呪霊今私達が消えた地面に立っている。1、ならばアイツが出現したであろう場所から飛び出れば、





「"鵺"!!!」
「"影踏"……!!」






きっと奇襲になるだろう。




同時に飛び出し、術式を発動した私達の攻撃は呪霊の背後に命中した。だが、伏黒くんの鵺で抉れた肩……らしき部分は一瞬で黒が滲み、修復していく。今まで会敵した呪霊はダメージを受けた部分を治す力までは持ち得ていなかったのを見るに、恐らく先程までより、格上。盛大に舌打ちした彼は未だ正体が分からない呪霊から距離を取り、私もそれに続いて離れる。攻撃を受けたというのに、ケタケタ、ケタケタ、と体全部を震わせながら大きな口で笑う呪霊にどうしようもない不快感が込み上げてくる。顔らしき部位の周りにずるずると引きずられるように暗黒が広がる異形はまるで、闇そのものが歩いているようにも見えた。


どんな負の感情から生まれ落ちた呪いなのかはまだ分からない。だけど、ここで抑えないといけない類のものだと肌で感じることができる。恐らく1級相当、低く見積もっても準1級近くはありそうだ。私が術師を辞めた時は準1級、伏黒くんは今2級かつ1級への推薦を受けている。……私に祓えるか?術師を辞めてかなりのブランクがある。特例のおかげで全く術式に触れていない訳ではないが、本気で祓いに行くのは多分去年の葵くんとの共闘以来になるだろう。葵くんは学生と言えども既に1級術師、彼の能力は底知れない。寧ろあの時は私がおんぶに抱っこされていた立場で、そんな私にコイツが、祓えるのか?


一抹の不安が過ったが、私と反対方向で距離を取っている伏黒くんの姿が視界に入った途端、弾けたように思考がクリアになっていくのが分かった。……違う、私は祓わなくてはいけない。もしコイツを逃して硝子達のところに向かったら全てが水の泡。五条くん奪還に動いている術師に無駄な負担は掛けられない。


さっきこの呪霊は音もなく私たちの後ろに現れた。私が彼を見るまではそこにいることすら気付けなかった。今も言い知れぬ違和感がそこに、ある。雑魚ではない筈なのに、呪力の気配が凄く曖昧だ。ここまでの実力がある相手なら少なからず呪力が溢れ出ているのが普通なのだが、コイツからは上手く感じ取ることが出来ない。奥で伏黒くんもこの異様さに顔を顰めているのが分かる。どうしますか、と言いたげな目配せに私が何か返そうとしたその時、






『クライ、クライ、クライネェ……』





はっ、と同時に息を呑む。ケタケタと笑う呪霊は言葉を発していた。伏黒くんの額にじわりと汗が滲むのが見えて、私もまた背中に嫌な空気が入り込んだような心地の悪さを感じた。話せる、ということは並ではない。この呪霊の体は酷く不定形だ。体の端からヘドロを落とすみたいに崩れて……ふ、とまた地面のタイルの溝に黒い液体がだらだらと流れるのが見えた。それは私達を囲うように象られているような気がした。まさか、嫌な予感にすぐさま私は近くの電灯に触れ、その影を伏黒くんの元へと送り出す。影に持ち上げられた彼が「閑夜さん!!!」と叫び、手を伸ばした。それとほとんど同じタイミングで流れた液体が檻でも作るように空へと伸びて、私と自らを小さな空間へと閉じ込める。……領域ではない、だがこの呪霊の動きやすい場所になった事に変わりはない。完全に周りと隔絶される前に悲痛な顔をした彼に笑いかけた。






「伏黒くんは五条くんをお願い!」
「っ、なんでッ……!」





だいじょうぶ、最後に伝えた言葉はなんとか彼に届いたらしい。鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべてから睨むように私を見る彼の機嫌は兎に角悪そうで、ふふ、と吐息が溢れる。自分の体を広げて私を捕まえた呪霊は相変わらず刃物みたいな歯を揺らして嘲笑っていた。……生徒を危険に晒す訳にはいかない。これでも私も一応先輩なんだ、たまには良いところを見せないと。そうやって自分自身を奮い立てる。幸い建造物は残されているし、月光は檻状になった呪霊にも平等に降り注いでいた。






『クライ、コワイ、クライハコワイ!!』
「……結構、おしゃべりなんだね!」





腰を低く落とす。久しぶりの高揚感と独特の緊迫感にじわりと口角を持ち上げた。強がり出来なくなった方が負け、いつか彼に言われた言葉を脳内に反響させながら、私は両手を構えた。






ケタケタ



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