「高専でも卒業式なんかあるんだね」







門の側に立ち、まだ花を咲かせていない桜の木を見上げる私に少し伸びた声が掛けられた。たった4人の同級生なのだから今更振り向く必要なんて無いのだろうけど、何となく反射的に声の方に体を向けて「よっ」と軽い調子で右手を上げた彼女……硝子の名前を呼んだ。適当な返事を返しながら隣に並んで私と同じように枝を見上げた彼女は、こんなん見て何が面白いの?と不可解そうに首を傾げてタバコに火を付けた。相変わらず自由だなぁと思いながら、ふ、と私は彼女の胸元に未だ造花のブローチが付けられているのを見て笑みが溢れた。彼女も卒業なのだから何もおかしい事はないはずなのに、あの硝子が大人しく先生の指示に従っているだけでも何だか面白く感じた。


東京都立呪術高等専門学校の4年課程全てを終えて、今日という日が迎えられた自分が未だ信じられないところもある。別にそうなりたいと思っていた訳ではないけれど、私はきっといつか自分が死ぬものだと思っていた。1年生の時に初めて人を殺し、2年生になった時には死体に見慣れた。3年生の時に友人と別れ、4年生では何かを考える暇も無いくらいにこの世界に染まった。過酷であることは入学した時からよくよく理解していたけれど、この4年間が私という人間にどれだけ大きな影響をもたらしたのかと思うと不思議な気持ちになる。……結局、私は生き残った。親しい人物や後輩が毎日のように亡くなっていく日々に必死に喰らい付いて、今ここに隣の彼女と同じ白い花を付けて立っている。長い人生において、たった4年間。されど、4年間。少し縁起が悪いかもしれないけれど、きっと私が死ぬ時に走馬灯として思い出す記憶の中で一番の重さを占めるのは高専で彼等と過ごした時間なんだと思う。辛くて、楽しくて、苦しくて、いとしい。相反する感情の中に居た私はきっと、間違いなく青春を謳歌していたんだと思う。……無論、血生臭いのは否定しないけれど。






「……来なかったね、アイツ」
「地方の任務って言ってたからね……ちょっと寂しいけど」






それでも来いよ、と不満そうにぼやく硝子に苦笑いした。そう、今日卒業式を迎えたのは硝子と私の2人だけなのだ。五条くんは昨日から一級呪霊の討伐任務に当てられていて東京にはいない。夜蛾先生もこればかりは仕方ないからと後日2人で式をすることを彼に話していたけれど、五条くんは「先生と2人はキツい」と最後まで文句を言いながら補助監督さんの車に乗り込んでいった。それを見送る先生の申し訳なさそうな視線を見た私はそこで、先生の言う"仕方ない"には色々な意味が込められていることを悟った。……夜蛾先生は優しい人だ。私を拾って高専に導いてくれたことは今後一生何があっても返さなければいけない恩であるし、少し怖い見た目をしているけれど生徒に寄り添ってくれる素敵な先生だ。それは五条くんにも例外ではない。

4年生になってからは今まで以上に彼が高専に戻ることは減っていた。彼はもう既に一人前以上の術師として前線を飛び回り続けているのだ。開花した才能は留まることを知らず、また彼も留めようはせずに訓練を続けている。他の術師が1人では厳しいような任務も彼は徹底的にこなし、成果を上げた。今年からは海外での任務に向かう事もあったみたいで1ヶ月に一度、高専で顔を合わせられたら良い方、といった生活を続けていた。五条くんは私にはとっくに雲の上の人のように思える。手を伸ばしても地上の人間に瞬き返さない澄ました星みたいに、憧れを抱くには眩し過ぎる彼。振り返る事なく凛と前を見据える彼。……それでも、いつも律儀に私と硝子に大抵甘いお菓子のお土産を買ってきてくれるところは、私の知っている"五条くん"らしいな、とこっそり元気を貰っていた。硝子は甘い物はそんなに好きではないので「どうせなら分けて買ってこいよ」「態々買ってきてやってるのにその態度かよ」と夏前に彼とそんなやり取りをしていたのはまだ私の記憶に新しい。ケッ!と荒々しく久しく埋まっていた自身の座席から立ち上がりドアを開けて出て行った彼を追いかけようとしたけれど硝子に、ほっとけ、と止められ、彼はまた任務へと戻って行ってしまった。……そして、晩夏が迫りヒグラシが辺りに不思議な反響音を響かせる中、ほとんど2ヶ月ぶりに私は、彼と顔を合わせたのだ。








「遅えよ」




任務帰りに疲れた体を引き摺るようにして歩く私に掛けられた声。私の部屋の前の廊下に佇むその見知ったシルエットと吐き捨てるような言葉に、目を見開いた。幽霊でも見た気分で五条くんを見つめる私に彼は居心地悪そうに目を細めていたが、直ぐ此方に向かって歩きだし殆ど投げ付けるかのような動作で私にそれを差し出した。慌てながら反射的に受け止めて、腕の中に視線を落とすと可愛らしい包装で包まれているシュークリームと、もう一つは……




「……ネックレス?」




キラキラと淡い青白さが籠ったシルバーのネックレス。小ぶりで8つの棘が伸びる一等星のような形をしたチャームに顔を上げた。五条くんは俯きがちに視線を逸らして、魔除け、とだけ呟いた。どうしてこんなものを、と思わず聞き返した私に決まり悪そうな顔で眉を寄せた彼はゆっくりと口を開く



「……変な露店で勧められたんだよ。死にそうな奴はいるかって」
「し、死にそうな奴って……」
「基本親孝行だとかジジイへの贈り物とかなんじゃねぇの、詳しくは聞いてない」



すごい露店だな、と最早感心しつつも、そんな物を彼から渡されるのはなんとも言えない気持ちになった。私は彼に所謂高齢者と似たような認識を持たれるほど死にそうだと思われているのだろうか。五条くんから見たら否定は出来ないかもしれないけど、流石に少しは抗議したくなる。私そんなに頼りないかなぁと曖昧に笑った私に彼は更に眉間に皺を寄せて難しい顔を浮かべた。何処かほんのりと困ったような雰囲気を醸し出しつつも、すぐに口角をぐいっと持ち上げて挑戦的なものへと表情変化させる。





「俺が居ない間に野垂れ死なれても目覚め悪いだろ」





ほんのりと馬鹿にしたような意地の悪い口調。でもそこに彼なりの気遣いがあることを知っている。……貰っていいの?ともう一度聞き返した私にしつこいなと不満そうに言いながら、いいから持っとけよ、と五条くんの手が私の手に伸びて、そのまま押さえるようにしっかり握り込まされてしまった。そしてすぐに私の隣を通り過ぎて行くように廊下の奥へと歩いていってしまう。何と無く止められなくて見送った背中にきちんと感謝を伝えていないと気付いたのはその後で、次の日先生に五条くんの居場所を尋ねると朝一でまた任務に発ったと教えられた。昨日会ったのですら夜だったのに、と驚いた私は、彼が向かった任務地が高専に戻る前に居た場所と限り無く近かった事を知り、彼の行動の不可思議さに疑問ばかりが募ったのだった。






半年以上前のことが突然思い出されて、無意識に胸元に手を当てた。当たり前だけれどもそこに彼から貰ったネックレスは無い。折角頂いてしまったのだから使わないと、と思いつつ任務で無くしてしまうのも嫌で未だ袋の中に一等星を眠らせてしまっている。卒業式だし付けてくれば良かった、と終わった今になって後悔している自分はなんだか滑稽だ。せめてあれを付けていれば五条くんとも一緒に卒業出来たような気がしたのになぁ、なんて。きっとそれは私の一方的な願望でしか無いのだけれど。






「ッ捺!!」
「……え?」






後ろから聞こえた、鋭く通るような私を呼ぶ声に耳が引かれる。重い足音と、肌に感じる特異的な呪力に思考するより先に体が反応した。うそ、溢れた自分の呟きが驚きと困惑に震える。静かな春先の日差しを受けてまだ少し冷たい風が白銀の髪を撫であげる。私の目の前に立つのは今東京に居ないはずの、五条悟に他なかった。少しだけ息を上げて私を見下ろす彼は雪解けのような色をしている。何が起こっているのか理解が追いつかなくて、でも彼はそこに居て、現実かどうかを確かめようと黒い服に手を伸ばした。私の行為にギョッと目を開いた彼はその手を捕まえると「何やってんだよ」と戸惑いに満ちたように呟くが、私も彼に対して同じことなような言葉を返した。





「なんでいるの……?」
「任務が終わったから以外に理由あるか?」
「それは、そうだけど……先生はまだかかるって、」
「……終わったもんは終わったんだよ」





私の疑問に対して少しバツ悪そうに目を逸らした五条くんは一瞬ぎゅっと口を継ぐんで押し黙る。そこに浮かぶ表情はいまいち読みきれない。雨と呼ぶには大袈裟で、曇りというには苦々しく、晴れには程遠い不思議な歪みに私も何を言っていいのか分からなかった。今直ぐに何か私に言いたい事がある。そうやって震わせた唇と今日の空みたいに青い瞳に視線が奪われて言いようもない緊張感に支配される。五条くんは、どうしてここに来たんだろうか。どうして、こんな顔をしているのだろうか。ふ、と見た彼の胸元には当然ながら何も付いていない。あ、と声を漏らした私と五条くんの視線が重なった。





「……なんだよ」
「あ、いや……その、」





追及するようなそれから逃れるように自分の胸元に飾られた造花を取り外す。そして、一歩彼に近づいて「ちょっとだけ動かないでね」と注意してから黒い服を摘み上げピンの針を通して行く。繊細な動作に少しだけ指先が揺れたけれど何とかしっかりと端を引っ掛けて、止めた。彼の胸元に咲いた白い花が心なしが嬉しそうに見えて頬を緩める。これ……と一言落とした彼と、今度こそしっかりと顔を合わせるようにして見上げた。高い位置にあるその頭が太陽の光を遮って逆光となり、影を作っている。それでも五条くんは相変わらず綺麗だった。






「……卒業、おめでとう」






たっぷりの沈黙の後「……お前もな」と答えた彼の顔がゆっくりと少しずつ歪んでいく。蜃気楼のように揺らいで、混ざって、見えなくなって行く。眩むような春の日に別れた彼らと、そして……








私は、突然目覚めた。はっ、と水面から顔を上げたような感覚に心臓がいつもより少しだけ早く脈打っている。どく、どく、どく、と感じる鼓動に胸に手をやって落ち着かせるように深呼吸をした。カーテンの隙間から差し込む光は既に朝を示していて、隣に置いた電子時計には2018年と刻まれている。腕でマットレスを押し上げるようにふらりと立ち上がり、見慣れた自分の部屋である事にそれが夢であったと理解した。……仕事に行かないと、ほんの少し混乱した頭でも例外なく朝の支度を行い始める自分の習慣に感謝しながら白いシャツに腕を通して行く。




……卒業してからの私は3年ほど呪術師として生活を続け、最終的には夜蛾先生に辞めることを伝えた。理由は色々あったけれど、ふ、と蝋燭の火が消えたようにある日突然術師として現場に立つことが出来なくなったのだ。学生時代は辛くても皆に、2人に会えるだけで息抜きが出来ていたんだと私はその時に実感した。毎日のように居なくなっていく顔見知り、私よりも何倍も優秀な後進たち。……何かの糸が切れてしまったようだった。でも、この世界から逃げることは出来なかった。まだ硝子も、五条くんもそこに居るのに、私だけが降りる事だけはしたくなかった。母と父の想いにも完全に答えられていない。そして選んだのが"補助監督"という道だった。夜蛾先生は私のその日までの頑張りを認めてくれた上で「特例」という制度を組み立ててくれた。私の術師としての人生を尊重して、それを最大限活かせるように全力を尽くしてくれたのだ。


初めはがむしゃらだったし、手探りだった。術師とは違う直接の介入が難しい立場が歯痒く感じる事も多かった。一からのスタートとして選んだ土地は京都で、慣れない土地での暮らしも大変だったけれど沢山の良い人達にも出会えたし、様々な経験を重ねる事も出来た。結果として私は今もこうしてこの仕事をやり甲斐を持って続けている。


全てのボタンを上まで止めてズボンを履き、ジャケットを羽織る。バッグを持ち上げてそのまま家を出ようとした足を不意に止めて、履きかけた靴を玄関に下ろした。確か……と記憶を探りながら開いたサイドテーブルの上に置いた少し古くなった小物入れ。そっと指先で持ち手を引っ張り、確かに眠っていた"それ"を袋から取り出した。今尚褪せない青白く美しい輝きに目を細めて、首の後ろに腕を回し、シャツの中に忍ばせるように"魔除け"を付ける。なんだか明るく見える今日の顔色を鏡で確認して、よし、と気合を入れるように笑顔を作り、今度こそ私はドアノブに手を掛けた。






「おはよ、捺」
「おはよう五条くん。今日は1年生皆を連れて任務だよね?」
「そうだね、僕も任務無いし付いて行こうかなって思ってるんだけど……大丈夫?」
「勿論!助手席空けるようにしとくね」






廊下で会ったアイマスクを付けた五条くんに挨拶を兼ねて今日の任務について幾つか確認しながら職員室までの道のりをゆっくりと進んでいく。元々は3人を引率する予定だったけれど、五条くんの予定が空いたらしい。彼らも担任がついて来てくれるのはやっぱり心強いと思うし、快く承諾すると五条くんもまた爽やかに「ありがとう」と笑ってみせた。最近は雨が多かったけれど、今日は綺麗な秋晴れで空気が気持ちの良い朝だ。彼も同じことを思ったのか、ふ、と視線を窓の外に向けると、良い天気だねぇとしみじみ呟く。そうだね、と肯定するように頷いて彼の隣へとなんとなく並んで見つめた高専の木々は色鮮やかに紅葉している。山の中にあるのが幸いして季節の移り変わりを肌で感じられるのは毎日過ごす中での、私の癒しにもなっていた。





「……珍しいね」
「ん?」
「真面目な捺がアクセなんて」





彼の視線はいつの間にか窓の外ではなく、私の首元へと向けられていた。あ、と私が声を発するより先に大きな手が首筋へと伸びて、指先で引っ掛けるようにしてチェーンを引き出す。そして、そこから持ち上げられた眩い一等星に五条くんは息を呑んだ。ぐいっとアイマスクを下げ、覗かれた青い瞳で、掌に乗せたそれを暫く凝視してから……捺これ、と私を見た彼になんだか気恥ずかしいような気持ちでこくん、と頷く。五条くんもちゃんと覚えていてくれたようだった。





「まだ、持ってたの……?」
「……五条くんがくれたのに、捨てられないよ」





長くて色素の薄いまつげと瞳を大きく開いて身体全体を震わせた彼は、〜っ!!と何かを主張したそうに腕をばたつかせ、はぁぁ……と、物凄く深い息を吐き出した。困ったような仕方なさそうな表情で、ずるいと思うよそういうの、とボヤき、掌に乗せていたネックレスをシャツの"上"に流す。そして、長い腕を私の首の後ろへと回し、初めに付けていた場所よりも短くなるように調整してしまった。





「見えちゃうよ?」
「……そうしてんの」





捺はそういうところあるよね、と口を動かした五条くんは不満そうに唇を尖らせている。子供っぽい仕草になんとなく微笑ましさを感じた私だったが、彼が最後に思い出したみたいに呟いたその一言を聞き、先程の五条くんと同じように瞼を開き、じわじわと顔に熱を上らせてしまう。それを見た彼は悪戯っぽく口角を持ち上げて、僕たち似たもの同士だね、と囁くように笑った。





白い花



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