カラン、と二つのグラスがぶつかって氷が表面を擦れる。乾杯、という声と共に向かいに座る彼女と視線を合わせた。昔より伸びた無造作な髪、色っぽい目元の黒子、緩やかに弧を描く唇……そのどれもが魅力的な数少ない友人と大都会の一角の居酒屋でお互いの再会を喜びあった。





「こうして顔を合わせるのは?」
「たぶん……5年とか、それくらいぶり?」
「アンタ向こうでそんなに働いてたっけ」





グイッ、と大きくて深いグラス……というよりはジョッキを片手に持ち喉の奥に流し込んだ硝子は相変わらずのぼんやりとした目で手首を回した。すっかり液体部分を失ったビールだったものは透明なだけのガラス瓶に成り下がっている。軽く手をあげてお代わりを要請した彼女は本当に相変わらずよく飲むなぁと感心した。ちょびちょびと酎ハイを啜る私とは全くレベルが違う。今日店に入るときに突然「禁煙席で」と言い出した硝子にギョッとしたのはついさっきの話で、学生時代に散々吸っていた煙草をやめたあたり、これでも少しは健康に気を使い出してはいるみたいだ。いつから?と尋ねると5年くらい前、と答えた姿に何となく少しだけ寂しく感じたのは私だけの秘密だ。


とはいえ、この業界で勤めているのに高専時代からの友人がまだ生きている、というのは非常に喜ばしいことでもあった。現実的な話、呪術師はその性質から毎年死傷者を多く出している。これは補助監督を経験している人なら誰もが数値として年の瀬に直面するただ、そこに横たわっている事実なのだ。最近は呪術師だけでなく、私達補助監督の死者も増え始めており、呪いの勢いが増しているのを肌で感じる。去年も、私の同僚は2人死んだ。そんな中で彼女がこうして生きているのは冗談でなく、本当に、嬉しいことだった。硝子は学生時代から反転術式を使いこなしており、類稀なる才能を持っていた。呪力を扱うものでプラスのエネルギーを生み出せるのはとても珍しくどんな場面でも重宝されてきた。実際私も何度お世話になったことがあるか、数えきれない。



言い換えれば"前線に出ることを許されない"能力である彼女は昔一度だけ「あいつらだけがノコノコ帰ってきて、捺が死んだと言われる夢を見たことがある」と話してくれた。その告白に目を丸くした私はどう答えていいか分からなくて押し黙ってしまって、それに喉の奥の方をくつくつ鳴らした硝子は「なんで私、そこにいなかったんだろうなって思った、夢なのに」とニヤニヤと口角を持ち上げていたけれど、たぶんそれは本心だったと思う。そんな彼女を見ると胸が詰まって、柄にもなく「死なないよ」と根拠のない約束をしてしまったことを硝子は覚えているだろうか。昔から美人だった貴女はそれはもう大きく目を開いて、それから大口開けて声を上げて笑っていたっけ。アンタ絶対死ぬもん、と冗談交じりに貶されて私もつい笑ってしまったんだ。……懐かしい思い出だ。




「また隈酷くなってない?」
「あー……そう?」
「そうだよ、もう……ちゃんと寝てる?」
「寝てる寝てる」
「ほんとかなぁ」




嘘ではないんだと思う。彼女はそんなに無理をするタイプではないし、燃費もいい。ただ、希少ゆえに彼女に任される仕事は多くてヘビーであることは容易に想像がついた。学生時代から夢見が良くなかった彼女のことだ。もしかしたら今でもそんな夢を見ることがあるのかもしれない。他人の死に触れ続けている彼女の悩みや辛さは私には全ては分からない。きっと誰にも、もちろん私にも硝子はそれを言わないんだろうけど。彼女はそういう人間なのだ。



こうして久しぶりに顔を合わせた友人の心配をしていた私に対して飽き飽きしたと言わんばかりに肩を竦めた彼女は、私よりアンタの話をしようよ、と突然持ちかけてきた。私の話?と聞き返したのに頷いた硝子は私の悩みの種でもある彼の名前を口にすると、じっとこちらを見つめて反応を伺った。ぐい、とあからさまに目を逸らしてしまった私に硝子はやっぱりか、と呟いてテーブルに肘をついた。話してみなさいよ、とでも言いたげな姿にゆっくり息を吐き出す。どうにもこれは逃げられそうにない。




「……最近久しぶりに五条くんと会って」
「うん」
「そうしたら、なんか、変で、私どうしていいか分かんなくて、」
「アイツが変なのは昔からだろ」





そうだけど!と思わず少し声に力が篭ってしまって、ごほん、とすぐに咳払いをする。確かに彼が変わっている……というか、何かと不思議な雰囲気があるのは昔からだけど、でも、最近の彼は明らかにおかしいのだ。あんなに嫌っていた私にとても、それはもう物凄く!優しいし、親切だった。生徒達に私を紹介する時間を作ってくれたり、分からないことがあればいつでも聞いてねと柔らかい口調で連絡先を教えてくれたりあの頃の五条くんと全く違っていた。正直、別人みたいだ、とも思っている。でも確かに私の術式を知っていたり、私も知っている共通した懐かしい話を振ってくれたり、彼は、彼じゃないと知り得ないことをしっかりと覚えていた。はじめは分かっていても驚いた風貌の違いさえも、最近は私と2人の時はマスクを取り、髪を下ろしてその綺麗な目を惜しみなく露出させている事が多かった。恐ろしくなるくらいに美しいあの瞳に見つめられる感覚は当時と何も変わらない。間違いなく彼は、私の知っている五条悟に違いなかった。




「捺は知らないだろうけど、"アレ"は前からあんな感じだけどね」
「そう、かな」
「そうだよ」




黙って最近の彼について思考する私に、硝子はどこか確信めいた口調でそう言った。私も彼女も彼と過ごした時間は殆ど変わらないはずなのに、硝子はアレ呼ばわりさえしている五条くんのことを私より知っているみたいだった。それが何となく寂しく感じるのは、私が気にしすぎているだけなのだろうか。4人で居たはずなのに、私と彼の間には今でも埋まらない溝がある気がしてならない。教師をしている今の五条くん。こちらが照れてしまうほどに「可愛い」「似合ってる」なんて顔を合わせるたびに褒めてくれる五条くん。柔らかく笑って私の名前を呼ぶ五条くん。……どれも、初めて知る彼だった。私が見ようとしなかったのか、彼が見せなかったのか、はたまた両方なのか。真偽は分からない。




「ま、でも向こうがあんたに見せようとしなかったから気にしなくていいよ」




あっけらかんとした硝子はまた思い切りジョッキを傾けると本日何本目か分からないビールを一気に飲み干した。見せようとしなかった、という言葉に少し引っ掛かりを感じたが、目の前の彼女のあまりにも気持ちのいい飲みっぷりに、つい、渇いた笑い声を吐き出す。なんだか今の硝子を見ていると悩みがどこかに飛んでいってしまいそうな気分になる。流石の飲兵衛だなぁと感心し、それと同時に飲み放題というサービスにここまで感謝したことはないなと思った。次に彼女とご飯に行く時も飲み放題を探さないと、と先を想像して思わず微笑むと、硝子は顎を自分の手の上に置きながら不意に私に問いかけた。








「捺は、」

「捺はさ、」





「悟のこと、」

「あのバカのこと」




「嫌い?」

「好き?」







ノイズ掛かったような感覚。頭の奥の方がつきりと痛んで、一瞬、あたりの喧騒が水を打ったように静かになったような錯覚に陥る。昔、似たような質問を、彼に、された気がした。彼女の質問に思考するより早く私の口が、喉が、舌が、動いた。








「……分からないけど、」

「わからない、けど、」










「嫌いじゃ、ないよ」






私の答えに、そっか、と目を細めて意味深そうに綻ばせた口元。その仕草も、楽しそうな表情も、いつかの彼によく似ていた。私なんかよりずっと艶のある黒髪を几帳面に縛って、目尻を吊り上げて笑うあの彼に。胸の奥に渦巻いた複雑な感情を胃酸で溶かそうと、私も、思いついたままにグラスに残っていたお酒を喉の奥へと流し込む。いいね、とニヤニヤ可笑しそうに口角を歪めた硝子は調子付いたようにタオルを額に巻いた店員を呼び、自分と私の分のおかわりを注文した。これは明日に響きそうだ、と感じながらも、いつのまにか私の頬は穏やかに緩んでいた。





「嫌いじゃないよ」



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