「今日から東京高専の学生送迎をメインに担当します、閑夜捺です。よろしくお願いします!」






勢いよく頭を下げた私に向けられる四つの視線。何歳になっても新しい環境に身を置くときの自己紹介は緊張するものだな、としみじみ思いながら地面を見ていると、隣に立つ五条くんがもう顔上げていいよ、なんて、くすくすと面白そうに私に声を掛けてきた。は、はい、と思わず敬語になりながら折っていた体を戻して、改めて彼らに目を向ける。昔その一員だった私が言うことではないのかもしれないけれど、随分個性的な面々だと思った。




東京高専に転勤した私の業務は主に"学生担当"だ。元々京都でも同じように学生担当についていたから大きく仕事内容が変わるわけではない。呪術師の卵として学ぶ彼らを任務の現場に送迎するのが学生担当の主な役割だ。簡易な結界を下ろしたり、式神や其々の術式を用いて任務のフォローをしたり……まだ未熟な1年生には任務の方針やアドバイスをすることも多い。他にも車内でのメンタルヘルスや不安の傾聴なんかも業務として規定されており、人手が足りないという理由から教育という建前で任務に駆り出される彼らを少しでもリラックスさせてあげるのも私達、補助監督の仕事だ。とはいえ、高専は呪術師の養成学校でもあり、呪術師の活動拠点でもあるため、手が空いている時は独り立ちしている呪術師を現場に送ることもそう珍しくはない。冥冥先輩なんかはよく私の個人番号に電話してまで足に使ってきたし、案外その辺りの規約はその場の雰囲気や状態に臨機応変に対応するように、とされている。とにかく補助監督という仕事は呪術師が円滑に任務をこなせるようにその基盤を整える仕事だ。


東京に戻ってきてすぐに同じ補助監督の伊地知くんに挨拶をした時、東京での仕事の流れを簡単に教えてもらった。彼は私より3歳も年下なのにすごく優秀な補助監督だ。物腰穏やかで不快感を与えるタイプではないし、事務作業も得意で子供も好きらしい。彼の仕事への姿勢はすごくカッコいいと思うんだけど、改めて顔を合わせると何せ顔に苦労が滲み出ているなぁと感じた。お疲れ様です、と労うと苦笑いで「閑夜さんも五条さんと頑張ってください」と言われてしまったけれど、五条さんと、とはどういう意味なのだろうか。本人に聞いても曖昧にはぐらかされてしまい、結局真意は分からなかった。





「アンタが悟が言ってた新しい補助監督なのか?」
「しゃけ」
「だろうな、コレか?」





ぼんやりと考え事をしている私を引き戻すように、凛々しい顔立ちの眼鏡を掛けた女の子が私に問いかけた。それに続くようにすこし背の小さい男の子が鮭、と謎の暗号を口にし、隣の大きな……何故かパンダの形をした呪骸は小指を立て、コソコソとこちらに擦り寄ってきた。何から対処すればいいのだろうかと戸惑っていると、不意に、少しだけ離れたところに立っている黒髪の落ち着いた男の子と目が合った。彼もまた視線が交わったことに気付いているようで「……よろしくお願いします」と礼儀良く頭を下げてくれた。気を遣わせてしまったようで申し訳なく思いつつも慌てて頭を下げ返すと左肩にぽすり、と重さを感じて、いつの間にか五条くんがそこに立っていることに気付いた。相変わらず布で目を隠し、髪を逆立てている彼は楽しそうに口元を緩ませている。




「てなわけで、捺をよろしく。僕のお墨付きだから信頼していいよ」
「お墨付きって……」




そんなこと言われてたっけ、と思うより早く五条くんは先程から触れていた私の左肩をそのまま思い切り自分に引き寄せる。突然のことにバランスを崩した私は彼の胸元に顔や体を埋めてしまった。慌てて離れようとするけど彼の手はそれを阻止するかのように力が入り、びくともしなくなった。なんで!?と見上げた私に目を向けない彼は相変わらず緩んだ口元を生徒たちに見せながら、僕のコレだから、と右手の小指を立てた。その言い方と仕草に流石に私も"コレ"の意味に気付いたが、否定の言葉を口にする前におぉ!と顔を見合わせ盛り上がったパンダさんと小さな男の子はきゃっきゃと騒ぎ始め、私の背中に冷たい汗が流れる。ま、まずい、純粋な生徒達が五条くんの冗談を間に受けてる……!このままでは本当に彼の"コレ"として認識されてしまうだろう。五条くんは相変わらず笑ってるし、多分これは私が焦るのを見て楽しんでる。そうだ、彼はそういう人だった。見た目が変わって少し雰囲気が和らいだと思ったけど、やっぱりそんなことなかった!!冗談でも五条くんの彼女と思われるなんてそんな烏滸がましい事できる筈もなく、どうにかして否定したいけれど、すっかり舞い上がった2人は聞いてくれる雰囲気ではなかった。



「ぜってぇ嘘だろ……恵、」
「はい、閑夜さんどうぞ、こっちへ」
「あ、こら恵!いくら捺が可愛いからって略奪愛は感心しないぞ!」
「何を言ってるんだこの人……」



ため息を吐いた女の子は、離れた場所に立っていた彼を「恵」と呼んだ。「恵」くんはそれに小さく頷くと、私の手首を痛くない程度に掴んで自分たちの元へと引っ張るようにしてその場から救い出してくれた。盛り上がりすぎて転がっている2人を見てゲラゲラと笑っていた五条くんは先程よりも力を抜いていたこともあり、私は案外簡単に彼の元から解放される。面白いものを取られたと言わんばかりの五条くんの言葉にじとりと目を伏せた「恵」くんは私を見ると大丈夫ですか、と気遣うように声を掛けてくれた。な、なんて出来た生徒なんだろう……と感動しながら大丈夫だ、と伝えれば、彼は確認するように一つ頷いて私の手首を離した。



「伏黒恵……今年入学した1年生です。よろしくお願いします」
「あ、まだ1年生だったんだね!落ち着いてたからびっくりしたよ。こちらこそよろしくお願いします……」
「……多分、他の人達が落ち着きが無いんだと思います」



入学して間もないはずの彼の疲弊した声に日々の苦労を感じて、お疲れさま、と掛けた私はきっと曖昧な顔をしていたんだと思う。伏黒くんがまぁ……と微妙な返事をしたのが多分答えだ。申し訳ないなと思っている私とは対照的に五条くんは、ちゃっかり挨拶しちゃってさぁ、と拗ねたように唇を尖らせていた。その仕草はあざと過ぎるような気がするけれど、五条くんなら何処か様になっている気がするのはずるいと思う。仕方ないから君たちも自己紹介しなさい、と大袈裟に肩を落としてショックだ、という仕草をした彼の促しに残りの3人も順番に自分の名前を述べ始めた。


眼鏡の女の子は禪院真希ちゃん。禪院、という名前から浮かぶのは当然だが御三家の一つである禪院家だろう。私にとっては京都校の非常に可愛らしい真依ちゃんがここ最近での身近な禪院であったが、そういえば姉がいると聞いたことがあったっけ。あの時の彼女はとんでもなく苦い顔をしていたので深くは聞けなかったけれど……なるほど、2人とも気は強くとも、タイプは違うみたいだ。概要を知る為にも思わず五条くんを見上げたけれど、彼は肯定するように頷いて「真希はあの禪院の娘だよ、まあ相当よく思われてなくて階級の妨害もされてるんだけどさ」と補足してくれた。階級の妨害?と首を傾げた私に彼女は自ら自分の呪術師としての階級が末端の4級であること、生まれながらに呪力が体に宿っておらず眼鏡がなければ呪霊が見えないことを教えてくれた。名門の出自でありながらもこの境遇……恐らく昔ながらの風習が色濃く残る禪院での扱いはいいものでは無かったはずだ。呪術師という道を選んだ彼女の覚悟は並大抵のものでは無いだろう。



「悟の知り合いなんだろ、なら色々と大丈夫だと思ってるよ。これからよろしくな」
「大したことは教えられないかもしれないけど、頑張るね。あと……」
「ん?」
「もし、何かあったら、いつでも相談してね」
「…わかったよ」



一瞬、私の言葉に目を開いた彼女はそれからゆっくりと頷いた。いくら彼女が強くても、子供の彼女には手に負えないこと、苦しくて抱えきれないことが起こるかもしれない。芯が強く凛としている子ほど、人に頼るのが苦手な場合が多いし、その時は私たち大人が支えてあげる必要がある。素直に頷いてくれた彼女に笑い返すと、真希でいいよ、とぶっきらぼうに答えてくれた。



「しゃけ」
「鮭……?」
「あー……コイツは狗巻棘。呪言師なんだ」
「それで、しゃけ?」
「しゃけ、しゃけ」



しゃけ、と魚の名前を口にした彼について真希ちゃんが五条くんよりも早く説明してくれた。こくこくと頷くのを見る限り「しゃけ」は、そうだよ、とかはい、だとか、そういう意味なのだろうか。それにしても真希ちゃんに続き次の生徒は"呪言師"……私たちが学生だった時と比べると明らかに術式のレベルや見出される素質、才覚が高まっている気がしてならない。私自身が特筆するような術式では無いし、大した才能もない平凡な呪術師であったことも相まって、不思議な感覚だ。当時の先輩や後輩にも物凄く何かに秀でたイメージがある人は少ない。……まぁ、五条くんは当たり前として、硝子や……夏油くんも、ずいぶん強くてそれぞれが特別な術式を使えていたから、私たちの代で考えるとあまりその特異性は感じ辛いけれど、確実に今の時代、呪いのレベルも術師のレベルも上がってきている。京都の東堂くんも去年の百鬼夜行での活躍は目覚ましく、学生にして一級術師の称号を得ている。これが何を意味するのか私にはよく分からない。でも、確かに"なにか"が変わってきていることだけは理解できた。



「おかか」
「んで、コイツがパンダ。説明不要」
「酷くない?俺の扱い……まぁそうだけどさ」
「パンダ……くんは、夜蛾せんせ……学長の作った呪骸なんだよね?」
「そう、突然変異呪骸ってやつ」



パンダくんは動物のような見た目をしているけれど、こうして二足歩行で歩き、話し、表情が豊かなところを見ても分かる通りパンダではない。夜蛾学長……もとい夜蛾先生の作った呪いが込められた人形である。呪骸については正直あまり詳しくは分かっていない。私の勉強不足でもあるけれど、呪骸が詳しく説明された資料や本は多くは存在しないのだ。何度か見たことはあるけれど、こんなにも流暢に喋り、さっき狗巻くんと楽しんでいたように心を持ち、感情のままに動くことが出来る呪骸はとても珍しい。改めてよろしくを伝えると2人とも穏やかに頷いてくれて、ほっ、と胸を撫で下ろした。


こうして三人の紹介が終わってから五条くんは一歩引いたところで立っていた伏黒くんの背中をここぞとばかりに「ついでだから恵も紹介してあげて」なんて言いながらぐい、と真希ちゃんたちの所まで押した。少し嫌そうに眉を顰めていた伏黒くんだったが、私を見ると悪いと思ったのかゆっくりともう一度「伏黒恵です、」と名前を述べた。真希ちゃんは彼のことを愛想は悪いが有望な後輩だと評し、パンダくんはそれに付け加えるように「恵は影を媒体とした式神使いだよ」と教えてくれた。影、という単語に思わず反応し、復唱した私に五条くんはニヤニヤと笑みを深める。彼の言いたいことがなんなのかよくよくわかっている私は指を立ててシーっと彼が何か言い出す前に釘を刺して、生徒たちに向き直った。京都に負けず劣らず才能も雰囲気も豊かな面々にこれからが不安でもあり、楽しみでもあった。この場所に関わる仕事ができることはやっぱり純粋に嬉しい。




晴れやかな5月晴れの中、こうして私の新生活が始まる。心地よい風が吹き抜けて、目を細めた私に嬉しそうだね、捺、と口元を吊り上げた五条くんが笑った。それに対して、うん、と複雑に物事を考えるより先に頷いた私に、……アイマスクの下で少し驚いたように目を開いていた彼がいることなんて、私には知るよしもなかった。








皐月晴



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