そこに確かに彼女は立っていた。バクバクと煩くなる鼓動とカラカラに乾いた喉の奥が心地悪くてどうしようもない。僕が、俺が、心から愛した君にこんな形でまた会えるなんて、思ってもみなかった。









一月前、学園長から渡された高専担当の新たな補助監督のリストに見知った名前を見つけた時、時間が止まったような錯覚に陥った。そしてあの日から変わらない名前……というか名字に物凄く安堵したのは記憶に新しい。"閑夜捺"静かで甘美な響きだった。深みのある髪色と何事にも真摯に向き合う瞳が好きだった。ていうか今もなんだけど。昔は結っていた髪は肩のあたりで切り揃えており、ふわふわと揺れる毛先が吐きそうになるくらい愛らしい。輪郭は少し細くなったかな、履歴書に貼られた写真だけでここまで思考を回せる自分もどうかと思うが、仕方ない。やっぱり彼女が綺麗なのが悪い。




捺とまともに顔を合わせるのは実に、8年ぶりになる。この数年の間、彼女が東京で呪術師をしていた時にすら素直に会いにいけなかった自分を何度恨んだか、数えるとキリがない。いつでも会える、そんな言い訳をしているうちに彼女は突然呪術師を辞めてしまい、補助監督へと転向することも決まっていた。しかも、京都で、だ。衝撃だった。その日のうちに硝子のところに押しかけて、何も聞いていなかったのかと問い詰めれば当たり前のように硝子はそのことを知っていて「アンタには言わないだろうな」と冷たくあしらわれ、それはもうめちゃくちゃショックだった。



……勿論、自覚はある。学生時代の俺は彼女に優しくしたことなんてほとんどなかった。彼女にとっては迷惑極まりない話だとは思うが、あの時の俺は本当に、物凄く、素直じゃなかった。年齢のせいとか思春期とか言い訳はいくらでも出来るけど、にしても尖ってたし馬鹿だったと思う。硝子にも……傑にも、俺の気持ちを知っている2人にはそりゃ何度も注意されたけれど、最後まで彼女への態度を軟化させることは出来なかった。俺だって初めは本気で捺が好きなんてあり得ない、と思っていたけれど、2年が始まる頃にはもう完全に墜っこちていた。キッカケはまぁ、色々あったが、普通に付き合いたかったし、キスもしたかった。デートで行きたい場所もめちゃくちゃあった。それでも、最後まで彼女と俺の人生が交わったことは一度も、無かった。






「捺!」
「……五条、くん?」






だからこそ、もう僕はこの機会を逃す訳にはいかなかった。昨日、夜蛾学長に自分が迎えに行くと伝えれば彼はとんでもないとでも言いたそうな顔をして僕を見たが、折れそうにないと悟ったのかため息混じりに「虐めるなよ」と呆れた反応をされた。でも、今の僕は昔の自分とは違う。いろいろな経験も積んだし、彼女への気持ちも整理できている。大丈夫、もう捺を怖がせるつもりはない。もうあんな間違いは犯さない。僕の呼びかけにふわり、と毛先が浮遊して彼女がこちらに振り返る。昔と大きく変わらない顔立ちと、柔らかな色を見せる瞳に胸の奥が締め付けられる気がした。五条くん、と可愛らしい声から吐き出されるいじらしいその呼び方は今でも変わっていないらしい。思わず、ほぼ反射的に彼女へと近づいて顔を寄せた。

どうしても、彼女の顔を僕の目に焼き付けたかった。少し赤くなっている頬も、艶のある唇も、全部が全部愛おしい。ある程度まともに話してカッコ付ける予定だったのにそんなプランはガラガラと音を立てて崩れていく。だって、可愛いんだもの、仕方ないだろ。



昔は全く出来なかった彼女を褒めるという行為がこんなにもすらすら行えているだけでも成長だと汲んでほしい限りだ。今の少し丸みを帯びたシルエットの髪型は穏やかな彼女らしい性格が滲み出ていて凄く似合っていると思う。可愛い、と声に出して言えば捺は更に目を丸くしてゆらゆらと瞳を揺らした。明らかな動揺を隠せない彼女は暫く僕のことをじっと見つめたかと思うと、





「……本当に、五条くん?」





なんて、思ってもみない質問を投げ掛けた。そこで僕も流石に自覚する。彼女にとって今の僕はきっと、別人のような気さえしているのだろう。一応身近にいた硝子は今の僕がすっかり"こう"なっていることを知っているが、長く離れていた彼女にはあの頃の僕が全てだったに違いない。そう考えると頭の奥の方が嫌に痛んだ気がした。当時の僕がどれだけ彼女にキツかったのか、正直思い出したくもない。でもきっと、彼女と改めて関係構築をしないと、僕は彼女と普通に話す資格さえ得られない。あの4年で止まった僕を、彼女の中から動かさないといけない。小さな一歩だけど、今後のための確かな一歩。



軽口を言いながら引き下げたアイマスクとゆっくりとほんの少しの緊張で押し上げた目蓋。直接僕の目を通して見る彼女は光の中に囲まれてすごくキラキラしていて、精霊か何かみたいに綺麗だった。驚きで溢れながらも、僕を見透かすような真っ直ぐな視線は次第に優しさを帯びていく。あ、と零れそうな声を口の中で噛み殺した。今、やっと、彼女と目が合った気がしたんだ。





「……ひさしぶり、」





絞り出すような声だった。彼女もたぶん、まだ戸惑っている。それでも僕を少しでも知ろうと、受け入れようとしてくれたことは伝わった。それがどうしようもなく嬉しくて、こみ上げてくる感情が止められない。僕も彼女と同じ言葉を返した。本当に、ひさしぶりなのだ。不思議なもので何年ぶりかにあったのに、燻り続けていた彼女への想いは全く色褪せていないらしい。彼女の好きなところ、好きな仕草、好きな表情、ぜんぶ、ぜんぶ、覚えている。この呪術高専で学んだことも、過ごした思い出も、忘れられる筈がない。


……忘れていた訳がない、想わなかった時間はない、なのに、どうしてここまで高揚してしまうのか。まるでまた、改めて恋に落ちたような美しくて、もどかしい感覚。酷く触れ難いのに、触りたくなる矛盾した感情。ただそこにいるだけでいいと思いながらも、俺のものになって欲しい欲望。恋に落ちた、なんて言ったけど、本当はそんな生易しいものではない。捺を手に入れたい、と、全てが奥底から湧き上がり、溢れ出す。こんな感情どうしてやればいいんだろう。世の中の人間は、どうやってコントロールしているんだろう。いますぐに俺に教えて欲しい。







このままでは自分が抑えられないような気がしたので、学長の元に案内する、と適当な理由を付けて彼女の手を取った。昔は手首をぶっきらぼうに握ることしか出来なかったが、今は違う。僕より一回りも二回りも小さな掌を潰さないよう丁寧に包み込んで歩き出した。僕達はとっくに高専の制服を脱いでしまったけれど、今こうしている間だけはあの頃に戻れた気がした。ま、あの頃だとこんな真似出来てないんだけどね。学長のいる寺院の扉を開ければ、奥に座っていた彼は少し目を細めて俺たちを見つめる。多分学長も僕たちと似たようなことを感じているんだろう。ゆっくりと立ち上がり彼女の前まで歩き出した彼に若干不本意ではあるが、捺を明け渡すように軽く背中を押した。振り返った彼女に頷いて行っておいでと促すと、こくりと小さく頷いて彼に向き直る。夜蛾"先生"は穏やかな笑顔を浮かべた。





「まずはこの言葉を贈ろう。……おかえり、捺」
「……!はい!」




はっきりとした声で頷いた彼女は益々当時の面影を色濃く滲ませた。真面目で、丁寧な、俺たちの中で唯一の模範生だった彼女を学長は忘れはしないだろう。飯を食いに行った時、お前たちには手を焼いていた、と懐かしそうに話す彼の姿をふと思い出して、この人もやっぱり人の子だなと薄く笑みを浮かべた。きっと何かが変わる予感がする、そんな根拠のない自信と未来への期待を胸に、僕にとっての2018年度がゆっくりと幕を開けた気がした。







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