ボタン一つ一つを丁寧に外して暴かれていく彼女の体にぞわりとした感覚が背中を駆け巡る。後ろに見える沖縄の美しい海と空の鮮烈で、目が痛くなる鮮やかさに負けないくらい、僕にとって捺は輝いて見えた。










彼女からの少し気恥ずかしそうなおはようで目覚め、暫くは腕の中の愛しい体温を逃さないように捕まえていたけれど、もうすぐ朝ごはんだよと突かれたので仕方なく体を起こした。窓から見える海は太陽の光を受け入れ、透き通って底まで見えている。やっぱ良いなここは、と口角を緩めながら彼女が先に向かった洗面台にまで歩き出し、二人並んで歯磨きをするこの絵面が普通に恋人っぽくてやっぱりニヤけた。寝起きで少しぼんやりしてる姿すらも可愛いなんて最強過ぎない?と思いつつ、布団を畳み、二人で机を戻して準備をした。これもまた共同作業ってやつだなぁ。




「よく晴れて良かったね」
「うん、これだと周りも探索しやすいかな」
「……じゃなくてほら。や、それもするけどさぁ」
「え?」




きょとん、と箸とお茶碗を持つ捺が首を傾げる。まさか忘れてる!?と驚きつつ「水着!!」と主張したけれど彼女の反応は物凄く薄いものだった。あぁ……と遠い目をしながら沢庵を一枚取ってポリポリと口に入れて飲み込んでから「本気?」と尋ねる捺に大きく首を縦に振る。寧ろ今回の旅行はこの為と言っても過言ではないだろう。まさにメインイベントに違いない。期待を込めて真っ直ぐ見つめた事と、僕が彼女の為にお金を払ったという事実が効いたのか、深いため息の後、着るだけね、と許可してくれたので思わず机の下でガッツポーズした。最高だ。人生のやり残したリストの一つが今日で消える事になる、それだけで胸が高揚する。まだまだ彼女と出来ることで"やり残していること"は沢山あるけれど、ここ数ヶ月で少しずつ斜線を引くことが出来ているのが不思議で、尚且つ嬉しくもある。約10年近く動きがなかったのに、案外分からないものだなとつい笑ってしまうのは、僕が大人になったからだろうか。もう一度視線を窓に向ける。楽しみだなぁ、と溢れた素直な声に視界の端で見えた彼女が曖昧な微笑みを浮かべたのが分かった。





時計が9時を示す少し前、準備を終えた僕達は白々と広がる砂浜へと降り立った。流石山奥のプライベートビーチというところだろうか。人気はなく、サクサクと二人分の心地よい足音と、寄せては返す波の音が鈍く、重い響きを辺りに散らしているだけだった。捺もこんな光景を見るのは珍しいのか、ワンピースを緩く靡かせながらきゅ、と目を細めている。確かにサングラス無しじゃ眩しいくらいの白だ。たまにまばらに青や茶色っぽい角の取れて丸くなったガラス片が転がってはいるが、それはあくまでアクセントに過ぎない。特に理由もなく二人で並んで奥の方にまで歩いた。どこまでも続きそうな海岸沿いに大きさの違う足跡が付いて、それだけでも言い知れぬ喜びを感じる、朝のまだ誰もいない、踏み込んでいない、2人だけの世界なんて案外ロマンチックじゃないか。





「貝殻も落ちてる……」
「向こうじゃこういうのすらも中々見ないもんね、ほら」
「これカニ?」
「そう、ちっさいやつだけど」





適当に歩いていた生き物クンを捕まえて手に乗せると彼女は子供みたいに目を輝かせた。こんな事でも喜ぶなんて、と笑ってしまった僕にハッとしてから少し不満そうに唇を尖らせた彼女は、パタパタと砂を巻き上げながらもっと奥へと走っていった。一歩進む度に沈み込む特有の感覚を楽しみながら追いかけて、尻尾みたいに揺れる薄手で長いワンピースの裾に焦ったさが込み上げていく。旅館の部屋から出る前に「恥ずかしいから」と彼女が上から羽織ったそれは、確かに最初は別に悪くないと思っていた。他の男に見せるなんて癪だし、帰りの少し冷えた体を労れるし、止める理由もなかった。……が、ここまで焦らされてしまうと流石にこちらも気持ちが急き始めるというもので、獲物を追うような気分で捺の後ろを走る羽目になっている。これじゃイタチごっこだ。なら、腹を決めるしかないだろう。ふ、と立ち止まった僕に彼女も気付いて足を止める。ゆっくりと僕の方に振り返り、首元で髪の毛が少し浮き上がった。その様子を見てから大きく息を吸って、そして、






「捺!」
「ん?」
「…………脱いで!!!」






ストレートな懇願だった。でも、これ以上気の利いたことが思いつかなかった。数メートル離れた場所で僕の声掛けにぱち、瞬きした彼女。数秒の沈黙と潮鳴りの音。そして捺はゆっくりと、丁寧な動作で一つずつボタンを外していく。ゴクリ、と唾を飲み込んだ。妙な緊張が辺りを支配して、少しずつ心拍が大きくなっていく。捺3""





首元から胸あたりまでを綺麗に覆う細やかなレース、そのサイズ感を主張し過ぎないトップ部分、ハイウエストなデザインで裸出を抑えるアンダーそして、その二つを繋いでいるかのように見せている臍上で結ばれたリボン。黒で統一された刺激的なビキニは誰かの目を惹くのに十分すぎる魅力を放っている。白い肌一層際立てる攻めたその色に僕はもう釘付けになっていた。細くてすぐに掴めそうな腰も、ある程度の肉感がありつつも十分な長さの脚も、すっきりと細くて見栄えの良い二の腕も、全部が綺麗だ。彼女にコレを選んだ時は多少なりともそういう煩悩があった筈なのに、ここまで美しく着こなしてしまった事でさっぱりそんな気持ちが抜け落ちてしまった。残されたのは確かな衝撃と、彼女への苦しいくらいの愛情だけだ。





「……どう?」





少し不安げな声で捺は尋ねた。僕が選んだ水着を着せられている立場なのに、こうして聞いてくる姿がいじらしくて堪らなくて直ぐに彼女の側へと駆け寄った。なんて、言うべきだろう。今の捺を表すのに一番適した言葉が中々思いつかない。可愛い?綺麗だ?それだけじゃ、足りない。全然足りない。彼女への好きを表現するのに上手く言葉が出てこない。何度か口をまごつかせてから、見上げてくる捺の髪に手を伸ばした。毛先をくるり、と指で遊ばせて少しくすぐったそうに目を細めた姿に「言いたいことがあり過ぎて逆に出てこない」と素直な自分の今の気持ちを伝えると、彼女は少し驚いた顔をしてから一度目を伏せて何かを思案する。そして、改めて質問を投げかけた。






「……似合ってる?」
「……似合い過ぎて、どうしたら良いか分からないくらいには」






捺は僕の答えに恥ずかしそうにしながら、ありがとう、と口にした。本当はそのまま抱き締めたかったけれど、するり、とすり抜けるように彼女は僕から距離を取る。つい、手を伸ばして引き留めようとしたけれど既に捺は波打ち際へと向かっていた。そこでやっとこの水着の後ろが半透明に透けて背中が見えている事に気付いて、反射的にぎゅっと拳を握り込む。正面からだと綺麗で後ろからだとエロいってどういうことだよ、とアンバランスな色気に心を乱されつつ、一先ず彼女の元へと駆け寄った。




足先だけを海に付けてその冷たさに声を上げる彼女は楽しそうだ。僕から逃げたのに思わずこちらを見てこんなに冷たいの?なんて笑う顔はとても無邪気で気が抜けてしまう。そうだよ、と肯定するように頷いて両手に水を掬って見せてやれば一点の濁りもないそれに「すごい……」と最早感動まで抱いている。……みたいだけど、勿論それじゃ終わらせられない。ニヤリと密かに口角を歪めて、僕はそのまま捺の方へと思い切り腕を動かした。そして、へ?と、ぽかんとした表情で固まる彼女の顔面に容赦なく塩水をぶちまけてやれば、短い悲鳴と共に捺は俺から遠のいた。見事直撃したそれにポタポタと毛先から水滴を垂らし、頬から首筋、そして胸元のレースへと水が流れていく。前髪が少し肌に張り付いて呆然とした様子でこちらを見る彼女に俺はケラケラと声をあげて笑った。





「五条くん…………?」
「なに、どしたの?」





全てを悟った捺は恨めしそうに俺を呼ぶ。それに、何でもないようにあっけらかんと返した言葉で見事に俺たちの間に火蓋が切って落とされた。少し深いところにまで移動し、バシャバシャと白い波を掛けてくる捺の攻撃を避けながら俺も同じように掬っては投げる要領で彼女に水を掛け続け、もう!と口に入った塩水に少し嫌そうな顔をする捺に喉を鳴らし、込み上げる不思議な懐かしさに何も考えずに笑った。仕返しされてはやり返し、されてはやり返しを繰り返して浅瀬を動き回っても尚濁り知らずの沖縄の海はやっぱり関東とは色々な意味でレベルが違う。ぺたん、と水を吸ってふわふわのボリュームが無くなった代わりに、艶が出て、水着がてらてらと光って扇情的な色気を漂わせる捺にほんの少し熱の篭った息を吐き出した。遠くからは徐々に増え始めた旅館に宿泊していたカップルらしき声が聞こえる。……もう、この時間は終わりか、と何処か寂しい思いを抱えたけれど、そのせいか、隙あり!と目の前に迫っていた捺をほぼ反射的に避けてしまった。まずい、と思った時にはもう勢い余った彼女はそのまま海面へと倒れ始めていて、咄嗟に手首を捕まえて自分の胸元へと引き寄せたけれど力加減が上手くいかなくて勢いのままに俺と捺は大きな水飛沫をあげてその場に倒れ込んだ。大した痛みはない。受け止めた彼女は目を丸くはしていたけれど、怪我はないみたいだ。耳元で波がゆっくり寄せる音とチャポチャポという水音が聞こえる。伏した彼女と視線が交わり、そして俺たちは、






「……」
「…………」
「……っ、ふふ」
「ッくく、」






笑った。揃って浅瀬に倒れて終了なんて、あまりにくだらない結果だった。堪え切らない笑いに揃って目尻を下げながら肩を揺らし、しょうもなさを共有する。あー、と意味の無い言葉を発して目元を拭い、どうしようもねぇな、と言った俺に捺は砂浜に髪が付くのも気にせず「ほんとにね」と笑顔で大きく頷いた。そして、笑いが収まったお互いの顔をどちらからという訳でもなく見つめ合った。



彼女の濡れた長いまつ毛は強い日差しに照らされてキラキラとダイアモンドダストみたいに輝いている。居心地悪さを感じない沈黙が二人の間に流れて、単調に繰り返される水同士が触れ合うザザ、という音が鼓膜を刺激した。このまま眠りに落ちることが出来そうな安心感のある音色に自然と何度か瞼を閉じては開いてを繰り返す。…………捺の瞳は綺麗だ。穏やかな心情で彼女の頬に手を伸ばし、垂れ下がっていた横側の髪を耳に掛けてやった。心の奥が温かくなるような柔らかな美しさから離れるのが惜しくて、つい、そのまま指先で頬を撫でた。動物みたいにきゅ、と目を細める仕草がひどく愛おしい。じわじわと波で削られる砂浜に合わせて理性を擦り減らしながら顔を寄せていく。そして、ほんの少し、もう少しだけ持ち合わせていた良識と道徳感を自身の中でフル稼働させて、彼女の火照った唇の“隣"にそっとキスを落とした。ぴくり、と揺れた体と離れて見えた潤んだ瞳に、押し切れば良かったかな、と後悔しつつも水を掻き分けて俺は捺より先に立ち上がった。






「そろそろ向こう、戻ろっか?」
「……うん、」





俺が差し伸べた手を彼女がそっと握ったのを確認してから来た時の道を辿るようにビーチを踏み歩く。緩やかに繋がった二人の影が白い砂浜にとても映えていた。きっと今の俺たちは取り留めのないカップルに見えるんだろうな、と思うと悪くない気がして、口元を緩める。つい、学生時代に戻ったみたいに騒いでしまったけれど、たまにはこういうのもアリだろう。彼女と紡ぐ事のなかった思い出を今になって書き足しても、文句を言う奴なんてきっと居ないはずだ。他のカップル達が居るところまで来れば少し視線を集めているのが分かったけれど、寧ろ見せつけてやればいい。俺たちがお似合いだって事を知らしめてやればいい。少し力を込めて捺の手を握り直した。ぎゅ、と返された答えに少し視線を落として彼女を見た。 そして、旅館に戻って丁度すれ違った夜中まで愛し合っていた例のカップルの彼女に声を掛けられた捺が過去最大級に慌てているのを見て、俺は更にニヤニヤと満たされるような気分を得たのだった。



潮風と君と



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