「いるね、これ」
「……うん、小さいけど量が多いかな」






犇めいて群がるような濃い緑の茂る森をじっと見つめる。肌に感じるのは確かな呪霊の気配と森全体に広がる邪気のようなもの。旅館の裏側に位置する山全体に及ぶ不穏な気配は私達の気を引き締めるのに大きな役割をもたらしていた。少しの沈黙の後、いこうか、と告げた彼の背中に続くように私も歩き始める。道と呼ぶにはあまりにもお粗末な、少し草木が禿げているだけの地面の上を。










とくとく落ち着かない心臓のまま部屋に帰ってから、私達は一度水着から探索向きの服に着替えることになった。初めは海に行くなんて、と渋っていたけれど、実際に沖縄の白い砂浜と青緑色の水を見ると気分が上がってしまった。今まで生きてきて着たことがないような露出の多い水着を見せるのは抵抗があったけれど、彼にあんなにも真っ直ぐに頼まれては断り切れず、上着を脱ぎ捨ててしまった。肌をくすぐる潮風が落ち着かなくて「どう?」と恥ずかしさを誤魔化すように彼に感想を尋ねると、五条くんは何か言いたげにしながらも、私の毛先を指で遊ぶように触れて、言いたいことがあり過ぎる、なんて呟く。誤魔化しているわけじゃないのはその表情を見ればすぐに分かった。




「……似合ってる?」
「……似合い過ぎて、どうしたら良いか分からないくらいには」




どうしてそんな言葉を彼は口にすることが出来るのだろうか。ぎゅ、と胸の奥が苦しくなって、海にも負けないくらい綺麗な目がゆるり、と溶けそうな柔らかさを秘めている。向けられる素直な行為に慣れなくて逃げ出した私を咎めない彼の優しさに甘えてしまっている自覚があった。……まぁ、その後すぐに容赦なく水を浴びせられてしまったのだけれども。



……こんな風に、五条くんと2人で何も考えずに遊んだことなんて、今まであっただろうか?呪術師としての生活は忙しかったし、少し寄り道するのは決まって4人で任務に出た時くらいのものだった。彼の2人の任務の時は必要以上のことを話した記憶はあまり無いし、大抵いつも彼に迷惑をかけていた気がする。それが申し訳なくて、情け無さと不甲斐なさで私は俯きがちだった。だから2人で海なんて……想像したことも無かった。飛沫のどれもが透き通っていて、美しくて、心が洗われていく。五条くんは寒い場所が似合うと思っていたけれど、不思議とこんな南国ですら違和感はなかった。どちらかと言えば彼は東京のようなビル街を歩く方が不自然なのかもしれない。神秘的で、思わずこうして目を細めてしまうくらいの輝かしさを見るのが、私は好きだった。


結局、揃って海に半身を浸からせてしまった私たちは顔を見合わせて笑った。こんなに、ただ可笑しくって笑ってしまったのはいつぶりだろう。最近は暗い事件が多くて忘れていた、子供みたいな気持ちが弾けてしまった。沖縄の開放的な空気がそうさせるのかもしれない。暫く体を揺らして、それからゆるやかな沈黙が訪れる。全くの無音では無くて、波の音や風で揺れる草木の音に鼓膜が揺れ、雄大な自然を感じて小さく息を吐き出した。隣にいる彼もいつになく穏やかな表情で目を閉じている。……今回の任務は、彼にとっても息抜きになっているのかもしれない。私には五条くんの感じる苦労の全てを知ることは出来ないけれど、それでも、こうやって、全ての荷を下ろす姿を見ると安心することができた。彼は、私なんかに心配されるような弱い人ではない。でも、それでも、心配してしまうのは五条くんが人間であり、友人であり、紛うことなき私の大切な人だからなんだと思う。


そっと長い睫毛を瞬かせた彼はゆっくりと私に目を向ける。五条くんの吸い込まれそうな瞳にこうして見つめられると、なんだか少し思考力が落ちていく気がした。私は、五条くんの手が不意にこちらに伸びてくるのを拒まなかった。優しい手つきで濡れた髪を耳に掛けてくれた彼はそのまま擽るみたいに頬に触れる。思わず目を細めてしまった私に五条くんは溶けそうな、甘い表情を浮かべると、極々自然な動作で顔を寄せた。あ、と咄嗟に目を閉じたけれど、リップ音すら鳴らない柔らかな口付けは私の口角のあたりに落とされて妙な恥ずかしさが込み上げる。目を閉じてしまうなんてそんなのまるで期待してたみたいじゃないか、とじわじわ熱くなる顔を自覚しながら彼に促されるままに手を繋いで旅館へと足を進める。大きな背中は何処と無く機嫌良さそうに見えて、それがまたなんだか照れ臭い。そして、早く帰って調査に気持ちを切り替えないと、と思った直後にアカリさんとその彼氏の男性にばったりと出会して昨夜を思い出し慌てる私に笑うのを隠さない五条くんを恨めしく並んだのは言うまでもない事だ。








今朝のことをぼんやりと思い出しながらひょいひょいと山に入っていく彼の後ろをついて歩いた。携帯で確認した時刻は11時前、といったところで探索に使える時間はひとまずは1時間ぐらいだろうか。明らかに怪しい旅館の夫婦や従業員に勘付かれないようにお昼ご飯の時間までには戻る必要がある。旅館の丁度裏手にあるこの山には人の手が殆ど加わっていないらしく、整備された道は存在しない。ツアーを組むくらいなのだからある程度の指標として簡単な順路を作る方が自然な筈なのに、近くを見回ってみても、唯一私達がこうして入った場所のみが獣道として少しのガイドがあるだけだ。五条くんは「獣が入れるなら人間も通れるって言うでしょ?」と何だか楽しそうだったけれど……何年もここで赤綱縁結びの模倣を売りにした儀式をしているのにここまで手が入っていないのはやはり不自然な気がした。


呪いの気配自体は山に踏み入れた時から感じてはいる。だが、いかんせん数が多いのだ。それを今から一つ一つを特定するにはあまりに無謀だと言わざるを得ない。経験則からしても小さな呪力を発するものが同じ場所に多く生息している場合は大元の"きっかけ"が悪さをしている可能性が高い。ならばそこを叩く方が建設的だ、という結論に至った。五条くんも同じようなことを考えていたらしく、無闇な刺激はしないと手をひらひらとさせていた。今回の任務は彼がいる分、祓えなかった、という失敗はまず起こらないだろう。ならば気をつけるべきは被害者を極力減らす、もしくは出さない事が一番だ。交流会では夜蛾学長から特例の許可が下りていたけれど、基本的に普通の任務に同行する時は私はあくまでも補助監督に過ぎない。近隣の被害を抑え、呪術師が最大限力を出せるようにサポートするのが私の役目であり、仕事なのだ。



まず、間違いなく今日の夜の"儀式"の時間に相手は何かしらを仕掛けて来るはずだ。何も知らない一般人が参加してしまえばそれだけでアウトな可能性は高くなる。ならば私たちが一番初めの参加者になり儀式を中止する他に手段はないだろう。彼にこの作戦について伝えると「まぁ、そうなるだろうね」と頷いていたので多分問題は無いはずだ。……とはいえ、儀式の内容はおろか、場所や人数もまだ分からない。内容は現時点でサラギさんやキョウダさんに尋ねても教えてくれはしないだろう。これらを踏まえて今私たちに出来ることは場所の確認くらいなものだった、というわけだ。





「やっぱり、夜もここから入るのかな……」
「それかあの2人しか知らない抜け道があるかだろうね」
「なら取り敢えず儀式の場所は見つけたいけれど……」
「……多分、近いと思うんだけど」





五条くんはよく"視える"目を持っている。でも、それとは別に昔から勘が良く、彼が近くにありそうだと言った時には大抵本当に近くにあったりする。家計や血筋の影響なのか、それとも彼の本質なのかは分からないけれど今回もそれは見事に当たったらしい。真っ直ぐ突っ切ってきた私達の前に突然林が開けた場所が見えてきた。……道だ。簡素な木の板で作られた階段が上下に続いており、私達が出たところはちょうど踊り場のようになっていたらしい。ビンゴ、と指を鳴らした彼に流石だと感心しつつ、私達はそのまま一列に並んで階段を上ることにした。


階段の幅は案外広く、五条くんのように大き過ぎない限りは男女が並んで歩くことも問題はなさそうだ。カップル限定、と銘打っている以上、手を繋いでここを通るなんてイベントも考えられるし、それなりに理にかなった作りをしている。周りには電気のようなものは一切無く、夜になれば灯りがなければまともに歩ける気がしないけれど……ランタンか何かを持って歩くことになるのだろうか。儀式というよりは最早肝試しみたいだけれども、それも所謂綱渡り効果になるのかもしれない。





「お、」




私がそんなことを考えていると不意に五条くんが声を上げた。彼の背中の端から覗くようにして私も前を見ると、階段の横に鬱蒼としていた木々が途切れ、その奥に広い空間を作っているのが見えた。更に近づくにつれてじわじわと感じ始める確かな呪力と共に見えてきたのは、中央に生えた大きな樹木だ。確かにそれは伝説通りに2本の大きな木が寄り添うようにして生えているけれど、その根元のあたりは何故か空洞になっていて、人が2人程度なら入れそうなスペースが木の根によって出来上がっていた。羽毛のような白い物も敷いてあるし、ここで何か行うイベント、ということなのかもしれない。確かにこれは御利益がありそうだ、と思ったけれど、蹲み込んで揃ってそこを覗き込んだ私たちは思わず言葉を失った。






「……これ、は……」
「うわっ、キモッ!!!」





ストレートな彼の言葉を咎める気持ちが起きない、それほどまでに空洞の中は異様だった。遠目から見て羽毛のように見えていたそれは全て"何かの抜け殻"だったのだ。柔らかさなんて感じられない乾燥したそれらは夥しいまでの数で寄せ集まり、巣穴のようなものを作り出している。1つ2つならまだしも、流石にこんな量の抜け殻には生理的な嫌悪感を抱いてしまい、若干気分が悪くなってきた。五条くんはその内のひとつに恐る恐る手を伸ばして摘み上げたけれど、それは一枚が白く、とても細長くて、すぐに何の抜け殻なのか想像が付いた。





「……蛇?」
「……みたいだね。こんな量の蛇の抜け殻とか初めて見たよ僕」
「私も初めてだよ……なんでこんなに……」





パキパキ、とそれを握り潰して粉微塵にした彼は嫌そうに手を払い除ける。一応これら自体には呪力は感じないし、本当にただの抜け殻みたいだけど……にしても普通とは言い難い。彼から聞いた赤綱縁結びの伝説には蛇は関わっていなかったけれど、別件、ということだろうか。……でも、そういえばこの旅館は縁結びの元となった木を使用しているわけでなく、単なる模倣だったはずだ。ならば別件も何も、初めから"赤綱縁結び"とは関わりが無い可能性も高いのでは無いだろうか。ただ旅館が求めているのは赤綱縁結びに参加する"カップル"の存在であり、もっと言えば昨日の彼の話から察するに男性では無く女性を必要としている。そして、女性だけに出来ること、というのは、







「…………繁殖……?」







私が呟いた言葉に五条くんが視線を向ける。かもね、と答えたその声にはあまり感情を感じられない。あんな数の抜け殻……しかも、一つ一つが短く、普通の蛇程度の長さしか無いことを踏まえても大蛇に扮した呪いや近しい存在、とは考え難い。それよりは親玉……それこそ大蛇やみたいな立場のものがたくさんの子を産み、野に放っていると考える方が幾分か自然に思える。五条くんの感じたイメージが本当ならば、彼らはツアーを通して繁殖に使える"雌"を探している、ということだろうか?これが本当ならば、確実にこの場所に導けるように赤綱縁結びの伝説を利用し、暗い闇の中へ誘い、ここで捕らえている……そういう仮説が立てられる。でも、ならどうして女性限定のツアーにしないのだろうか?





「捺が昨日奥で見たっていう浴衣には白い物が付いてたんだよね?」
「う、うん……」
「それって女性モノ?それとも男性?」
「……その時着てた私のとデザインは似てたけど、同じじゃなかった」
「……なら男の可能性もあるね。あとでもう一回僕が着てたの確認しようか」





五条くんの提案にこくりと首を縦に振る。昨日私が見た白い物はもしかして"これ"なのかもしれない。でも浴衣は何故か汚れていたし、初めは土か何かだと思ったけれど……古くなった血液、という可能性も無くはない。もしアレが男性物の浴衣で、抜け殻が付いていて、汚れが血液だった場合は恐らく雄はそれこそ食料か何かにされてしまっていることもあり得る。女は子供を産ませるために、男はその子供たちの養分に、そういうホラー映画やドラマが頭を過って寒気がした。事実かどうかはまだ確定出来ないが、完全にその線を捨てるには早すぎる。




「捺、もう一つだけヤなこと言ってもいい?」
「……うん、聞くなら今全部聞く方がいいかな」




いい心掛けだ、とこんな時でも笑った彼はぐるりと辺りを見渡して、スッと目を細めると少しだけ屈んで「見られてる、僕たち」と耳元で囁いた。背中に冷たい汗が流れる。確かに、この付近には呪力を感じていたけれど、今もどうやら私たちは監視されているらしい。それが旅館の誰かなのかは分からないしどんな存在なのかは今は検討がつかないけれど、そこら中からじっくりと目を向けられているのは確かなようだ。




「……多い?」
「はじめ感じてたのと同じで弱いけど数はめちゃくちゃだね。さっきの見るにあの皮を脱いだ子供達が濃厚かな」
「それって……ここ自体にある呪力とはまた別なのかな」
「……判り辛いね、似てるとは思うけど囲むみたいに僕達を見てるコイツらとは別の個体かも」





そこまで話してから、帰ろうか、と努めて明るく言う彼は私に手を差し出した。その意図を汲んで頷いて握り返した私にもじわり、と五条くんの呪力が行き渡ったのが分かる。多分彼は今、私にも無下限を分けてくれている。来た道を辿り、万が一、向こうに悟られないように途中から階段を逸れて山道を下っていく。旅館の近くへと戻ってきた私に彼は「沖縄と蛇に関する呪いとか、そういうの調べようか」と静かに言ったので同意を示すように手を強く握り返した。部屋のドアを隙間無く閉めて、私に振り返った彼は真剣な顔で私を見つめて、軽く息を吸って言い放つ。







「……捺は多分、もう既に狙われてるよ」






浮かんだのは信用ならないくらいに綺麗なキョウダさんの笑顔。執拗までに私に綺麗だと伝えるあの声。ぞわりと鳥肌がたった腕を庇うように撫でて「……気をつけるね」と伝えた声に五条くんが心配そうに眉を顰めた。これで何を調べるべきかはハッキリした。後はどうやって対策を立てるか、それだけだ。大丈夫、と彼に伝える。ここからは私の、補助監督の領域に関わってくる話だ。彼が迷いなく動けるように、残りの数時間を情報収集に充てる。私は机の上でノートパソコンを開いてコンセントに深く充電ケーブルを挿した。






ヌケガラ



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