青々とした木々が揺れる。チラチラと光の粒が舞って木漏れ日が辺りに反射するのをぼんやりと眺めた。自然に囲まれた山奥にある少し古めかしい建物は私の記憶の中に強く、強く、印象付いて離れない。きっとこの場所で過ごした4年間は一生忘れられないんだろう。



それでもまさか、私がここに戻ってくる日が来るなんて、思ってもみなかった。








当時より少しだけ短くなった髪が風で乱れるのを押さえながら小さく息を吐き出す。当時何度も何度もくぐったはずの門なのに、流石に10年近くご無沙汰だったブランクは大きい。ほんのりと染み渡る緊張を感じながらも一礼をしながらゆっくりと木造の敷居を跨いだ。ふ、と空気が変わるような満ち溢れた呪力に対して心地良い、と感じるようになった私は、随分呪術界に毒されてしまったのだなと苦笑いする。……実際私が卒業後キッチリと呪術師として働いていたことなんて3年ぐらいしかないけれど、それでもやっぱり呪力に触れて生きてきた分、学生時代はあまり気付かなかったこの建物の特異性には驚かされる。


"天元"による術式により固有結界が張られたこの場所は、未登録の呪力に反応するような防衛システムとなっていた。……現代的な原理とは言えないけれど、少ない学舎と生徒達を守る為に必要不可欠だ。





周りの木々が京都校では紅葉や銀杏の木が多かったのは土地柄なのだろうか。東京はそんな事なかったな、と、かつての自分の学生時代の秋を思い出したけれど、京都で見た、あの目を見張るような秋の景色に対する記憶はあまり無い。去年は葵くん達や真依ちゃん達に誘われて焼き芋を食べたけれど、すごく美味しかったなぁ。綺麗な自然の中で食べる美味しいご飯は格別だ。……私みたいな補助監督を気に入ってくれていた彼らには本当にとても感謝している。楽巌寺学長も東京高専出身の私を受け入れて良くしてくれたので本音を言うと、少し京都から東京に戻るのは寂しく思っていた。





……でも、ここに足を踏み入れて感じた懐かしさや目を細めたくなるような"この感覚"にはどうにも心が、震える。4人で確かに過ごしたあの日々は、辛いことも、悲しいことも、たくさん……本当にたくさんあったのに、それでも"いい思い出だった"と言えるのは何故なのだろうか。どれだけ苦しかったとしても、私にとってあの4年間はかけがえのない、忘れられない青春だったと言える。今でもたまに連絡を取っているさっぱりした性格の硝子、いつも柔らかく笑って優しかった夏油くん、





そして、一度知れば、あの瞳を知れば、忘れる事なんて出来なくなる。……そんな存在感を持つ彼。色素が薄くて、背が高くて、何でもできた、いつも眩しかったあの人。私が何をしても、どこまで努力しても、足元にすら手が届かなかったあの人。






「捺!」
「……五条、くん?」






不意にかけられた声にびくり、と肩を揺らす。振り返ったその場所に立っていたのは呪術師特有の真っ黒の服を着てひょろりと背の高い……黒い布を目元に巻きつけ髪を上げている明らかに不審な男性だ。彼は長く伸びた足で私の方へと近付くと少し体を屈めて「久しぶり!元気にしてた?ていうか髪下ろしてるのめちゃくちゃ可愛いね」と矢継ぎ早に告げたが、私の頭は酷く混乱していた。勿論、彼が呪術界最強の男"五条悟"であることは知っている。呪術に関わる人間で彼のことを知らない人は恐らく居ないだろう。それに加えて彼は私の高専時代の数少ない同級生だ。忘れられるほど多くの人数も居ないあの環境での知り合いだ。分からないはずが無い。……だけど、どうにも私の記憶と今目の前に立っている彼には齟齬が生じてしまう。それは見た目だけの話では無い。私と彼はこんな風に気軽に話せるような関係では無かった筈だ。寧ろ、私は当時彼に……五条くんに、酷く嫌われていたのだから。











「ねぇわ」





吐き捨てるように呟いた彼は、地面に倒れ伏した私を静かに見つめていた。宇宙の全てを閉じ込めたみたいなその瞳は私の弱さ全てを見透かしているみたいで、いつも苦しかった。私の元々少ない存在意義や自信を細切れにするような鋭い眼差しが苦手だった。彼に悪気があるわけでは無いと分かっていても、この苦手意識はずっと治らなかった。五条くんは私に無いモノ、いや、他人にないものを全て持っていた。20歳にも満たないその年齢で、大半の人間が持ち得ない物の大抵を持っていた。羨ましい、そんな感情すらも掻き消えてしまうほどの絶対的な存在。彼のことが恐ろしかった、彼と対峙するのが怖かった。それでも、五条くんはいつも綺麗だった。


悟、と彼を制するように声をかけた夏油くんにさえも目を向けず五条くんは舌を打つ。捺、と私の名前を呼びながらすぐ隣に蹲み込んだ彼はその青い眼と色素の薄い睫毛で私を見た。そこには勝者の笑顔なんて安っぽいものは浮かんでいない。佇んでいるのは見定めるような視線と、苦々しく寄った整った形の眉だけで、私を無条件に馬鹿にする態度ではなかった。私は、彼のことが嫌いではなかった。苦手だと思うことは多々あっても、彼の根幹にある考え方や人間性は、寧ろ好きな方だったと思う。ただの生徒同士の訓練でも、実力差しかない私にこうして本気で挑んでくれて、本気で叩きのめしてくれるだけ、有り難いとさえ思っていた。私と貴方には埋まらない反り立つ崖くらいの実力差があるのに、五条くんは在学中一度も手を抜かなかった。

歯を食いしばって震える腕に力を込めて体を起こすと夏油くんの心配そうな声と硝子の不愉快そうな表情が見えて、思わず笑顔を作る。それは自分は大丈夫だ、と伝える為の行為だったが、ますます2人は顔を険しくさせてしまった。あぁ、また間違えてしまったのだろうか。



「お前、」
「五条くん、ありが、とう」
「……はぁ?」
「ほんき、だしてくれて」



私の言葉に彼は分かりやすく顔を歪める。私にとって五条くんはある種の憧れだった。だからこそ、彼が本気で向き合ってくれたのは有り難かった。五条くんは暫くそうして私を見ていたけれど、不意に立ち上がると私を見下ろし、綺麗な造形で出来た唇を開いた。





「お前、いつか死ぬぞ」
「……私も、そう思う」





ケッ!と明らかに不機嫌そうに顔を逸らした彼はそのまま何処かへ歩いて行く。道端に落ちていた少し大きめな石ころを思い切り蹴り飛ばした勢いは強く、当たった木の壁に大きな擦り傷が出来ていた。夏油くんがすぐに彼を追いかけて、硝子は彼が居なくなると同時にこちらへ駆け寄り、私の隣に座り込む「あんた、ほんとバカ」と罵倒してきた彼女が歯痒そうにしているのに気付いて、ごめんね、と謝ることしかできない私はほんとうに、だめなやつだ。











捺?と改めてかけられた声にはっ、と意識が戻ってきた。反射的に顔を向けると至近距離に五条くんの綺麗な輪郭が見えて慌てて飛び退く。どうしたの?と首を傾げたその仕草は4年の時を過ごしたはずの私ですら知らないものでどうにも気が抜けてしまう。昔の彼はもっとこう、刺々しくて、声もこんなに柔らかくなくて……特に、私の覚えている顔は不機嫌そうに目を細めてたり、たまに散々弄ってきた時の馬鹿笑いだったり、そういうものばかりだったから、今の彼が当時の五条くんと同じ人物だとは到底思えなかった。長旅だから疲れた?と気遣うような言葉掛けも、そんなの全然知らなくて、正直戸惑いを隠せない。




「……本当に、五条くん?」
「え、僕のこと忘れちゃった?」




傷付くなぁ、と露骨な嘘泣きをして見せる彼は少しだけ私の知る彼に近かったけれど、じゃあ、これは?と深い笑みを浮かべた五条くんは指先を布の上に引っ掛けて見せる。あ、と小さく声をこぼした私の目の前で彼はそのまま首の下まで黒を引き下げて、ゆっくりと目蓋を開いた。そこに在るのは、昔と何も変わらない確かな輝き。濁りのない宝石のような透き通る碧眼。生まれたばかりの子供のような神秘的で純粋な光を持ち合わせる彼の瞳。



五条くんだ、と私の頭が確かにそう理解する。何もかもが変わった彼の、唯一変わらないその瞳にやっと詰まっていた息を吐き出した。……ひさしぶり、と絞り出した声に彼は一瞬驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに綺麗に笑顔を見せて「久しぶり」と応えてから、流れるように私の手を掴んだ。学長のとこ行こうか、捺が来るのを待ってたよ、と、私が何か言うより先に機嫌良く引っ張っていく彼の背中にどうしていいかわからず、ただ促されるままに歩を進める。ちらり、と見上げた五条くんは何だか妙に嬉しそうに見えて、更に私はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。







この地で再開する



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