「フフ、結構楽しかったね」
「楽しいって言うかびっくりしましたよ……」
「歌姫センパイと捺はすごい慌ててましたねぇ」
「だ、だって……いきなり合コンって……」






硝子行きつけの居酒屋の個室でお酒を酌み交わしながら二次会と称して女4人で語り合う。私の困りきった声に、良い経験だったろ?とミステリアスに笑う冥冥先輩は何だかご満悦だ。合コンを良い経験なんて呼ぶのはどうかと思うけど、大方先輩としては奢って貰えたのでよし、と言うことなのかも知れない。別にお金が無い訳じゃないけれど冥冥先輩のお金への執着心はそれこそ昔から変わらない部分なので最早安心してしまう所もある。綺麗に背筋を伸ばして座る歌姫先輩はそんな先輩の様子を見つつ、疲労の息を吐き「誰かに奢られ慣れる気がしない……」と嘆いていた。その気持ちが物凄く分かった私は何度もその主張に頷いたけれど、硝子はどちらかと言えば冥冥先輩側らしく、そう?と言いながら毛先を弄んでいる。これまた彼女の前にはそれなりの大きさの一升瓶が鎮座し、かなりの存在感を放っているが、いつもの事だと受け入れてしまっている自分が居る。さっき出会った彼等もセクシーな雰囲気を纏わせている硝子がこんなに酒豪だなんて思いもしないんだろうな。そう考えると女性の恐ろしさが身に沁みる。3人ともジャンルの違う美人なのに……と複雑な気分を抱いていたが、捺と冥冥先輩に名前を呼ばれてハッ、と顔をそちらに向けた。








「で、どうだった?」
「ええと、どうって言うのは……?」
「あの中に、君のお眼鏡に適う良い男は居たのかい?」










事態は1時間程前に遡る。交流会は色々とあったけれど久しぶりに集まったんだからご飯でもどうだい?と提案してくれた冥冥先輩がセッティングしたお店に行くと既に座っている先輩と硝子、何故かガチガチの歌姫先輩……そして、4人の男の人が座っていた。最後に入ってきた私に口々にどうも、と爽やかだったり元気な声が飛んできて、ぴた、と思考が停止する。そんな私を尻目に「今日はよろしくお願いします」と綺麗な笑みを浮かべた冥冥先輩に1番陽気そうな茶髪の男の人が「こんな綺麗な人たちと合コンなんてびっくりしちゃいましたよ〜」なんて笑ったので人知れずギョッとしてしまった。合コン!?と隣の歌姫先輩に困惑の目を向けたけれど、先輩も先輩でぶんぶんと首を振っていた。どうやら彼女も知らなかったらしい。


状況が飲み込めないが、流されるままに挨拶をして頭を下げたけれどやっぱり何が何だか分かっていない。一つはっきりしていることは冥冥先輩に何かしら"嵌められた"という事実だけだ。恨めしく彼女を見つめたけれどその視線は届いていない、というか気付いているけど反応する気がないように見える。相変わらずだなぁと思いながら取り敢えず、皆で頼んだお酒で乾杯してカツン、と気持ちの良い音でグラスを震わせた。それを少しだけ口に含んでゆっくりと喉の奥へと嚥下させてみても、正直意味はよく分からないが、取り敢えずは乗り切るしかみたいだ。





全体的な会話の中でそれぞれが偽りの職業を口にしていくのを眺め、私は当たり障り無く「OLです」と答えたりなんやかんやとしている間にいつの間にかそれぞれ、何となくのグループが出来上がっていた。奥を見れば硝子と冥冥先輩は割と平然とした顔でお互い近くの男性達と緩やかに会話を続けているし、私と同じ状況だった歌姫先輩も意外とお互いの仕事の愚痴で盛り上がっているらしい。……あぁ、一体どうしてこうなってしまったのか……そう思いながら零した息でほんの少しお酒の水面が揺れたが、不意に、あの、と掛けられた声に思わず視線を持ち上げて瞬きする。声の主は私の目の前に座っていた、さらさらの黒髪で切れ長の目をした彼で、髪と同じ色の瞳がじっと私を見つめていた。




「……あ、す、すみません考え事をしてて……」
「あぁ、いや。緊張して見えたんで大丈夫かな、って」




中音域くらいの声。シンプルな白シャツを着こなしている彼は清潔そうで特に不快感などは感じられない。寧ろ、所謂"モテそう"な男の子だった。なら良かった、と少し微笑む姿はスマートでかっこいい人だな、と思いつつ改めて、すみません、と謝ると「責めてるわけじゃないって」そう言いながら彼は目を細めていた。




「閑夜さんだっけ?」
「はい、ええと……」
「木下。忘れた?」
「……すみません」




また謝ってる、と笑う彼はコロコロと喉を鳴らしている。バツ悪くて肩を竦めた私に木下さんはふぅん、と何か吟味するような視線を向けると、不意に、ギュッと机の上に置いていた手を握り込んできた。驚いて小さく声を漏らし、体を硬くした私に彼は面白そうな表情で語りかけてくる。




「閑夜さんって結構ウブ?それともちょっとビビり?」
「いや、そういう訳じゃないと思うけど……」
「嘘。分かるよ、オドオドしてるし……綺麗なのに勿体無いね」
「え?」
「俺が色々慣れさせてあげよっか?」




ね?と妙な威圧感を持って接してくる態度につい眉を顰める。彼は何が言いたいのだろうか。勿論彼は分からないだろうが、私も3人も生易しい経験をしてきた訳では無い。普通の人が滅多に出会わないような事象に関わり、法律で許されないような事も沢山してきた。それが偉いとは言わないけれど、木下さんが思っている以上に私は"何も知らない女性"では無いのだ。そこまで考えて、ふ、と肩の力を抜いた。木下さんが私に重ねた手は彼のものと比べると随分小さく綺麗なもので、なんだか少し笑えた気がする。





「お気遣い、ありがとうございます」
「ううん、良いんだよ。じゃあ早速……」
「でも、お断りしますね」
「……え?」





面食らったような表情で私を見た木下さんから逃れるように腕を引き、仕事中を思い出して意識的に頬と口角を持ち上げる。そして、はっきりと、出来るだけ丁寧に私は彼に告げた。





「私には貴方は……」










「……私には勿体無い人ばかりでしたよ」
「おや、それは残念だ」





その返事を分かっていたかのように冥冥先輩は口元に微笑を浮かべる。硝子は少し面白くなさそうに小さく口を尖らせていた。歌姫先輩は少し不満気に冥冥先輩に目を向けると「そもそもあの人達ってどういう繋がりの方なんですか?」と尋ねていた。私もそれは少なからず気になっていたので一応主催の彼女を見つめるとよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに冥冥先輩は指を立てた。




「彼等は選りすぐりのエリートなんだよ。顔も悪くは無いし、仕事は将来的に見ても期待出来る。何より年収も十分高い部類に入るだろう」
「なんでそんな人たちと知り合いなんですか……」
「まぁ、色々とね。出先での縁で紹介して貰ったんだ。捺はそれでもダメだ、と?」
「……凄い人達ってのは伝わってきましたけど……私達の境遇を踏まえるとそこに理解が無かったり、知らない人と付き合って行くのはちょっと、難しいのかなって」




素直に彼等……主に木下さんの印象を伝えるとやっぱり冥冥先輩はクツクツと喉を鳴らして、そうか、と呟いた。私も28歳だしそろそろ今後のことも考えていかないと、なんて思ってはいるけれど、冥冥先輩の選んだエリートでもダメなら他にどんなアテを探れば良いのだろうか。全く分からないし、正直出来る気がしない。補助監督としての仕事が充実している分彼氏が欲しいともあまり思わないし、そもそも根本的に"そういうこと"に向いていないのだろうか。うーん、と悩んでいる私を見た硝子の「捺は目が肥えてるからな」とアテの枝豆を口に放り込みながらボヤかれた言葉を聞き返すと、歌姫先輩はあからさまに嫌そうな顔を作っていた。






「そりゃあ、ねぇ?冥センパイ」
「あぁ。捺には見た目も、金も、地位も、権力も……申し分無さすぎる"彼"が居るしね」
「……寧ろアイツに捺を渡すのが勿体無いわよ」






アイツ、と呼ばれた人物が分からないほど鈍くは無い。木下さんと話している時にも思い出した彼の姿をぼんやりと頭の中に浮かべて自分の手を見つめる。昨日も野球場で触れた彼の指先は心地良い暖かさを秘めたものだった。……五条くん。最近の私の生活の大部分を占めているかもしれない男の人。何よりも綺麗で、強くて、眩しい人。昔と随分変わったのに、何処か懐かしい感じのする、優しいひと。


カラン、と氷の音が聞こえる。顔を上げると3人共が私に少し意外そうな顔を向けていた。それからの反応は三者三様だったけれど視線だけは皆何処か柔らかい気がする。……どうしたんですか?と私は首を傾げたが、先輩達も硝子もお互いを見合わせて「何でもない」と、答え、曖昧な雰囲気で受け流されてしまった。冥冥先輩と歌姫先輩はそう言いつつもコソコソと何か話しているし、音の主だった硝子は手元のスマホを触りながら薄く笑うだけでやっぱり怪しい事この上ないが、会がお開きになるまで何度尋ねても教えてはくれなかった。……ただ、口々に「そろそろ向き合ってあげなよ」と呆れ笑いで言われたその言葉に唾を呑み込んで、テーブルを見つめることしか出来ない。ぐいっと喉に通したアルコールは全然度数が足りなくて酔える気がせず、息を吐き出した。








「……悔しいけどまぁ、そうなんじゃないの」
「他の人と比べて、君はどう思ったんだい?」
「"アレ"でもアイツ、本気だよ」








スマホの画面が22時を過ぎた頃。きっちりと私たち皆から平等な金額を集金した冥冥先輩がカードで会計を済ませて店を出た。合コンが終わったのが20時くらいだったから、結局4人でもそれなりに話していたことになる。中々この仕事をしていると集まってご飯に行くという娯楽は達成しづらいので何かと会話が弾み、まだまだ話し足りないこともあったけれどお互いの明日のために、と切り上げることになった。冥冥先輩はフリーらしいけれど歌姫先輩は京都校のみんなを連れて明日帰る予定だし、硝子には殆ど全休なんて存在しない。私も交流会の間に溜まっている書類を片付けないといけなくて……なんだか大人の世知辛さを感じた。





「……お、キタキタ」





先程から珍しくスマホと顔を合わせ続けていた硝子が不意に呟く。それにつられるように顔を上げた冥冥先輩は私の後ろの方へと目を向けてニヤリ、と今日1番の悪い顔を見せ、歌姫先輩はゲッ!?と身を退ける。この反応は……?とつい怪訝な顔をした私の肩にぱす、と"何か"が触れた。まさか、と思いながら振り向き、見えたのは視界いっぱいの黒い衣類。……その感覚は身に覚えしかなかった。





「……硝子、お前どういうことだよ」
「ご苦労様ナイトくん。捺のコト送ってくれるよね?」





明らかに不機嫌そうな低い声。見上げるほどの高身長に夜でも目立つ白髪と夜には不適切なサングラス。家入硝子を呼び捨てで呼ぶその男は五条悟に違いなかった。私の肩に手を置いたまま硝子と話す彼は何処か苛々していて、一度舌打ちをすると硝子から目を逸らし、冥冥先輩を見て「どういうつもりだよ、冥さん」と辛うじての敬語で睨みつける。ひらひらと手を振って怖い怖い、と言いながらも「彼女にも経験は必要だろう?」なんて返した冥冥先輩は相変わらず食えない人だ。今にも誰かに噛みつきそうな五条くんに異議があるのは歌姫先輩で、アンタね……!と声を上げようとしていたが、彼はあァ?と凄まじい威圧感で彼女を見下ろしている。



一体何が起きているのだろうか。どうしてここに五条くんがいるのだろうか。疑問は全く尽きないけれど、やっぱりいつの間にか彼は私の手を掴んでいて、そのまま3人に挨拶もせずに来た方向に歩き始める。前へと引っ張られていく体の中、どうにか顔だけを背後に向けて何度か頭を下げたけれど、怒っているのは歌姫先輩だけで残りの2人は妙な微笑みを浮かべているだけだった。

最近は何だかよくこんなことをされている気がする。五条くんに捕まって、連れて行かれて、それに必死についていく。大きな手に逃がさない、とでも言うように握り込まれるその感覚に慣れ始めている私がいる。東京のネオン灯る眠らない街をほぼ感覚で歩きながら人混みを避けていく彼は何処に向かっているのだろうか。進んでいくうちに徐々に人は少なくなり、遂には人影のほとんど見えない公園の中へと踏み入れていく。六本木にこんな場所があったなんて、と物珍しさに周囲を見渡していたが、それを制するように突然彼が口を開いた。





「……なんで、合コンなんか行ったんだよ」
「な、なんでそれを……」
「冥さんの数合わせで?この時間まで?」
「ちが、」
「だとしても適当に飯食って帰ればいいだろ。つーか、まず断れよ」





殆ど一方的な会話だった。……会話にすらなっていないかもしれない。思ったことをそのまま吐き出すような彼の言葉に焦燥感ばかりが込み上げる。五条くんは多分、勘違いしている。合コン自体は1時間と少しで終わったし、その後は冥冥先輩達と話していただけだ。どうすればいい?どうすれば彼に何も無いことを伝えられる?……そもそも伝えないといけない、と思うのも変な気はするけれど、でも、そうしないと彼が収まりそうに無いことだけは本能的に感じ取れた。「大体さ、」と続きかけた彼の言葉を遮るように意を決し、その場に留まるかのように足を止め、繋がっている腕を強く引いた。





「……何?」
「合コン自体は、直ぐ終わって……五条くんが来た時には皆しかいなかったよ……」
「……それが、何だよ。じゃあお前は何で合コンに参加してんだよ、後から飲みだけ行けばいいんじゃねぇの」
「それは……」
「俺よりいい男なんて、居るわけねぇのに」





ひゅ、と息を呑み込む。足を止めた五条くんが私に向ける瞳には有無を言わせないような強い感情が込められている。逸らす気配が一切感じられない真っ直ぐで刺すような視線には強烈かつ鮮烈な光があった。……圧はあるが、怒り、ではない。くっきりとした二重の奥にある硝子玉みたいな青は私には少しだけ、追い詰められた動物のような必死さに似たものに見える。声が出なかった。言いたいことはあるはずのに上手くまとまらない。震える喉は中々音を発さず、何度も上唇と下唇を擦り合わせては乾いたそこが重なり合うだけだった。……不意に彼は掴んでいた腕をぱっ、と離した。それから、ハァ〜〜〜……と、深く、深く溜め息を吐き出してサングラスを外し、胸ポケットに仕舞い込んだ。






「何で俺がいるのに合コンなんか行くかなぁ」





対して先ほどまでと言葉自体は変わっていないのに、そこに込められた調子は随分違ったものに感じる。張り詰めていた緊張の糸を少しだけ緩めたような、どこか呆れた声色には私が無意識に止めていた呼吸を正常に戻すのには十分過ぎる"抜け"があった。キラキラした目はいつもと変わらないのに、少しだけ五条くんは寂しそうに見えた。





「ごめん、なさい……私、本当に知らなくて……」
「いい、どうせ冥さんか硝子あたりが突然計画したんでしょ」
「……本当にその通りっていうか……ごめんね」
「だから、そんな謝んなくていい。……ただの醜い嫉妬だよ」





そう言うと五条くんはまた、歩き出した。その歩幅は少し前と比べても随分小さく、ゆっくりとしたものだった。それを追うように私も彼の一歩斜め後ろをついていく。東京にしては静かなこの場所で風に揺れた葉っぱがざわざわと音を立てた。少しだけ見上げた彼の表情は酷く罰悪そうに眉が下げられている。まるで自分を不甲斐ないとでも言うように小さな息を何度か吐き出す五条くんに胸の奥が締め付けられた。








「…………俺でいいじゃん」








それは、彼にとってぼやくような一言だったのかもしれない。でも確かに私の耳に届き、聞こえたソレは確信的なものでもあった.ギュッと強く拳を握って視線を地面に向ける。奥歯を噛み締めて込み上げそうなものを必死で堪える。見ないフリをしていた。そんな訳ないと信じ込もうとしていた。都合良く解釈していた。それが、彼の優しさに甘えているんだと、多分心のどこかで分かっていたのに。……私の頬に一粒の水滴が流れて落ちていく。

初めは揶揄われているんだと本気で思っていた。戸惑ったし、どんな反応をしていいのかも分からなかった。生徒達にまで嘘を言う彼の悪戯は度が過ぎていると何度も何度も思っていた。でも……彼は本当に何の興味も無い相手に、こんなにも熱心に接する人だっただろうか?心から身を案じて時には面倒な対立しても尚、止めようとするような、そんな人だろうか?彼の人間への優しさはこんなにも……都合の良いモノだっただろうか?


……いつからだろう。それに「もしかしたら」そう思うようになっていたのは。いつからだろう。それが嘘じゃないと理解したのは。バクバクと気持ちが悪くなるくらいに心臓が早く動いているのが分かる。いきがくるしい。……そう、私は、知っていた。






五条くんはきっと、私のことが好きだ。






硝子に言われた言葉が頭の中をぐるぐると回った。ひどいのは私の方だ。彼に向き合う術も、どうしたらいいのかもまるで分からなくて、ひたすら逃げ続けているのは私の方だ。どうして彼は私なんかを好きになってしまったんだろうか。五条くんならもっと素敵で可愛い女の子なんていくらでも見つけられるはずなのに。どうして、私だったんだろうか。どうして、どうして……そんな思いは尽きることを知らない。私じゃ、絶対に彼の隣になんて立てない。優しい彼は謝らなくていいと言ってくれたけれど、それでは私が自分自身を許せない。何度謝っても足りない。彼の時間を割いてしまっていることに嫌気が差して仕方がない。……でも、彼と話したり、一緒に過ごす時間がいつしかすごく私の心を落ち着かせていたのも事実だった。だけど、私には自信も彼に与えられるものも何一つ持ち得ていないし、今の自分がどんな感情なのかさえ、わからない。……ごめんなさい、五条くん。私は本当に、





ずるい女だ



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