「恵、本気の出し方知らないでしょ」
「"死んで勝つ"と"死んでも勝つ"は全然違うよ、恵」
「本気でやれ、もっと欲張れ」
「死ぬときは独りだよ」








五条先生に頼んだ特訓が終わり、首にかけたタオルで流れてくる汗を拭った。流石にぶっ続けて道場に篭って喉が渇いたので外の自販機の方まで歩きながら先生に言われたことを頭の中で復唱する。……本気の出し方を知らない。そう評価された事に反抗したい気持ちはあるが、先生の指摘したポイントは正直、外れているとは言えない。確かに俺は助けたいと思える人物と比較した時の自分の価値を下げる傾向にある。……というよりは、そもそも大抵の場合比べる間も無く相手の方が"善人"だ。俺なんかより、よっぽど。






「……あれ、伏黒くん?」






突然呼ばれた名前に顔を上げると透明のケースの奥にいくつものペットボトルや缶が並んでいた。いつの間にか自販機の前にまで来てしまっていたらしい。一度瞬きをしてから振り返ると、そこにはスーツ姿の閑夜さんが立っている。普段補助監督として会う時はパンツスーツが多いが、今日の彼女はスカートを履いていた。黒いストッキングに纏われた細い足が伸びるのに珍しいな、と自然に思ってしまったけれど1番に目に付いた場所がソコなのはどうなんだ、と自戒する。一先ず、どうも、と一言挨拶すると彼女もまた、こんにちは、と笑った。




「自主トレ?」
「いや……五条先生と少し」




俺の返答に少し瞳を揺らして驚いたように目を開いた閑夜さんは、……珍しいね、と一拍空けて感心したように頷く。その反応に少し首を傾げたが、実際、此方から先生に特訓を頼むのは初めてだった。俺だって背に腹は代えられない。折角最強が教師として側に居るのだから使って損は無い、と考え方を意識的に改革しようとしている最中だし、何より「……交流会、不甲斐なかったんで」とキッカケを口にすると彼女はパチパチとまつ毛を数回合わせてから、俺の隣にまで歩いてくると、自販機の中に数枚コインを入れ、点灯したボタンを細い指先でぐ、と押し込んだ。そして、ガコン、と特有の鈍い音と共に落ちてきた商品を手に取ると、





「はい!お疲れ様、伏黒くん」
「……え?」





当たり前ようにボトルを俺に差し出してきた。水滴で濡れたパッケージは爽やかな青色で、すぐに有名なスポーツドリンクだと分かる。……何に対してですか?と思わず尋ねると「交流会と特訓?」なんて曖昧な返事をしてから閑夜さんは俺の手を取り、購入したドリンクを殆ど無理矢理握らせた。ニコニコと機嫌良さそうな笑顔の彼女にそうされてしまっては返すのも忍びなくて、すみません、と断りを入れて受け取ることにした。ほら、水分補給して、と促してくる閑夜さんに従い、素直にキャップを開けて口の中に流し込み始めた。俺は自分が思っていた以上に喉が渇いていたらしい。止め時が分からなくなるくらいに喉を動かし、口を離した頃には残りは既に半分程度になっていた。





「頑張った証だね」
「そんな事はないですけど……でも、ありがとうございました」
「ううん。ほら、後輩には優しくしないとでしょ?」





……閑夜さんと俺でも後輩って言うんですか?と呆れ混じりに問いかけると、一応?と楽しげに笑った彼女は近くの木陰にあるベンチを指差してちょっと話さないか、と持ち掛けてきた。それにどういう意図があるのかは分からないけれど、考えるより先に反射的に頷いてしまい、嬉しそうな閑夜さんが俺の手を取る。彼女は何かと俺たち学生を気にしてくれているし、もしかしたら俺もその対象に選ばれたのだろうか、と思いつつその小さな手を振り払えなくて、流れに身を任せる事にした。9月なのにそれなりに強い日差しから守ってくれている背の高い木の麓は穏やかで、明らかに影の外とで体感温度が違う。慣れたように座る彼女の隣に導かれて「昔からここ、好きなんだ」と懐かしそうに目を細めたその横顔を見つめた。



閑夜さんは綺麗で女性らしい顔立ちをしている。柔らかい輪郭とふわりとした頬。美人というよりは甘く、暑さのせいか色付いた肌と唇には弾力がありそうだ。彼女の性格を表したようなそれにはどうにも、こう、目を離し難い雰囲気があった。穏やかで優しいのに、真っ直ぐとした意志のある瞳が"あいつ"に似ていていつも俺を惹きつける。あいつ……津美紀とは生い立ちも何もかもが違うのに、何故か閑夜さんと重ね合わせてしまう事がたまに、ある。





「……"影踏"」





ぽつり、と彼女が呟いた言葉には覚えがある。気づくと彼女の指先には真っ黒な雀が乗っかっていた。鳴きこそはしないが、首をキョロキョロと動かすその仕草は本物との差異が全く感じられず、マジマジと見つめる俺にクスクスと笑う閑夜さんはベンチのとこに映ってたの、と言いながら俺の掌にそっと雀を移した。……重い。いや、正確には重くはないが、確かに小鳥くらいの質量を感じさせる「こんな感じなんですね」と言いながら潰さないように彼女に渡すと、うん、と頷いてから閑夜さんはベンチの背もたれに雀を軽く押し付けて元の場所に"還して"いた。その途端、ガサガサと頭上の木の葉が揺れ、一匹の色付いた雀が地面にその影を映しながら力強く羽ばたき、空へと飛び立っていくのが見えた。




「動物とか元々存在する影を借りると本体は遠くまで動けなくなっちゃうんだよね」
「……それで今アイツは飛んでいったんですか?」
「うん、私が戻してあげたから。……多分人間にも使えるけど、触るのは難しいしあんまり現実的な手段ではないかな」
「なら、あの時の大きな鳥は?」




交流会で俺が見たのは今の雀どころの大きさではない影の鳥だった。少なくともあれは本物の鳥の影には見えなかったし、もしそうだとしても都合よくあんなサイズの鳥が高専にいたとは考え辛い。俺の疑問に閑夜さんはもう一度、今度は木の葉が集まって出来た影に触れると、影は球体に変化して彼女の掌の上に掬い取られる。そのままもう片方の手でもう一度影に触れると、次に現れたのはサイコロ形のキューブで、その二つを両手で隠すように挟み込んだ。ゆっくりと蓋を開けるように片手を退けた閑夜さんの動作を食い入るように見つめ、最終的にそこに鎮座する小さな猫の形をした影に瞼を見開いた。……これは、どういう原理なのだろうか?初めはただの球体と四角形だった筈なのに、彼女の手で二つが隠されてからすぐ……




「もしかして……手の中の影で形を作り直したんですか?」
「当たり!流石伏黒くんだ」
「なら、閑夜さんの陰影操術はそもそも決まった形だけを動かすのではなく、自分で影を構築し直す事が出来る……」
「まぁ、そんな感じかな。私にとって影は光の陰影って解釈に近くて……要するに個体ごとに存在するモノじゃなくて"影"という一つの括りとして扱えるみたいな……」
「一つの括りって……そんなことが出来るんですか?」
「……どうなんだろう?」
「……は?」




閑夜さんの曖昧な回答に思わず抜けた声が出た。彼女は恥ずかしそうなどこか決まり悪そうな表情で「正直よく分かってないんだよね」と苦笑する。俺もまさか自分の術式を説明する最中に分からない、なんて言われると思っていなくて面食らってしまったが、戸惑う俺に慌てて閑夜さんは補足するように付け加える。





「別に術式ってゲームの取扱説明書とか秘伝の書みたいに会得したものじゃないでしょ?」
「まぁ、それはそうですが……」
「それは裏を返せばある意味、限界が無いって事なのかなって思ってるの」
「限界が無い……」
「直ぐに技を覚える方法がない代わりに、自分がそれを使っている間に"こんな事も出来たんだ"と気付いてバリエーションに加える……どこまでも解釈を広げられるのが強みなんじゃないかなって」





何気なく彼女が言った「解釈を広げる」という言葉に少し息を呑み込んだ。そんな事、今まで考えたことがなかった。特に俺の術式は禪院家由来のもので見る人にとっては"由緒ある伝統的なもの"だからこそある程度画一されて然るべきものだ、無意識にそう思い込んでいたのかもしれない。……俺という術師の最後の"奥の手"についてはさっき五条先生にも指摘された。そんなつもりは無かった、ないと思っていた。だが、こうして奥の手と名付けている以上、俺は確かに奥の手の"更に奥"を想像出来ていないのと同義だ。これが俺の限界だと、そう思っていたのだから。……つい深く考え込んでいる俺の頭の上にぽす、と何かが乗せられる。そのまま優しい手付きでする、する、と撫でられる感覚に軽く息を吐き出した。




「……子供扱いですか」
「そういうつもりはないけど……若いなぁって」
「同じ意味でしょう」
「そう?」




ごめんね、と謝りつつもあまり止める気が無さそうな彼女だったが、俺も別に引き剥がしたいほど嫌というわけではないのでそれ以上は何も言わなかった。他の奴……虎杖とか釘崎に見られていたら流石に止めたけど、今はこの場に俺と彼女2人しかいない。なら少しであれば、と受け入れる俺に閑夜さんは微笑ましそうにしている。……その反応は、どうかと思うが。





「伏黒くん、五条くんに何か言われた?」
「……どうしてそう思ったんですか」
「私も昔、彼によく怒られてたから」





怒られた、と表現されたそれは少し意外な言葉だった。彼女のいった「何か言われたか」という問いかけは、つまり怒られたかどうかを尋ねる意味合いなのだろうか?別に俺は五条先生に怒られたとは思っていないし、それに……あんなにも閑夜さんに弱いあの人が彼女を怒る姿なんて全く想像がつかない。難しい表情をしている俺に気付いた彼女は少し眉を下げて笑って「ホントだよ?」と先に答えた。確かにその顔は嘘をついているようには見えないが、やっぱり五条先生が閑夜さんに怒るイメージは少しも湧いてこなかった。




「"そのままじゃいつか死ぬぞ"……"勝ちに拘れ。お前が死んで、代わりがいるなんて考えるな。お前が死ねば、お前の護りたいものも死ぬ"……」
「…………それ、五条先生が言ったんですか?」
「私にとっては五条くんだけどね。他にも沢山あるよ」




きゅ、と目を細めた彼女は怒られた記憶を話しているのに、不思議と何処か嬉しそうにも見える。……分かってはいたが、彼女は五条先生のことを深く信用している。信用、という言葉でも、もしかしたら足りないくらいに、深く。どんな状況で彼女があの人にそんなことを言われたのかは気になるが、何も知らない俺が突くのも烏滸がましいような気がして開きかけた口をゆっくりと閉じる。でも、俺のそんな行動を読めていたかのように閑夜さんは語り始めた。昔の自分は弱くて仕方なかったこと、周りと比べては劣等感を抱き続けていたこと、その中でも自分が出来ることを探した結果が周りのフォローと……自己犠牲だったことを。




「自己犠牲、ですか」
「うん、そう。……"影響"って術式も前見せたと思うけど、あれは顕現させた影に"私の一部"を代償に与えることで契約を結ぶことが出来る術式なの」
「契約……」
「代償に応じて影の力は変化して、代償が大きいと強い影として私に仕えてくれる」




代償が大きい、という言葉の意味が分からない程俺も未熟ではない。大体、術師の言う代償なんて大抵碌でもないものばかりだ。交流会のあの時は確か閑夜さんは自分の怪我を影に見せていたような気がする。傷口自体が代償?でもそれならリスクには繋がらない、とすれば、




「……血液も?」
「血も使えるよ。というかなんでも……理論上、髪の毛一本から四肢のどれかでも、なんでもね」




あっけらかんとしていた。彼女の口にしたそれは恐ろしい契約だった筈なのに、閑夜さんはそれを特別視する訳でもなく、そういうものだというように簡単に説明してしまう。先ほど彼女が教えてくれた五条先生に言われた台詞をぼんやりと思い出して、彼がしきりにそんな言葉を伝えていた理由に気付くのにそう時間はかからなかった。怒りは勿論だが恐らく、五条先生はただ、彼女に死んで欲しくなかったのではないだろうか。彼女への言葉はその為の教えでもあり、その為の願いに近かったのかもしれない。今こうして閑夜さんが生きているのを見るに、先生の想いは少しは届いたと言えるのだろうか。そして同時に俺への言葉もまた五条先生なりの心配……とも捉えられるかもしれない。そこまであの人に情があるのかは分からないけれど、先生が俺に言った言葉は閑夜さんに向けられたそれに何処となく、近しいような気がする。





「……閑夜さんは五条先生にそう言われて、何か変わりましたか」
「…………うん、変わった。少しは変われたかなって思ってる」





少しの沈黙を経て、彼女はそう答えた。浮かぶ表情は柔らかく、そこに少しの自信のなさはあれど、嘘は見えない。変わってなかったらここに居ないかもね、なんて笑えない冗談を口にする微妙な危うさには思わず眉を顰めたくはなるが、それもまた彼女の本心なのだろう。





「五条くんにそう言われてから出来ないことを考えるんじゃなくて、他に何が出来るのかって考え始めたんだ。そしたら案外、想像次第で使い方も増えたし、相手に応じて戦い方を変えてみたり……」
「……」
「それで……多分、私の限界を決めてたのは私だったんだなぁって感じて」
「解釈を広げるっていうのも、そういうことですか?」
「これも大体彼からの受け売り、みたいなとこもあるんだけどね」





くすり、と悪戯っぽく笑った閑夜さんに思わず肩の力が抜ける。結局は彼女を通してもう一度五条先生に教えられていた、ということだろうか。……でも、同じ影を扱う彼女の術式は興味深かった。それこそ、自分の中の"可能性"と"解釈"が少し広がったように感じる。ありがとうございました、と素直に感謝の言葉を伝えると閑夜さんの手はそっと離れていく。何か見つかった?と首を傾げたそれを見るに彼女の目的は果たされたらしい。






「ええ、少し」
「なら良かった」
「……最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「うん、私に答えられることならなんでも」
「最近、五条先生と何かありましたか」






閑夜さんは俺の質問に瞬きを忘れてしまったかのように大きく目を見開いた。ぱくぱく、と魚みたいに口を開け閉めし、呆気に取られた表情で固まっている。……彼女は分かりやすかった。明らかに五条先生の名前を聞くたびに瞳を揺らして、困ったようなどうしようもない顔をしていた。少し前までは寧ろ何処か暖かく笑っていたのを踏まえると、ここ数日で何があった事は確かだろう。どうして、とやっと発したその声は小さく震えている。……どうして、だろうか。別にそこに大きな理由がある訳では無かった。ただ、




「……気になったんで」
「……そんなに、分かる?」
「俺は分かりました。他の奴らからは聞いてないですけど」




気になった。それ以上に適切な言葉が見つからなかった。ただ彼女と話したり、ぼんやりと視界に入った時に違和感を感じて、なんとなく気になった。深刻に悩んでいるようには見えないけれど、ある特定の人物に対してだけ、明らかに前とは違っていた。そんな分かりやすい違和をたまたま俺が本人に口に出して聞いてみた、それだけの話だ。





「こういう時に閑夜さんが相談する相手が普段は先生だったとしたら、言い辛いのかと思って」
「……」
「俺で良かったら、話くらいは聞きます」
「……伏黒くん、君ってほんとにしっかりしてるね」





先輩ヅラした私が恥ずかしくなるよ……と目を逸らしてほんの少し口を尖らせるその仕草は実に子供っぽかった。でも、可愛い、とも思った。閑夜さんは実際尊敬できる大人だが、こういうところが妙に放っておけなくなる。そんなことないですよ、と答えた俺に「あるよ〜……」とぐったりベンチに体を預けるようにして背中を伸ばした彼女のスカートが少し持ち上がるのに慌てて目を逸らした。




「生徒にも心配されてたらダメだよねぇ」
「たまにはいいと思いますけど」
「や、ダメだよ。伏黒くんは優しいからそう言ってくれるの!」




しっかりしないと!なんて言いながら立ち上がった彼女は一度両頬をパチン、と叩き、一つ頷くと「そろそろ仕事戻るね」そう言いながら今度こそキッチリとした曇りない笑顔を見せる。俺が何か言うより先に伏黒くんも頑張ってね、と背筋を伸ばして歩いていく。……ああいうところが人を心配させていると分かってないんだろうな、と遠くなる背中をただ見送って俺も立ち上がった。……いざとなったら五条先生にも聞けばいいだろ、多分あの人のせいだし。そんなことを考えつつ俺もまた寮への道を歩き出す。彼女に見せてもらった術式を脳の奥へと引き込みながら、今の俺にある可能性を模索する。俺も、彼女に素直に悩みを相談してもらえるくらいには強くならないと、だとか、馬鹿みたいな目標を掲げながら。




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