五条くんたちとの北海道遠征を終えて少し。高専に戻ってきた私達は今、虎杖くんを真ん中にして少し薄暗い廊下を歩いている。五条くんが彼に今回は任務に引率できないことを伝えるのを聞きながら、私もあの夜の会話を思い出していた。……最近、彼に関して言い表せない、難しい感情に囚われることがある。









目覚めた時、私は見知らぬベッドに横たわっていた。なんだか嫌な夢を見た気がする。何かが遠く、私の届かぬところにまで離れていってしまうような漠然としたそんな、夢。なんとも言えぬ気分の悪さを感じながらも、朝と言うには早過ぎる、日が明ける間際の薄暗い窓の外をぼんやりと見つめて何があったのかを少しずつ思い出した。そうだ、任務終わりにバーに行って、それで……と、そこまで考えてから自分が寝てしまったことに気が付いた。五条くんがくれた朝焼け色のカクテルはショートだったし……久しぶりに度数の高いカクテルを飲むものじゃないなぁと息を吐き出す。ツキ、と頭の奥の方が痛むのを感じつつ上半身を持ち上げようとしたが、簡単に捲り上がるはずの布団になんとも言えぬ突っかかりを感じ、その方向に目を向けて思わずハッと息を飲んだ。見慣れた白。私の寝ているベッドに体を預けながら床に座って目を閉じている彼は小さな呼吸音を立てながら眠っている。

どうしてここに?別の部屋は?と疑問は尽きないけれど、夏の暮れだと言うのに朝の空気が冷えて少し肌寒い北海道では今の彼は風邪をひきかねない。起こすのも正直気は引けるけど、彼がこの後辛い思いをするよりはマシだろう、とそっと肩に触れて声を掛けた。五条くん、と静かな部屋に響く私の声に彼の睫毛が震える。白くて長い綺麗な上下の毛束が何度か触れ合って、ゆっくりとその奥にある瞳が光を取り戻す。なんだか神聖なものを見ている気がしてそれ以上何もできない私に彼の顔が向けられた。




「……おはよう」




私が言うべき言葉を彼は先に笑いながら口にした。……おは、よう、とぎこちなく返した私は妙に緊張していた気がする。大きな体を持ち上げるように立ち上がった彼は背伸びをして固まった筋肉を解すと、そこに、とベッドサイドのテーブルを指差した。つられて目を向けると白い錠剤とペットボトルが置かれており、「二日酔いに効くんだって」と五条くんは少し楽しそうに微笑んだ。……とても気を遣わせてしまったらしい。ごめん、ありがとう、と伝えてから素直にそれを飲み込むのを眺めた彼は満足げに頷き、星の海が覗き見える窓枠に手を掛ける。星灯りに輝くその容姿は、眩しい。



「北海道は東京に比べて空を遮るものが無い……空気も乾燥してて、最適だね」
「……星を見るのに?」
「そう。……どうかな、ちょっと抜け出さない?」



彼の誘いについ、目を瞬かせた。悪戯っ子みたいな表情。ニンマリ、と聞こえてきそうな挑戦的なその顔はなんだか昔の彼を思わせる。不思議な魅力に満ちたそれが、私は嫌いじゃなかった。ついさっきに見た"大人"な彼の教師としての一面とは違う、彼らしい彼の姿。気付けば私は無意識にその誘いに乗るように首を縦に振っていた。








彼に手を引かれるままにホテルから飛び出した。なんだか昔読んだ少女漫画みたいだな、なんて、少しメルヘンチックな想像をしながら近くの小高い丘にまで連れられて、そこから見える一面に広がる星空に言葉を失った。東京では見ることができない、群青に近い暗闇に砂金がばら撒かれたかのように無数に輝く星々と、ところどころで主張する一際澄んだ光を放つ大きな星はそこに纏う色までも美しく反映している。雲一つない夜空の淵には暖かな灯りが差し始め、もうすぐ訪れる朝日を感じさせた。なんて、幻想的な光景なのだろうか。前に空の美しさを実感したのはいつの事だろうか。思い出せないくらいにもう、昔のことのようだ。追われるように生きている私という人間の小ささを、雄大な自然に知らしめられた気がした。



「気に入った?」



五条くんが私に声を掛けた。……うん、と答えた私の声には自分でも分かるくらいにしみじみとした調子が込められている。その返事に嬉しそうに目を細めた彼は、何回見てもいいよな、と目線を上に向けている。知ってたの?と問いかけた私に「提携してるホテルは変わらないだろ?」と喉を鳴らした彼に、そっか、と納得した。高専から派遣される呪術師はよく任務が決まる土地ではある程度決まった宿泊施設を指定することが多い。その方がトラブルが少なく、向こうの理解も得られて動きやすいからだ。実際の任務でも呪霊の出没時間が朝早かったり、逆に深夜に活動的なパターンも数多く存在する。そういった場合にホテルや旅館側に事情を分かっていてもらう方が何かと都合がいい。補助監督をしている以上割とポピュラーな認識だし、五条くんもまたその性質上、様々な場所に向かわされることが多いので詳しかったのだろう。……なら、彼は意図的に、私にこの景色を見せようとしてくれていたのだろうか。単なる思いつきではなく、見せたいという意識の元、連れ出したのだろうか。疑問は尽きない。ただ、嫌ではない。むしろ、嬉しかった。




「よく、ここに?」
「まぁ……そうかな。北海道に来たらいつも一度は見てるよ」
「そっか……」




綺麗だね、と飾り気ない言葉を呟いた。こんなに贅沢な空をこの目で見ることができる幸せをもっと上手く表現したかったのだけれども、適当なものがなかなか浮かばない。ただ、ずっと、いつまでも見ていられそうだった。飽きのこない穏やかにそこに存在する美しさは私を日常から遠ざけていく。今日が終われば暫く機会が失われる、それが少し寂しくもあった。そんな惜しくなるような、輝きなのだ。五条くんはそれに同意するように「うん……凄く」と大切そうな響きを込めて呟いた。ふ、と腕を引くために繋がっていた掌に力が込められたのを感じた。丁度私の目に入ったのは頂点で輝く青白い恒星。何故か一際目を惹いた"それ"からそっ、と、視線が自然と下りて、私より高い位置にある、此方に向けられた彼の瞳と重なった。

……似てる。漠然とした既視感は口から零れ落ちていた。星が瞬くように目蓋が2度ほど閉じられて、彼は先程までの視線を追いかけるように上を向いて、北極星が?と私に聞き返した。






「あれって、北極星?」
「そうだね、天球のてっぺんに近くて、北斗七星も向こうにある……本当は黄色っぽいんだけど、青白く見えることもあるみたいだし、多分あれかな」
「五条くん、詳しいね」






私が期待する何倍もの情報を教えてくれた彼は、昔何かで読んだんだよ、とさらりと答えるあたり本当に優秀なのだろう。私もきっと小学生や中学生の頃に習った筈なのにすっかり忘れてしまった。……北極星はいつも私たちの真上で輝き続ける動かない星だ。厳密にいうと多少は動いているのだけれども、一般的には常にそこにある星として有名だろう。五条くんはふぅん、と少し興味深そうに眉を上げて僕とアレがねぇ、とぼやくと、すぐにニッコリと「常にトップなとことかね!」なんて意気揚々とした笑みを浮かべた。相変わらずの自信だけれども、それが事実なのだから仕方ない。そうだねぇ、とつい、肯定してしまった私に五条くんは口を尖らせて、突っ込んでくれないと困るんだけど。と不満そうにしていた。



「でも……そうでしょ?五条くんは一番だから」
「捺にとっての一番なら嬉しかったんだけどなぁ」



茶化すようなその口調に私も少し笑った。……一番、かぁ。少し考えてみたけれど直ぐに思い当たる人物は頭の中に現れない。そもそも彼の指す一番は何に対しての"一番"なのだろうか。私の出会ってきた中で一番強い人は五条くんだし、一番綺麗な人も彼だ。この時点で私の一番を既に二つも獲得している訳だけれども……きっと、彼が言いたいのはこういうことではない、というのはなんとなく理解できる。それよりもっと広義で、もっと確信のある何かなんだと、思う。しっとりと訪れた沈黙を破るように五条くんは明け始めた空の端を見ながら息を吐いた。




「……僕は次の任務で海外まで行くことが決まってる」
「!それで、七海くんに?」
「ご名答。1週間……長くても2週間くらいになる予定でね」
「……虎杖くんのことは任せて。私も出来るだけサポートするから」





助かるよ。と感謝を表した彼は、でも、とそこで一旦言葉を区切った。そんな光を背に受ける彼の瞳は先程までは何処までも透き通る青だったのに、今は木漏れ日を集めたような黄色にも見えた。


あ、と、息を飲み込んだ私の頬に五条くんは手を伸ばす。私の顔を簡単に包み込めそうな大きさのそれが、ひどく、優しく、肌に触れる。伝わってくる温度と不安そうに下がった眉に五条くん……?と名前を呼んだ。





「……お前も、昔から無理するからなぁ」
「そんな、こと」
「あるよ。……正直、心配してる」





心配、と表現された彼の感情にさっきまでの顔はそういう意味が込められていたのか、と感じた。五条くんに、心配させて、しまっていた。その事実はなんだか苦しいもので思わず目線を下げようとしたけれど「こっち見て」と彼の制止する声に、ちらり、と伺うように顔を持ち上げた。五条くんはただ静かに私を見ていた。まるで目に焼き付けるような行為に、恥ずかしい、とぽつ、と伝えればやっと彼は口角を持ち上げる。




「暫く愛しの捺と会えないんだよ?ちゃんと見とかないと」
「大袈裟じゃない?1週間くらいだよね……?」
「分かんないよ、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないじゃん」
「……不吉なこと言わないで」




"今生の別れ"という単語は私達にとって遠い話ではない。もしかしたら本当に彼や……もちろん私が明日死ぬかもしれない。そんな世界で生きていることを実感させる。世界なんて言うと大袈裟かもしれないけれど、私にとって呪術師として生きることは、元の何も知らない世界を捨てるのと同義だと感じている。五条くんは強い。五条くんが死ぬなんて正直想像も付かないし、したくない。でも私は?私なんてきっと直ぐに、と、思考が沈みそうになったのを引き上げるみたいに彼は触れていた頬を軽く摘んでぐいっ、と自身の顔を私に寄せた。




「ほら、今難しいこと考えてただろ」
「んむっ、」
「こういう時はヒロインが"帰ってきてね"って約束するとこじゃない?」
「……それ、帰ってこないやつだよ」
「あれ、そうだっけ?」




けらけらと明け透けに笑った彼にずっと気張るようにしていた肩の力が抜けた。五条くんはなんでこんなにも私をハッとさせてくれるのだろうか。どうしても暗いことを考えがちの私にいつも彼は……例え口調が荒くても、注意してくれるのだ。私にはそんな彼が昔からずっと眩しくて仕方なく思える。ごじょうくん、ともう一度名前を呼んだ。今度はさっきより随分頼りないくらいにふにゃふにゃとした力ない声だった。でも、それとは裏腹に目の前の彼に力強く、ぎゅっ、と腕を回した。何故こんなことをしてしまったのか分からない。でも理屈以上に私は彼に今、こうしたかった。流石に驚いたらしい五条くんは、な、と言葉を詰めたけれど「絶対、帰ってきてね」と伝えた言葉に、






「……俺を誰だと思ってんの?」






なんて、自信たっぷり答えてみせた。しかし彼もまた、私と同じようにそんな"強い"言葉と反対に、私を抱き返すために回したその腕に込められた力は壊れ物に触れるみたいに優しかった。何秒か、何分か、どのくらいの時間そうしていたのかは定かではないけれどだんだん恥ずかしくなってきて小さく、そろそろはなしてください……と訴えたけれど、無理、と即答されてしまった。あまりの羞恥に最早死んでしまいそうだったが「あんなこと言われたら本気で任務に行きたくなくなる」と当て付けのような文句を言われてしまうだけで、なかなか彼は私を解放してくれなかった。













「要するに私もアナタを術師として認めていない。……宿儺という爆弾を抱えていても己は有用であると、そう示すことに尽力してください」





七海くんのはっきりとした物言いにふ、と意識が現実に戻される。少し緊張した表情な虎杖くんは七海くんの言葉に驚きながらも自分なりの答えを彼に返していた。素直で真っ直ぐなそれは五条くんが語った虎杖くん像とブレることはない。……私は彼と約束した。彼が約束を守ってくれるように、私も彼の頼みをきちんとこなそう。七海くんは表情を変えなかったが、きっと彼も嫌いなタイプではないと思う。五条くんもそれを感じ取ったのか2人のやりとりを見ていた彼は小さく笑っていた。面倒見のいい七海くんとスポンジのように救出していく虎杖くん。……案外いいチームになれそうな気がする。じゃあよろしくね、2人とも、とひらひらと手を振った五条くんはくるりと踵を返してそのまま廊下を歩いて行こうとした。思わず呼び止めそうになったが、彼はそれより先に私の隣を通り過ぎるのと同時に「またね」とだけ囁いたので、ギリギリまで上っていた声を飲み込んだ。……彼はちゃんと、あの明け方の約束を覚えている。




「捺さんも俺の担当?」
「ええ。私と虎杖くんを閑夜さん、そして伊地知くんがバックアップしてくれます」
「へぇ〜!捺さん、よろしくお願いします!」




虎杖くんは太陽みたいに笑った。この呪術界で今一番辛い扱いを受けているはずなのに、彼はこんなにも明るくて希望に満ちている。そんな笑顔を見ていると彼には期待をしてしまうし、それと同時にその輝きを失ってしまわないように守りたいと心の底から感じた。私みたいに、諦めてしまわないように、私のような人間を増やさないように、今の私はあるのだと認識し直した。よろしくお願いします、とけじめをつけるように頭を下げた私に虎杖くんはひどく慌てて「俺なんかに頭下げないでよ!」と困っていたのが可愛くて少し長めにお辞儀したら七海くんに軽く注意を受けてしまった。そんなやり取りを見て揶揄われてたの!?と驚く虎杖くんにクスリと笑った。……私は彼の愛する生徒を守るために全力を尽くそう。その為ならきっと大丈夫。私は今、ちゃんと、前を向けている。



ポラリス



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