硝子から送られてきた解剖結果を読み進めるだけで酷く頭が痛んだ。呪術に関わって私ももう直ぐ10年近く経つけれど、こんな事例は見たことがない。一般人が殺されるのには、多少は、慣れた。食い尽くされていたり、あるいは綺麗に全て食べていたり、状態は様々であったがある種よくあることだった。でも"改造人間"なんて概念に触れたのは初めてだ。




五条くんにあんな大見得切った分少し恥ずかしいけれど、私は今回の彼らの任務ではほぼサポートに当てられている。メインで送迎を担当したり情報共有を行うのは伊地知くんで、更にそこから整理し、深め、生徒のメンタルヘルスに気を配るのが私の仕事だ。……虎杖くんは、大丈夫だろうか。まだ彼らは映画館から帰ってきてはいない。七海くんがいるから物凄く心配をしているわけではないけれど……改造人間に攻撃したのはおそらく確実。硝子の報告を見る限り改造人間は何者かに改造された時点で脳に異常が起こり生命機能を停止しているらしく、彼らが殺した事には当たらないようだ。それでも、まだ一年生の彼には荷が重すぎる。私が彼と同い年の頃はただの呪いを同級生に付随する形で祓っていただけだったし、深く死生観を考える機会もなかった。一般人は勿論、呪詛師と相対するような任務も殆どなかった筈だ。


呪術師として生きていく以上、残念だが敵が呪いだけとは限らず、時には人間に手を掛けることも決して少ないとは言えない。それは時に呪いに半身を喰われ苦しむ人を楽にするためであったり、時には呪いに手を染め悪用する呪詛師を排除するためでもあるだろう。普通であれば経験することのない……言葉を直接的にするのであれば"殺人"を犯すことも、事実、あり得る話だ。でも、それをまだ子供である彼に強いるのは余りに酷だった。確かに自分が戦った時には既にその人間は死んでいたかもしれない。それでも、それを殺そうとしたことは紛れもない事実として彼の胸に、腕に、こびり付いているのだろう。それが罪のない被害者であれば尚更……感じるものは大きいだろう。



ぐっ、と椅子に座りながら伸びをする。ローラー付きのそれはその反動で後ろへと下がり、トン、と机でつっかえて止まった。……虎杖くんはいい子だ。だからこそ私たち大人もそれに向き合わないといけない。かといって私は教職ではないし、悩みを抱える生徒と話すときのイロハを知っている訳でもない。思わず「どうしようかなぁ……」と口に出して天井を見上げていると、入り口の方から何やら物音が聞こえた。慌てて体を起こすとそこにはスーツにくたびれたコートを羽織りながら必死にドアを開けようと奮闘する男の人が立っていた。






「……日下部さん?」
「…………よぉ、」






名前を呼んだ私に数秒の間を置いてから肩を落とし振り返った彼は曖昧な笑顔……と呼ぶには不格好な表情で軽く手を上げた。もしかして今の全部見られてしまっていたのだろうか。込み上げる恥ずかしさを隠すようにジャケットの端を軽く引き皺を伸ばした。その間目を逸らしていてくれる彼はとても空気を読んでくれているのが伝わってきて更に申し訳ない気持ちで一杯だ。す、すみません……と謝ると、いや、と困った顔で私を見て、それからゆっくりと息を吐き出しながら空いている席に腰掛けた。……どうやら話を聞いてくれるらしい。




「なんか、その……悩み事?」
「まぁ……そんな所ですね」




日下部さん。彼は東京高専の二年生の担任をしている。あまり話した事はなかったけれど何かとこうして気を使ってくれているあたり悪い人ではなさそうだ。まぁ教師として彼等を教えているんだから悪い人ではないのは当たり前だと思うけれど……と、そこまで考えてふと気がついた。そうだ、彼は教師なんだから彼に聞くのが一番適切なのではないだろうか?期待の目で日下部さんを見つめた私に彼はなんだかもっとバツ悪そうに目を逸らす。ほぼ初対面みたいなものなのに厚かましいかもしれないけれど折角のチャンスを見逃すわけにもいかない。日下部先生!と声をあげて改まった私にビク、と肩を揺らした彼は「な、なんだよ急に……」と私に不審そうな顔を浮かべていた。




「もし、日下部先生の受け持っている生徒が……何か悩んでいたらどう声を掛けますか?」
「どう、って言われてもなぁ……」
「些細なことでもいいんです!何かコツとか、聞き方とかありませんか……?」




ずい、とにじり寄る私に濃くてしっかりした眉毛を下げる彼は相当困っているらしく、キョロキョロと辺りを見渡してから何かに気付いたように息を吐き出した。先生?と呼び掛けた私に「……五条は居ないんだったな」と呟かれた言葉につい首を傾げた。五条くんがどうかしましたか?と聞き返すと日下部さんはそりゃあ、と何か言い掛けたが途中で止めて、首を横に振り何でもない、と否定した。……どういう意味なのかは気になるけど、一応私の質問に答えてくれるつもりはあるらしい彼が口を開くのを黙って見守った。





「取り敢えず……無理には聞き出さないな。溜め込みすぎるヤツならまた別だが……基本向こうから相談なり何なりに来た時に聞く」
「それは……どうしてですか?」
「大人がどうこう口出し過ぎても成長に繋がらないだろ。寧ろ子供は子供なりに考えてる、俺たちが思ってる以上にな」





この歳の子供はそんなに素直じゃねぇし、と続けた彼の言葉には説得力があった。確かに、そうだ。私は常にどうにかしなくてはいけない、何かしないといけない、という考えに囚われていたけれど……子供とはいえ皆経験を積み始めている呪術師だ。例え卵でも、自分なりに考えを持ち、動こうとは出来る。実際に私も一年生のとき"何も考えていなかったか"と聞かれるとそうではない、と答えると思う。五条くん達の後ろに続くように任務に臨んでいたけれど、あの時はあの時なりに、彼等を邪魔しないようなフォローの仕方をいつも試行錯誤していた気がする。自分では力が及ばないなら、せめて戦いやすく出来るように、そんな風に思っていた気がする。夜蛾先生からはよく声を掛けて貰っていたけれど「大丈夫か?」という問いかけに「大丈夫」以外の答えを返した覚えがあまりないことを思い出して、つい、苦笑した。……日下部さんの言う通りだ。自分が大丈夫じゃないと分かっていても、先生という立場の人間に教えを乞うのは中々ハードルが高いものだ。




「私は教師じゃないですもんね……余計に難しいかなぁ」
「……いや、別にそういう訳じゃない。寧ろ、常に関わってくる存在よりもたまに会うぐらいの人間に話したいことがあるってのも珍しくない」
「そういうものですか?」
「少なくとも俺はそうだったよ」




そう言いながらポケットからスティックのついた飴を取り出した彼は包紙を剥がすと、そのまま口の中に押し込んで咥えた。ぽい、と後ろ手に放ったゴミは綺麗にゴミ箱の真ん中に吸い込まれていくのが見えて感嘆の声を漏らす私にやめろよ、と気恥ずかしそうに日下部さんが年代物の腕時計に視線を落とす。その仕草にもしかして何か用事でもあったのだろうかと心配になり、態々すみません、と頭を下げれば「あ、いや、」と彼はすぐに私の方へ向き直った。……担任ではない私の方が話しやすいことなど、虎杖くんにあるのだろうか。と考え込むことで、一瞬訪れた沈黙に彼はゆっくりと思案するように口を動かして「……最近、閑夜の話をパンダ達からも聞くよ」と突然予想もしていなかったら事を言い出したので、え?と抜けた声を出してしまった。




「パンダくん達から?一体どんな……」
「よく話を聞いてくれるだとか、動きやすいだとか」
「え、ほんとですか!?良かった……」
「後は……」
「後は?」
「……"五条とどうなのか"って」
「へ、」




五条とどうなのか。そう声にした日下部さんが私に向ける表情は単に生徒達から聞かれているだけ、というよりも好奇の目に瞠っているように見える。多分、彼自身も興味がある、という事だと思うけれど……それに対して今度は私が困る番だ。何せ、彼とのことで話すことなんて本当に何もないのだから。どう答えるべきか迷っている私を彼は見逃すつもりがないらしい。静かにそこに座って何かしらの言葉が返されるのを待つようにこちらを見つめてくる。生徒たちが言うどうこう、というのはつまりは恋愛だとかそういう面白い物事についてだろうけど、私は彼と恋愛関係になんて至っていない。今も昔も、そんなことあり得ないだろう。





「五条くんは私の同級生で、だから日下部さんが思うような面白い事は何も無くて……」





五条くんは確かに特別な人だ。それはこの世界においても、多分、私においても同じで、彼からは少なからず影響を受けている。彼の強さにはたくさん助けられたし、尊敬もしている。単純なフィジカル以外にも長けている部分は数え切れないほど存在し、言葉で表せないほど不思議な魅力が詰まっている、と思う。一緒に任務に行っても年代を問わず女の人には人気だったし、少し調子づく所もあったけれど、それでもお釣りが来るくらいには彼の実力は本物だった。……でも、それだけだ。彼が素晴らしい人なのは事実だけど、そこに私は関与していない。彼との唯一の繋がりは同級生だということだけ。私にとって五条くんはかけがえの無い大切な友人だ。……だった、はず、なのだ。でも、最近は何となく漠然とした蟠りがあるような気がしてならないのは、どうしてだろうか。





「……俺、初めてちょっと五条に同情したわ」
「同情?」
「色々生意気で何でも持ってそうなのに、持ってないもんもあるんだなアイツにも」
「五条くんに無いものって……何かあります? 」
「当の本人がコレだもんなぁ……」





自分の中に生まれ始めた違和感のもと、ぼんやりと彼の顔を思い出していた私に、そりゃ先が思いやられる、なんて言いながら日下部さんは立ち上がる。慌てて私も立ち上がって彼の後ろをついて行き、ありがとうございました、と感謝を伝えれば面白い話聞けたから貸し借り無しね、とくつり、と少しだけ楽しそうに笑って見せた。そんな面白い話したっけ?と内心腑に落ちないところもあったけれど日下部さんが楽しそうだからまぁいいのかな、と思い直した。お疲れ様ですと遠くなる背中に投げ掛けた声に片腕を上げて「程々にな」と言ってくれた彼はやっぱり結構面倒見が良い気がして私も少しだけ笑った。何にせよ新しい視点からの意見が貰えたのは有難い。


……不意に、スマホからそれなりに音量の電子音が響き出した。周りに今私以外誰もいないのも相まって落ち着いて電話を取れば声の主は慣れ親しんだ伊地知くんで、もうすぐ着きます、と端的に伝えられた言葉に頷いた。当然だが虎杖悠仁は死んだことになっているので素直に高専に迎え入れるのはリスキーだ。一応日は落ちているし日下部さんも帰ったけれど不安の種は潰しておくに限る。その為に私がいるようなものだ。電話を切った私は今日の仕事を終えた術師2人を"影"で迎えるために小走りで裏の駐車場へと足を向けた。














そこに残っていた彼女が誰なのか気付いた時はしくじった、と思った。補助監督である閑夜は俺にとってそれなりに関わりたく無い女の1人だった。彼女が悪い訳ではない、ただ、その後ろにいるあの男が面倒この上ないことだけは分かっていた。


簡素な職員室で不意にアイツに「捺に手出すなよ」と恐ろしいほどストレートな威圧を掛けられたのはまだ記憶に新しい。誰だよそれ、と思うのと同時に全く持って普段の軽薄さが見受けられない雰囲気に頷くしかなかったが、暫くしてからその存在に気付いた。閑夜捺。東京高専に来てまだ日が浅い補助監督の1人だ。主に術師より生徒と関わることが多いらしい彼女の噂は担任をしている俺の耳に嫌でも入り込んでくる。どうやら評判は上々らしいが、それに付随する形で必ず上がる「五条」の名前に嫌気が差すのも事実だ。何か知らないのか、と無邪気に問いかけてくる学生に事実何も知らないとだけ答えてはいたが……こちとら知らないのにめちゃくちゃ目を付けられてるんだぞとは流石に言えなかった。


だからこそ話したく無い、2人きりになんてありえない!そう考えていたのに運命は残酷だというべきか、俺は何やら悩んでいる様子の彼女に捕まった。調子良く「先生」なんて呼んでくるその姿にどうにも放って置けなくなった俺も馬鹿だったが、それなりに真面目なアドバイスをしてしまって少し恥ずかしい。でも、実際彼女は評判通り「真面目で生徒想い」の優しい人物だったらしい。そりゃあまぁ、好かれるわな、と内心頷いたが、それがあの男のお眼鏡に叶っているのかは疑問だった。あんな巫山戯たヤツでも今の世界を牛耳れるくらいの力もルックスも持ち合わせる五条に対して彼女は絶世の美人だ、という訳では無かった。別に容姿が悪い訳でもなく、清潔感があり真面目な印象を与えてくる閑夜は悪い奴じゃ無いことは明らかであったが。この世の女を選びたい放題であろう五条が彼女を選んでいることは純粋に気になった。






「五条くんは私の同級生で、だから日下部さんが思うような面白い事は何も無くて……」





そして返ってきた返事に唖然としたのだ。彼女にとってあの五条悟はただの同級生に過ぎないという事実は意外過ぎるものであった。大して関わりが深いわけでもない俺ですら警戒してくるほどにアイツは必死で、生徒にも噂されるくらい露骨な筈なのに閑夜の言葉は信じられないくらいフラットだった。思わず男として同情してしまった俺に彼女は不思議そうにはしていたが「五条が全てを持ちうる男」という認識だけは合致していて更に虚しくなった。おい、閑夜。俺の間違いじゃ無かったら、アイツが今一番欲しいもんはお前だろ。そうでも言ってやりたい程にもどかしい気持ちになった。ぺたぺたと静かな廊下を歩きつつ、規格外で訳の分からないと思っていた五条悟の姿を思い出して深くため息を吐いた。あんな化け物でも人間なんだな、とほんの少しだけ親しみが湧いた自分の甘さにもどうしようもなさを感じたが、男としてはやっぱり不憫に思わざるを得ない。帰って来たら応援でもしてやるか……とポケットから車のキーを取り出して指先でくるり、と回し、無駄に格好付けながら俺は愛車のロックを外した。









二年担任の受難



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