大通り公園の簡素なベンチで私は、背の高い2人の男性に挟まれている。片やラフで真っ黒な服を身に纏いながらどっかりと背もたれに身を預けているサングラスを掛けた同級生、片やきっちりと個性的な柄のスーツを着こなしている背筋の伸びたデキる後輩……そして、私を含めた3人とも手にはジャガバターを持っている。東京よりも遥かに過ごしやすい温度と湿度の夏には楽園となるこの地、"北海道"に私達は足を踏み入れていた。







始まりは唐突だった。デスクに置かれた次の勤務予定をぼんやりと眺めていると、私の名前のところに2日ほど赤線が引かれているのに気付いた。ほんの数日前まではそんなことなかったのに、突然変わったのだろうか?と疑問に思いつつ、最新の情報が確認できるパソコンの勤務予定を見て、私は言葉を失った。確かにこの仕事をしていると日々の予定は変化することが多い。休みの予定がすっかり飛んで別日に回され……ということも少なくはない。別にそれに大きな不満があるわけではないがそれにしても……ここでの事務作業から急に、遠征をする一級呪術師への付き添いになるなんて流石に突飛過ぎる。しかもそこに書かれた遠征場所は日本の北端……そう、北海道だった。頭がパンクしそうな気持ちを抑えながら取り敢えず残りの打ち込みに専念したが、それが終わってもう一度確認しても尚、そこに書かれた文字が覆らないことに頭を抱えた。

マウスを近づけて表示された編集者の名前は「伊地知潔高」この時点で嫌な予感がした。あの伊地知くんが何も無しに突然私の予定を変更するなんて考え難い。ならば、とすぐに頭の中に浮かんだのは黒い目隠しでニコニコと機嫌よく笑う彼の姿だ。スマホを取り出して迷いなく押した彼の名前の受話器マークとワンコールで出た彼の落ち着いた低音に私はストレートに問いかけた。





「私、もしかして五条くんと北海道行くことになってる?」
「あ、気付いた?明後日から2日間だからちゃんと準備しといてね」





冗談であって欲しかった。そんな私の想いは簡単に崩れ去る。黙り込んだ私に今授業中だからまたね、と笑った彼から聞こえる虚しいくらいのツー、ツー、という電子音。最後に残された「楽しみにしてるよ」の真意が計りかねない……と思いながら、状況確認のために伊地知くんにも連絡を取った。酷く申し訳なさそうに平謝りしてくる彼にやっぱり苦労人だなぁと思いつつ、私も変わりそうにない自分の運命を仕方なく受け入れた。










「お前らのジャガバターなんか僕のと違わない?」
「トッピングです。私は塩辛をのせましたが美味しいですよ、あげませんけど」
「いや、いらねーよ。ビジュアルがこないだ祓った呪霊に似てるし。……捺は?」
「私はチーズ明太子だけど……」
「え!!めちゃくちゃ美味そう……一口いい?」
「あ、うん」







あー、と言いながら私の方に口を開けた彼に反射的に自分のジャガバターを差し出すと、かぷりと五条くんはかぶり付いた。美味しそうに目を細めたその仕草はなんだか犬みたいで少し可愛らしいなと思ったけれど、それを見ていた七海くんが心から冷め切った表情をしていたので、そっと目を逸らした。ごめん、七海くん。一級術師って聞いたからもしかしてとは思ったけど本当に君だったなんて……ぺこりと首から上だけでスミマセンの意を込めてお辞儀をすると「大方、貴女のせいでは無い事ぐらいわかっています」と彼は答えてくれたけれど顔には明らかな疲労が浮かんでいる。彼が案外、旅行好きなことは昔聞いたことがあったので更に申し訳なさがふつふつと湧いてきた。多分これでも彼は北海道くらいの規模の遠征だと観光とかも楽しみたかったんだろうな、と思う程に今可愛らしい犬だと感じた五条くんが急に悪魔に見えてきた。僕もトッピングすれば良かったぁ、なんて呑気に口を動かす彼は今日も自由だ。





大通り公園を後にしても尚、ソフトクリームを手に持って歩く大男2人は札幌という街でも少なからず目立っている。よく食べるなぁと感心しつつ2人の一歩後ろを歩こうとしたけれど、五条くんに腕を掴まれたのでそれは叶わなかった。話しづらいでしょ?と私に笑い掛けた彼に正直目立つからちょっと……とは伝え難かったので曖昧に頷きながら会話を聞いていたけれど、五条くんの言動から察するに恐らく、彼は今回の七海くんの任務の概要を全く知らないんだろう。七海くん自身も同じことを察したのか、ゴーグルの奥の目こそ見えないが、その眉が嫌そうに下がったのを見て心から申し訳なく感じた。私が先に五条くんに伝えておくべきだった、と反省しつつ「私が説明するよ」と七海くんに断りを入れる。





「今回の案件は"黄泉比良坂"と呼ばれるサイトが発端です。……簡潔に言うと、このサイトを通じて呪詛師とコンタクトが取れるようになっています」
「ふぅん、個人経営の通販サイトみたいな?」
「サイト自体は簡素なものでしたよ、懐かしくなるくらい」
「アクセスカウンターがあってキリ番踏んだら報告しなきゃならない感じ?」





そういう雰囲気ですね、と答えた七海くんに同世代の私はひっそりとダメージを受けた。五条くんも似たようなことを思ったらしく懐かしさを感じる自分が嫌だな、と呟いている。私達の一つ下の後輩である七海くんもまた同意するように頷いていた。いやぁ、本当に歳を取ったなぁ……





「……で、結局なんの通販なんだ?はぐれ呪詛師なら蠅頭程度の呪霊を祓う呪具でぼったくったり、他人を呪って小遣い稼ぎしてそうなもんだけど……その程度の相手で七海が呼ばれやしないだろ」





しみじみとした空気の中、ふ、と五条くんがそれを改めるように尋ねた。彼の指摘は最もで、七海くんはその察しの良さを褒めていたが、五条くんはハン、と鼻を鳴らす。誰と会話しているのか考えて言えよ、なんて荒っぽい口調の彼はきっと何となく分かっているのだと思う。確かにこの任務は伊地知くんの話を聞く限り"意図的に"五条くんに伝わっていないのだろう。理由はただの補助監督に過ぎない私には断定出来ないが、推測する事くらいはできる。だからこそ今の彼は昔みたいに尖った雰囲気が滲み出ているし、それを隠す気もないらしい。ここにいるのが七海くんや私といった少なからず自分を知る人だから……というのも関係しているのかもしれないが、彼の上層部への嫌悪感は相当だ。かくいう私も勿論好いているわけでは無い、というか寧ろ嫌い、の部類に当たるかもしれない。呪術界全体の風通しの悪さや悪しき風習も、虎杖くんのことも、……五条悟という人間を使っても尚、恐れ、排斥しようとしていることも、全て。納得できる行動は少ない。





「……毎度思うのですが、それだけ頭が回るなら説明しなくても自分で調べて欲しいのですが。それこそ閑夜さんにでも聞いて……」
「不可能でなくても面倒なことは後輩を使うのが一番手っ取り早いんだよ。それに僕も捺もあいつらにとっちゃ爪弾きさ」
「閑夜さんも、ですか……はぁ……」





爪弾き、と称された私を一度見た後の七海くんのため息は長かった。元々私は"特例"という立ち位置にあるため新しいものを嫌う上層部に何かと小さな嫌がらせを受けていたことは事実だ。一応それは去年のクリスマスを境に無くなってはいたのだけれども、最近はまた違った形で彼の言う"爪弾き"に合っている。こちらは何ともわかりやすい理由で「五条悟と近しい人物である」こと、らしい。……らしい、というのは、私自身その事実を知らず、伊地知くんから教えてもらったからで、彼等にとって五条くんに伝えたくない、知らせたくないことは多いみたいだ。私から間接的にそれらが伝わるのを避けるため、私には私の仕事の為の必要最低限の情報のみ与えられているようだ。一応、それで今の所特別大きな不便を感じている訳ではない。私はこれでもこの仕事を始めて数年が経っている。色々な横の繋がりがあるし、今回のようにこうして伊地知くん越しに連絡を取り合う事も多いし、頼れる人は有難いことに少なくない。


……一つ、不満があるとすれば、彼等は私と彼が関わることを良しとしていないのに、私と彼を任務に当てることが最近特に物凄く多かった。五条くんとの任務はあまり気張る必要もないので嫌ではないけれど……情報制限までする割にはどうして私たちをセットにするのだろうか、と、疑問に思った事もある。任務中の車内で一度、五条くん本人にこの愚痴を零すと「僕が捺とがいいってお願いしてるからね」なんてあっけらかんと答えられてしまって、流石にこちらが呆気に取られてしまったのは最近の話だ。もしこれがただの彼の圧力、というだけなら向こうも抵抗の仕様があったのかもしれない。でも、五条悟という人間を力として見ている彼等にとって案外この条件は悪くないらしい。










「……それなのにどうして上は、私と五条くんを……」
「閑夜さん……貴女は知らないと思いますが、貴女が来る前の五条さんはどんな任務にもゴネ倒し、予定期間を余分に取るだけでなく、そこでいつ祓うのがなどの具体的なプランも伝えずそれこそ勝手に任務を終えてしまうような人でした。勿論報告書の提出マメにするタイプでもない……大抵補助監督……主に私が胃を痛めながら聞き取りしていました」
「そんな横暴な……」
「ですが!!貴女が来てからの彼は"捺とならいいよ"との言葉の通り!どの任務の迅速にこなすようになりました!それに対して閑夜さんも報告書の提出がとても早くて……!相変わらず予定期間は他の術師より長いことが多いですが……それを差し引いても全てにおいてプラスなんです」
「は、はぁ……」




そうして熱弁した伊地知くんに思わず圧倒されていたが、私の様子に気づいた彼はそこでごほん、と咳払いをする。ネクタイを軽く締め直し、呼吸を整えてから私に向き直り、改めてゆっくりと口を開いた。




「だからきっと貴女は上にとって彼を使う為の鎖であり、首輪であり、餌……なのだと思います」
「私は五条くんの飼育員か何かって思われてるのかな……」
「恐らく……いえ、大方違いないかと」
「……ねぇ伊地知くん、じゃあもし……」




彼の言葉を聞きながら、ぼんやりと考えたその可能性を呟いた私に彼は大きく目を見開いた。それは、と言い淀んだ彼に少しだけ口元を緩める。彼にこんなことを言っても仕方ないどころか、いつか彼を呪ってしまうかもしれないな、と思いながらも私はそれを音として伝えた。少し悲しそうに眉を下げたその顔は、私より幾つも年下の後輩らしい表情で、ごめんね、と口を突くままに謝った。数秒黙り込んだ伊地知くんは突然ぐいっとビールを勢いよく飲み干しブンブンと首を横に振ると真っ直ぐな瞳をこちらに向けて、こう言った。






「五条さんを、信じてあげてください」














「捺?おーい、捺〜?」
「っえ、」





ふ、と我に帰る。私を覗き込むようにサングラスをずらした五条くんと目があって思わず息を詰めた。私は、彼の目に弱い。不思議そうに首を傾げていた彼は私がそれ以上何も言わないのを見て、綺麗な額に濃くシワを作り「大丈夫か?」と尋ねた。歩きっぱなしで疲れた?ごめん、気付かなくて、と素直な彼の言葉にワンテンポ遅れて首を横に振る。考え事をしていて、と答えた私に彼は変わらず何処か不安そうにこちらを見ていたけれど、そっか、と切り替えるように呟いてから、既に目星の場所を通り過ぎていたことを教えてくれた。どうやら任務の対象は札幌駅の地下街に根城を構えているらしい。……これも私の見れる任務詳細に無かったな、と嫌味でも言いたくなったけれど、七海くんが立つ階段の辺りには確かに、何度経験しても名状し難いあの空気が漂っている。そこに確か存在する負の感情、呪いの気配を感じることが出来た。


分かった、と頷いた私に彼も首を縦に振ると、もう慣れたように私の手を掴んで意気揚々と地下へ続く階段を降り始める。少し傾斜が急だが、作り自体は新しいようだ。地下に足を付け、開けた視界に広がる光景は整備された所謂最新式の駅地下と言うべきか。白を基調とした全体的に清潔感のある通りには様々な施設が並んでいる。それ故に念が混ざりやすい、という点は東京全体への評価と近しいものを感じた。なるほどね、と頷いた彼の気持ちはよく分かる。大勢の人間が行き交う地下街の混ざり合った淀んだ空気に混じって、確かに主張する残穢。それは奥へと転々と続いている様に見える。行こうか、と繋いだ手をそのままに彼は歩き出した。なんとなく一瞬振り返ったそこに立つ七海くんは明らかに呆れた表情を浮かべつつも、私達について来るつもりではあるらしい。盛大に惚気るのはやめてください、と淡々とした口調で言われたそれに私が何か返すより先に、引かれていく体に追従して足が動き、七海くんから遠ざかってしまった。それを見た彼が更に深いため息を吐いたのは、最早言うまでもないだろう。






横暴北陸遠征



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