知らぬは罪


「あ!閑夜先輩!」



明るく、聞く人全てが笑顔になるようなその声。振り向かずともそれが誰なのか分かる。でも、私は振り返った。だって彼の顔が見たいから。目尻がきゅっと持ち上がり、なだらかに眉を垂らす。主人を見つけた犬のように手をぶんぶんと振りつつ、キラキラとした笑顔を浮かべながら駆け寄ってくるその姿が物凄く、めちゃくちゃ、贔屓目無しに、可愛いと思う。そんな忠犬のような雰囲気とは裏腹にめちゃくちゃの近接パワー型。綺麗に整った筋肉は勿論、案外クレバーな一面を覗かせる事もある虎杖悠仁くんは私の絶賛お気に入りの後輩だ。宿儺の器になり死んだという話だった彼と初めて顔を合わせたあの瞬間から私はノックアウトされている。だって、可愛いんだもん。しかたない。似たような事を真希やパンダ達に溢すと若干引かれた顔をされたのは納得いかないし、棘くんにすらも冷たい目で見られた。気をつけないとセクハラに当たるぞと言われたけれど私は決して変態ではない。ただ、虎杖くんが可愛くて仕方ないだけだ。



「何買うんすか?」
「ポカリ、虎杖くんは?」
「え?あ、俺は閑夜先輩が見えたんで来ただけっていうか……」



虎杖くんは少し困ったような照れ臭いと言わんばかりの顔で頭を掻くと、へへへ、とはにかんだ。え?何?可愛すぎない???と私の脳内で"可愛い"の文字が大暴れしていることを多分虎杖くんは知らない。いや、知らなくていい。これで引かれると流石に悲しいしめちゃくちゃダメージ受けるんで。何にしろ虎杖くんは後輩力が高すぎる。天使か?とそんな思いを抱えながらそっかァ、と努めて普通の先輩を装う。こういう時は自分の器用さを賞賛したいものだ。ハイ、頷く彼の事をこのままじゃ一生見つめることになりそうだったので意識的に財布へと視線を落とす。そして迷いなく200円を取り出して、さっきボタンを押したばかりの自販機へと押し込んだ。私の行為に不思議そうに首を傾げたキュートな後輩に「お好きなのをお選びください」とわざとらしい恭しさを作れば、え!と彼はただでさえ輝いている目をさらに輝かせて「いいの?」と問いかけてくる。勿論、と頷けば気持ちよくありがとうございます!と頭を下げて、虎杖くんは自販機と向かいあって何にしようかな〜!と楽しそうに選び始める。うんうん、可愛い。奢り甲斐がある。素晴らしい。


子供みたいに喜ぶ仕草に癒されている私のことなんて気付かない彼は最終的にサイダーに決めたらしい。透明感のあるパッケージの下のスイッチを押して、ガコン、と鈍い音と共に落下したボトルを取り出すと、すぐに蓋に手を掛けてカシュ、と空気の漏れる音を鳴らした。そのまま口を付けて喉仏を上下させる虎杖くんに、ゴクリ、と合わせて唾を呑み込んだ私はさぞ気持ち悪いだろうと自覚しているが、止められるものでもないから許して欲しい。はぁ〜と生き返った、と言わんばかりにスッキリした表情で、もう一度私に感謝の言葉を口にした虎杖くんのナイスな笑顔にデレデレと口元を緩めていいんだよ、と笑いかける自分の顔が酷い仕上がりでは無いか心配になるが、彼に何も言われなかったので良しとする。


大切そうにサイダーを抱えた彼と並んで歩きながらみんなの元に足を進める。騒がしい声が少し遠くで聞こえて、それが楽しそうでもあり、向こうへ戻れば虎杖くんと2人で過ごせなくなると思うと少し切なくもあるけれど、まぁ仕方ない。多分今頃パンダが一年の2人を徹底的に鍛え上げているところだろう。なんなら私も是非心から虎杖くんを指導したいけれど、彼のフィジカルには敵う気がしないし、教えられる事も多分無い。……え?私頼りない先輩すぎない?大丈夫?そんな思いを込めて見上げた虎杖くんの顔は楽しそうだ。意外と目頭のあたりの睫毛長いんだなぁなんて不純な気持ちで彼を見るのは自分でもどうか、とは思っている。でもやめられない。明らかにワクワクしている口元を見れば戻りたく無いなんて言えるはずもなく、勿論そんな度胸もなく、恋なんて綺麗なものとは程遠い、色で表すならどキツいピンクの馬鹿げた感情をひっそりと奥へと隠し込んだ。



「向こうもなんか楽しそうだね」



ほとんど定型文のような気持ちで呟いた言葉に虎杖くんはパチリ、と瞬きした。大きい目と少し小さめの瞳。独特な彼の目元はなんだか色々なものを見透かしている気がして、改めて見るとつい、目を逸らしてしまいそうになる。閑夜先輩?と私の名前を呼んだ彼は私を覗くために体を傾ける。しかし、次の瞬間私達の真上に現れた影と「あ!」と誰かの叫び声に反射的に揃って顔を上げる。迫りくる白と黒、奥の方で棘くんが焦ったようにジッパーを下ろそうとしているのが目に入る。あ、これ、潰され、



そう思ったのも束の間。瞬間的に宙へと持ち上がった体とタックルを受けたような物凄い衝撃に勢いのまま目を閉じる。すぐ隣で聞こえたズドン、と鈍い音に恐る恐る目蓋を持ち上げると大丈夫か!?と慌てた様子で立ち上がり心配そうに見つめてくるのは潰そうとしてきた張本人。すぐに彼はあまりにも露骨に目を逸らす。後ろに立っていた真希や棘くんも私を見るなり首から動かして、視線を私から外す。いったい何が、と、ふ、と見た腹の辺りにはしっかりと節のある男性の腕が回されている。そうだ、そういえば、と思い出し、頭を回して、目の前いっぱいに広がった虎杖悠仁フェイスにそのまま気絶しそうになった。いや、何これ??どういう状況??そんな気持ちを込めて虎杖くんを見つめたが、彼はすぐに私を抱き寄せたまま起き上がり「閑夜さん怪我は!?」と凄い剣幕で詰め寄った。予想以上の勢いについ息を詰めたが、こくこくと何度も頷けば流石に信じてもらえたようでそっかぁ、と彼も肩の力を抜く。めっちゃ焦った……と呟きながら、やっと笑みを浮かべた虎杖くんは、




「閑夜さんを護れて、良かった」




なんて、爆裂王子様みたいな発言をしてきたので後ろにまたひっくり返ってしまいそうになった。虎杖悠仁、なんて罪な子……!ガガーンと雷に落ちたような衝撃に身を固めた私に無事を悟ったらしい同級生たちはすぐに今度は伏黒くんや野薔薇ちゃんの所に散っていく。嗚呼なんて薄情な友人だ。私をただのいい先輩としか知覚していない虎杖くんは抱き留めてくれていた腕をそっと解くと先に立ち上がり、私に掌を差し出す。大きくて暖かそうな優しい手だった。ほんの少しついた砂利は私を助けてくれたときの勲章だろう、嬉しいような申し訳ないようなそんな気持ちでそれを見つめて、中々立ち上がらない私に彼は自分の手が汚れていくことに気付くと「すんません!」と慌てて叩こうとする。なんだかそれが勿体無いような気がして、彼が砂を落としてしまうより早く上から手を握れば虎杖くんは驚き目を丸くした。




「先輩、俺の手まだ砂とか付いてるんで……!」
「ううんいいの、このままで」




ありがとう、と心からの笑顔を作った私に虎杖くんはぽかん、と口を開いて静止したけれど、う、うす!とそのまま力を入れて私を引っ張り上げてくれた。それに再度感謝を伝えようとしたけれど流石に見ていられなくなったらしい真希に首根っこを掴まれた私はずるずると稽古中のみんなのもとに引き摺られる。慌てて彼に手を振ったけれど、回収しに来た彼女に空いている手でゴツンと脳天に拳を落とされて悶え苦しんだ。容赦ないなほんと!と騒ぐ私に後輩を虐めるんじゃねぇよ、と呆れた真希に人聞きが悪い!なんてブーイングする私は、残された彼が口元に手を当てて目を逸らし、耳を赤くしていたそんな事実なんて、知る由もなかった。






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