夏のせい





木陰に重なるようにしながら、背の高い彼の影が私を覆い隠す。少し明度が下がるその場所でも、彼の真っ白な髪と青い瞳は確かな光を携えてそこに存在し、私をじっとりと見下ろした。あぁ、なんでこんなことになってしまったのだろうか。珍しく妙に物静かな彼は何を考えているのかさっぱり分からない顔を私に付けている。いつもならニヤニヤと口角を上げてもおかしくないのに、どういう風の吹き回しなのだろうか。私達はただ、ほんの数分前まで炎天下の中組み手をして近接戦闘の特訓をしていた筈だ。五条くんは本当になんでもできる人で近接の殴り合いや組み方も物凄く上手だった。とはいえかなりセンスで動いているタイプらしく、投げられた後にコツを聞いても首を斜めに傾げて「ノリ?」と返されるのでアテにはならない。夏油くんなら聞けばいつも物凄く細かく教えてくれる分、彼らは仲は良いけれど、やっぱりあんまり似てないなぁ、とよく思っていた。まぁ、全部聞いてばかりなのもどうかとは思うし、たまには彼と組んで目で見て盗むのも必要にはなってくるだろう。うん、それは、いいと思う。じゃあ今の状況はどういうことだ?




ジジジ、と油蝉が鳴く林の近く。大きな木の下で太陽光を遮って一休みしようと彼が酷く疲れたように提案した事柄に私は快く賛同した。こんな気候の中動きっぱなしは熱中症にもなりかねないと事前に買っていたスポーツドリンクを一気に喉の奥に通して、ゆっくり息を吐き出す。暑いっていうのは嫌なものだ。夏だから仕方ないとは言え、体力も失われるし、汗で服や髪が張り付いて、ただただ気持ちが悪い。少し頭を後屈させ、手首に巻いていたゴムで簡単に結び上げれば、やっと少しはマシになったような気がする。暑いなぁ、と当たり前の感想をぽつり、と誰にという訳でもなく溢したが、ふ、と感じた視線の方へと自然と目を動かして、ピタリ、と身体が固くなる。宇宙を閉じ込めたような青い、蒼い、瞳。根元から先の方まで白い睫毛、神秘が込められた彼の目元に突然、捕まった。はく、と口を動かして吐息が吐き出される。日焼けを知らないような白い肌の指先が私の手首を握り、そのまま背中を預けられるほどの大樹へと磔にされた。


何がなんだかわからない。脳がぐらぐらと揺れて、起こっている状況を理解することを拒んでいる。ただ目の前の、ほんの少しの距離に五条くんの奇跡のように美しい顔があって、それが妙に熱が篭って見えているだけ、それだけ。蛇に睨まれた蛙はこんな気持ちだったのだろうか。声を出すことは愚か、息をするのにも気を使う。蝉の声に包まれたその空間は、なんだか現世から隔離されているような気分にさせる。初めて会った時も思ったけれど、五条くんの美形っぷりはどこか末恐ろしいものを感じる。それ程までに人間離れしているのだ。こうして向かい合って尚更感じる。五条悟は、底知れない。




「捺、」




びく、と情けなく身体が揺れる。彼の案外低い声が鼓膜を揺らして、それが連動するように背中が震えた。意図しない反応に私が生物として彼に劣っていることを再認識させられる。同級生にこんなことを思うのはどうかと思うけれど、私はもう、負けている。するり、と手首を押さえていた彼の身長に見合った大きな掌がゆっくりと上に滑り、指先が絡まる。私の自由が効くスペースを更に狭めるように彼は木に足をつけ、寄りかかる。もっと彼との距離が縮まって今度こそ息が出来なくなりそうだ。


本当にどうしてこうなってしまったんだろうか。私と彼はそんな関係じゃないはずだ。ただの同級生だし、なんなら他の2人よりも彼との関係は薄い方だったのに。特別何かをした訳でもなければ、何があった訳でもないのに。ごじょう、くん、と絞り出した声は情けないほど小さく、消えてしまいそうだったけれど、驚くことに彼は私をしっかりと見た。聞き逃していないぞ、とでも言いたそうな応えるような視線に呼んだのは私だったけれど、どうして良いかわからなくてまた口を噤んでしまう。私が何も言わないのを悟ると彼はゆっくりと私の首筋に綺麗なその顔を埋めてしまった。や、と抵抗する声が無意識に落ちたけれど、彼はやめる気がないらしい。すん、と匂いを嗅ぐような仕草が酷く恥ずかしかったけれど、逃さないぞと主張するように手を握る力が強くなり、私は全く動くことができない。どくどくどく、とどんどん速くなる鼓動に胸が苦しい。私もしかして死ぬんじゃ?と最早現実逃避に近い思考に陥り始める。



誰でもいいから、助けてほしい。どうにかこの状況を変えて欲しい。そんな祈りを捧げようとしたその時、汗で濡れた首筋にぬるり、と感じたことのないものが触れた。っひ、と引くような声が出して思わず大きく目を開く。な、に、と咄嗟に彼の顔の方へと目を向けると、視界に飛び込んできたのは綺麗に揃った歯の間からチラリ、と覗いく真っ赤な舌。それに私の首が舐められた、と気付くのにそう時間は掛からなかった。そのあまりの羞恥心に頭の先まで一気に沸騰してしまったように血液が駆け上った。自分でも信じられないくらいの力で彼の拘束を振り解き、ありったけの圧をお腹に掛けて「五条くん!!!!」と名前を呼んだ。びくり、と次に体が揺れたのは彼の方だ。驚愕したような顔で私を見た彼は捺……?と私の名前を口にする。彼もまた、正気に戻ったらしい。信じられないような顔をこちらに向けたけど、いや、それはどちらかと言えば私に許された反応だと思う。





「すみませんデシタ」
「……良くはないけど……まぁ、うん……いいよ」





ぺこり、と綺麗に頭を下げた彼が妙に居心地悪く感じて顔を上げるように伝えたけれど、五条くんの眉は酷く垂れ下がり情けないものへと変化している。さっきまでの鉄面皮は何処へやら、彼は一応本気で反省はしているらしい。なんであんなことをしたのかと問えばゆっくりと首を横に振って分からない……と言い始めたことに私は正直納得はしていないが変な理由がそこにあってもそれはそれで困るので"暑いから"ってことにしよう、と、くだらない提案をした。彼はこくりと頷いて深く肩を落とすともう一度ごめん、と私に謝罪した。こんなに普通に謝る五条くんは見慣れなさすぎてこちらとしても寧ろ申し訳ない気がしてくるのが、なんか、ずるい。



「……まあでも、強ち間違ってないかも」
「え?」


気まずそうに目を逸らしていた彼は私が聞き返したことでゆっくりとこちらに視線を向け直す。こんな時でも相変わらず綺麗な目だな、とか考えていた私に彼は「汗って、やっぱしょっぱいんだな」だとかとんでもないことを言い出したので、とりあえず一発背中を叩いておいた。





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