「やっと、見つけた」







染み付くような、暑い日だった。







蜃気楼でぼんやりと視界が掠れて、首筋を汗が伝うような真夏。蝉の声があたり一面に木霊して、どこかの民家の風鈴がたまに遠くで聴こえるような、そんな日。高専を出る前に見たニュース番組では天気予報士が日傘を片手に爽やかな笑顔で今日は35度を超えそうです、なんて、死刑宣告を口にした。高専の制服は呪術師らしさをイメージしているのかそれはもう真っ黒で、熱を吸収し尽くしてくるから夏場の任務は本当に勘弁してほしい。そうこう言いつつも私がこんな風に態々天気を気にしたのには理由がある。この日は本当に、本当に久しぶりの、彼との共同任務だった。



「夏油くん、」



私の声にゆっくりと振り向いた彼の髪は、記憶の中よりずいぶん長かったことをよく覚えている。こんなに伸びたんだ、と純粋に驚いてしまえるほどに彼との交流が少なくなっていたことがひどく哀しかったっけ。艶のある綺麗な黒髪は女の子の私なんかよりも手間暇かけてそうで、何使ってるの?としきりに迫ったこともあったなぁ。特に何も、と困ったように笑った彼のどうしたものかなぁ、って顔が結構好きだったな、なんてぼんやりと思い出した。思い出したからこそ、今の彼のどこが不安定な瞳が、雰囲気が、どうにも胸を騒つかせた。捺、と私を呼んだ声は変わらないはずなのに、何故だか彼が遠くにいる気がする。よろしくね、と笑った私に彼は笑い返さなかったのが、少し、寂しかった。






じりじりと肌を焦がすような炎天下の中、疲れた体に鞭を打ちながらなんとか歩を進めていく。任務自体は何の問題もなく終わったのに、あんまりな仕打ちではないか?と誰に言うわけでもなく愚痴った。実際彼は強い術師だったし、私もそれなりにここに至るまで努力はしてきたつもりだ。彼の戦い方をよく知っている以上フォローにも上手く回れたし、大して階級が高くはない呪霊数体なんて30分も掛からなかった。だからこそ、なのか。帰りのバス停の発車時間とスカスカの時刻表を見て私達はあぜんとした。必要最低限程度の会話しかしていなかった夏油くんでさえ「マジかよ…」と思わず溢していたのは物凄く感慨深い。だって、次のバスが来るまで1時間半もかかるなんて、誰が予想できたのだろうか。


流石に2人で話し合った結果、駅まで歩く方が早いと意見は一致したけれど、ほとんど何もない片田舎の畦道を話すことが見つからない相手と無言で歩くのは結構疲れる。景色に変わりも無ければただただ汗が流れるだけで、目の前に揺れる肩まである黒髪がその暑さを助長させている気さえもする。それがどうしても気になって夏油くん、と名前を呼ぶと律儀に足を止めて彼はまたゆっくりと私を見遣る。……ん?とワンテンポ遅れて問われたその反応は暑さのせいなのか、昔とあまり変わらない気がした。そうしているうちにも、ぽと、と毛先から流れた汗が彼の首筋を伝ったのが見えて、ごそり、と掛けたバッグの中から飾り気のない真っ黒のゴムを引っ張り出す。それから彼の掌にほとんど無理やり握らせて、括った方がいいよ、と提案した。夏油くんは思わず、と言った様子で目を丸くすると頼りないその一本のゴムの切れ端を凝視する。



「……今、汗かいてるけど」
「だから渡したの」



迷うように私とゴムを見比べた彼は暫くしてからゆっくりと息を吐き出すと慣れた手つきで器用に自分の髪を一纏めにした。飛び出した尻尾は昔より少し長いけれど、これで幾分か私の知っている夏油くんの姿に近付いた、と思った。似合ってるよ、と思ったままに伝えると彼は少し目を細めて「ありがとう、」と口にする。それが擽ったくて、いいえ、と首を振れば彼はほんのりと口角を緩めた。……笑った、と私が瞬きしたのには気付いていないらしい夏油くんは先ほどまでとは違い、私の隣を歩き出した。二つ分の影が夕焼けに照らされて地面に伸びて、それがなんだかとっても嬉しかった。





ポツポツ、と昔みたいな他愛もない話が続くようになった時、古びたトンネルを抜けた先に現れたのは一面のひまわり畑だった。思わず息を飲んだ私達はついその足を止める。畑には雑草も伸びていてもうずっと管理はされていないみたいだけけど、力強く背の高いひまわり達は皆が揃って太陽の方を向いて咲き乱れていた。吸い寄せられるように近付いていく私におい、と声を掛けた彼はまさか、とでも言いたそうな顔をしている。……そんなつもりはなかったけれど、その顔が私の好きだったあの表情に似ていて、つい、グイッと口角を持ち上げた。そして、そのまま私はひまわり達の中へと飛び込んだ。


遠くから彼の声が聞こえる。それでも私はずっとずっと走り続ける。目的はない。けれども、夏休みを謳歌する子供みたいに笑って駆け巡った。何処までも続きそうな茎達をかき分けて、どんどん奥へと進んで行く。だけど、次第に重なってくる疲労感と妙な心のざわつきに少しずつペースが落ちて遂には立ち止まった。キンキンと向こうのほうで響くヒグラシの声が妙に焦燥感を掻き立てる。背中を伝う汗が冷たくて、よく分からない不安が押し寄せた。……不思議なものであの瞬間は、世界に1人だけのような気がしてならなかったんだ。そんなはず無いのに、そんな訳ないのに、それを本気で信じようとしていた。





「ッ、捺!!」




彼に、そう呼ばれるまでは。


ハッと意識がこちらに戻ってくるような感覚。掴まれた手首と伝わる荒い呼吸に喉の奥がきゅっと狭くなった。顔を上げた彼はすごく必死な表情をしていて、げとう、くん、と返事をするように名前を呼ぶと、彼は息を整えながら少し屈めていた体を起き上がらせながら眉を下げて、笑った。



「やっと、───。」



お前、流石に本気で走りすぎじゃないか?と呆れ混じりに言うその声と、先にかかったノイズ。ぼんやりと歪む視界。意図せずに口から溢れた私の言葉に仕方なさそうに笑った夏油くん。そのまま掴んだ手首からするりと自身の手を滑らせて大きな手に包み込まれるように握られて、導かれるように黄色を抜けたんだっけ。あぁ、そうだ、これはもうずっと前の記憶。夏油くんも、私も、もう……









差し込む朝日に目蓋が開く。カーテンの隙間が作った光の筋がちょうど私の頭の上を走っていた。時計を見たけれど普段の起床時間よりは心持ち早くて少し損をしたような気分になった。焼きついて離れないのは大輪のひまわりと、彼の柔らかい表情。……夏油くん、とその名前を本当に久しぶり声に出した。今彼は何をしているのだろうか、何処で生きているのだろうか、あの時私に出来たことはあったのだろうか……考えても考えても答えは出ない。だけど私の頭の中にはあの時の彼の言葉がグルグル回った。今度は多分、私がそうする番なんだ。優しくて穏やかで、五条くんといる時は少し悪くなっちゃう彼がすきだった。いつもしょうがないなぁと笑ってくれる彼がすきだった。いや、今も、好きなんだ。




「……次はわたしが、みつけるよ」




貴方があの時、見つけてくれたみたいに。微睡んでいくような意識の中で私の記憶の中の夏油くんが私の好きな顔で笑ってくれた、気がした。






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