難解難読後輩






狗巻棘という私の後輩は、何を言っているのかよく分からない。









真希とパンダが訓練しているの側から眺めているマッシュルームヘアがふわふわと風に乗って浮かび上がる。クリーム色の目に優しいカラーリングは狗巻自身の性格を表しているみたいに穏やかだ。他の後輩より少し身長が低くて、童顔なせいか少年らしさが拭切れないが、こうやって尻が汚れるのも気にせず地面に腰掛けたり、堂々と胡座をかく姿は実に男らしくもある。藤のような品と透明感を持ち合わせた瞳は戦いに没頭している2人にだけ向けられていて、なんだか少しだけ面白くない。





「お疲れ様」
「……しゃけ!!」




ぴと。冷たいスポーツドリンクを無防備な首筋に押し付けてやれば、びくりと肩を揺らした彼が猫みたいに飛び上がる。驚いた時すらウッカリと意味のある言葉を口走らないそのプロ意識は中々見習いたいモノだ。ごめんごめん、と対して悪びれずヒラヒラと手を振った私に狗巻は少し不満気な顔をしたけれど、軽く横にずれてスペースを空けてくれるあたり根がいいヤツなのは間違いない。ありがと、と短い感謝を述べながら促されるままに青々と茂った芝生へと体を落とそうとした。が、ハッと途中で何かに気付いた様子の彼は突然、私の腰を両手で"ガッチリ"と掴んできた。流石に予想もしていなかった行動にぽかんと口を開けた私は物理的に動けなくなり、そして何故か掴んできた狗巻自身もコンクリートで固められたみたいにピタリ、と動きが止まる。



…………数秒の沈黙。目を大きく見開いて明らかに動揺している狗巻の顔が急激に赤く染まっていくのが分かる。いや、顔だけじゃない、きっと体全部に血液が循環しているんだろう。それを証明するように私の腰を未だ思い切り掴んでいる想像していたより大きく、男らしい掌からも溢れんばかりの熱が伝わってきた。じくじく、と彼に触れられている箇所から火傷していくような不思議な感覚。よっぽど照れてるんだな、と寧ろ冷静になりつつある私には、お、かか、と何度か突っかかりつつも鰹節について呟く彼の意思はやっぱり読めたモノではないが、兎に角、何かしら否定したいのだけは何となく分かる気がする。





「おかか!おかか……!!」
「わ、分かったから……なんか事故なんだよね、多分?」
「しゃけ!!!」





オーバーなくらいに頷いて見せるそれは疎通が難しい術式故の行為なのか、はたまた焦りからなのか判別は難しいけれど、やっと私から腕を離した彼は物凄い勢いで自分が羽織っていた上着を脱ぎ、少し乱雑に私が座ろうとしていた芝の上に広げてみせた。パチパチ、と数回気が抜けた瞬きをする。……もしかしてコレ、私の服が汚れないように?


まさに先程考えていたのと近しい事で彼に気を遣われた偶然に素直に驚いた。だから彼は私が座るのを阻止したかった、という事だろうか?にしても方法があまりに乱暴な気がしなくはないけど、中々可愛らしい後輩じゃないか、と、つい口角が持ち上がる。ふぅん?とニヤついた私を怪しむように「こんぶ……」と唸る狗巻クンがなんだか面白く見えてきた。たまにはこういうのもイイかな、そんな気分でぐっ、と私は彼の耳元に顔を寄せる。





「……セクハラじゃなかったんだ?」
「っ!?しゃけ!しゃけ!!」





態とらしい、色の乗った声色。狗巻は反射的に私から離れようとしたけれど、それを阻止するように彼の手を握る。信じられないものでも見ているような失礼な視線に先輩に向けるようなものじゃないぞ、と含み笑いを溢しながら「ありがと」と今度は普通の言葉で唇を動かした。彼はまた疑うように暫く黙り込んだけれど、ゆっくりと小さな声で……しゃけ、と答えてくれたあたりやっぱりなんて言うか、イイコなのだ。これが秤辺りだと散々言われるか、それこそ馬鹿みたいに下品な言葉が飛んでくるところだ。私らより下の学年はみんな真面目なんだもんなぁと、と自分たちの不真面目さが憎らしくなった。





「それ、困んないの?」
「しゃけ?」
「だからそれだって」





狗巻は眉を八の字にして酷く困った顔をしていた。私の疑問は至って普通だと思うけれど、後輩たちの中ではベターではないのだろうか。少し迷うように目線を彷徨わせてから、狗巻は自らの左手と繋がっている私の甲に自由な右手の人差し指で「なれた」とひらがな三文字をなぞって見せた。なんだ、筆談は出来るのか。これなら案外分かるかもしれない、そう思ったら最後。好奇心の赴くままに、誕生日は?血液型は?好きな食べ物は?とくだらない事ばかりを聞いて、徐々に私の中の狗巻データベースが埋まっていく。大半が特に有益な情報ではないのが玉に瑕だが、今度の誕生日には適当に奢ってやろうかな、とちっぽけな先輩らしさを芽生えさせた。狗巻は終始困惑したような表情で私を見ていたけれど、それはそれで面白いから気付かないふりをしておいた。多分大方、急に絡んできてなんなんだ?とかそういう意味合いでしょ、きっと。





「じゃあ好きな子はいるの?」
「!?ッお、おかか!!」
「いない?……なら"もしも"でいいや」
「こんぶ…………」
「狗巻はさ。好きな女の子が出来たら、どうやって告白するの?」





狗巻は再度驚愕したように目を見張る。少し引き攣った頬からは焦りや戸惑いがまじまじと感じられて、その分かりやすいリアクションがちょっと心地よくもある。正気か?と言いたげな狼狽した表情にはとても揶揄い甲斐があり、もはや緩む頬を押さえもしなかった。狗巻も自分が弄ばれていることぐらい分かっているだろう。彼はきっと理解しつつ私のお遊びに付き合ってくれている。その優しさや気の良さに甘えてしまっている私はダメな先輩か、それを飛び越えてダメな女とでも思われていそうだなと自嘲した。


狗巻は、暫く黙り込んだ。さりげない優しさからか私の手をずっと握り返してくれていた力が弱くなり、するり、と熱かった男の掌がゆっくりと離れていく。それに漠然とした寂しさを感じてしまうのが、私のどうしようもない移りげなところなのかもしれない。別に狗巻と私の間には何もない。まともに2人で話すのすら今日が初めてだし、こんな甲斐性もないセンパイに絡まれてしまった彼は可哀想だ。アニメとかでよく見かける天使と悪魔みたいに、善の心を持つワタシが狗巻に同情している。まぁ、ちょっかいかけているのもまた私なんだけど。





「ね、どうすんの?」
「……明太子」





それは、その日初めて聞いた語彙だった。めんたいこ、私が一番ご飯に合うと思っている食材。たまたまなんだろうけど少しだけ引っ掛かった。狗巻は一度離した手を今度はしっかりと、指を絡めるようにして握り、顔半分を覆っているジッパーをじ、じ、じ、と首の辺りまで大胆に下ろして見せる。それはなんだかイケナイ物を見ている気になって、どくん、と心臓が脈打った。なんなんだろう、この感じ。目元とバランスの取れた艶めいた唇と、その横の紋様がやけに色っぽく見えた。いぬまき、と零れた声が少しだけ頼りない。変だ、すごく、変な気分だ。






「……───。」
「…………ぁ、」





はくはくはく。 やっぱり少し大袈裟に、はっきりと動かされた彼の口と、同時に爪先でなぞるように描かれたひらがな三文字。ただのフリなのに、生真面目で、意を決したみたいな真っ直ぐな眼差しに何かが深く、ふかく突き刺さる。声にならない、でも苦しくなるくらいに伝わってくる感情に頭の奥の方がクラクラした。思わず、それほんとに呪言じゃないの?と独り言みたいに尋ねてしまった私に狗巻は一瞬キョトンとしてから、すぐ悪戯っ子みたいな顔で笑い、





「しゃけ」





と呟く。幾ら見つめ返してもやっぱり何が言いたいかは全く分からないけれど、それに続けるみたいに「よかった?」なんて文字を書き、半ばいやらしい問いかけをしてきた後輩のデコを思い切り弾いてやった。先輩を揶揄うなバカ。赤くなった額を押さえながら声にならない声を上げて悶える狗巻の、おかか……と共に添えられた恨めしそうな目が「あんたが先に揶揄ってきたんだろ」と訴えかけていることに気付き、私がそこで初めて狗巻語を理解出来たのは言うまでもない。









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