爆発サイダー




「え、灰原って妹いたの?」
「あれ、言ってませんでした?」






キョトン。そんな効果音が何処からか鳴りそうなくらいにあざとく首を傾げた後輩の後輩力に感心しつつ、初めて聞いた、と素直に答えると、なら今話しますね!と相変わらず元気そうに彼は宣言した。こういう時に「前話したんだけど」だとか、深く突っ込むのではなくカラッと切り替えることが出来る彼は一般的な世渡り上手に該当するんだろう。私もそんな姿に流されている1人だ。灰原は何というか、眩しい。この鬱憤とした呪術界の清涼剤と言っても過言ではないくらいに爽やかで、綺麗な青年だった。明らかな好青年オーラに始めは気圧され、何なら警戒すらしていたが、関われば関わるほどに自分が愚かに感じるほど彼はいい子だった。





「うちは呪術師の家系じゃ全然無いんですけど、妹も自分も昔から呪いとかそういうのは見えるタイプだったんです」
「へぇ……じゃあいつか妹さんも高専に?」
「あ、いや!それは止めてます!」





止めてる、という言葉が彼から返ってきたのは少し意外な気がして、パチパチ、と思わず瞬きした。彼は見るからに良い兄なのが伝わってくるし、高専入っても面倒見てあげるタイプなのかと思っていたけれど、見当違いだったようだ。ふぅん……?と曖昧な返事を返した私に灰原は少し眉を下げて困ったような笑顔でブンブンと手を振って、妹が嫌いとかじゃないですよ!と否定する。別にそうとは微塵も思って居なかったけれど、彼のそんな表情は凄く珍しい気がして、つい、見入ってしまった。太陽みたいな明るい笑顔でいつも挨拶してくれるのが印象的だったけれど、こう見ると彼も中々アイドル系の顔立ちをしている気がする。高専はイケメンが多いな、としみじみ考えながらじっと見つめた私の視線の意図は彼には届かなかったらしい。疑われていると勘違いした彼は慌てて言葉を付け足していく。





「そりゃ一緒の学校で学べるのは凄く良いことだと思うんですけど……やっぱ、こっちに来ると戻れなくなると思うんで」
「戻れない?」
「ハイ!なんていうか何時死ぬかとか何があるかとか予想できない世界だし、せめて自分はアイツには普通の女の子で居て欲しいっていうか……って、こういう兄貴ってキモいですかね!?」





ばっ、と勢いよく私を見る彼は子犬のような目をしている。助言を求めるような眼差しにほぼ反射的に目を逸らすと、灰原は分かりやすくショックを受けたように肩を落とした。別にキモいとかそういう訳じゃないけれど、彼の丸っこい目にどうにも弱くて、よくこうやって目を逸らしてしまう。純粋でガラス玉みたいなそれ見つめられると、なんだか自分が余程彼と並ぶのに烏滸がましい人間のような気がしてくるのだ。そんな事を本人に言えばものすごい熱量で否定してくれるのは目に見えてはいるが、それはそれで気恥ずかしい気がして言い出そうとは思えなかった。





「いやその……別にキモいとは思わないよ、寧ろそんなにしっかり考えてるのにちょっとびっくりした」
「本当ですか?ならよかったぁ……」





胸を撫で下ろして息を吐き出した灰原の横顔は、やっぱり綺麗に整っている。私は彼に言った事は概ね、本音だ。私の中の彼のイメージはいつでも前向きで、真摯に生きる人間として長らく固まっていたけれど、どうやらそうではないらしい。案外私は、彼のことを……灰原のことを表面的にしか知らなかったようだ。恐れなんてないように走っていく彼を後輩ながらに尊敬もしていたし、それでいて少し心配もしていた。猪突猛進な彼がそのまま、大気圏に突入した人工衛星みたいに燃え尽きてしまうような、そんなビジョンがぼんやりと頭の中を巡った。ロマンを求めて宇宙を飛ぶそれと、彼は何処か似ている。






「……捺さん、捺さん!?」
「……え?」
「サイダー!めっちゃ噴き出してる!!」






彼の必死の呼びかけに引き戻された意識。言われるがままに手元に目を向けると、爆発でも起こったのかと言わんばかりにプルタブの開け口から溢れ返った透明な液体と泡で自分のスカートがぐっしょりと色が変わるくらいに濡れていることに気付いた。あー……とあまりの惨劇に最早思考が停止して大した言葉も出ない私に「反応薄!流石いつも冷静な捺さんですけど……!」とか言いながら灰原は慌てて立ち上がり、何処かに走って行ってしまった。すぐに遠くなる背中にアイツ、足速いな、とかどうでも良い事を考えつつ、既にただの缶に変わってしまったそれをギュッ、と形が歪むくらいにまで握り潰した。可愛い女には程遠い自身の馬鹿力に呆れつつ、ふ、と自嘲した笑みが溢れた。どうせなら灰原の妹にでも生まれた方が幸せになれたかもしれない。




「わ、全部零れちゃったんですね!」
「……灰原、」
「すみません1人にしちゃって。でもこれ家入さんに言って取ってきてもらったんです!」




着替えちゃいましょうか、と私に言う彼の声はなんだかいつもより穏やかな調子が乗っかっていた。バスタオルと替えのスカートを手渡してからベンチの周りをハンドタオルで丁寧に拭い始める彼の手際は良く、不思議と慣れを感じさせる。そんな私の感じた疑問を汲み取り応えるように灰原は「昔妹もよく溢れさせてたんですよ」と独り言のように呟いた。心を読まれたような感覚に少し居心地が悪かったけれど、彼の頬が嬉しそうに緩み、その視線が終始柔らかく甘く見えるのに目が離せなくなった。ツキンと理解が追いつかない胸の痛みを一瞬感じて、ひっそりと深呼吸をする。あぁ、息苦しい。妹でいいと思う癖に、今こうして私はそれを嫌がっている。きっと彼の大切な存在よりも子供っぽいであろう私の感情は、間違っても灰原には見せられない。





「でも、なんか嬉しいです」
「……汚れを拭くのが?」
「あ、揶揄ってますね?違いますよ、捺さんのちょっと珍しい抜けたところを見れたのが、です!!」





思いもよらない言葉が勢いよく飛び出したことに、は?とあまりにも可愛げのない声が落ちた。戸惑う私に気付いていないのか、灰原はそのまま「少しは頼られてるみたいで良かったです」話を続けた。意味が、わからない。混乱する頭の中に彼の少し高めの、それでいて確かに男性のものである声がジンジンと響いた。




「捺さん優秀だからなんでも一人で出来ちゃうじゃないですか」
「そんなこと、ないけど」
「いや、あります!絶対あります!!だから、こういうとこ見れると捺さんも生きてる人間なんだなって」
「……それは、褒めてるの?」
「自分はそのつもりです!」




そう言いながら晴れやかな笑い声を漏らす彼に少し欠けた窓から陽射しが差し込んだ。真面目を象徴するような艶のある黒髪を照らし、細かな埃がそういう演出に見えるくらいに、今の彼は綺麗だった。それが外見的な意味なのか、内面的な意味なのか、それとも両方なのかは分からないけれど、私の目には彼は兎に角美しいものに映った。よし、と小さく頷いた彼は立ち上がると、くるり、と私に背を向けて「ここで他に人が来ないか監視してるんで着替えて下さい!!」なんて言い始める。数秒の沈黙の後、……本気?と尋ねたけれど、ハイ!と大きな返事が飛んでくるだけだ。こういう時のこの男が引くとは思えなくて仕方なく息を吐き出して了承すると、彼は腕を後ろで組みながら休憩所の外を文字通り"監視"し始めた。


鼻から息を吐き出してから非常に緩慢な動作で靴を脱ぎ、それからストン、と汚れるのも気にせずにスカートのホックを外した。なんとも虚しい話だ。さっきは少し彼の伝えてくれた言葉を嬉しく思ったが、やっぱり彼にとって私は所詮、後ろで着替えても何の感情も湧かない女なのだろう。ほぼ無感情で手放した濡れて重くなったそれは重力に従って落下し、地面に落ちると共に土埃が舞った。そしてそれとほとんど同じタイミングで、目の前の灰原の肩が、びく、と少し揺れた。……見間違いか?と下着を露出したまま後輩を見つめる私は側から見ると滑稽極まりないのだろう。いや、見られても困るけれど。腰のあたりでゆるく絡まっている彼の両腕は心なしか先程よりもソワソワ、と落ち着かなさげに動いている気が、する。もしかして、と淡い期待を抱いた私は、気付けばその言葉が脳に信号として送られるより先に、喉を震わせていた。






「……もう、いいよ」






今度は彼の身体が先ほどよりもはっきりと、大きく揺れた。爽やかな風が何も纏われて居ない足元を通り抜ける。灰原はほんの少しだけ黙った後「嘘、ですよね」と何時になく真剣な声で言い放った。それに情けなく体を震わせたのは私の番だった。バレていた、彼はきっと、私が今どんな格好をしているのか分かっていた。恥ずかしさを通り越して自分のバカな行動に血の気が引いていくのが分かった。こんなの、絶対おかしい女だと思われた、痴女か何かだと思われた。どうしよう、こんなの、もう、






「僕、は、そういう冗談とか……あんまり分かんないっていうか、」
「はい、ばら……?」
「だからそういう事されると……かッ……誤解しそうになるんで!!その、自分に限った話じゃなくて男なら皆そうだと思うんですけど!!!」






私は、さっぱりと切り揃えられた髪からよく見える彼の耳が真っ赤に染まっていることに気付いた。自らの手を強く握って何かから耐えるような仕草をしていることに気付いた。じわじわと顔に熱が集まって、息が詰まって、でも、言わなきゃいけない。今伝えないといけない、と、込み上げた衝動のままに少し裏返った声で「冗談じゃ、ないって言ったら……?」と動いた唇に彼の動きがピタリ、と止まる。今度は首まで赤くなった灰原は暫くの間黙りこくっていたが、まずは、と仕切り直すように口を開いた。






「……やっぱりスカートは、履いて下さい」
「は、はい」
「それから、本当はこう、もっと自分を大切にして欲しいとか僕から色々言いたい事はあるんですけど!」
「……」
「改めて……ちゃんと、告白、させて貰っても良いですか」






ほとんど私の聞きたい"答え"を口にした灰原にドキドキと痛いくらいに心臓が煩くなり、震える手で彼の持ってきてくれた新しいスカートを足に通した。ちらりと見た彼の背中はやけに男性らしくがっしりしたものに見えて戸惑いを隠せない。次に振り返った彼がどんな顔をしているのか、そして今の私がどんな顔をしているのか、不安と好奇心が入り混じる中、ジッパーを引き上げ、ホックを腰のあたりでずれ落ちないように止める。"もういいよ"かくれんぼする時みたいな声かけには今度はもう嘘は混じっていない。振り返った彼が少し口を尖らせだ赤い顔で物言いたげに私を見た。でも、すぐにごほんと咳払いをして、瞳に真っ直ぐな光を携え、そして、彼はその言葉を口にした。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -