伝えたい言葉はシンプルで

※WJ132ネタバレ


















「本当に、なくなっちゃったんだ」





ぽつり、と呟いた捺にゆっくりと視線を向ける。じっと俺の左手を見つめる彼女の表情は読めない。悲しんでいるのか、怒っているのか、はたまた、そのどちらでもないのか。いつにも増して静かなその顔はどこか恐ろしさまで感じさせた。別に、俺はこの判断を間違っていたとは思っていない。腕を切り落とさなければ侵食は止められなかっただろうし、何より、あの場にブラザーだけを遺してしまうのは何より避けなければならない事だった。結果的に彼の成長を目の前で見ることもできてそれなりに満足はしている。後悔はしていない、だが、不便ではあると思う。高田ちゃんの握手会で彼女の手を包み込むように握れないのはそれなりに悲しい。あぁ、高田ちゃん……それでも彼女はきっとそのキラキラした眩さで俺を包み込んでくれるんだろうけどな。



暫くそうしていた彼女は突然、包帯で巻かれたそこを思い切り握った。いや、握った、というよりは掴んだ、と言う方が近いだろうか。かなりの強さと勢いで触れられて流石に少し驚いたが、見上げてきた彼女に首を振って先に痛くはない、と伝えた。心なしか口を尖らせて不満そうな顔をした捺に「そういう趣味なのか?」と聞くと「葵くん、すぐ心読むから」と答えた。なるほど、痛がらなかったのが不満だったのではなく、俺が彼女の言いたいことを察したからだったのか。そこまでは分からなかったぞ、と読んでるわけじゃない、と暗に伝えれば彼女は眉を顰めてジトリ、と明らかに信じていない顔をしていた。



「でも、あったかいんだね」
「まぁ、生きてるしな」



そう、生きている。正直に言えば俺はある程度死ぬ覚悟も出来ていた。ブラザーと共に戦ったあの呪いは並大抵の階級ではなかったし、厄介な相手だった。だからこそ自分達が仕留めなければならないと強く感じた。魂に触れて体を変形させるなんて、惨く面倒な力は早めに摘むに限る。これ以上被害が出る前に、これ以上、仲間を傷つけさせない為に。それは多分ブラザーも同じだったはずだ。

不思議なことに、ブラザーのフォローに回っている間は自分の中に焦りは無かった。彼なら決めてくれる、その確信があった。自分の腕の一本を犠牲にしても構わないと思わせる煌々とした、それでいて暗く、深い魅力は並の術師では出せないだろう。それだけ虎杖悠仁には突出したナニカがある。ただ、あの時、頭に浮かんだのはこれからの不安でもなく、術式を失う絶望でもなく、




「私の手をあげたら、使えるようになるかな」




そんな思考を中断させるように、俺の鼓膜を揺らしたのは素直な言葉だった。顔を上げて見えた彼女の表情にも、女性らしい高めの声で発せられた飾らないストレートな物言いに、嘘や冗談は含まれていないことがすぐに分かった。自分の左手の手首より先を丸い目で見つめる捺は誰が見ても危うい雰囲気を漂わせている。彼女の感情は相変わらず読み取れないが、彼女がどんな想いで、どんな考えでそう言ったのか、大体の予想はつく。

一瞬、両手を動かそうとしてから、すぐに気付いて右手だけに力を入れて彼女の左手の上に重ねた。小さな手だった。多分、高田ちゃんよりも。幾ら呪術師として戦っていても、こうしてみれば捺はただの同い年で同学年の女子だと痛感した。俺も、彼女も、慣れ過ぎてしまっていたけれど"普通"の高校生は顔見知りが殺される心配も、友人の体が欠損する恐怖も、抱えていないんだろう。そんなこと考える時間なんて、無いんだろう。それが少し不思議な気がした。




「捺と俺じゃ大きさが全然違うだろ」
「……ほんとだ」
「お前の細い手を俺に縫い付けたらめちゃくちゃアンバランスになる」
「うん、」
「だから、やめとけ」
「……うん」




俺の言葉を噛み締めるように頷いた彼女からは先ほど感じた危うさがスコン、と抜けていた。重なった俺と自らの手を見つめて、何度も、そっか、と納得させるように呟く姿に複雑な気分になる。それから、ごめん、と謝った彼女の目にはやっと少しだけ光が戻った気がする。いいや、と静かに首を振った俺に捺はもう一度謝罪の言葉を口にしたが、俺にとっては彼女に謝られるような事柄なんて一切存在しないので少し居心地が悪い。誰が悪い訳でもなくて、俺に責任がある、それだけの話だ。

他の人物と手を叩くだけでも発動できる術式だ、全てを失ったわけじゃない。なんなら捺が俺の左手の代わりになってくれてもいいぞ、なんて言ってやろうと思ったけれど、今の彼女は本気でやりかねないからやめておいた。嫌なわけじゃないが、何よりも俺を優先してしまうような、そんな縛り方をしたく無かった。彼女は普段は落ち着いているのに、たまに真っ直ぐになりすぎるところがある。それはいいところでもあるし、直すべき箇所だとも感じている。そうしないと今みたいに、後先考えずに本気でそうしようとする機会がまた訪れてしまうだろう。これから先俺や俺以外の誰かがもっと大怪我をする場合や、最悪の場合に至る可能性もある。そんな時にまた彼女のメンタルが落ち込んでしまえば暴走したり、それこそ超えてはいけない一線を超えてしまいそうな決断力がある。こう見えて意固地で頑固な時がある。それもまぁ、魅力ではあるし、ガッツのある女のことは俺個人としては割と好きな方だけどさ。





『嘘ばっかり』





不意に響いた声にバッと振り向いた。綺麗な黒髪をツインテールにした最高に綺麗で可愛い高田ちゃんは少しツンとした表情で教卓の上から俺を見下ろしていた。な、何を……と戸惑う俺の額を指先で少し強めに突いた彼女は俺を責めるような目をしている。『割とじゃないよね?』語気が強くなった彼女の言葉にごく、と思わず唾を呑み込んだ。割とじゃない、その言葉は俺を真理をさっきのデコと同じくらいに強く突いた。



『なら早く、伝えないと』



君も彼女が居るうちに。最後にそう呟いて教室のドアから出て行った彼女の言葉の胸の中にしみじみと伝わっていく。あぁ、そうか、そうだ。明日もこうして俺たちが普通にいられる保証なんてないもんな。ありがとう高田ちゃん、やっぱり君は俺の天使なんだろう。大切なことはいつも高田ちゃんに教えられ、気付かされる。やっぱりめちゃくちゃいい女だ。



「あのさ、」
「ん?」



俺のかけた言葉に彼女は顔を上げる。先程より少し良くなった顔色に安心の息を吐き出しながら、思考を巡らせる。何せ突然のことだ、なんの準備も出来ていないし、言葉すらも浮かばない。でも、今言わないとダメな気がする。高田ちゃんにも背中を押されてんだ、頑張らない理由はもはや無い。階級の高い呪霊と対峙した時の、いやそれ以上の緊張が体に走る。こんなに緊張することは随分久しぶりだ。この緊張が少し愛しいような気さえしつつ、考え抜いた結果浮かび上がったその言葉を彼女に、伝えた。





「好きだ」





目を丸くして固まった彼女が次に動き出すまで、あとほんの、数秒……







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