「ああ本当に、忌々しいったらないわね」

 独特の、それでいて緊張感漂う様々な器具が置かれた室内。
 通称【アレシアの部屋】。
 許可なき者はいかな人でも魔法局を収める立場たるアレシア・アルラシアがゾッとするほど冷たい声で追い出し、自らも表に顔を出さず、何をしているのか正確に知っているのは本人とほんのごく僅かな人間だろうとも囁かれている。エントランスに付随する軍令部第二作戦課に詰める武官や部長とは違い、おそらく候補生でも顔をしっかり合わせた人物は、滅多に居ないのだろう。―――― 魔法局は独立性が他と比べて一段と高く、高度の機密事項も数多く有する。当然といえば、当然か。

 そんな魔導院内でもお見かけが難しい存在は現在、特殊な装置に入ったファントマをけろっとした面持ちで差し出す娘に対して秀麗な顔を歪め、冒頭の台詞を言い放った。
 当たり前ながらこの部屋にいるのはアレシアと依頼達成報告しに来たゼルディアしかいない。つまり、向けられたのはゼルディアである。「……忌々しい上に、理外の理だなんて。何度でも聞くわよ、何が目的?」睨めつけられる細長い目に、伏せていた顔を上げてゼルディアは微笑んだ。

「生きていてほしい人がいます。それを助けたいんです」
「ずいぶんと抽象的ね。はっきり言ったらどう? あの子が望みだって」
「やだなぁ、あの子は物じゃありませんもん」

 片や冷めた眼差し、片や、不自然なほどな笑みによって部屋内の温度はもはや絶対零度の域に突入しつつあった。
 煙管からくゆらせる煙がふぅっと辺りを囲い、苛々を隠すことなくアレシアはため息をつく。生産性のない会話は今に始まったことではない。何万、何千万、何億もの繰り返された、いわば恒例の尋問である。最初こそ彼女の持つ魂≠フ意外性に一目置いていたが命令を聞くどころか、入力さえ弾き拒む自律人形からはすぐに興味が失せた。求めるのは命を燃やし、文字通り死力を尽くして戦い抜いた先にもたららせるであろう煌めきを持った魂だ。その枠組みから外れるのであれば、手心を与える必要もない。

 そのはずなのに。

 ゼルディア・コノハナはいくらアレシアが螺旋の外へ吹き飛ばそうとしても、正体不明の堅牢な守りに手が出せなかった。世界を形作る側のアレシアですら、手が出せない魂。
 幾度となく輪廻し、調べてみても欠片すら舞い降りないそれら全てをひっくるめて忌々しいと、アレシアは常々思っているのだ。放っておけばいいのに、力の源を探るためには本人と会話するしか手段はない。もう一度アレシアはため息をつき、口を開く。

「あの子たちに必要だとでも?」

 記された歯車うんめい通りに行動をするあの子たちにそれぞれ自我があったとするならば、早々にこの世界に見切りをつけていた。
 その兆しがないからこそ、アレシアはいまだここに留まっているのだから。
 が、ゼルディアは重く受け止めるものではないのか特に身構えることなく、言った。

「必要不必要とかではなくて、あって然るべき……いや、人間として生を受けた以上、必ずあるべきものですよ。ドクターアレシア」

 もう用はないと立ち上がったゼルディアの目は、笑っていない。

「彼らは人です。人であるはずの、こどもです。ゆめゆめお忘れなく」
「覚えておくわ。さっさと出ていって」

 立場としてはアレシアが上。そのため退出の時は一応会釈して出るのが筋だが、既に視線は合わなかった。
 扉を閉め、魔法陣に飛び移る。
 息が詰まりそうだった。どれほど邂逅を重ねて、目を合わせて話ができるようになっても、あの誰かを威圧する雰囲気は完全に慣れることはできなかった。訪ねる用件が用件なのでテラの同行を丁重にお断りしたのを、微かに後悔するぐらいには、息がしにくかったのだ。
 しかし、とゼルディアは朱の滲む光に目を閉じ、思う。
 作り上げた虚像か、演じる偽物か。0組と関わる際に見られる優しい母の顔は演技だとしたら、本当にお見逸れする。特殊な環境下にいたせいで他者からの感情に聡い彼らは、悪く言えばアレシアに依存しているのだ。穴が、見当たらなかった。誰だってどこかしらに綻びの穴があるのに、彼女にはそれがない。

 深く考えるほど、泥沼の底へと沈んでいくようだ。ふわりと一瞬身体が浮く感覚に、そろそろだと目を開ける。

「おっ」

 エントランスへ転移した瞬間、横から明るい声が届く。見遣ればバンダナを額に巻いて手をふらふら揺らす男子候補生が、へらへら笑いながら歩み寄ってくるところだった。「ナギ」ゼルディアは彼の名を紡ぐ。
 どうやら明確な用事で自分を探していたらしい。自然とゼルディアとナギは人目のつかない廊下の隅へと移動する。
 通り過ぎる候補生や訓練生たちの波が落ち着いた頃、ナギは明るさそのままに大仰な手振りで顔の横で指を弾いた。彼のよくする癖だ。

「お疲れさーん。どうだったよ、ドクターアレシアとの会話は」
「別に何も? 依頼をこなしただけだよ」
「そーの依頼が特例すぎんだろって話だよ。なんだゲッパクファントマ30って。下手したら死ぬぞ」

 至って真面目に心配げな表情のナギの言葉に、薄く笑っていたゼルディアは顔色を変えた。そして声を小さく、低くさせ呟く。「……、……四課も絡んでるわけ?」基本、アレシアとの個人間で交わされる取引は誰も知らない。魂自体が機密性が最も高い影響もあり、稀に例外で諜報部と連携することもあるにはあるが、ゼルディアは今回聞いていない。
 眉を顰めると、肩を竦められた。

「ちげーよ、テラがゲロった」

 まさかの情報源である。

「なにしてんの……お得意の技術を無駄に使わないでよ……」
「おいおいどんな想像してやがる。仲間に対してそんなことするわけねえじゃん。単なるお話し合い、、、、、だよ」
「いずれにせよ情報に関する強請りじゃない……」

 恨めしく睨むが、目の前の男は何処吹く風。
 その背を彩るは茶のマント。魔導院でもまぐれクラス、落ちこぼれクラスと言われる9組の証のそれ。
 ただし―――― 表向きだけを見てしまえば、の話だが。おちゃらけた空気を放つナギは、否、ナギを含めた9組の実態は表沙汰に公表できない薄暗い任務を主要作戦とした、諜報四課と、その予備生が集う汚れ仕事を担う組織がある以上避けては通れない、闇の道を踏みしめるクラスだ。
 本格的な戦争が勃発する以前から彼らは暗躍し続け、時には候補生の試験を合格パスしながらも編入時期を意図して遅らせていたゼルディアとテラとも交流があった。引き合わせたのは院長だった。

「朱に染まるためとはいえ、ほんとに無理はすんなよ〜ゼルディア強いのは知ってるけど、命はひとつだろうが」
「いやどこまで知ってるの。それ、テラにしか言ってないの、に………、いやいい、わかった。なんとなく流れ読めた」
「テラの口を割らせた」
「ですよねー! あああごめんテラァ……」

 二重に負担をかけてしまったことに平謝りしつつ、ゼルディアはもう開き直ることにした。
 人通りが少ない廊下でも誰がいるか分からない。言葉を遊ぶように選んで、ゼルディアは腕を組む。

「と、まあ。雑談はここまでにして、ほれ」
「……?」
「朱マント。指示は出てるんだろ? ついでに持ってきたんだ」

 手渡されたマントに視線を下ろす。
 魔導院の灯りを受けるそれは、何度も見てきたはずなのに自分には眩しいと思えるものだった。

「ありがとう。ナギ」
「いえいえ。どーいたしまして〜付けてやろうか?」
「自分でできるよ。そっちもまだ忙しいんでしょ、そろそろ戻る?」

 解放戦時から着続けていた外套を脱ぎ、腕に抱える。そうして外套の下から現れたのは金色に輝く肩当に、真っ白な候補生制服。ナギのそれとは真逆の色合いのゼルディア専用の制服は、彼女が彼女であるための目印でもあり、覚悟の誓いでもあった。
 何も付いていない背にマントを羽織り、金具を留める。
 9組へと続く魔法陣に入るナギと手を振り合い、ゼルディアはそそくさとその場から逃げるかのごとく小走りで立ち去った。朱は目立つのだ。色んな意味で、偏見にも等しい視線の色。

 やがて、全身が見れる鏡の前までやってきて。じっと鏡に映る自分を、背を彩る色を見る。「……あは」

「やっぱり、似合わないなあ」

 たくさんの意味を込めた自虐に、ゼルディアは笑う。それでも、前を向く。「でも」

「ようやく、きみといっしょになれたよ。すっごい時間がかかっちゃったけど、約束のひとつ、守れたね」

 ゆるりと手を伸ばす。
 向こうからも伸ばされる手に静かに合わせて、そこにはいない影を見つけるように目を凝らした。分かっているのに、やめられない。そこにいるのは汚れひとつない白の制服に、朱のマントをつけた候補生がいるだけで金髪のあの人は、見えやしない。
 今のゼルディアの風貌を彼≠ェ見たら、なんと言うのだろう。嬉しい? ありがとう? がんばろうな? どれも違う気がしてならない。彼にかけられた言葉と優しさと愛と慈しみはいつだって覚えている。忘れてなんて、なるものか。
 ―――― けれど、そもそも遠い彼方の果てに沈んだかの人の心情をゼルディアが理解できるわけもなく、もう一度鼻で笑い、踵を返した。

 大理石を踏む音が、ひびく。

「……がんばるよ、エース」

 零れるおまじないの言葉。
 自分に大丈夫だと言い聞かせる、思わせることを目的とした奮起の声。

「エース、……エース」

 ゼルディアにとって、エースがおまじないだった。彼のために、エースのために。エースに会いたくて、生きていてほしくて、転生を繰り返す魂。
 だからテラと共謀して、ここまで来たのだ。

 望まれようと、望むまいと。
 ゼルディアは、エースのいる朝焼けを望むのだ。


 もうそれしか、彼女を、ゼルディアとして証明するものが何もなかった。

望まれようと、望むまいと。



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