目が合うと一瞬息を止めて、柔らかく微笑むあどけない笑顔。

 一見クールで無口なように思えて、誰よりも感受性が豊かで残滓すら零れ落ちていくこの世界で共感することのできる優しい心。

 お互い初めてだらけの生活でちゃんと相手に向き合って、声をかけてくれた忘れられない日々。

 ぜんぶぜんぶ、わたしの腕が抱える宝物で、既に一方的な宝物と化してしまっているけれど。確かにあった思い出に浸る夢心地は、数える手すら億劫な永劫回帰による必然のすり減りを幾分か抑えてくれる、愛おしくて、泣きたくなる記憶。

 ……仕方がないなぁ。

 そう言い眉を下げて、口角を緩ませるあの人はもう遠い遠い、過ぎ去りし日々の中でしか出逢えないけれど。
 誰かの思惑に縛られることなく、純粋に、稚拙ながらもわたしを愛してくれたあの頃には、戻れないけれど。それでも、……あなたがわたしを導いてくれたあの日から、わたしは決めていた。

 ―――― 数多の願いと意志を背に携え、高く高く飛翔する誉れ高き、誇り高き、そして、気高き朱の翼。

 脳に蓄積される記憶を上書きするが如く幾千、幾万、幾億も螺旋の内を巡る世界はひどく美しかった。例え神を喚び戻すために仕込まれた世界だとしても、けして、彼ら≠ニ過ごした日々は無駄だとも言わせてやらない。

 言わせてなるものか。

 だからこそ、わたしは【純真たる追憶の権能】と結託し、あがこうと決めた。
 上手くいくかなんて知らない。可能性が僅かにでもあるのならその空白をこじ開けて、実現してみせる。たとえ手放してはならないものを捨てなければならなかったとしても、わたしの持てる何かで助けられるのなら、彼らが、彼が、息をして朝焼けを望めるなら。

 わたしは、何も惜しくなんてない。

 さあ、最後の始まりであり、未来への始まりが幕を開けた――――



+ + +



 鴎歴八百四十二年、水の月十二日。

 突如として朱雀領ルブルムはその平穏を打ち破られた。
 【パクスコーデックス不可侵条約】を締結させていたのにも関わらず、シド・オールスタインを元帥とするペリシティリウム白虎が、多大な兵器と作戦を練り上げ、午前七時に進軍と奇襲を同時に敢行してきたのである。
 魔導アーマーが主戦力の白虎に対し、朱雀軍は候補生含む戦える者全てがクリスタルの恩恵である魔法によって応戦。驚異的な力を秘める軍神を投入した徹底抗戦は、どちらかといえば朱雀側有利に動くかと思われた。しかし、白虎が新たに開発・実装した供給を阻むクリスタルジャマーが戦況をひっくり返した。

 防衛の要たる魔法の源が絶たれた朱雀は、赤子同然だ。武器のひとつひとつも魔法によって構築されているため、身を守ろうにも得物がない。状況はさらに最悪へん一歩近づいていった。
 魔導院への救援を伝達させるも、付け焼き刃であった。
 国境付近やそれ以外の地域に駐屯していた数多くの部隊を呼び寄せるが現地指揮は各自に委ねられ、混乱の窮まった朱雀兵たちは多くの損害を重ねていき、壊滅にまで追い込まれつつあった。悲鳴、破砕音、銃撃はいっこうに止まず、大虐殺が起こっている。

「……………」

 赤く、空が染め上がる。

 ―――― 朱雀クリスタルを擁するペリシティリウム魔導院敷地内、轟々と立ち昇る炎が何もかもを焼き尽くしている。隣国の白虎がルシを用いた国土侵略行為を展開させ、クリスタルの引き渡しを宣告して約三時間。
 賑やかに、穏やかに今まで過ごしてきた首都に見る影はなく、破壊の限りを尽くされたせいで砂塵が至るところで舞い上がっており視界は良好とは言えない。焼け落ちた朱雀の旗に、踏み躙られる民としての尊厳、その名の如き赤く染まる道に、ルブルム広場近くにある建物の天辺で朱の野戦用外套【アンヤ】の裾を揺らめかせる、待機を命じられた、、、、、、、、ゼルディアは露骨なほど顔を顰める。
 下を見下ろせば術者を失い、制御下から外れ身動きが取れないと巨躯の軍神バハムートが横たわり、周囲には物言わぬ朱雀兵、さらには候補生が倒れていて。到着した時点で息の根はなく、どこを見ても悲惨だった。

「………ひでぇな、くそ」

 同じ装いをまとうテラもまた、普段の好青年の雰囲気を掻き消しギリッ、と奥歯を強く噛み締める。

「指揮系統がばらばらで、定まった指示は降りてこない。……まさに、地獄絵図だよ」
「魔法を封じられただけで、こんなにも脆いものなのかよ……なあ、ゼロ。本当に地獄から這い上がる手立ては来るのか、、、、?」

 少し離れた場所に着弾したのか、ひどい爆発音が耳に届く。視線を向ければ民が日常の憩いの場として利用している方面から、火の手が上がっている。

 朱雀の民は、例外なくクリスタルの恩恵を受け、魔法を扱うことが可能だ。

 だがクリスタルジャマーが展開してる中で、射殺を躊躇わない白虎兵に対抗しうる誰か≠ェいるなんて到底テラは思えなかった。母艦に残るシドが提示した引き渡しの限界時間まで、もう幾許しか猶予がない。首都外から踏み込んで、内部に辿り着くのも一苦労の中、果たして反撃の狼煙をあげられる者はいるのだろうか。

「……来るよ。これから、わたしたちが掩護に回る彼らは絶対に」

 ゼルディアは淡々と述べる。
 長い横髪とフードに隠された眼差しは伺えないが、恐らく、きっと激情の炎が燃える色を秘めているだろう。
 続けて、言う。「もっとも」ひときわ強い風が襲いかかるが、緩慢とした動作で隣を見遣る。やはり目は合わない。

「彼らは掩護なんて必要ないかもしれないけれどね」
「……それって、どういう」
「あの子たちはわたしと同じだから」

 ハッとテラは息を飲んだ。
 つまりそれは、異質であることの何物でもない証明である。やがて自嘲げな笑みが響いて、ゼルディアはテラへ朱雀と同等の朱を嵌め込んだ眼差しを注ぐ。
 再度、大きな爆発音が風塵と一緒にルブルム広場まで押し寄せる。
 咄嗟に目に入らないよう腕を掲げ、過ぎるのを待っていると、広場へ駆けてくる小さな人影を捉え目を懲らす。涼し気な顔立ち、凛とした佇まい、―――― 何より。
 見る者によっては血よりも濃く、天を貫く焔よりも熱く、気高い朱を羽織る彼らは。膨大な記憶の中でも異様に存在感を放つ彼らであり、彼らではない姿。ようやくゼルディアの言の意味を理解する。

「は、ははっ、そうだったな」

 テラは笑う。気難しい顔からは思いつかない程、軽やかに。

「そのとおりだったな。あいつら、、、、は、ゼロと一緒だった」
「いくよ、テラ」
「おうとも」

 だとすればやることは一つ。
 邪魔にならぬよう、完璧に支援を務めるだけだ。
 ほぼ同時に広場に降り立てば、気配に聡い彼らも気がついたのか警戒はそのままに探る目付きでゼルディアたちを睨んでいる。
 無理もない。自分たちが先程まで着ていた外套を身につけ、最前線といっても過言ではないこの場に無傷で現れたのだ。その理由は単純明快。彼らは分かっているから。妨害をもろに受ける状況下でまともに動けるのはクリスタルジャマーの影響を受けない自分たちだけで、相対するのは全て敵の白虎兵だけだったから。

「あなた方は、何者ですか」

 張り詰める緊張を脱したのは見るからに真面目そうな風貌をした、ソードを片手に持つ少女。歓迎のかの字もない雰囲気は相手を威圧する気が交じり、一般人は何も出来ずに走り去ってしまうだろう。
 しかし、生憎とゼルディアとテラはその一般人の括りからはとうにはみ出してしまっている、いわゆる異端者だ。臆するわけもない。
 ゼロが前へ歩み、フードを脱ぐ。途端に深く淡い紫色の髪が解放され、さらりと揺れた。

「はじめまして。わたしはゼルディア。ここから先はサポートにつかせていただきます」
「おれはテラ。これは独断じゃなく、れっきとした指示だ。あんたらが大好きなドクターアレシアからのな」

「マザーから……!?」
「聞いてねえぞコラァ!」
「確たる証拠はあるのか?」

 三者三様な反応が前方から湧き上がる。ただ紐解けばひとつのものに収束していき、とんとん、と耳元を叩いたテラを尻目にそんな悠長にしてられないため信用を得るよりも早い、荒々しくも確実な手段にゼルディアは出た。
 ゼルディアは見抜いていた。三人の頬や足に深手とはいかないが擦り傷や切り傷ができていることに。だから、手を掲げる。

「!」
「これでお分かりになるはずです。……急ぎましょう、こうしている間にも犠牲は積み重なっていく」

 まさしく一瞬。
 朱の候補生たちを包んだ柔らかな光は明らかに高度の回復魔法。効果はもとより、ジャマーの影響下で発動されたそれは、テラの言葉に信憑性を持たせるには十分のものだった。
 身を翻し、COMMより届いた一つ目のジャマーが搭載された白虎旗艦に駆けるゼルディアの背を、エースとクイーン、ナインは一旦飲み込んで追いかけ始めた。先頭にゼルディア、殿にテラという陣形を自然に築いた中でクイーンは旗艦前に立ち塞がった白虎兵を斬り伏せながら、思案した。

「ずいぶん、魔法詠唱に長けてらっしゃるんですね」

 そう。あの光の感覚は覚えがある。マザーと共に訓練し続けて感じた、回復魔法でも最も優れた上位魔法。高い治癒能力を誇る魔法は、当然のごとく術者の技量にもよるが少し時間がかかるのが定石である。己の力を過信するわけではないが、一介の候補生よりも技術を持っているクイーンもそれなりに早い速度で唱えられる。けれど彼女は、マザーの指示で掩護に回ると言うゼルディアは本来の詠唱時間に比べると無詠唱にも等しい速度で編み上げたのだ。右隣で縦横無尽にカードを飛ばすエースも感じていたのか、青い目がゼルディアを見る。
 嘘や僻みを嫌うクイーンの純粋で僅かな驚きを滲ませた問いかけに、ゼルディアは武器である杖に魔法をまとわせ一閃させつつ、言った。「勘違いしてるかもしれないけど」ぶん殴り氷漬けにした敵兵を転がし、振り返る。

「さっきの、ケアルだから」

 あっけらかんと言い放つ彼女の空気に呑まれかけるも、クイーンは食い下がった。その間でも攻撃を仕掛ける皇国兵を斬りつけ、殴り、地に伏せさせていく。

「そ、そんなわけないじゃないですか! あの威力は間違いなくケアルガです!」
「まあまあまあまあ、今はそこら辺で勘弁してやって。そういうもんって思っててよ」
「しかし……」
「んー、君たちがクリスタルジャマーをものともせずに魔法が扱えることと似たようなものだからさ、頭の切れる君なら、この意味わかるだろ?」
「…………」

 尚も問い詰めんとする様子を諌めたのは、おそろしいほど素早い動きで剣と銃が一体化したデュアルウェポンを巧みに操るテラだった。味方と識別したクイーンらに浮かべる爽やかな微笑はどこまでもまっすぐで、好青年で。
 それに、クイーンにも、クイーンたちにも事細やかに説明できるものがないことは自覚があった。納得のいかない締めくくりであったが、それ以上、追求のしようがない。己が話す気もないのに、相手に求めるのはアンフェアというものだ。
 この一連の会話は皇国兵との対峙中に繰り広げられているのだから、彼らの強さは認めざるを得ないだろう。

 前衛を務めるゼルディアの特殊魔法トルネドが一箇所に集う敵を集束させ、狩っていく。飛び散る血飛沫など気にしない外套を着たままの少女の立ち居振る舞いは、美しいと称すべきか、感嘆の息をもらすべきか。
 しきりに入る司令部やら散り散りになった候補生からの指示を脳内で優先順位を並び替え、待ち構えていた鋼機は一撃一撃が重そうだ。
 だがゼルディアには関係ない。何であろうと塞がるのなら退けるのみ。

「……テラ、交代」
「あいあい」

 のはずが、ピピッと入電するCOMMの連絡に素早く後退し、常時プロテスをかけ始める。
 通信が繋がった音に区別をつけていた。この音は、通常連絡などではない。できれば作戦中には聴きたくなかった音だ。ゼルディアはエースたちに嫌そうな顔がバレないよう注意を配り、入電をキャッチ。「もしもし」届いたのはこれまためんどくさげなため息。

《あの子たちの邪魔だけはしないでちょうだい》
「……開口一番それですか。ご心配なく、予定通り三人は突き進んでいますよ」
《ならいいわ。任務よ》
「ユウオウファントマ? それとも、コンジキファントマ?」
《ゲッパクファントマを30。期日は一週間後、それじゃ》

 冷え冷えの女性の声が頭の中で響くようにして反響する。
 下される内容はどう考えても今伝達しなきゃならないものじゃない。しかもゲッパクファントマ。代価を支払って後日のことを推し進めた気は重々あるが、いずれにしても本当に彼女はゼルディアの命を軽々しく扱っているような気がする。いくら死なないとしても、だ。

「態度が露骨ぅ……まあ、わたしも好き勝手やってる自覚はあるからお互い様か……」

 本当に自身の計画に利益、又は影響を与えない平凡な魂には毛ほども興味が無いらしく、心底気だるげに対応されてしまった。
 そうこうしている間にもエースたちが旗艦内の兵士を殲滅しかけており、辺りに投げ出された死体を踏み越え、魔晶石をジャマーへ設置し退避。脱出直前に敵の少佐がゼルディアたちの前へ行く手を阻む。
 それに尻込みするほど弱くはない。なんだったらテラに三人を下がらせ、旗艦の側面を吹き飛ばす程度の魔法を構えた。無益な人殺しをさせないために、朱雀の犠牲を減らすために。

 誰であろうと、邪魔をするのなら消えてもらう。

「っ―――― ファイガ!」

 その威力を説明するのは、野暮である。
 残存していた兵を旗艦の側面もろとも吹っ飛ばし、光を断絶していた旗艦内に太陽の光が差し込んだ。跡形もない。劫火が燃やし尽くしていく。
 炎魔法で、最上級レベルのガ系。危うく味方すら巻き込みかねないゼルディアのそれに関しては、テラ製魔法障壁≠ネるアクセサリで範囲を指定し、身を守る。ちらりと後ろを見れば、あまりにも圧倒的な光景に言葉が出ないらしい。子供のように、あどけない表情だと思えた。

 目標はあとひとつ。
 もう一個破壊すれば朱雀クリスタルは供給を再開させ、反攻作戦へ打って出る。
 一部地域の魔法の回復が見られ、この解放戦も終盤になりつつあった。両軍が流した血の多さは、目を瞑るほかないが。武器をしまい、次の行動を待っていると見計らったみたいにテラのCOMMが鳴る。
 出れば低い声がした。クラサメだ。

《闘技場内に未確認兵器の反応を感知。ジャマーを搭載した新型魔導アーマーと思われる。ただちに向かってくれ》

 通信は続く。

《また目標に対し、「特殊軍神」の使用許可が降りた。全力で当たれ》
「了解」
《ゼルディア、お前は一度司令部に退却。いいな?》
「えっ……はい」

 心底疑問だと言わんばかりで説明を求めるが、すぐさま《アレシア・アルラシアの指示だ》と入り若干項垂れる。最後まで言い終わるより先に、名前を聞いた段階で額に手を押さえていた風に見えるが、気のせいだっただろうか。

「特殊軍神の使用許可か〜〜そっか、全面的にはそうだったな」
「むしろ前が変だったんだって……とりあえずテラ、この子たちのことお願い。全部片付く頃にはわたしも戻ってこれてると思うし」
「はいよ。毎回おつかれさん」

 ポンッ、と労る仕草で肩に手を置かれたゼルディアはエースたちの顔を見て、真面目な顔で言った。「無茶はしちゃだめだよ。……光があらんことを」武運を祈る台詞を述べて走り去っていき、流れた無言を断ち切ったのはテラだ。

「うしっ! 他の誰でもないゼロに頼られたので、おにーさん頑張っちゃうぞ〜!」
「てかおめェ、戦えんのかオイ」
「やだなナイン。見てただろ? おれが魔法使ったり武器使って倒してるところ」

 それはそのとおりなのだが、そうではない。
 飄々と会話をかわすテラの掛け声で四人は正面ゲートを超え、噴水広場を超え、闘技場へ。
 そこに居たのはクラサメの言っていたのと違わない魔導アーマーと皇国兵、それから候補生二名。地面に伏してるのを見るに果敢にも攻め込んだがルシの攻撃に耐えきれなかったらしい。7組のマントと、2組のマント。
 怒涛に戦いを仕掛ける0組から僅かに距離をとり、テラは呟いた。

「……どこまでいっても、因果は変わらんのな」

 結果。

 クリスタルジャマーの破壊には滞りなく成功し、魔法を取り戻した朱雀兵の士気向上、並びに例外的な強さを持った集団の活躍もあり、皇国兵は兵を引かざるを得なくなった。
 生き残った軍が魔導院を取り戻した後、院長室に院長を通すなり瓦礫の撤去なりをしている様を、エースはぼんやり眺めていた。初出撃は問題なく終わった。時間経過なんて気にならず、意識を向けた瞬間には空は鈍い薄赤色をした雲が流れていて、戦火に包まれたとは思えない静けさに包まれている。
 ……いや、包まれたこその静けさだろう。

 そう客観的に思考しているエースのもとに近づく人影がひとつ。

「そーろそろここから移動しないと、飛びかかれるぞ、と」
「は?」

 追悼の意を示す院長の言葉を受け止めながら、テラは明後日の方角を見、比較的近くにいたエースに注意を促した。
 意味がわからず問いただそうにも、できなかった。
 なぜなら。

「エース! 無事!? 怪我は!?」
「っ……な、なんだ?」

 テラの忠告虚しく、足音を荒々しく立てて駆け寄ってきたのはルシ・クンミのもとへ行く前に別れたゼルディアだ。「あ〜あ、エースくんが捕まった」テラは呆れながらも、面白おかしい色を瞳に乗せていて、何やら嵌められた気分である。抗議をしようにも死界から伸びてきた指によって阻まれた。
 ゼルディアの指先が、そっとエースの両頬に添えられ。落ち着きなく赤い双眸が体に傷がないかを確認すべく動いている。

 クイーンに問われた内容を返事した際の様子とは全く違う、慌てたゼルディアに驚くが、何故だか突き放せない。

「は、離してくれ……僕なら平気だ。あの程度でどうにかなるやつじゃない」

 吃る理由も知らない。
 どこにも怪我がないことを信じさせようと目をしっかり合わせる、エースにしては珍しい行動は、本人も吃驚していた。
 だけれど微かに震えているのを体感で、視覚で感じてしまった以上、無遠慮に冷たくすることもできず揺れる赤を見続ける。澄み切った瞳の奥に映る自分の顔は、訳が分からないが緩んでいて。

「……ほんとう?」
「少なくとも、白虎旗艦に自力で辿り着いていただろ。……僕は大丈夫だ。だから……その」
―――― うん、そうだね。みんな、強いもんね」

 言い淀むエースに我に返ったのか、飛び退くように二歩後退したゼルディアの顔つきは俯いた拍子に靡いた横髪で上手く見えない。抱きついたり、抱きつかれたりという行動はエースにとって幼い時にマザーにした時以来で、ほんの少しだけ、気恥ずかしくて、懐かしい。
 離れたゼルディアは頬をかいて、えへへ、と困ったように笑っている。そして。

 花が咲いたように、微笑んだ。

 何も言えなくなったエースに気づいているのか、気づいていないのか彼女は続ける。

「あ、そうだ。たぶんこれからもお世話になるだろうからよろしくね。エース」
「世話になる?」
「……ふふ。……うん、すぐ分かると思うよ」

 現時点でこれ以上説明する気がないのがバレバレで、エースも施設で共に過しごた他の0組の人間とは違ったゼルディアとの会話に人知れず入れていた肩の力を抜いて、腰元に手を置いた。「なんだよ、それ」
 マザーから聞かされていた、百年ぶりに復活する0組を証明する朱のマントを羽織っているだけで、行き交う人々の視線を集めてしまう。常人とはかけ離れた訓練を受けたエースは、そういう知らない人との会話は慣れていない。年上、目上などの分類であればマザーの対応を真似していれば問題ないかなと思ってしまう始末だ。
 だから同じ年頃の、0組ではないゼルディアに話しかけられた時、僅かに不安そうな面持ちをしたのはそのせいである。

「……ゼルディア、だっけ」
「ゼロ」
「……?」
「長いし固いから、ゼロって呼んで。結構気に入ってるんだ」

 ゼルディアは矢継ぎ早にお願いをする。
 目の前の少年から「ゼルディア」と呼ばれるのは違和感しか覚えない。幸いにもそれを突っぱねられる可能性は限りなく低かった。

「じゃあ、ゼロ。あんたはマザーとどういう、」

 関係なんだ? いつから知り合いなんだ?

 エースはそう尋ねたかった。口にすることは、出来なかったが。―――― その時だ。
 朗々と響いていた放送に候補生の悲鳴じみた声が割り込んだのは。《院長!!》次の言葉に、エースは大きく目を見開いた。

《玄武に、禁呪反応が!!》
《なにっ!?》

 禁呪反応。放たれた言葉と想像した物事が合っているのか確かめる間もなく、空に不気味な稲光が走り、夕焼けを裂く音となりルブルムに木霊する。玄武までかなり距離があるというのに、ここまで届くとは。小さくかぶりを振り、左を見ると、ゼルディアもまた大気を震わせる現状に目を細めている。
 地面を奥深くまで抉り、その大地を歴史ごと消し去る悪魔の如き威力を持つ兵器。持っているだけで戦争の圧力や、逆に抑止力になるそれ。

 大量破壊兵器、アルテマ弾。

 朱雀にもその名を冠する魔法はあるにはあるが、もたらす被害規模から発動する機会は限定され議会の承認なく装備することすら不可能だ。
 使用に慎重にならざるを得ないアルテマ弾の反応が、玄武に出現した。導き出される答えなど一つしかなく、そして、特殊戦備と大軍で侵攻した朱雀と違い何もかもを塵と化させるアルテマ弾を玄武に落とした理由に、エースは誰かに説明されないまま正確に理解した。
 自国を降伏にまで追い込み、統一への足がかりとなりうる、もの。

「…………?」

 何かが過る。
 輪郭さえも朧気な映像はすぐに乱れ、判別不能となってしまい、エースは特に気にすることなく思考を止める。

「……これで、何人死んだんだろう……」

 ぽつりと、辺りがざわざわと騒々しくなっているさなか。うつむき加減で呟かれた悲しさが詰まった声音は、迫る開戦の刻への憂いが醸し出ており、ひどく辛そうに玄武の首都がある方角を見つめているゼルディア。
 ほんのりと、しかし漠然と。

 そんな顔を、そんな声を、して欲しくなかった。

 作戦終了直後に見せたあの安心と別の感情を含ませた笑顔を引き出したくて、でもどうすればいいのかなんて分からなくて。
 それでも何もしないよりかは全然、行動を起こした方がいいと思ったのか、それとも違う感情からなのか。そろりと無自覚にも伸ばしかけた指先がゼルディアに触れかけ、た矢先。柔らかい髪をおさえ、振り返った。

「エース?」
「っ、なんだ?」
「なにって、呼ばれてる。あれはクイーンかな、他にもたくさん」
「ああ……そろそろ僕は行く。テラにもよろしくな」
「うん」

 結局、何も出来ないまま彼女は見せていた憂いを消して踵を返そうとしてしまう。
 いや、それでいいのだ。ゼルディアと顔見知りになったのはマザーの命で、命が無ければ名を知ることもなかった相手。気にかけるのもおかしな話だ。そのはずなのに。
 掴めない薄透明な感覚に身を委ねると、底の見えない暗闇に落ちていきそうで、再びエースは頭を振り、今度こそ視界にちらつく紫の髪を追い出すように、呼びかけがかかる方へ歩き始めた。「あ」が、途中であることに気がつき、首を傾げる。

「世話になるという意味を、聞きそびれたな」

 そんな疑問は誰に伝わることなく、辺りを行き交う人々の雑踏に飲まれ、消えていった。

 戦乱の足音が着実に迫りつつある、水の月のこと。
 もっと言えば。


 ―――― 全てがはじまり、全てのおわる、最後の巡りが幕を開けた瞬間だった。

この螺旋を巡る世界に朱(しゅう)止符を



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -