黒の制服に、赤のスカート。その背に色とりどりのマントを付けながら魔導院で生活を続ける候補生の制服に、ここ暫くは変化はなかったはずだった。ただ、そうでなくてはならないという規則は明確に示されているわけでもなく、慣れ、なのか全員が特に変化を求めずそれについてを考えることもなく制服の袖に腕を通している。
朱雀の朱を持ち、その身を朱雀のために捧げる証のようなそれは、さまざまな人間の決意と思いが秘められている。
───たったひとり、ゼルディアを除いて、だが。
涼し気な色合いのスカートを揺らし、突き刺さる周りの視線をものともせず噴水広場を横切り、院内へ踏み込む姿は半歩後からついてきていたテラ曰く「まるでカチコミ」らしく、固まっていた候補生たちも黙って道を開けるほど、険しい表情をしていた。その事実を知ったのは、もっと先の話であるけれど。
つかつかと提示された集合場所である廊下前の扉に向かえば、既にトンベリを引き連れたクラサメが立っている。側を行き交う女子候補生から熱のこもった視線で見られているというのに、一瞬も意識を割かない彼になんとも言えなくなり、後ろを見遣れば一方的に師匠と呼んでいる武官に苦笑しているテラがいて。
「た〜いちょ! また訓練つけてくださいよ」
「その言葉、たった昨日にも聞いたな」
「おれ、隊長の一番弟子ですし」
「認めた覚えもなければおまえの隊長ではない。……おまえは0組に入らないのなら、どこかで時間を有効活用してきたらどうだ」
可動式マスクの下の表情は見えずとも、別に不機嫌なわけではないクラサメの様子に笑みを深くさせ、テラは言う。
「や、おれ、こいつのストッパーも兼ねてるんで。入り浸ることを許していただければ」
「許可は?」
「もちろん、とってありますよ。大事な大事な『マザー』からね」
ニッ、と焦げ茶の前髪の奥に光る桃色の眼差しを和らげ、大きく胸を張るテラ。危惧していた内容を相殺させる話をしたその人にちらりと視線を寄せて、ややあってクラサメは短くそうかと口を開いた。
他クラスと違って魔方陣を使用しないで立ち入るのが可能なように見える0組の教室、だが重厚な扉から発せられる独特の外的要因を拒絶する雰囲気に、用がない限りは誰も近づかないであろう廊下を三人は歩いていく。もう全員教室で思い思いに過ごしているのかどこにも姿はない。グローブを嵌めた手が引き戸に伸びた時、「あっ! そうそう」わざとらしげなゼルディアの声が響く。
「わたしも紹介される前に教室に入りますので。ね、いいでしょ、クラサメさん」
「ここを跨げばおまえは私の指揮下になるが」
「百も承知です。あ、でも呼び方はこれまで通りで行きますので!」
ぐいぐいと反論を許さぬ勢いで言葉をぶつけていくゼルディアにはクラサメも諦めの境地に至っているのか、一度だけ額に手を置き、心底疲れたと言わんばかりの態度を示した。公私共に分別がはっきりついているクラサメの珍しいこの行動は、実は交流が十年前より続いていることにも起因している。当時は16歳と9歳、10歳という異色の組み合わせに候補生のみならず武官たちからも兄弟なのかと見られることも多々あり、どちらかといえば彼らの関係性は兄弟のそれよりも複雑だったりするのだが、本人たちは大して気にしてはいない。
気にしたところで、何かが変るわけではないから。
「クラサメさん」
話は終わりだと扉を開けようとして、再び出鼻をくじかれるようにゼルディアに声をかけられる。顔だけ振り向けばどう判断すればいいのか分からない感情を綯い交ぜにした表情とぶつかった。
「個性が濃くて、その全てを理解するには大変だと思いますけど、あの子たちのこと……よろしくお願いしますね」
どこか悲しげに、寂しげにも見える微笑みに思い浮かんだ疑問はふたつ。まるで子供の頃から共に過ごしてきたみたいに0組の面々を紹介することと、付随する感情。
尋ねようとして、やめる。
初めて彼女と知り合った時からそうだ。他の人と何ら変わりがない年下の少女なのに、時折何もかもを達観視した物言いをする。怖くて聞けなかったのではない。クラサメにも忘れてしまった、忘れたくなかった過去があるように、彼女にもあるのだと。そう、突きつけられたのだ。
確かにゼルディアとテラとはかなりの年月を共に過ごしてきた。それでも互いの奥深くまで入り込もうとしたことは一度とてない。なぜだかできなかった。踏み入れてしまえば、そこから二度と戻れない予感に近い警鐘が鳴り響く。けれど。
「クラサメさん」「クラサメ!」
事実無根の疑惑をかけられる中、そんな疑惑をものともせずに変わらず接してくれたふたりには感謝こそすれど、疑いはかけたくなかった。魔導院を卒業しても行く宛ても帰る場所もないクラサメだったが、武官を志したのはひとえに自分が教えられる全てを伝授し、ひとりでも多く教え子たちを無事に生還させるためだ。
だから、その頼みには比較的心穏やかに答えられた。
「ふ、……私は指揮隊長だ。最善は、尽くす」
「それでこそクラサメ隊長! んじゃ、マキナとレム連れてきますから」
軽やかに待機を指示した編入生を呼びに行くテラを最後まで見送ることはないまま、今度こそ扉を開け居心地のよくない沈黙に包まれた教室内を進み、教卓前で立ち止まった。す、と斜め後ろに控えたゼルディアが顔を上げると、不信感を宿らせたたくさんの双眸があり、予想していたとはいえ思わず内心で笑いをこぼしてしまう。
と、アイスブルーの眼差しと合う。
エースだ。胡乱げにクラサメを見ていた視線はそのまま後ろへ移動し、記憶の中でも何故か居残り続ける少女の姿を収め、見開くと同時に納得もした。すぐに分かる、という言葉どおり、ゼルディアは自分たちと同じ候補生の制服をまとった上───朱のマントを、背負っている。
「一応、初めてとなるな」
恐らく指示を出すのはマザーだと思っていた彼らの疑惑に満ちた表情に臆さず、クラサメは続けた。
「私が諸君の指揮隊長となる、クラサメだ」
「指揮隊長?」
「そうだ、諸君は私の指揮下に入ってもらう。すでに魔法局局長、アレシア・アルラシアより許可は下りている」
「マザーから?」
最も敬愛し信頼の心を寄せる絶対のマザーの許可を得ている発言に、一部を除いて決定を受け入れようとする0組。しかし納得しない者は、何名か。
「オイ、帰れコラァ」
印象的なのは、ガラの悪い、ナインだ。
「俺らはマザーの以外の指図は受けねぇぞ、あぁん!?」
「反抗心の塊だね、いつでも」「テラ、ちょっと黙ってよ」どの巡りでも口を挟まずにはいられないナインに苦笑いを貼り付けるテラはいつの間にか戻ってきていたらしい。
ゼルディアがテラと小声で話しているさなかにもクラサメに対する言葉は止まらず、果てには殴りかからんナインが───先手必勝、上下をはっきりさせるために殴り飛ばされた。それなりに体重はあるのに扉にまで叩きつけられる腕力は、素直に畏れ入る。
「っやめなさい!」
「こんのっ……!!」
次いで、ふたりの声。だがクラサメの方が経験の差で上であり、自身の武器で応戦しようとした明るめの髪を持ったケイトも弾かれ、今度は死角より、プラチナブロンドの髪の……。
「───気は済んだか?」
召喚されるカードが放たれるより早く、作り出した氷剣の切っ先で貫いた。首元近くに添えられるそれになすすべはなく、引きつった声があちらこちらから聴こえる。
強いなんてものじゃない。テラが師匠と崇める彼の体術や剣術、それから遅れない咄嗟の判断力。諸々が周囲の人間と抜きん出ているのだ。また新たな伝説だな、と他人事に一連の流れを見守っているテラは緩やかにクラサメを見、小さく頷いた。まとめ役とも呼べるクイーンがナインを鎮めてくれたおかげで、話は出来そうである。
「以降、諸君は私の指揮の下。
「院内で?」
「そうだ。……ゼルディア」
「はーい」
クラサメが一歩下がり、逆にゼルディアが前へ出る。すると否応がなしに全員の意識が向き、彼女は笑う。
「エースとクイーン、ナインに関しては初めましてじゃないんだけど………初めまして、ゼルディア・コノハナです。本日付で編入となる三人のうちの、ひとりです」
「その制服は……」
ぺこりと会釈をすればやはり気になるのは真逆の色を備える制服。
スカートの裾をつまみ答えようとたゼルディアを遮るように、左方から感心の声があがった。トレイだ。
「聞いたことがあります。数百年ほど前に廃止となった候補生の制服…フユビ、ですね」
「あたり。院長の許可をもらって、ずーっとこれを着させてもらってるの。色が違うだけで候補生の証だから、みんなと何一つ違わないからね」
完全に認めるか戸惑う彼らの前でその人は怖気づかない。特にクイーンに至っては、魔導院解放戦でのやりとりが気にかかっているのかただじっと見つめている。
「魔法特化だけど前線に出ることが多いです。よろしくね」
にこりと笑えば、ほんの僅かに場の空気が和らいだのを感じて、テラは一度教室を出てふたりの男女を招き入れる。
元2組候補生、マキナ・クナギリ。
元7組候補生、レム・トキミヤ。
ゼルディアの呼び掛けに応じ、彼らもまた純粋に自己紹介をしながら笑った。
ここに、螺旋の因果を渡り歩く12人と3人が、合流した───。
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初めまして、よろしく
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