世界の引金

「かさね、なんか昨日誰かと会ったか?」
「昨日? 支部を出たらまっすぐ本部に向かったし、会ったのも緑川くんとか犬飼くんたちぐらいだけど」
「う〜〜ん……? もっとよく思い出してみ?」
「模擬戦を一度やっただけだしなあ、寺島さんに指示受けたのもあるし、……どうかしたの」
「明日、メガネくんとお前と誰かが会ってるとこが視えたんだよ。雰囲気は険悪っぽそうじゃないから、別にあんま気にしてないんだけどな、って、そうだ、かさねいつメガネくんと知り合ったんだ?」
「メガネくん…………いやごめん、全然知らない。木虎ちゃんの報告にあった訓練生の子? だとしたら一言も話してないよ」
「だよな〜〜〜?」

 読み逃しか……?

 そう隣で米神をおさえて考え込む迅くんは何かが腑に落ちないのか、ああでもないこうでもないと思考整理をし始める。一度視界に入れた人間であれば並列で確定に限りなく近い未来と不確定な未来が視える迅くんのサイドエフェクトは、時折、一体どこまで視えてるんだろうと思う。未来視のおかげで大事な局面を切り抜けた実績は数知れず、4年半前の第一次大規模侵攻すらも予知で最小限の被害に止められるよう準備期間を設けてくれたのだから、私では考えつかない量のイメージがある筈だ。迅くん曰く、「最善」と「最悪」の未来を起点に、無限に選択肢の枝葉が拡がっているらしく、だとすれば想像を絶する程の未来が視えていることになる。それだけならば、まだ良かったのかもしれない。周囲の人たちの平穏を心から願える迅くんは、そしてその中から実現可能な「最善」に近い未来を掴み取るため、人一倍責任を背負って砂塵から金の砂を見つけるが如く動き続けるのだろう。付随する理不尽な苦悶や後悔を誰かに零さず、見る人全てを惑わす飄々とした態度で、煙に巻く。
 近界民の徹底的排除、町の平和を第一に、善良な近界民とは仲良く。なんとまあ三つ巴の思想が集合し凝縮された組織まで大きくなったボーダーでは、迅くんのことを本当の意味で、正しく理解を示す人間は数少ない。彼の弱音、本音、涙を幼い頃に見て、タイミングが合えば暗躍の手伝いをしているのにも関わらず。長年一緒にいる私ですら、胸を張って迅くんのことを知っているとは言えないんだ。
「……悪い未来じゃないんなら、取り敢えずは明日ついて行っていいかな」
「おっ、いいぞいいぞ。嫌でも働いてもらうことになるからなぁ」
「おれのサイドエフェクトがそう言ってる?」
「そう」
 本部の連絡通路を出て、帰路に着く。
 数十分前に報告書を提出し終え、“たまたま”会議室付近の休憩フロアで迅くんと鉢合わせた。粗方本部にいる理由は分かってはいるも、冒頭の問いかけで首を傾げて今に至る。
 隊務規定違反者の査問と兼ねた対策会議に私は出席していないものの、元々調査任務を任されていた件もあり迅くんを通して任務の続行を仰せつかった。これも迅くんからだけれども、現在出現が確認された門は力技で強制封鎖を施してはいるが、トリオン障壁はコストと消費量が洒落にならない欠点があり無駄打ちはできない。半永久的に作動なんて以ての外、さらにはあと二日程しか持たないときていて先程開発室を覗いたら割と阿鼻叫喚の修羅場っていて、そっと翼を授ける栄養ドリンクを何十本か差し入れした。あの様子じゃ非番の人も駆り出されて徹夜だろうな……。
 空調設備は完璧な本部から一歩出ると、遠くで生活している市街地の光がよく見える。基地周りの住宅街は放棄地帯のせいか、些か寂しく目に映るのは人の気配が全くしないからだろうか。帰宅時間まで換装体でいる理由はないけれど、そういえばパジャマのままトリガーを起動させていたと気づいてしまい、思わず苦笑い。
「これからはもう少し気をつけようかな」
「何の話?」
「なんでもない。こっちの話。……迅くんそれ生身じゃないよね」
「まあね」
 癖なのか、左手で小刀にも似た黒トリガーに触れる迅くん。技術なんてものは組み込まれていないのに、淡い緑の光を放つそれは、私たちにとっては形見であり、忘れられないひとだった。
 けれど毎回感傷に浸ることはなく、お互いに何も言わずに話題が変わる。
「何戦して何勝?」
「小さくてもプライドはあるので5戦4勝1引き分け」
「駿やるなー、かさねからダウンは取ったのか」
「めきめき力つけてきてる。結構やばかったかもね、あ、迅くんとも再戦したいって言ってたよ、ついでに私も久しぶりに戦りたい」
 ランク戦には参加出来ないS級隊員とはいえ、玉狛支部での模擬戦ならノーマルトリガーは使用可能なのは知っている。だが迅くんは頬を引きつらせて難色を示していて。
「また今度ね。お前、太刀川さんと似て一回の拘束時間長いんだもん」
「そ、そんなことないよ?!」
「いーや、そんなことある」
 他愛のない会話をしていると、前方に支部が見えてくる。明かりがもれてるところを見るに、たぶんレイジさんだろう。
「んじゃ、おれやることあるから。朝寝坊しないでよ」
「了解!」
 入口前で迅くんと別れ、時間も時間なため音を立てずに帰宅するとリビングから間延びした声がかけられて、笑いをこぼす。
 どうやらレイジさんだけでなく、珍しく栞ちゃんもいるようだ。手洗いうがいを済ませて食卓につけば芳ばしい匂いが鼻腔をつついて、お腹が刺激される。
「ふっふっふっ……」
「え、なに……怖いよ、栞ちゃん」
「アタシは見てしまったのだかさねちゃんや……。ずばり、迅さんとふたりきりで帰ってきたでしょう!」
「たまたま帰りが同じになっただけだよ、他意はない」
「でも少し嬉しそうじゃ、あだっ」
「冷める前に食べようねー!」
「二人とも、行儀が悪いぞ。あと陽太郎が起きるだろう静かにしろ」
「……はぁ〜い」
 玉狛支部はいつも騒がしい。顔を合わせたのは皆それぞれ近界民絡みの部分だけれど、一緒にいて楽しいし、頼りになる仲間ばかりだ。とはいえ、気持ちが知られている栞ちゃんには結構な頻度で恋バナを振られてくるのは、目下の悩みである。
 ―――― 誤解されないように言っておくが、私自身、近界民に対して強い拒絶反応などといった否定的感情を抱くことは少ない。そりゃあ、防衛せざるを得ない状況になっている今を鑑みれば迷惑極まりない侵攻だとは思うし、無差別に人を襲うトリオン兵に多少なりとも苛立ちや憤りはある。だけれども、それと何もせず友好的な態度をとってくれる近界民を結びつける思考は、元から持ち合わせていない。でなければ近界とこの世界の架け橋になろうと志した旧ボーダーからさっさと出ていっている。しかし悲しいかな、三門市の一般人、さらに市外の人たちが近界民と聞いて真っ先に想像するのは機械のようなものだ。トリガー以外では傷一つ付けられず、完全に敵とみなされて襲いかかる様は、確かに強大で恐ろしい。第一次大規模侵攻では死者1200名、行方不明者が400名以上という内情を詳しく知らない彼らからすると未曾有の大厄災で、近界民徹底排除の思想を持つのも分からなくもない。大切な人を殺され、奪われた悲しみと苦しみは、当人しか知りえないのだから。
 根強く残った考えを無理に変える必要はない。そんなことをすればあっけなく組織は瓦解し、それこそ近界のいい標的の餌食だ。
 そもそも、我々と彼ら、、の明確な違いとはなんなんだろうか。分類としては古参に含まれる私でさえ未だ解答らしい解答は出てこないこの自問は、いつか答えは出るのか否か。一見同じように見えて、そうじゃない近界民。ではその境目は? ―――― 存外、自分たちと同じ姿形をした近界民なんて、知らず知らずのうちに身近にいるのに。しかも、何をもってして近界民と識別するのか、出身? 育った環境? だとしたらなんて曖昧な判断材料なのだろうか。
 ……と、まあ。小難しいことをつらつらと並べあげてみたりしたけど。

「先日知り合った子がまさかそうだとは思わないよ……!」
「おお、げんきだなあ。おねーさん。あ、えーっと、どちらさま?」

 翌日。朝の九時半ちょっと過ぎ。
 イレギュラー門の対応に集まって、目指した場所に普通の中学生だと思っていた男の子が近界民だと知った。それに、彼はなんと名乗った。

 空閑。空閑遊真。

 もう遡るのも長い間会っていない、父代わりのひとりの男の息子だというではないか。
 うっ、斜め後ろからのじとっとした視線が痛い……。可能性の話で私がこの場に来るのだって昨夜決めたばかりだったから見逃して欲しいんですけど。
「えっ、かさね先輩、空閑と知り合いなんですか?」
「本部周辺のところでばったりしただけ……そんな喋ってないし、名前も知らなかった」
 やっぱりいつ見ても目立つ白髪と赤目の少年……遊真くんの近くでふよふよと漂うお目付け役を見て、ようやく急かされたように見えた行動が、レプリカ先生の仕業だったのだと納得する。
 ボーダー内部の人間しか知らない情報を惜しみなく説明できる遊真くんは、本当に近界民なんだろうな。
「改めて、浪速かさねです。よろしくね」
「これはこれはご丁寧に……。……ん? カサネ?」
 名前に反応して首を傾げる彼と同様に、私も子首を傾げる。やがて合点がいったように。「理解した」遊真くんは口を開く。
「ああ……親父が言ってた義娘って、カサネさんのことだったんだな。なるほどなるほど、確かに風貌はぴったりだ」
『銀灰色の瞳は滅多に見られる色ではない。間違いなくそうだろう』
 隔世遺伝で生まれ持った目の色が珍しいのは分かっていた。まさかここで役に立つとは。
―――― さて、本題に入ろう。
 これは隠密偵察用のトリオン兵、「ラッド」。ただし門発生装置を備えた改造型のようだ』
 遊真くんが雑に片手で掴んでいるラッドに私と迅くん、そして三雲くんの視線が集まる。レプリカ先生曰く、バムスターの腹部に格納されていたようで分離したあと行動開始し、地中に隠れて周囲に人がいなくなった後に移動を行う。人の多い場所で門の起動準備に入り、付近を通る人間のトリオンを回収して門を開くらしい。
 成程。誘導装置が効かないわけだ。前提条件が違うのだから対応がとれるはずがない。
 説明を受けた三雲くんが言葉を発する。「じゃあつまり、そのラッドを全部倒せば……!」「いや〜きついと思うぞ」すかさず遊真くんが返す。
『ラッドは攻撃力を持たない、いわゆる雑魚だが。その数は膨大だ』

 今探知できるだけでも数千体は街に潜伏している。

「数千……!」
「全部殺そうと思ったら何十日もかかりそうだな」
「いや、めちゃくちゃ助かった」
 あっけにとられる様子の三雲くんに説明なく、迅くんは地面に置かれたラッドを掴みあげて得意げに歯を覗かせる。
「そうだね。ここからは、ボーダーの仕事」
 言葉を引き継いで、しっかりと居並ぶ。
 善は急げ。本部への根回しと連絡は迅くんに任せてよさげで、なればと一個試すことにした。迅くんもそれを見越してたのか、考えてたのか振り返りざま親指を立てた。
「かさねの副作用サイドエフェクトが通じれば、もっと時間を短縮できるかもしれない」
「通じない確率の方が高めだけど」
「まあまあ、物は試しだ」
 頼むと告げて駆け出す迅くんの後ろ姿を見送って、二人の少年に向き直る。ここまで言えば僅かにも説明しなくてはならない。
「私のサイドエフェクトは、周囲の意識を引きつけることができる。―――― いわば存在感や気配を強めることが可能なの」
「気配を、強める?」
「うん。今回はあるものをプラスして、やったるどってね」
 あるもの? 不思議そうに疑問符を浮かべる彼らに苦笑して、私はなんてことのないように口を開いた。

「トリオンだよ」

 害虫駆除、開始。

毒を食らわば皿まで




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