世界の引金

 夢というものは、夢と断じた時点から自由に展開や登場人物を自在に変化させられる、らしい。どういった原理でどういう理屈なのかは専門分野じゃない私が正しく理解するには少しばかり脳内細胞が足りず、まあ漠然と感覚的に“こう”なんだろうと思っていた。防衛任務直後の睡眠を終えて、ぐっと重たい瞼を持ち上げぼんやりそんなことを考える。
 内容は記憶領域に染み付いた事実に基づいたものも組み込まれており、今回は夢が夢だと気づけなかった。もう何年も前の出来事だらけだというのに鮮明に若かりし頃の人たちの顔を再現できたのは、その時が本当に楽しくて嬉しい時間に包まれていたからなんだろう。正直、それらを護るために立ち上がり、防衛をしているのだ。それぞれがそれぞれの思想とやり方、目的を持って行動をしている。……勿論、私も闇雲に組織に属して活動しているわけじゃない。
「……………最近、やけに出てくるなぁ」
 誰に聞かせるわけでもないぼやきが、空中に木霊して消える。だいぶ前に旅立って、連絡も何も無い父代わりのひとりだった人が毎日のごとく夢に出てくるのだ。気にもなる。けれど流石に理由なんて分からず、憶測の域の出ない想像が羅列を作るだけ。
「うわっ」
 ――― 微かに回らない頭の覚醒に遅れて、セットしていたアラームがけたたましく鳴り響く。だいぶうるさい。
 籍を置く支部の仲間達のスケジュールを脳内で計算して、数秒後に深夜帰りの人がいたと気づき素早く携帯の電源を落とす。落とす直前に見えた時刻はやや明朝気味の朝で、思考を絡めとっていた反芻を無理くり断ち切る。一気にベッドから起き上がって、起動意思を念じて二秒にも満たない時間で支度をし終えた。生活音は届かないところを考えると、おそらくは私が一番早起きのようだ。あ、いや、朝食当番なら起きてるかもしれないな……。軽めのおにぎりがあればいいけど。
 廊下に出れば、暖房が届いてないために全体的にひんやりとした印象が目立つ。素早く視線を巡らせ、ある意味では当然っちゃ当然だけど隣人は帰ってきていない。
「おっ」
「あ」
 ……と思えばリビングに続く扉から顔を見せた。珍しく私服姿を見るに漸く当番が彼であることを思い出した。
「おはよう、かさね。防衛任務ご苦労さん」
「朝から鍋はきついものがあると思うので軽めでお願いしますね、迅くん。おはよう」
「開口一番朝飯の心配かよ……」
 エプロンを解いて、どうやら通常日程の人たちを起こしに行くところだったようで、ちょうどいいので私もついていくことに。とはいうものの、起こしに行かなければ起きてこないほどだらしのない存在は此処に居ないのも確かで、私にとってこの同行はただの言い訳にしかならない。
「迅くん、生身?」
「おー。ま、ご飯食べたらすぐ換装するけどな」
 軽く伸びをしながら私の隣に並んだ迅くんの首元にかかるそれが、小さく揺れる。そこで漸く、彼が生身であることを痛感した。
 なぜなら、それを付けているのは生身の時だけだからである。本人に訊くと「知らない内に失くしたり落としたりするのって論外だろ」とのことで、滅多に……というより一度もトリオン体に付けられたことはない。預けたのは私なので、どう取り扱おうが迅くんの自由には自由だけれど、大事にされていると思うと頬が緩んでしまうのは止められないもので。
「こそばゆい」
「えっ、あ、あはは。ネームタグ見るのだいぶ久々だなーって」
「あんま見せつけるものでもないしな」
「……重いなら、どこかにしまってくれてもいいのに」
 本心だった。
 なまじ有能極まりないサイドエフェクトを持つが故に、背負う責任や命が他者とは比べ物にならないほど多い迅くんにとって、拾われた時から持っていた私のネームタグは命を背負うのと同意義だろう。
 私を“浪速かさね”だと証明する唯一のものとはいえ、肌身離さず持ち運ばなくても迅くんが持っていると言う事実だけでも良かったのに。かれは、頑なまでに銀のチェーンに通されたネームタグを外そうとはしなかった。託した思いを正しく理解しているからこその行動だとは、頭では分かっているけど……私の思惑や考えなんてお見通しのくせに、人に誠実であろうとする姿勢は、昔から見ていて真っ直ぐだった。
 不自然にならぬよう平常心を努めてなんともないと言いたげに伝えるも、長年共に居すぎたせいかいとも簡単に私の感情を見抜いて、周りに向ける笑みとは僅かに違う種類の微笑みを向けてくるのだから、ずるい。「やだよ」Tシャツに隠れたそれを取り出して、迅くんは言う。
「これはこのままでいいの。ちゃんと大事にするからさ、間近で見ないと誰もかさねの持ち物だったなんて気が付かないよ」
「それなら、いいんだけど」
 はぐらかしや、強がりの類じゃない。心からそう思っている言葉にどこか躊躇っていた気分が徐々に融解して、一番年幼いお子様の部屋の前でその話は自然と途切れてしまった。誰かに聞かせる話でもないからありがたかった。
「宇佐美の方頼めるか」
「はーい」
 ボーダーに男女も何もないが親しき仲にも礼儀ありということで、女子たちは私に任された。好きな物に女子のおしりと申告する程度には割とセクハラがあるのに、こういう面があるのだから深く知らない人間からは異様にモテたりする。普通、中身を知って好きになるものなのに迅くんの場合は真逆なのだから不思議だ。セクハラさえやめれば、容姿は整っているしモテるのに、なんて勿体ない。
 ……ほんのすこしだけ、複雑な気分にもなるんだろうけど。
 迅くんといっしょにいる年数だけ、私は彼を好きだと感じている。かつて育ての父親たちや仲間たちに向けた感情ものとは何もかも違うそれが彩る世界はなんとも甘美で、綺麗で―――― 残酷だ。
 しかも。

「だめなんだよ、だめなんだ」

 そう遠くない過去の記憶は、昨日のことのように思い出せる。未来が視えるからじゃない、私の気持ちを知りながら知らぬ振りをするものだから。私も私で、自惚れじゃない感情に気づきながら、見て見ぬふりをするのだ。
 ネームタグも、伝えられない想いも勝手な自分の気持ちで。押し付けたくはない。でも、ずっと迅くんに願い続けてきた祈りのためには必要なもの。存外、ままならないものだなぁ。
「やー! ごめんかさね、起こしてくれてありがとう〜……どうした? なにかあった?」
 ぼさぼさの髪を適当に一括りにして部屋から出てくる栞ちゃんに声をかけられて、
「………なんでもないよ」
 私は笑顔を貼り付けて取り繕った。

 ……数年前、一生に一度の告白を疑いようもなく遮られた。これだけ聞けば相当相手に非難が集中するけれど、実際は折れて引き下がったのは私の方。あの時の迅くんは、自身で体の奥底に押し込めて隠していた柔らかい部分を剥き出しにしながら、静かに吼えた。やめてくれ、と。尋常じゃない様子に詳しく訊ねることもせず、箍が外れたように拒絶の言葉を吐き続ける彼の背中を撫でさすった。直感で、拒絶したのは私ではなく伝えようとしていた言葉だとは理解した。
 でなければ、わざわざ弱さを晒してまで遮った意味が無いのだから。目を強く瞑り、小刻みに震える迅くんは、たぶん何かを視た。ずけずけと内容を話せと言えるほど、図太くない。詳細は知らないけどそのせいで彼は私を拒絶した。
 取り敢えずその場は互いに妙な空気になりながらも、三日も経てば何事も無かったかのように、、、、、、、、、、、、接することができた。言外に忘れろと言われているみたいだった。あながち間違いじゃないかもしれない。でも、その感情は勘違いだと、家族に向けるものだとは否定されなかった。それに、あの日、私の耳に届いた「ごめん」という泣きそうな声音が、こびりついて離れない。
 迅くん、私は知ってるんだ。
 他の子に告白されても曖昧に笑って、ちゃんと断っていること。無論、その姿も迅くんなんでしょう? それでも私には告白さえ赦してくれなかった。普通ならそれほどまでに自分が嫌なのだと思ってしまうかもしれないけど、そうじゃないことは、日頃の迅くんの態度で丸分かりなんだよ。自意識過剰じゃない、確実に迅くんも私のことを特別に感じてくれてること。鈍いどころか、サイドエフェクトの影響で他人の気には聡いのだから、当然っちゃ当然。本当に私の気持ちが受け入れられないのなら、他の女の子と同じくことわればいいだけなのだから。
 傷つけたいわけじゃない。悲しませたいわけじゃない。苦しめたいわけじゃない。好意の塊といえるネームタグをあんなに大事にしてくれているのだから、明確な関係性を結ばなくとも傍に居られれば、それでいいと思えた。伝えても、伝えなくてもやるべきことは変わりないのだ。ならば、いま告白をさせてもらえずともいいのだ。ちょっぴり……ちょっぴり泣き笑いを浮かべてしまったのは、どうか気づかれてないと想いたい。表に出さず、胸で想うのは自由なんだ。それぐらい赦されても―――

「おねーさん、ぶつかるぞ?」

 我に、返る。目の前に見るからに硬そうな電柱がそびえ立っており、思わず仰け反った。たたらを踏みつつ、無様に崩れるのを堪えた自分を褒めてあげたい。「おお、踏みとどまった」声がする。後ろか。
「…………中学生?」
 声の高さからしてもっと幼いかと思っていたが、見慣れた制服は中学のもので。さらにボーダーと提携した学校の生徒らしくも見え、はたと時間を見る。うん、どんなに頑張っても遅刻は免れないタイミングにここに居るのは謎だ。
「転校生だ。ニホンの土地はよくわからん」
「海外から来たの? 親御さんは……」
 派手に目を惹く赤い、眼。傷みを知らない白髪は恐ろしいぐらいに少年に似合っている。
「おれひとり。学校前に「基地」を見ておきたかったんだ」
 ほらあれ、と指差す方角を見るとこれまた見慣れた建物が飛び込んできて、ああボーダーに憧れてるのかと納得した。一般公開している情報では憧憬を抱く小さい子がいても無理はない。
 でも、
 なんだかこの少年は違う気がした。
「大きいよねえ」
「おおきいな」
「定期的にメンテナンスをしてくれる人達には頭が上がらないや」
「ねえ、おねーさんもボーダーの人か?」
「一応は。これでも強いよ」
 猫のような眼差しが、すっと細められる。
「へえ?」
 背筋が冷える。子供心が満載の中学生とは思えない気迫と雰囲気に呑まれそうになるも、意地で視線を合わせた。
 ボーダーに応募してくれるのは大歓迎だ。滅多なことでは落選者は出ないし、出させない。三門市の防衛のためには500人余りが所属していても人手が足りないのは否めない。成長の見込める者を事前にスカウトするのも隊員の役目の一つ。
 の、はずなんだけども。
「……あ、やば。そろそろ行かなくちゃ。じゃあね、おねーさん!」
「うん。もう遅刻はしちゃだめだよ」
 こてんと首を横に倒す少年に薄く笑って、とんとんと腕時計を指差す。
「ああ、なるほど。トケイ、か」
 片言にぼやいた少年はまるで何かに急かされるように踵を返し、後ろ髪引かれることなく走り去っていった。
 軽い身のこなしを見送りながら、はっと私も自分の予定をこなすために少年とは逆方向……つまりボーダーの本部基地へと足を踏み入れる。視線を集めてるのは自覚してるし、まあ支部の人間が来るのは珍しいよね、分かる分かる。
 とはいえ私も仕事だからそんなことも言ってられない。早急に片付けねばならない仕事がある。
 深呼吸一つ。トリガーを翳して認証後、開かれた扉の向こうへお辞儀をして。喉から声を発する。

「浪速かさね、お召しにより参上致しました」

 ――― 運命の分岐点は、自分では気づかない。
 何が、誰が、どれがそうであるかは偶然の一致で定まることが世の摂理の中、互いに気が付かないまますれ違っている人間は一体どれだけいるのだろうか。

 これは、星を駆けるこどもたちが手を伸ばし、足掻いていく話。


 そして自分のことを知るための、お話である。

決して報われない御伽噺




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