世界の引金

 浪速かさね。それが私に遺された唯一のもので、捨て子だと証明する名前。
 けれど、捨て子だとしても私は幼いながらも恵まれた環境に放り込まれているのは自覚していた。
 ――――― 物心ついた時から私は様々な思想や理想を掲げる人達に囲まれて育ってきた。両親の顔なんて以ての外、自分がどこで生まれたのか、普通の子なら絶対に知っているであろう事柄すら記憶に無い。家族と呼べる存在は嫌な顔ひとつせず面倒を見てくれた、お人好しの大人たちで、私が彼らを大好きになるのも時間の問題だった。
 まず第一に、私を本当の娘のように扱って愛してくれた最上宗一さん。色素の薄い柔らかな髪を風に靡かせて、愛用のサングラスをいつも付けていた最上さんは一言でいえば豪胆で明朗快活、掴みどころのない性格だ。人を見放せず人を助けることに全身全霊をかける彼に、私は酷く懐いたのを昨日の事のように覚えている。たとえば、はじめてのお小遣いでハンカチを贈った日には何故か泣き伏してしまって、最終的には私をぎゅっと抱きしめてくれたり、生まれついて備わっていた不可思議な力のせいで何かとトラブルに巻き込まれがちな私を、誰よりもまっさきに守ろうとしてくれたりとか。本当に、大好きだった。
「なあ、かさね」
「うん?」
「やめないか? その話聞いてる本人物凄く恥ずかしいんだが。え、嫌がらせか?」
「口を慎め最上。お前の娘がお前に対する気持ちを顕にしてくれてるんだ、応えてこその父親だろう」
「いや普通手紙とかじゃないの? 何があって本人に読み聞かせ劇場してんの?」
 ぶつぶつ言いながらもリビングから出ていこうとしない最上さんは、やっぱり優しい。……まあ最上さんの腕を力づくで掴んでいる存在がいるからそそくさと退出できない可能性の方が高いが。「俺は真正面から感謝されるの苦手なの!」「うるさいぞ」あ、叩かれた。
 呆れる素振りを見せた青年も、私にとっては家族に等しい。名前は城戸正宗さん、それからこの場には居ないけど類は友を呼ぶのか、恐ろしい程に豪胆で心優しかった空閑有吾さん。この三人が私の父代わりで、周りの子達から聞く“おかあさん”は全然何も覚えていない。でも、悲しくはなかった。母親はいないが、私をちゃんと彼ららしく愛してくれる人達が周りに居たのだから。
「というか、なんでいきなり行動したんだ?」
「えっ」
「は?」
「待て待て待て、城戸待て。人を射殺せるような目で見るな夢に出そう」
 マジで言っているのか、と言わんばかりに最上さんをめつける城戸さんに両手をあげ、降参ポーズを繰り出す様子を見るに、ふざけた様子は一切なく、真面目に理解ができていない感じだ。
 別に私は最上さんのそういうところは分かっていたから特に気にしていないけど、隣で心底呆れ返る城戸さんと目を合わせて、態とらしく大きく息を吐いた。……最上宗一という男は、そういえばこういう男だったなと副音声が聞こえてきそう。用意されたホットミルクの入ったマグカップの取っ手を弄り、カレンダーを見つめて訳を考える最上さんを眺めて苦笑する。こんな感じの人だから、周囲にいい人たちが集まるんだろうなあ。
 一口ホットミルクを含んで、さて、いつネタばらしをしようかと頭で算段をつけていると。やいのやいの騒いだのが原因か、また新たにリビングに足を踏み入れる人がひとり。
「……なにしてるんです、こんな時間に」
「お、忍田。空閑は?」
「自室に引き上げましたよ。あまり夜中に未成年交えて酔っ払うのやめてください、ただでさえ酔うと面倒になるのに」
「最近俺に当たり冷たくない?」
「気のせいでは」
 ちらりと最上さんを見て、盛大にため息を吐いた容赦のないこの人は忍田真史さん。爽やかさを絵に描いた容姿をしているけれど、やることなすこと際どいものばかりで、城戸さんは彼を“やんちゃ小僧”と称しているが、言い得て妙だった。
 冷蔵庫から緑茶を取り出して、飲み下す忍田さんを見てあ、と閃く。「忍田さん〜」私はにこにことこえをかける。
「今日なんの日?」
「父の日でしょう。……嗚呼、なるほど。察しました」
 お、すごい。忍田さんこれだけでこの面子の理由を分かったらしい。
「父の日ィ?」
「気づかなかったんですか。本当に?」
 はん、と鼻で笑う仕草の忍田さんにぐぬぬと唸る最上さんには失礼にも笑いをこぼして、そういうことだからと最上さんに満面の笑みを浮かべる。
「いつもありがとう、最上さんおとうさん
 最大級の感謝を込めて言葉を紡げば、予想通り、最上さんは照れくささを全面に押し上げて、だけれど決してその言葉を受け取らない訳がなかった。城戸さんも、忍田さんも、空閑さんも、林道さんも。私の血は繋がらなくとも家族なのだ。
 ――― 浪速かさねの家族は、ここ、異世界の橋渡しを理想に掲げる基地……ボーダーに所属する人間たち。いくつメンバーの増減があったとしても、それは絶対に変わらない不変の事実。だから、ではないけど。幼い頃からずっと見てきた彼らの周りに志を同じくする人が集まるのは必然だったし、私の知り合いが増えるのも致し方のないことだった。
 そうして、数年後。私が13歳を迎えた当日に表現するならば爆弾は落とされる。

「かさね。こいつ、俺の息子」

「……………は?」
「本気にした? したよな? ざんねん嘘です!」
「紛らわしい!」
「いだっ!!」
 洒落にならない、冗談なのかそうではないのか判断が付きにくい嘘を軽い気持ちで口にした最上さんの背中を思いっきり叩いて、部屋の扉前で居心地悪そうに視線を私に合わせない少年を見遣る。
 薄茶の髪はところどころ癖っ毛で、目は合わずともいつだったか最上さんたちに連れていってもらった水族館で見た、水槽に満ちる綺麗な青のような双眸が印象的だった。見た限り、最上さんと似ているところはないので冗談だと断じた。
「新しくボーダーに入る子だよ。こーんなおじさん連中に色々教わるよりかは、最古参で歳の近いかさねの方がこいつも打ち解けやすいだろうから」
「ほう? おじさん連中で悪かったな」
「げっ。城戸、いつからいたの」
「最初からだ。一緒にこの部屋に来ていたわ」
 調子のいいことを言い返して、最上さんは城戸さんに引きずられて慌ただしく部屋を出て行った。
 ……えっ、取り残されてる。少年も少年で不安げに背後見てますけど? 声をかけようにもぜんっぜん視線は合わないし、そもそも異性に何を話せばいいのか分からないんだけど。
 手持ち無沙汰にただ時間が過ぎていると、携帯が着信を知らせて一応断りを入れて届いたメールを見る。記されていた文面に、息を飲まなかったことを誰か褒めて欲しい。

 お前とおなじ、力を持ってる。効果は視界に入れた奴の少し先の未来を視えてしまうものだ。……それに、母親を近界民ネイバーに殺されてる。城戸には絶対に言うなよ。

 うん。これ、少年を連れて来る前に言って欲しかったな。まあどうして視線が合わないのか分かったので良しとしよう。
「えっと。私、浪速かさねって言います。きみのお名前は?」
「…………悠一。迅、悠一」
 良かった! 意思疎通はできる!
 それにしても、未来が視える、か。
「うんうん、迅くんね。歓迎するよ〜」
「…………」
「最上さん優しかったでしょ。私の父親代わりでもあるんだよ」
「……………」
「………あー、っと」
 沈黙が部屋を包む。迅悠一と名を教えてくれたのは幸先良かった。でも年頃の少年と弾む話なんてあるはずがなく、如何に心に傷を負ってる迅くんの地雷を踏まずに仲良くできるかを模索している……が、逆にそれが壁になってなかなか取っ掛りを発見できずにいる。
 ……未来が視える。どこまでなのかは専門外だからよく知らない。それでも、目の前で心を閉ざしかけてる迅くんが想像にもできない地獄を味わってしまったのは私でも分かった。ベクトルは違えど、かれの力は、私の力と同種なのだから。
――――― ……私とおなじだね」
「……おなじ?」
 ぴくり。迅くんの眉が動く。かと思えば瞬く間に不満が溜まりに溜まった険しい顔つきになり。「おなじであるもんか!」泣き出しそうな声で、叫んだ。いや泣き出していたのかもしれない。ずっとずっと苛まれてきた忌々しい能力に振り回され、最愛の母を亡くし、視たくもない未来を視せられ。私と近い年齢でずっと抱えてきたのだとしたら、とんでもない、地獄だっただろう。
「おれは、っおれは母さんが死ぬのが視えてたんだ! わるい夢だと思おうとした、したのに……なのに、視たものと何一つ違わないで母さんは死んだ!!」
 心が締め付けられるほどの慟哭。
 本来持つ色彩とは真反対の激情のあかを瞳孔に宿し、私の肩を掴んで言葉をぶつける迅くんから、目が、逸らせない。
「あんたに、それがわかってたまるもんか!」
「………」
「どうして……なんでなんだよ……こんなもの、要らないのに。視えても、なにも出来ないんじゃあ、ただのゴミじゃないか!」
 ゆっくりと腕が離れて、膝をついた。
「かあさん、かあさん……!」
 頬を濡らす涙は留まることを知らず。嗚咽はやがて虚しい謝罪に変わっていき、迅くんは何度も何度も謝る。曰く、母さんが死んだのは、何も出来なかったおれのせいだと自分を責めて。
 未来が視える。傍から見れば、神にも匹敵する圧倒的な能力。最愛にあいされ、あいした家族とこれからもひなたのあたる場所で幸せに生きるはずだった少年が神になんてなれるわけがない。だけど迅くんは視えた未来に捕まって、雁字搦めで泣き叫ぶ。自分のせいだと、母さんを殺したのは自分だと。
 不幸の競い合いをするつもりはなかった。その人の痛みはその人だけのもので、私の痛みも、私だけのものだ。そんな私が彼に言えることなんて数少ないけれど、これだけは言える。しっかり、目を合わせて言える。
「迅くんは、かみさまなんかじゃないんだ」
 俯く迅くんの頬に手を置いて、零れる涙の筋を親指で拭って、額と額をくっつけた。気休めかもしれない、もう最上さんも言っていたかもしれない。でも。
「きみのせいじゃない。たまたま私たちは人にはないちから………ううん、トリオンを平均値以上持っているからこそ発現した副作用を持って、迅くんは未来が視えてしまった。……それだけなんだよ」
 足掻くのも、見逃すのも、迅くんの自由だ。迅くんはきっとやさしいから見過ごせなかったんだと思う。どうすれば、どう動けば誰も傷つかずに済むのかを考えて、全員を助けようとした。でも無理だった。あたりまえだ。
 迅くんは人間なのだから、、、、、、、、、、、。助けようとして救えなかったのも、人間だ。かみさまなら、救えたかもしれない。けれど、人は神になんてなれやしない。
「これから先、その副作用のせいで誰かに何かを言われるかもしれない。でも、できる限り私が守るよ。迅くんは人間だって、何度だって言うよ。すぐには飲み込むのは難しいかもしれない……だけど、君のせいじゃないんだ。これだけは、覚えていて欲しい」
「おれの……せい、じゃ……」
「ないんだよ。視えた世界をどうにかしたいなら、私も手伝う。なんてったって、お姉さんですから」
 どうか届いて。今じゃなくてもいい、けどいつか、迅くんの心に届いて欲しい。
 それから、迅くんは泣いた。それはもう思い切り。
 最上さんは、これが分かっていたから私のところに一番最初に迅くんを連れてきたのかもしれない。豪胆でちょっと天然だけど、子供のことを一番に考えるあの人だから、この子はボーダーに入る気になったんだ。
「ん、…………かさね」
「だいじょうぶ? 立てる?」
「かさね、笑ってる。何か嬉しいことがあるのかもしれないね」
「え? あ、未来視……」
 泣き腫らしたためか目元の赤い迅くんは、子供のように笑って、私の未来を教えてくれた。

「おれの隣で、笑ってる」
「最上さんとも笑ってて、ほかの人たちとも、嬉しそうに過ごしてて」
「笑ってるよ、かさね」

 青と、銀灰の瞳が邂逅する。
 自然と願いが浮かんだ。おこがましいかもしれない。彼は望んでいないのかもしれない。誰かに、ひとりよがりだと言われても。願うのだけは、自由なんだから。
「迅くんといっしょにいたら、楽しそうだもの。私、どういう感じになってる?」
「んー……身長は止まってる。今とさほど変わらない」
「よーし、迅くん喧嘩しよっか。抜かしたる」
「無理だよ、かさね。未来はそう言ってる」
「そんなことやってみなくちゃわからないでしょ? 空閑さんに牛乳貰って成長する!」
 否応がなしに未来を視せられるのなら、私だけは絶対に傍から離れずにいよう。体調管理にも気をつかって、絶対に彼が悲しむ未来を視ることがないように努力をしよう。
 そうして、迅くんのそばにいられたら。最上さんが以前受け取ってくれなかった、ネームタグも渡せるかもしれない。
 だから、いまは牛乳をたくさん飲んで迅くんの視た未来を覆してやろう。目指せ、170cm台!













「子供に関しての采配は、お前にあっぱれだな」
「だろだろ。敬いたまえよ」
「は。……恋に至るか、姉弟愛に至るか。俺たちは外野からそっと見守っていくか」
「鼻で笑ったでしょねえ今。
………そうだな、あいつらがいつまでも笑えるように環境を整えるのは、ずる賢くて、ちょっとだけ汚い大人たちの出番だ」
「結婚もしてないのに娘息子ができるとはな」
「やっぱり最近俺に対して冷たくない??」

 世界は私たちに少し厳しい。
 でもこれは、あたたかい優しさに抱きしめられていた頃の記憶。

世界は僕らに少し厳しい




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