世界の引金

 ぽっかりと浮かぶ満月。見るもの全ての眼を惹き付ける魔力が宿るとかなんとか囁かれていた月は、周囲に並ぶ星に負けない光を放ち、眼前で生活する人間の頭上から大地を照らしている。
 屋上で天体観測する機会が多かった私は、からっぽの感情を抱いて寝転がる迅くんの横でじっと月を見上げていたのを覚えている。投げ出された指と指が触れて、戯れのように握られて、離されたり。悲しいことなんて何も無いのに、やけに泣きたくなったのも、覚えている。
 あの人はとてもやさしいひとだった。死なせたくない、守りたいと思っていた。なかなか下に戻らない私たちを心配して一緒に星を眺めてくれた人を、どんな手を使ってでも守りたかった。
 なのに。

 ……一度目のさよならも、こんな風に音が散らばる夜中だった。
 絶え間ない音が今を現実だと突きつけ私を絡めとっていく流れは、何一つ変わらなかった。

 ―――― ……生きろよ、おまえたちは。
 生きて、クソどうでもいいことに笑い転げて、たまには喧嘩したってもいい。人間二人いりゃ対立し合うもんだからな。けど、ぜってぇに相手を見失うな。んで……、
 あー………まあ……なんだ、その。
 しあわせになれ、自慢の俺の子たち。

 致命傷を負って血の気が引いたいつもの顔、、、、、で、あの人はわらった。
 そうして、眩しい光が辺りを包みこんで、それで。あの人は黒くて気高い、守る力に変わったのだ。それが、今。

 二度目のさよならを、生み出そうとしている。




 ―――― 放棄地帯といえど所有権は元の住民にあるからか電気が通っている住宅街に、平素であればありえない爆音が鳴り響く。アイビスにあるスコープから覗く遠方では、民家に当たった弾音が加減なしに響き渡りながら攻防が続いている。近距離の背後から支援の射撃によって迅くんは目の前だけに集中ができているのか、難なく歌川くんのスコーピオンを受け止め反撃を肩に食らわせた。私と同じ狙撃手は見える範囲にはいない。バッグワームで身を潜めてるし、集中するべきものじゃない。前衛で攻めに固まった攻撃手アタッカーたちの内、ライトニングで誰かを威嚇し迅くんがやりやすい場面を作り上げることが一番だ。……が。そうはいかないのが遠征部隊がトップチームと称される所以である。一度凝らしていた目の力を緩めて、ふー、と息を吐く。注意深く見なくても破裂音は耳に届く。
 トリオン切れで本部へ強制的に緊急脱出ベイルアウトしてくれるなら、こちらとしては万々歳であるしそのために私も動いてるのだから。でも、どうだろうな。今までの経験上それに気づかない彼らではないだろうし。意図が漏洩すると否応がなしに別の作戦へ随時更新しなくてはならない。
「なるべく、プランBには移行したくないんだけどなー……」
«例の箔の引き上げですか?»
 独り言めいた呟きに、先程までデスクで百面相をしていたであろう音子がすかさず口を挟んだ。そうだよ、と返す前に一際大きい音と共に夜空にかかる砂塵を視認する。
 あれはメテオラ……嵐山くんか。旋空弧月を躱す際に上空に飛び退いたところで、通る射線を削るための攻撃だ。あれなら冬島くんも奈良坂くんたちもたまったものじゃない。
「浪速さん」
「こんばんは、かな。手伝ってくれてありがとうね」
 嵐山くんと顔を合わすのは大学ぶりだ。学年も違うこともあってかなり久々、かも。相変わらずボーダーの顔らしく赤が恐ろしいほど似合っているし、音子は沈黙しててなんかもう、可愛いったらありゃしない。藍ちゃんも時枝くんも迅くんも左右に降り立った。
「さっきのメテオラと一緒にバイパー撃った方がよかった? それなりに足止めはできたはずだけど」
「いや、それだと浪速さんの位置がバレやすいです。トリガーセットには中・遠距離用しかないと聞いているし、おれもですけど、迅はいい顔しないでしょう?」
「……そうだね」
「本人真横にいるのに恥ずかしい暴露しないでくれるかな嵐山」
「ほんとのことだろう?」
「あ、ら、し、や、ま!!」
 盛大に頬を引き攣らせ気恥ずかしいのか迅くんがツッコミを入れるが、素で思ってしまっている嵐山くんには届かないのかきょとんとした顔をされるだけ。ガチ攻防戦中なのに緊張感のない会話。あ、藍ちゃんが呆れた眼差しを向けてる……。
 これは完璧にどう見ても嵐山くんのペースで、打算も何もない純粋な所見は覆すのも難しい。私でさえ時折眩しくて目を細めてしまうボーダーの顔は、普通にかっこいい。一瞬迅くんは私を見て、すぐに遠方……まあ太刀川くんたちがいる方へ首を向ける。
「…………次は、こちらを分断しに来そうだな」
「(……逃げたな)風間くん辺りが嵐山くんたちの方に行ってくれると結構楽だけど、そうはいかさなそ〜」
「うちの隊を足止めする役なら、三輪隊ですね。三輪先輩の“鉛弾レッドバレット”がある」
 シールドを無効にし対象に打ち込める、特殊な弾はまとまって動いているのが小賢しい彼らにとっては足止めめにもってこいの効力。それは迅くんも承知の上なのか、厳しい顔一つしない。
 やりにくいのは……どちらかといえば三輪くんの方じゃないかな。
 どうせなら、と藍ちゃんが引き込んだ方が良くないかと。頭いいな。とかなんとか考えてたら嵐山くんが私の方へ指で何かを伝えようとしてくれていて、あ、インカム……。オンにして聴こえるようにする。そして、爽やかな笑顔のまま、嵐山くんは。
「朝比奈、よろしく頼むぞ」
«ウエッ、アッハイ! イイエ!?»
「どっちだよ」
 氷もびっくりなぐらいにかちんこちん固まった音子の動揺が手に取るように分かり、インカムの影響で返事は私と迅くんにしか聴こえないけれど、それでもツッコミを入れざるを得ない。人に向けられる感情の色を識別するのが上手い嵐山くんでも、こうも純粋に思慕を寄せられると悪い気はしないのか、たまに、ごく稀に音子がどういう反応をするのか分かった上で声をかけることがある。
「おっ、来たな。上手いことやれよ、嵐山」
「そっちもな、迅」
 思考が回らないオペレーターを置いて進んでいく話にやれやれと肩を竦めて、軽快な動きで反対側へ飛んでいく嵐山隊を見送り改めて迅くんに向き直る。
「私はどうすればいい?」
「あいつらが撤退する可能性は薄いよ。だからちょいちょい気配を強めて意識させて、狙われたり探されたりしたら撃っていい」
「撃つって……いいの? 迅くん、それは最後の手段じゃなかった?」
 段取りの際に念の為にと立てた作戦と矛盾する指示に首を傾げ、迅くんを見つめる。
「あー……まあ、そうなんだけど」
「…………。私が落とされる未来は?」
「いや。今のところ万が一にもない。けど」
「けど?」
 鸚鵡返しのように言葉を紡ぐ私に、隠し通せないと思ったのか彼は手の甲で口元を覆い隠しながら、一言。「さっき、嵐山が言ったように」

「おれが、いやだから」

「…………そ、へ、う……うん」
 声が裏返る。
 そうなんだ。へぇ。うん。言いたかった全ての言語が直前で吃り、気恥ずかしさよりも先に貰った発言の真意が理解できず相当の間抜け面をさらしてしまう。尋ねるよりも早く迅くんは身を翻し、土煙の上がる方へと消えてしまった。
 え? あの、ちょっと。
 平常運転に戻れない私の何が面白いのか、インカムから堪えきれない声が零れた。«んふ、ふっ……»
「音子」
«すみませ、ふ、ふっ……はははっ»
―――― 音子」
«……すみません。右方から三人寄ってきてます、気をつけて»
「とりあえず潜れる場所マーク」
«了解です»
 視界情報を頼りに屋根を飛び降りて、バッグワームで隠れている人以外の位置を頭に叩き込んで、それなりに距離のある場所へと移動を開始しながら一度だけ南西を見やる。
 現場に居ない私でさえ分かっているんだ。きっと、迅くんも分かってる。
「あ〜〜〜あ」
 今日一でかいため息を吐く。
 私には未来視なんてない。だからこの攻防戦の終結がどのような意味をもたらすか、可能性のひとつとしか考えられない。
 太刀川くんたちの傾向、これからにおける利点、城戸さんの執着、その他諸々……。それら全部が導き出した仮定の未来を裏付けていった。私としては選ばれて欲しくなかった未来が、影や輪郭を生み出して、朧気の未来から確定の未来へと紐解かれていく。
 ―――― もし。
 もしの話であるけれど。かみさまがほんとうに実在するのならば。
「…………一生、恨む」
 負わなくていい責任や義務を課して、紛い物のかみさまを作り出すかみさまなんて、かみさまじゃない。
 彼からどれだけ取り上げ、奪えば気が済むの。
 どうして迅くんを苦しめるの。どうして、
 ―――― どうして。

「本当に……かみさまなんて、だいっきらいだ」

 言葉尻の震えた掠れ声は、寒空の下、空気の読める音子の耳以外に届くことなく、浮かんで消え去った。

 ある意味予期できていた予想が外れず、プランBに移行する少し前の事だった。


◇◇◇◇


「おつかれさん、助かったぜ」
「いや気にしないでくれ。朝比奈と浪速さんにも、よろしく頼む」
「はいはいっと。……木虎たち送ろうか?」
「おれも本部方面に用があるし、大丈夫だ。それよりも迅は? これから時間あるなら夕飯一緒に行かないか」
「あーー……悪い。おれちょっと交渉した後に、ちゃんと話さなきゃなんない奴がいて」
「浪速さんだな?」
「おまえってほんと容赦ないね。伏せたのに」
「迅がそういう顔をするのはたいてい浪速さん絡みの件だぞ」
「…………まじ?」
「まじだ、なんだ、自覚なかったのか?」
「わーーー待って待って、まじで? まじで言ってる? あ〜〜……」
「ほら顔を覆うよりも、早く行かないと。たぶん待ってるだろうから」
「………どっちの意味で?」
「どっちとも」
「……………ああ。うん、ちゃんと話してくるよ」



―――― そうしないと後悔するって、
  おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

ねむらない夜




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