世界の引金

 ボーダー本部基地内には様々な隊室がある。
 その隊の特徴が如実に現れる部屋は監視こそあれど周囲に悟られたくない秘密の会話をするには持ってこいの場所で、B級とA級問わず隊を組むと自動的に割り当てられるその隊室の中に、かつて私が属していた浪速隊の一室も掃除はともかくとして以前と変わらない配置で残っていて、朝から本部に出向いた私はセキュリティーカードを電子パネルに押し当てて入室した。
 室内は既に明るく、約束の時間15分前だけれど相手がもう来ていることを示している。自動ドアの開閉音で気がついたのか、隣接されたオペレータールームからひとり出てきた。私の姿を見るや否や、目元を緩ませて笑顔になり、出迎えてくれる。
「浪速先輩! お久しぶりです〜!」
「久しぶり。二ヶ月ぶりかな? ごめんね突然呼んで」
「大丈夫ですっ。通常業務は昨夜のうちに終わらせましたし、二日くらいはこっちに通えますよ!」
 濃い青色の髪を下ろした彼女の名前は朝比奈音子。中央オペレーターとして隊員の支援をする立場で、元浪速隊の射手だ。なぜ射手からオペレーターに転向したのかは色んな理由はあるが、今は割愛。支部の人間と本部のオペレーターは接点がなければ、あまり関わりがない影響か同じ隊だったといえどこうして気軽に会うのも久しぶりだった。「あ、紅茶淹れます」
 ささ、と勧められるがままに革張りのソファーに腰を下ろし、音子の紅茶を戴いて十分程度互いの近況報告や他愛のなく、取り留めのない話で盛り上がる。音子が猫を追いかけて転んだり、買い物のレジまで行ったのに財布を忘れていたとか、ほとんどはおっちょこちょいな音子の失敗談だったけれどこれが物凄く楽しいし面白い。話が次の段階へ進んだのは、茶請けに置かれたクッキーの山が三分の二まで減った頃。そろそろかな、と私がそれとなく話題を転換しようとした瞬間、突如として硝子テーブル上に書類が置かれた。一拍間を置き、それが数日後、、、の情報がまとめられたものだと察して音子を見る。
「流石、細かく説明してない内にこれだけアウトプットできるなんて……やっぱり音子は凄いね」
「えへ、えへへ……。周りがピリピリモードで、尚且つ浪速先輩が動く程の、それもあたしに頼るぐらいのことってこれぐらいしかないかなって」
 地形と建築物の高度、スナイパーが取りやすい狙撃地点にマーカーが引かれたものを上から下へ黙読。分かりづらいところは一切なくて、無駄を排した重要ポイントが一目見て理解できる文章と記し方に内心舌を巻く。隊を組んでた時から空間把握能力が高かったのは覚えてたけど、戦闘地帯の全てを見る立場になってからさらに能力が向上して洗練されていて、うちの元隊員フィルターがかかってても絶賛できる。
 迅くんの予知と連携すれば、増援部隊も合流しやすくなる……いやほんと、知ってたけど音子凄いわ……。
「一応ここのコンピュータと繋いだインカム、二個渡しておきますね。今回は前衛ですか? それとも支援?」
「んー……邪魔になったら困るから、たぶん潜りながらの後方だね。ただ気配については個人の判断で強化してもいいって言われてる」
「了解です」
 緻密な作戦は立ててもおそらく意味が無い。援護狙撃を撹乱か僅かな足止めに使えても、隙を突いてのベイルアウト狙いは絶望的。不意をつけても浮いて落とされるのがオチだ。
 積極的には撃たない。だけどいつでも撃てる気迫で相手の意識を散らして迅くんが動きやすいように支援をする。私に任せられた仕事は無闇に狙わずに常に居るぞとアピールをしつつ、決して玉狛へ行かせないこと。よし、と考えているとふと音子が尋ねる。「交戦に入った場合は?」「サブに接近戦用のスコーピオンセットしてるよ」「対処済みなんですね」残り少ないクッキーを片手に、私は音子と作戦事項を確認していく。
 とはいっても、すぐ完了してしまい再び雑談タイムに突入したけれど。
 今頃支部では桐絵ちゃんとかレイジさんとか、とりまるくんとかと会ってるだろうなあ。遊真くんは……桐絵ちゃんが師匠になりそう。スタイルが一番近いし。三雲くんはレイガストを使っていたからレイジさんでしょ、千佳ちゃんは……戦闘員、だろうね。いざという時に抵抗する力を持たなきゃ彼女のトリオン能力からすると危険だ。
 うんうん、うんうんと相槌を打ってくれる音子に出来たてほやほやの後輩らのことを話している最中、どんどん注意が私ではない何かに向き始めたのに気がついた。口を閉ざせば気づいたことに気づいたのか、どう言い表すか難しい表情かおをした音子が囁くように声を発した。「……あの」「なに?」めずらしい、と思いながらも平然を装って促す。人が話してる際に他の話題、疑問を挟む性格じゃないのに。
 テーブルに乗せられた指が無意味な動きをして、目が泳いでいる。言い難いことなのか、髪と同じ色の眼差しの中に気遣わしげな光が宿るのが見え、こっちも緊張してしまう。
「…………あたしが聞くのも、お門違いですし。なんだったら嫌な思いをするかもですけど」
「うん」
 その眼差しは、いつの日か見たもの同じだった。
 だから思い至ってしまった。音子がこんな顔をするのは、ただひとつだけしかなかったから。
―――― つらく、ないんですか?」
 主語も、具体的な説明もないのはせめてもの優しさであった。
 心配をかけてしまっている事実に頭を抱えたくなるも、純粋にまっすぐ見守ってくれている音子に対しておざなりな返事はしたくない。
 深く深く心の奥底を覗き込む。散らばる感情を拾い集め、形作っていく。名付けるならばそれは、抱くそれの名前は。
「つらくはないよ」
 声はふるえない。だって嘘じゃないから。
「でも」
 少しぬるくなってしまった紅茶を口に運んで、ソーサーにカップを置く。
 ああ、なんだか忍田さんの時と似たような感じだ。内容は違っても優しい人たちが心配している。頬を上げて、笑う。

「さびしい。……のと、腹が立つ」

 言ってしまえば簡単だった。

「腹が、立つ?」
「あの人にじゃなくて、話せないぐらい弱い私がね」
 ぱちぱちと瞬かせる音子が訳が分からないと言いたげに眉を下げる。いや分かるよ、言いたいことは。でもね。結局は、つまりそういうことでしょう?
「一個だけ言わせてもらうと」
 零れ始めた勢いのまま、私は続けた。ずっと思っていたこと。

「私は迅くんの重しになりたかったの」

 未来視のせいか、そうではないのか。彼はどこか凪いでいる。未来を選んで受け止めて背負い込んで、世のため人のためと視つめ続ける迅くんは例えるなら、風だった。良い未来へ導きながら立ち止まった誰かの背を押す、一陣の風。でも風は止まれない。世界がある限り風は吹くのと同義で、守るべきものがある限り足掻いていく。……いつか、自分と引き換えに手放してしまうものがあるかもしれないと私は感じている。迅くんを構成する大切な何かを捨てさせないための、重し。私はそうなりたかった。
 明確な関係性があれば、迅くんも話しやすく、頼りやすくなるんじゃないか。そう思って。
 結局、何も出来なかったわけだけれども。
「あはは、何言ってるんだって自分でも感じてる。けどその通りなんだ」
「浪速先輩……」
「でも安心してよ。私は迅くんの側にいて、守りたいと願うのは変わりないから」
 紅茶、ご馳走様。
 そう告げて席を立つ。変わらない間取りのキッチンルームに足先を突っ込んだ。音子は、何も言ってこなかった。

 傷つけるぐらいなら、無理に告げないと決めた。
 でも、本当にそれでいいのだろうか。これが正しい選択なのか今更になって分からなくなってきているし、揺れたら危うくなるのは知っているけれど、その疑問は頭から離れてくれなかった。
 水につけたカップを見て、曖昧に笑う。

 我ながら不細工な笑顔だと思った。



 そして来たる、12月18日。夜の匂いが放棄地帯を包み出した頃、私は迅くんと共に玉狛支部を出発した。


◇◇◇◇


 太刀川さんに、風間さんに、秀次たち……視えてたけどもな、こうも全力で奪取に本気を出してくる城戸さんに呆れというかなんというか……変な笑いが出てしまうよな。
 風刃に手を添えて、退かない姿勢を見せるとやはりというべきか遠征部隊は動じない。それどころか言葉の応酬と来た。特に太刀川さんなんかは本部規定を持ち出しておれの理屈を突き崩して、任務を遂行する気満々だ。その熱意をボーダー以外に向けたって実力は落ちないだろうに……。それに、風間さんの言う通り黒トリガーに対抗できるだけの力を持ったA級上位部隊全員と戦っても、黒トリガーを使用したとしてもかさねに伝えたいいとこ五分は確定だ。心強い狙撃手が背後に控えていても、揺るがない。
 ―――― ただし。

「おれとかさねだけだったらの話だけど」
「なに……!?」

 刹那、右横の家屋上に三つの影が降りてくる。戦いに入る前に到着するかは半々だったが、運はこちらに向いていたらしい。その人影は闇の中でもいっとう映える色を背負い、朗々と声を張り上げる。あいつの声はよく通る。
「嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により玉狛支部に加勢する!」
「嵐山……!」
「嵐山隊……!?」
« ンェ゛ア゛?!!?!»
 …………、………なんか、いま現地にいる誰よりも良い反応がインカム越しに聴こえたな。段取りで朝比奈ちゃんがいるのは確認済みだったが、あー、そうだ。彼女、嵐山ガチファンだったか。
 非常にややこしくなりそうなので、可哀想だけどスルーしようかな。嵐山隊の面々が反応していないのを見るに通信は繋げていなさそうだし、とりあえずかさねに落ち着かせてもらおう。
「いいタイミングだ、嵐山。助かるぜ」
「三雲くんの隊のためと聞いたからな。彼には大きな恩がある」
 イレギュラー門の件か。なるほど。
 嵐山隊とおれ、そしてかさねと朝比奈ちゃん。これで敗北・撤退の未来の線は限りなく薄くなった。多人数相手なら、こっちも多人数になればいいだけだからな。どうしても、という場合はおれたちには大砲が背後にいる。この作戦も事前にかさねには言ってあるし、最良の場面でアイビスをぶっ放すだろう。
 ……が、それは最終手段だ。そうはさせないけどな。かさねの大砲は飽くまでも威嚇。迂闊に踏み込めば餌食になるぞっていう、警戒目的。
「嵐山たちがいればはっきり言ってこっちが勝つよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
 文字通り、負けの未来は視えない。
「おれだって別に本部とケンカしたいわけじゃない。退いてくれるとうれしいんだけどな、太刀川さん」
「なるほど、『未来視』のサイドエフェクトか。ここまで本気のおまえ……いや、おまえたち、、、、、は久々に見るな」
 腰元の孤月の柄に太刀川さんの手が触れる。その顔は、不敵に、大胆に口角が上がっていて。
「おまえの予知を、覆したくなった」
 直後、嵐山たちと秀次たちが距離をとった。臨戦態勢。
 は〜〜、まあ。そうなりますよね。ここで退いてくれるんなら、それは太刀川さんじゃない。けどな、おれもここで素直に遊真を差し出すわけにはいかないんでな。

 なので、どの作戦が通じるのか現段階では断定できないし太刀川さんたちには悪いがどちらにせよ。

「やれやれ、そう言うだろうなと思ったよ」

 ―――― きっちり負けて帰っていただこう。

あぁ、ほら、またね。




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