世界の引金

「あ、かさね〜おかえ――――
「ただいま3時間くらい迅くんの部屋に居座るから誰も入らないでね、あ遊真くんたち訓練お疲れ様」

 ずんずん。……ぱたん。
 誰の言葉にも耳を貸さず、ノンブレスで目的を告げて力強い足取りでリビングを突っ切り他人の私室に消えていった女の姿に、ぽかんと目を瞬かせる。そこは一年という短い間ではあるがこの場にいる誰よりも付き合いの長い宇佐美がいち早く状況を把握して、後輩たちに向き直った。

「……あー、これは夕飯いらないっぽいね?」
「ふむ、カサネさん僅かに寂しそうな顔をしていたな」
「遊真くん、それ本当?」
「というかこんな時間まで何を……迅さんも最近居ないですし」

 誰に聞いても詮無いことは聞かないことに限る。満場一致で結論が出た四人と一体は敢えて話題を逸らしながら、ボーダーやトリガーに対する知識を深めていった。

 と、いうのをあとあと知った私が土下座しかねん勢いで謝罪行脚する自体になることを、まだ知る由もない。


◇◇◇◇


 ああもう。
 ……本当に腹が立つ。
 神などという偶像へ溢れ出る嫌悪に身を任せ、勢いのまま一番穏やかではない心情を抱えている人の部屋まで来てしまった。居座ると宣った手前まさか数十分足らずの内に退室するのは居心地が悪すぎるし、新しく出来た後輩たちに余計な心配はかけさせたくはない。
 と、いうのも。迅くんと話がしたい一心で部屋主のいない自室にまで飛び込んだけど、既に後悔し始めているのだ。考えてもみてほしい。手にしていた本人じゃない、幼い頃から一緒にいただけの、あくまでも他人の私がとやかく言っても結局は気休めにしかならない。蛍光灯が眩しい中、なんだか疲れてしまって迅くんのベッドに体を投げ出した。換装体でそんなことはないのは分かっているのに、心身に鉛が乗ったように手足が動かない。
 どうにかしなきゃな、と思考の海で溺れながら感じているとすっ、と顔に影がかかった。ハッと目を見開くよりも一拍早くその人は変わりない顔で、、、、、、、こう言った。
 
「ジャケットの裾、めくれてますけど」
「!!!」

 条件反射で咄嗟に抑えるも、蛍光灯を背負った来訪者……いや帰宅者は表情を変えず私を覗き込んでいる。音、聞こえなかったんだが。
 ぐでんと伸びるように上半身だけを寝転がしていた影響もあるだろうが、一応閉じていた扉の開閉音を察知できなかった自分へ怠惰だと貶して、ゆるりと体を起こす迅くんにつられて私も緩慢に起き上がった。いわゆる、ベッドの縁に腰掛けた状態だ。沈黙が痛い。このまま立ち上がって部屋に戻ろうか。どうにも落ち着かない気持ち故に当たり障りのない言葉を述べて去ろうと行動を起こすよりも一歩早く、迅くんが横に腰を下ろしたもんだからここから動くのは、なんというか、違和感がありまくる。
 できることなら素早く眼前から去りたいけど、無視できないのが性格だったから、つい。部屋に入るまで話してやろうと思っていた、今は飲み込んで消失させたかった言葉がぽろりと零れた。「馬鹿」「えっ」予想しえない発言だったのか、迅くんが驚いたようにこちらに首を向けたのが衣擦れの音で分かる。
「……って、言うつもりだった。実際、舌先ぐらいまで出てた」
「ああ……」
 視線が合わせられずとも、滑り落ちた本音。というか、馬鹿って言っただけで狼狽えるのはどうしてなの。意地でも迅くんの方は見たくない。我ながらクソほど面倒で鬱陶しい心情を抱えた女なのは嫌でも理解できてるし、自己嫌悪に陥りつつあるけど、でも、自分の心に蓋をして生きるのは、いささか息苦しい。
「勘違いしないでね」
「ん?」
「確かに迅くんは馬鹿かもしれないけど、それよりももーっと馬鹿なのは、私なの」
「かさねが馬鹿? なんで?」
「それ言わせる?」
 反射的に返せば、思うところはあったのか迅くんは言葉を飲み込んだ。
 さっきも思ったけど、ここに来たのってものすごく面倒な女だな……。迅くんだってひとりになりたいはずなのに。それなのに私ってやつは、激情のままに押しかけるなんて。自分で自分が嫌いになる。無言の空間に迅くんもいたくなかったのか口を開いた。「そうだ」
「おれ、ランク戦復帰するだろ? 太刀川さんたちにアタッカーでトップ目指すって言った」
「あー……無邪気に喜ぶ様が目に浮かぶ……」
 一も二もなく、太刀川くんの様子が。
 交渉後風間さんも含めた三人で話をしたらしく、トップを目指す宣誓に戦いを楽しみ強さを求める太刀川くんが食いつかないはずがなかった。本部に出向いて偶然すれ違っただけなのに、口を開けば模擬戦しようという言葉が投げかけられるのだから。
 それに。
「迅くんと太刀川くんは前まで1位を争ってたし、決着をつけたいんだろうね」
「あの人、一戦一戦がなっがいからなー。前にも言ったみたいにかさねも似てるし」
「心外すぎるな……」
 脳内で失礼だな、と憤慨する先程戦った太刀川くんの顔を思い浮かべて苦笑い。
 気を緩めたとか、油断していたわけじゃない。でも何故だか今日は思わぬところから殴りかかられるらしくて、次の瞬間に私は息を一瞬止めた。

「そういえば、昔使ってた天体望遠鏡ってまだあったっけ」
 
 話題に出すのも控えていたものを自然に投げかけてくるものだから、思考回路がぐっちゃぐちゃになってしまう。なんで、そんな唐突に。
「えっ、あ、れ……レイジさんに聞けば、あるいは……地下室の、物置にあるんじゃ、ないかな」
 意識をしているのがバレバレな挙動になり、咄嗟に空々しい笑い声をあげた。
 ……誤魔化すの下手くそすぎか? これなら本心を語った方がまだ何十倍もマシだわ……。本当の意味で手放したのは迅くんなのに、私の方が狼狽えてどうする。

「そっか」

 聞こえてきた声音は至って優しくて。
 だから、顔は上げられなかった。嫌でも分かってしまう。今彼が浮かべてる眼差しは慈愛に満ちて、落ち込む私を水底から引き上げる色だ。私が向けられていい色じゃない。私が、迅くんに手を差し伸べるべきなのに。ぽんこつな体は脳内を過ぎり続ける離別に小刻みに震え、ああ、なんて。なんて情けない。
 私が泣きそうになるのはぜんぜんちがう。だめ、とまって。
 俯いた先に見えるのは、覚束無い足元。
「一分待って。顔見せらんない」
「やーだ」
「っこっちもやだ、ちょ、ここぞとばかりにほっぺた持ち上げるのやめて!?」
「あはは、伸びるな〜。……ほら泣くなって。今生の別れでもあるまいし、ただ所有権がおれから本部に切り替わっただけ。おまえも使い手の候補者だったろ?」
「…………辞退したし」
 最上さんも、迅くんも、優劣つけられない私の大切な人たちだけど……おとうさんだったけど、私は迅くんの敵になんてなりたくなかった。黒トリガー全般からは辞退することができる。流石に起動試験は引き下がれなかったけれど、淡い緑色の光を放つ帯が現れた瞬間、思ったのだ。

 ―――― あ、これ、私が持つべきものじゃない。

 風刃の持つ力はトリオン能力に比例して遠隔斬撃が放てる帯の本数であったため、訓練室一帯にをそりゃあもう光が埋めつくした。薄緑のそれを見ながら、ただ漠然と私じゃないと、感じた。
 だから辞退した。それと同時に、自然と風刃を持つのは迅くんだろうと思った。
 それは果たしてそのとおりになった。数ヵ月後に行われた争奪戦で彼はいつもの飄々とした性格を沈ませ、淡々と参戦者を脱落させ、いとも容易く圧勝したのだ。
「辞退したとしても、だ」
 そう言って、迅くんの指が私の頭に乗せられて撫でられる。
 柔い手つきで撫でられるそれに、悪い気はぜんぜんしなくて少し瞼を伏せながら呟いた。
「……迅くん、撫でるの好きだね」
「ん? ああ、ちょうどいい高さにあるから、ついつい乗っけちゃうんだよ」
「子供扱い……」
「違うって。かさねは優しいなって思ってるんだぞ」
 自己評価と程遠い感想に、素直に首を傾げると何が面白いのか顔を綻ばせて彼は言う。
風刃あのひとを手放したおれを心配してくれて、部屋に居てくれた。かさねは人のことばっかりだ」
「一言もなしに部屋に居座るとか迷惑でしょ」
「まさか! 嬉しかったよ、おれは」
 未だに顔を上げられない私にすら気にならないのか、指先がゆっくりと膝上で固まっている私の手を包み込んで、あろうことか自分の近くへ引き寄せた。
 こ、ういうことを素でやるから……いや、やらない、か?
「本当に大丈夫なんだ。……未来は動き出してる。風刃を手放しても、おれは平気だよ。それでも誰かに―――― かさねが心配してくれるって事実が、酷く嬉しいんだ。ありがとう」
 やさしい声音は、無理やりに作られたものじゃないのは簡単に分かる。分かってしまうから、つらかった。
 握られた指に縋るように私も力を入れて、漸く視線を合わせるべく顔を上げた。
 ああ、やっぱり。
「迷惑じゃ、ない?」
「信じられない?」
 こてん、とわざとらしく首を傾げてもなお綺麗な澄み切った空の眼差しはどこまでも柔らかくて。
「かさねはさ、不安になりやすいけどその気遣いと優しさはちゃんと届いてる。今だって、おれはそれに救われてる」
「…………ありがとう」
 迅くんは心情を打明かすこと自体少ないと思う。でも、だからなのか、紡ぎ出される言葉に同情や嘘は混らない。
 意味も無しに誰かを頭ごなしに否定したり、傷つけることはしないから疑う余地なく信じられる。……もっと言えば、彼は私の好きな人である。疑う理由がなかった。「もういい時間だな、部屋まで送る」「いいよ、大丈夫」「おれがしたいの」危険も何もない支部なのに送ろうとするのを断っても、ずるい言い回しで結局受け入れてしまう。最近私が押しに弱いのバレてる気がするんだが。
 先に立ち上がって扉に向かう迅くんを追いかけ、て。私はゆらゆら揺れる袖に指を伸ばす。「うおっ」迅くんが驚いたような声を出した。意を決して、言葉を吐き出した。わたしの、うそいつわりない願いを。

「ねえ、迅くん。また寝転んで星が見たいね」

 袖を引かれたまま、迅くんは振り返った。
 浮かぶ微笑みはどこか満天の星空が広がっていたあの日のものとそっくりで、やっぱり、ちょっとだけ泣きそうになった。


「ああ。今度はおれとかさねだけじゃなくて、玉狛のみんなでやろう。その方が、おれもおまえも楽しいし、自分が許せるだろ?」

数多の願い事の代償に




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -