人っ子ひとり見掛けない貧民街。気配はあるものの誰一人として姿を現さない様子は、よっぽど外部から訪れた菖蒲達が厭なのだろう。それもそうか、と一人で納得して余所見をやめて足元に目を落とした。
 朝から始めた情報収集は比較的容易だったと感じている。弾き出された自覚のある者だからか、警戒心剥き出しの対応をされたが子供とは思えない太宰の巧みな話術と、持たされた紙幣の束で凡てが解決してしまった。『銀の託宣』に構成員が逆らえないのと同様に、生きる上では幾ら有っても有り余る金銭は価値を知る者からすると喉から手が出るぐらいに欲しいものだ。人間の本質を見たような感覚を目に焼き付け、最後の聞き込みを終えていた。
 それなりに時間はかかったが、予想よりも遥かに短く済み、陽が真上に出た頃にはマフィア本部への帰路についていた。「ねえ未剣さん」太宰は顔を上げないで呼び訊ねてきた。「入水ってしたことある?」「ないです」
 間髪入れず返ってきた否定にむっとしたのか、太宰は今度は視線を菖蒲に向けた。持っている本の題名タイトルは『自殺の美徳』。何とも反応に困る題名だ。

「飛び降りは?」
「残念乍ら」
「感電死に挑戦したことは?」
「ないですね」
「じゃあじゃあ、首吊りとか一酸化炭素中毒は」
「してたら生きてないですねえ」

 親に遊びの誘いを断られた子供よろしく太宰が唸る。しかし直ぐに興味が薄れたのか読書を再開した。
 物騒な会話を止める者は居ない。若し森がこの場に居たのなら盛大にため息を吐き、額に手を置いて肩を落としていただろう。歯止め役にも満たないが、突っ込み役というより軌道修正のできる者は現状、森しか居なかった。正確に云うと、近くには人の姿はあった。太宰が土地勘に詳しい人選の際、指名されたマフィアの中でも古株の男。決して童二人の側から離れず、かと云って近づきもせず、自分に下された道案内と護衛の仕事ができる範囲内に控え乍ら薄目で前を歩く男女を見つめていた。
 それを受け止めても尚、どこ吹く風の太宰は微かに感嘆の声を上げ、あどけない顔で期待の眼差しで本の頁を食い気味に文字を追い出した。

「ふうん、塗装用の鍍金液を飲んでの自殺が外国で大変人気、か……成程なあ」

 お気に召す自殺法が有ったのか、太宰が流し読みしていた本を注視し、想像するだけでも痛覚が訴えるえげつない内容を呟いた。そのまま菖蒲を見る。この一年間で太宰の自殺に関わってきたせいか、彼は高頻度で新たに見つけた自殺法の事前知識やら感想を菖蒲に求めてくることがあった。しかも態となのか無意識なのか、訊いてくる自殺法はどれも素晴らしく人体に苦痛を与えまくるものばかりであり、少しばかり自殺法に詳しくなったと自負してしまう程。だが菖蒲の知識も万能ではない、判らない法が訊かれた時の受け答えを用意しておかなくては。
 抑も訊かれないことが大前提になってほしいものだが、改善策も見当たらないまま今回も菖蒲は目を合わせず、鍍金液の成分を思い出し乍ら云った。「鍍金液は内臓を溶かすんですよ」

「完全な死傷もないのにそんなもの飲んだら、最悪死ぬまで内臓を溶かされる激痛に耐えないといけないですから……太宰さん、痛いのも苦しいのも慥か厭でしたよね」
「うえっ! 試さなくてよかった!」

 一生作ライフワークに相応しい自殺への道を究めつつある太宰は、顔を引き攣らせて鍍金液自殺を断念した。菖蒲の云う通り、死ぬまでに苦しいのも痛いのも味わうのはまっぴら御免なのだ。理由は至極単純なものだった。普通に厭だから、、、、、、、
 そうして、何を思ったのか自分達の後ろにいた護衛役の男に声をかけた。

「ねえ、今の話知ってた? 自殺する時には気をつけてね! ええと……」
「広津です」

 何に気をつけるというのか。思い切り困った表情を浮かべる、広津と名乗ったマフィアに菖蒲は同情した。
 太宰に心中の誘いを貰った時、否定ではなく保留の返事を出した菖蒲に憐れられても意味のない同情ではあるが。気を遣っているらしく、言葉を濁して当たり障りのない言葉を返した広津は日向と日陰の境目まで下り、控えめに云った。

「その……太宰さん、未剣さん。あまり先に行きすぎませんよう。私が護衛しているとはいえ、この辺りは抗争地域。何が起こるか判りませぬ」
「抗争?」

 太宰と菖蒲の声が重なった。

「現在マフィアと敵対中の組織は三つあります。≪高瀬會≫、≪ゲルハルト・セキュリテヰ・サアビス≫、そして三つ目の組織が、現在もこの付近で抗争を続けています」

 菖蒲はずっと聴こえていた銃撃音や爆発のする方角に首を向けて、続く広津の話を聞く。
 非合法組織が集まってるこの場所は、正しく抗争地域というわけだった。地位、富、名声、はたまた違う何かを欲する組織が命を命と思わないまま争い、身を投げ出す場所。
 広津は云う。抗争を続けている三つ目の組織はこれまでの組織とは雰囲気が違い、正式な名称を持たぬまま力を伸ばす―――≪羊≫について。一瞬菖蒲の脳裏にメエメエ、と鳴く愛くるしい草食動物の心象イメージが過るも、丸っぽい姿から短機関銃が放たれるのが再生できず、すぐさま打ち消した。流石にないと。
 ≪羊≫のリーダーには銃弾が効かず、今月でマフィアの二つの班が落とされているらしい。残酷で無慈悲さを兼ね備えたマフィアを圧倒するとは、しかもたった一人の手で。素朴な通り名が有り乍ら、実情は全く素朴じゃないではないか。そう菖蒲が何とも云えない表情で振り返ったその時、辺りに着信音が響く。菖蒲は携帯を持っていないし、離れた場所からではなかった。太宰の懐にある携帯だ。「森さんだ」太宰が耳に押し当てる。

「あの、広津さん」

 経緯を説明しだした太宰の側から離れ、菖蒲は広津に声をかける。「なんでしょう」広津は顔を引き締めて応えた。

「≪羊≫について……うんと、中でもリーダーのことを詳しく知りたいんですが」
「先程の素朴な通り名の他に、なんでも重力を―――」

 持ちうる限りの情報を菖蒲に教えようと口を開いた、その刹那。目の前で立っていた太宰が水平に飛んでいった。比喩ではない、文字通り凄まじい勢いを持った何かが太宰の胴に直撃し、痩せぎすの体をまるで花びらのように吹っ飛んだ。「太宰さん!」今度は広津と菖蒲の声が被る。
 何も気配は、殺気は無かった。寧ろ抗争地域ということも有りいつものより警戒を強めていた筈なのに気がつかなかった。納屋を突き破り擂鉢の底へと落ちていく太宰が上げた土埃と破片を頼りに急いで駆け付けると、そこには影があった、、、、、、、、、。小柄な少年に見える。菖蒲と太宰とそうあまり年齢は変わらないようにも見え、一瞬気が緩みそうになったが本能が危険だと信号を発した。

「ははは! こりゃいい! ガキとはな! 泣ける人手不足じゃねえか、ポートマフィア!」

 蔑みに似た眼光と言葉を吐き出した少年は嗤った。どうする。異能力で相手の首を刈り取るのは簡単だ。なんてったって意識と興味は眼下の太宰に向けられているのだ。以前太宰に伝えた身体能力の底上げについても今此処で試してみてもいいのだが。いずれにしても、太宰の腹に乗せられた脚が退かなければやりようがない。
 最善の行動が思いつかず、歯噛みする。「痛いじゃあないか」太宰がどうでもよさげに呟いた。

「お前に選択肢をやろう、ガキ」

 少年は云う。今死ぬか、情報を吐いてから死ぬか。どちらにせよ太宰にとっては歓迎すべき事態だ。太宰は態と少年から視線を外し、菖蒲を見る。心配そうな瞳だ。「じゃ今殺せ」
 
「っ太宰さん……!」

 形振り構ってられないと異能を発現させ、戦いを挑もうとしたが。それは無表情に首を横に振られ、留まらざるを得なくなる。何故、と言外に問い質すも背後に圧倒的味方の気配を感じて、それ以上は口を噤んで二歩下がった。「善い子だね」太宰は尚も菖蒲を見つめ続けて云った。

「今の君に此奴の相手は荷が重い。無駄な怪我は、してほしくないのでね」
「……ふん。泣いて逃げ出すかと思ったが、仲間を気遣ったり意外に根性のあるガキだな」
「ガキは君も同じだ」

 少年は僅かに瞠目し、太宰を視界へまともに入れて言葉を溢す。その間にも太宰の拳が強く踏みつけられ骨の軋む音が聴こえた。幾ら死を渇望する者であっても、自分と今まで会話を交わしていた人間が痛めつけられているのは見るに堪えない。けれど、菖蒲が少年に敵わないことは直に拳を交えなくても明白だった。蒼白の面持ちの菖蒲を置いて、太宰らは話を続ける。≪羊≫の内情、途中可也大き目の怒声が響き、太宰の腹部が蹴られた。その中で聞こえた名前―――中原中也。≪羊の王≫と呼ばれている者の名前。
 じゃり、と後ずさった時に踏んだ砂利の音が厭に大きく聴こえる。心臓が脈打ち、悔しさに唇を噛み締めていると誰かの手が肩に乗る。「未剣さん、後ろへ」広津だった。ハッと辺りを見渡せばいつの間に駆け付けていたのか、無数の銃火器を携えたマフィア達が取り囲んでいる。中也は何でもないように嗤う。「はは」足が退かされた。

「投降せよ、小僧。その若さで自分の内臓の色を知りたくはなかろう」
「幾ら凄んでも怖くねえよ、ジイサン。俺に銃は効かねえ。全員ぶっ倒して帰るだけだ」

 包囲網に顔色一つ変えずに周囲を眺めた中也の双眸が、ようやく菖蒲の目を捉える。ぞっとするほど、透明な目だった。太宰や森や、広津では見られない何かが中也の目にあるようで、それでいて、直視ができない目だ。視線を外し、警戒を怠らない儘駆け出した。勿論、起き上がりかけ痛みに呻く太宰のもとへ。
 仮令菖蒲に攻撃を仕掛けようとしても、ほんの僅かな動きを見せれば弾丸の雨が降り注ぐだろう。マフィアの隙間を通り、肩に手を回して抱き起こす。「いてて……ほんと容赦ないよねえ」平坦な声が届いた。

「広津さん……止めたほうがいい。こいつは触れた対象の重力を操る。貴方の異能じゃ相性が悪い」
「重力を操る……道理で銃が効かないってわけですか」
「ご名答」

 着弾した瞬間を狙い、重力を操りさえすれば放たれた弾丸は中也にとっては玩具と化す。マフィアの班がやられたのも納得がいく。
 それに、と菖蒲は広津を見る。擂鉢街に向かう途中に教えてもらった広津の異能は斥力だ。右の掌で触れた対象に、接触面とは逆向きの力を与える異能は、太宰の云う通り中也の異能力とは相性が悪かった。
 懸念したように完全な上下互換だった中也と広津の戦いは、意外にも―――否、予定調和通りと云うべきか左肩を菖蒲に支えられ乍ら中也の首筋に触れた太宰によって終止符が打たれようとしていた。如何に強力な異能力といっても、その根源を無効化にされてしまっては中也は類まれなる身体能力でしか戦うことしかできず、だからこそ上下互換として立ちはだかっても広津は表情を変えなかったのだ。

「残念。これで重力は君の手から離れた」

 太宰は退屈気に云う。

「異能が……出ねえだと?」
「さあ小僧、授業料の取り立てだ」

 広津の声音は酷く優しい。けれど、今から行われるのはその反対に位置していると云っても過言ではない行動だ。中也の胸元にそっと掌が触れる。
 ―――白い衝撃波。触れれば何人も吹っ飛ばされるであろうその様を、菖蒲は有り得ない角度から見た。真横だった。足が縺れ、咄嗟に両手をつき無様な体勢にはならずとも、菖蒲は間抜けな声を発する。「はっ……?」
 先ず太宰が大型車に撥ねられるように吹き飛ぶのが可笑しい。訳も判らず一秒にも満たない時間で繰り広げられた事態を慎重に揺り起こしていくと、広津の斥力が中也を襲うほんの寸前、己の横腹を誰かに突き飛ばされたのだ、、、、、、、、、、、、。「やら……れた」二度の痛みに顔を顰めた太宰が呻く。

「衝撃の直前に……下半身の回転だけで蹴られた。おかげで手を離してしまった……あれは自分の異能で、わざと後方に跳んだんだ」
「で、では……未剣さんが横に居るのは、真逆」
「そう。突き飛ばしたのはいいけれど、それしかできなくてね」

 太宰が菖蒲を見る。何も怪我がないことを示すべく力強く頷けば、視線は中也に戻る。家屋の壁に両足をつける中也の眼差しは、猛獣そのものだった。

「ははは! そうだ、そいつだよ! 宴の開幕に相応しい花火を上げようぜ!」

 叫び声を上げ、標準は太宰だ。恐るべし跳躍を見せた中也が太宰に迫る。太宰の異能力は阻害し無効化するもの、だが異能を無くせても跳び出した体の力は衰えず、まともに衝突すれば人体を粉砕して余りある勢いだ。
 まずい。そう判断を下す余裕もなく、菖蒲は意識を体全体に広げ、僅かにでも軌道が逸らせれば。と、足を踏み出した。
 次の瞬間。
 黒い炎が、全員の体を水平に吹き飛ばした。
 一般的な爆発ではない。人も、建物も、木々すらも突然の爆風に煽られ明後日の方へ飛んで行った。爆心地は―――擂鉢の中心部だ。何の前触れもない爆発に対応できる者は居らず、家屋の壁に叩きつけられて一瞬息が止まる。肺が圧迫される感覚の中、回転する太宰の姿を捉え、そうしてその先に迫る大きな瓦礫が見えた。
 誰も動けない。≪羊の王≫も無数の黒服の男達も広津も、予想だにしていなかった爆発に吹き飛ばされ、意識を失いかけている。辛うじて、否、動けなくても動けるのは菖蒲だけだ。数秒の遅れが命取りとなる。最悪の場合太宰どころか菖蒲もその生命が危ぶまれ、二度と目を覚ますことはないかもしれない。それでも。それでも迷いは一瞬だった、、、、、、、、、、、、
 異能を発現させる。剣ではなく、それに近い意識を肉体に這わせ最早がむしゃらにも似た境地で踏みつけた砂利を助走台とし―――加速した。空中で腕を剣に変化させ、太宰の飛んだ軌道にある瓦礫を二つに分断し、それから。「ッ……」頭に何かが中った。

「まずっ……」

 切り刻んだ際に降り注いだ小さな破片が菖蒲の米神を裂いた。人が投げるような速度ではない、大砲から発射された時の速度と変わらない破片が、頭部を叩いた。咄嗟に背後を見遣るも太宰は既に意識を飛ばし、ぐったり地面に伏している。瓦礫の傷は、一切ない。
 割れるような痛みに呻くことも儘ならず、ただ見えたのは。
 爆発の中心地で、不気味に嗤う白い頭髪に死と暴力を湛えた赤い一対の眼差しの―――。

 そこで、菖蒲の意識も暗転した。



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