森と太宰曰く、異能力の制御の仕方は人それぞれだと。
 脳に血液が巡っている限り本人の意思とは無関係に発動し続ける無効化や、以前知り合った異能生命体エリスを出現させる森の制御も、特に意識をしてできたわけではない。異能力が発現し、まるで生まれた時から知っているような感覚で制御できたと云う。
 果たしてそれは菖蒲自身にも当て嵌まっていたらしく、簡単な異能力の常識を身につけ、その一年後には出し入れは可能となった。用意された訓練部屋で同じく用意した盗難車や小型船舶を一瞬の内に切り裂く出力も申し分なく、未剣家に連なる者として自覚が出てきている。対象の硬度は菖蒲の曼殊沙華からすると無意味なものだ。金属であろうと防禦に徹した盾であろうと、菖蒲の剣はその凡てを切り裂き、塵と化させる。
 ―――だが。

「動かない物相手ならの話で終われば、今の時点で未剣さんは十分戦える。そうだな、例を挙げるとするならば警戒心を抱かない存在相手は対人でもいけるだろう」
「問題は、近づくどころか私に敵意を向ける人間と戦う場合、ですね」
「ああ。異能力者はその性能を加味して接近戦か後方で支援する判断を下す。君の曼殊沙華は瞬時に腕を剣に変化させる点を考えると間違いなく前衛向きだ。……ただ君自身の体術ばかりは、何でもいい。如何にかして底上げをしないと使い物にならない」

 未剣家に生まれた時点で武道を叩き込まれていた兄達は兎も角、仕事に携わっていなかった菖蒲の身体能力は平均的な女性の値であり、今後マフィアに加入し自分よりも異能力に長けた存在と相対するのなら向上は必須だ。平凡な能力を引き上げるとなると、一朝一夕で手にすることは難しい。
 菖蒲は自分を見つめ、結論を待っている太宰の目を見据え、一年前……即ち先代派の襲撃者を殺害した時の記憶を反芻させた。あの時は未だ家族を殺した人を返り討ちにしたという事実だけがこびりついていたが、着目すべきはそこじゃない。如何に相手が焦燥に駆られていたと雖も、軽度の暴走状態にあった異能力に振り回され乍ら命を刈り取るのは難しいだろう。けれど、一年前の菖蒲は大した怪我を負うこともなくこうして生きていた。攻撃を避け、水を斬るかの如く鮮やかに剣を一閃したあの日。
 その様子を見て太宰は云った。「未剣さんの顔を見るに、宛てはありそうだね」菖蒲が俯くのをやめ、悩んだ風にも考えた素振りもない太宰を見る。

「……何となくの、感覚ですが。上手くいけば弱点を克服できるかもしれません」
「重畳。じゃあ、それに関しては君に任せよう。―――却説、そろそろ戻ろう。朝も抜いていただろう」
「気づかれていましたか」
「倒れるまで訓練するほど向こう見ずじゃないけど、先が見えてるならそんなことをする必要はない」

 その通りだ。空腹を訴える己の腹に手を遣って、菖蒲は頷いた。此処も随分馴染んだようで今では何が何処にあるのか判るぐらい、一日の時間を割いている。射程範囲にぎりぎり届かない場所に置かれた安物の椅子に腰を深く落とし込んだ太宰は、見て気づいたことを菖蒲にありのまま伝えていた。
 階段を先に上る太宰を追って、振り返る。当然そこには無残に切り裂かれた塵しかない。忘れ去られ、静寂に満ちたもの。
 古びているため、錆びついた音を立て乍ら暗闇を作り出す部屋の中で、格子の隙間から差し込む陽光に照らされ埃が舞った。
 背後から名を呼ばれた。後ろ髪を引かれることなく、がちゃん、と扉を閉じて前を見る。排他的な街並みと、包帯を巻いた少年が詰まらなそうに立っていた。



***



 青空が広がっていた。雲の一欠けらも見当たらない青空に、突き刺すような建造物を何とはなしに眺め続けた菖蒲は興味が失せたのか視線を上から前に移す。
 菖蒲の知る街並みとは程遠い住宅街が広がり、此処…擂鉢街が普通とかけ離れた場所であることを厭というほど突きつけていた。巨大な爆発事故が前住民と土地権利関係諸共凡てを吹き飛ばし、いつの間にか表社会から弾き出された、或いは最初から居なかったことにされた所謂日陰の民達が街を創り上げた場所には、官憲は届かない。真逆まさかそんな地の環境整備を一般企業が仕事を引き受けるわけがなく、道と思しき下り坂は歩き難く凸凹だ。
 密やかに住まう余り歓迎されていない灰色の民達の目を居心地悪く感じ乍らも、此方こちらにも引けない事情があった。隣で悠々と呑気に本を読んで歩いている太宰はいっそ清々しい程いつも通りで。
 ―――事の発端は、遡ること数時間前。
 雑用にも似た仕事をこなし、時間も時間だからと月に貰っていた小遣いで三人分の朝食を購入して診療所へ帰還した菖蒲を待っていたのは、言語化の難しい何とも云い難い場の雰囲気に佇む二人で。
 余り宜しくない空気が流れていたであろうところに訪れた菖蒲を見、意図の汲めない笑顔を向けられて本能的に何かが起こると感じた。

「擂鉢街、ですか?」
「そう。そこにある噂が流布していてね、調査を太宰君と未剣君に頼みたい」

 非合法組織のポートマフィアと何かと縁のある場所程度しか知らない土地の名に、首を傾げる。森の庇護下に這入ってから初めて任せられる調査という名目は、何故だか一種の警告のような予感が菖蒲の脳に駆け巡った。応じるとも云えていない菖蒲を置いて森はさらさらと羽根ペンで紙片に書き記し、権限移譲書だと云い乍ら太宰に押し付けている。
 厭だと駄々を捏ねるかと思っていたが、予想に反して大人しい太宰と後ろにある薬棚を順番に見回して、菖蒲は嗚呼と納得した。

「その近辺にある人物が現れたという噂が流布している。真相の調査と云えば判りやすいだろう、――これは『銀の託宣』と呼ばれる権限移譲書だ。これを使えばマフィアの構成員は何でも云うことを聞く。好きに使い給え」

 差し出されているのは太宰だ。前髪から覗いた暗い目を見て、矢張りと緩んでいた頬を引き締め太宰の言葉を待つ。出逢った頃に感じていた不安が急速に実が成るのを見て見ぬ振りをして。
 太宰は云った。

「ある人物って?」
「中ててご覧」

 太宰がため息をつき乍ら菖蒲を視野に入れて、考えたくないと云う。「未剣さん、莫迦じゃないから気づくよ」

「いいから」
「森さんって頭善いのか悪いのか偶に判らなくなるね」
「あのね…」

 わーごめんなさい、と謝罪とは思えぬ軽口を叩いた太宰はそれでも菖蒲から視線を逸らさず、言外に尋ねていた。本当に佳いのか、と。
 菖蒲は寒くないのに両手を握り、細い呼吸を整えてから、首を縦に振った。足を下ろした先は深淵だ。聞く体勢に這入った菖蒲の様子を特に顔色を変えずに見届けた太宰は、息を吸って、口を開いた。

「……仮にもマフィアの最高権力者が、街の噂ごときを心配する筈がない。それだけ重要な、捨て置けない噂ってことだ。かつ、『銀の託宣』を使うほどの噂となれば、多分重大なのはその人物自体じゃあなく、噂そのものだ、、、、、、

 部屋の気温が、ぐっと下がった気がした。太宰は人物ではない、噂自体が重大だと云った。街には様々な、それこそ千差万別な噂が毎日生まれていて、太宰の云うようにマフィアの長が気にしては切りがない程の量だ。
 なのに気にするのか。何故マフィアに正式に加入していない太宰と菖蒲に頼むのか。
 今まで散らばっていた点と点が線で結ばれた感覚に襲われ、菖蒲は無意識に息を止めていた。尚も太宰は続ける。

「真相を確かめ、発生源を潰しておかなくてはならない噂。流布するだけで害を成す噂。ついでに専門家や優秀な部下達じゃあなく僕を…これからは未剣さんも使うとなればその人物は一人しか有り得ない」

 ごくり、と固唾を飲む。そして、

「現れたのは――先代の首領だね、、、、、、、?」
「その通り」

 森が重々しく頷くのを横目に、繋がってしまった憶測と推察に信じられないと呆然とする菖蒲は、自分の中でどうしてか納得している部分もあることを感じていた。
 血の暴政と揶揄された時代の中で、一体何人もの無益な血が流れたのか、最前線にいなかった菖蒲でさえ情報として知っている。抑もマフィアなのだから不満を募らせて部下が上司に反旗を翻す事例は、少なからずあるものだ。けれど、普通は考えもしない。嘗ての最高権力者を、病死に偽装し殺すなんてことは。
 指を触っていた森の目が菖蒲を射抜く。何も、感じさせない表情だ。
 極度の緊張で声が裏返る。「先代首領が、擂鉢街に?」
 
「世の中にはね、未剣君。墓から起き上がってはならない人間がいるのだよ。あの御方の死は私がこの手で確認し、盛大な弔いまでもしたのだから」

 直接的な確認は必要ない。森の仕草、言葉、視線が菖蒲の懸念を全部肯定している。森は判っているのだ。菖蒲が他言するような人間ではないことを。自分の命綱を誰が握っているのかを、痛い程よく判っているのも。
 菖蒲は立っていた這入り口から太宰の側へ歩み、斜め後ろに控えるように佇んだ。言葉で信じる男ではない。行動で示した故のもので、森も心なしか満足げに口角を上げた。

「墓から起き上がってはならない人間、ね……。余り彼女を翻弄させないで欲しいんだけど、森さん?」

 露骨に仕方がないと云いたげなため息を吐いて、微かに苛立ちを含んだ声音で太宰は言葉を森に投げた。「何故かね?」森が青年の笑みを浮かべて尋ねる。
 暗い目や齢十五らしからぬ表情をする太宰にしては珍しく、否、それが当然であるような言葉にするなら子供のような顔をし乍ら。

「だって、僕と死を共にして呉れる共犯者ひとだから」

 そう云った。
 信じて疑わない口調に菖蒲と森は面食らい、先程とはまた違う沈黙が医者の部屋を包み込んだ。太宰の云う共犯というのは心中願いのことだろう。返事を曖昧にしていたと思っていたが真逆彼の予測では菖蒲は頷いていたのだろうか。
 そうして、沈黙を破ったのはだれかの笑い声。森が口元を抑え、笑っていた。笑う理由が判らず、菖蒲が説明を求めると森はこみ上げてくるそれを何とか抑えようとして、失敗して。一頻り感情を笑いに変換させた後、ぶすくれた太宰と困惑した菖蒲の顔を順繰りに見て云った。「だからだよ」座ったまま足を組み、続ける。

「以前私は云ったね? 君達は善い関係になれると。ふふ、見立て通りで大変結構」
「うげぇ」

 苦虫を噛み潰した声が斜めからした。覗き込めば太宰は舌を出し、厭そうな顔をしていた。「はぁ……確かに僕達にしか頼めないね」

 苦い顔を隠さず差し出されていた紙片を奪い取った太宰は、至極面倒臭そうな足取りで出口へ歩いていき―――ふと立ち止まり、菖蒲をちらりと見て、森を振り返った。

「ところで、さっき云ってた僕に似た人を知ってるって誰のこと?」
「太宰さんに似てる人?」

 頭が回る太宰に似ている人。そう聞いて菖蒲も考えるように唸り、やがて判らないと眉を下げ森を見る。森は、少しだけ微笑んでいた。

「私だよ」

 躊躇うことなく飛び出た返答に一瞬菖蒲は呆気に取られるも、どこかですとんと腑に落ちる感覚を覚え、口を挟むことなく僅かな曖昧な悲しみの表情を浮かべた森を眺めた。森も太宰も、先を見通す。起きる物事が予測しうるもので、思い通りに描かれていく世界を見て何を思うのか、似て非なる菖蒲では判らなかった。

「太宰君。私に理解できるかは判らないが、訊かせてくれ。――何故君は死にたい、、、、、、、、?」

 きょとんと太宰が目を瞬かせる。目の前の森が何故訊くのか、本当に判らない表情だ。
 微動だにしない姿勢のまま、太宰は云った。酷く、あどけない少年の眼差しで。

「僕こそ訊きたいね。生きるなんて行為に何か価値があると、本気で思ってるの?」

 問いを問いで返した太宰はまともに返事を期待していないのか、外套を翻して出口を今度こそ潜り抜け、しん、と静まり返った部屋に残されたのは無言で立ち尽くす菖蒲と太宰の背を見つめ、らしからぬ息をついた森だけだ。
 人と接する機会が少なかった菖蒲ですら思考の読めない人だと認めていたが此処に来て漸く、心に抱く感情が誰よりも遠い存在だと、感じた。「未剣君」立ち尽くした菖蒲の耳に呼びかけが届く。

「追いかけなくていいのかい、なかなか骨の折れる依頼だと思うから、気を付けて行くんだよ」
「……はい」

 力ない言葉を返して、直感的に森が云いたいことを飲み込んだのを感じた。しかし菖蒲に森の話を聞き出す技術もなければ、尋ね返す度胸もなかった。小さく頭を下げて、振り返ることなく診療所の外で黒服の構成員に何かを話している太宰の隣に並んで、噂の調査に乗り出した。
 森と太宰しか知らないことを間接的に教えられ、深淵に踏み込んだ自分は一体何ができるのだろう。際限のない渇きをぐるぐると脳内で回しては抱え込み、手放したかと思えば大きな影として渦巻く思考に、菖蒲は―――両手で可也の勢いをつけ頬を叩くことで物理的に途切れさせた。ぱちくり。突然の音に反応した太宰と構成員が同時にこちらを見るのが判る。

「失礼しました。気合を入れてました」
「気合って……よく判らないことをするなぁ。背中叩いてあげようか?」
「それはまた今度で。腰痛で動けなくなっては困りますので」

 冗談に聴こえない提案をする太宰の様子は、何ら変わりない。それどころか異様に普通だ。琴線に触れぬよう慎重に言葉を選んだ。「さっきのは?」菖蒲は訊いた。
 太宰によれば、擂鉢街の地理に詳しい人を寄越してもらうよう頼んでいたらしい。構成員は携帯で話をつけ、その人の運転で向かうことが決定した。それにしても、と菖蒲は太宰の持つ紙片をしげしげと見つめる。まだまだ少年少女と呼んでもいいような太宰達の頼み事にこれほどまであっさりと聞いてくれるとは。それ程までに『銀の託宣』の効力は凄かった。
 そうして、三十分掛けて辿り着いた擂り鉢状に窪んだ擂鉢街で片っ端から噂の類を聞きだすのが―――現在。
 長いような短い記憶を一つ一つ精査して、菖蒲は目についた小石を蹴飛ばした。小石は蹴られるままに坂道を転がり、遮るものがない道を転がりに転がって、勢いが消えて止まった。
 訝しむ視線は、矢張り外れなかった。



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