異能力―――其れはどのようにして行うか合理的に説明する事は叶わず、ただそのように有るとしか云う他ない。其れが仮令物理法則を無視し絶対的真実を基づいて発動しようとも、異能力は其の為にあるのだと。少なからず先天性なのか後天性なのかははっきりと判別はできないが、発現する時は何かしらの契機きっかけがあるとされる。残念ながら菖蒲の場合、自身にも家族と同じ力が有るということは幼い頃より理解はしていたけれど、意図的なのか異能力に関する知識は流れてこなかった。その影響故かしっかり発現させたのは先日が初めてであり、一体全体どうすれば顕現できるのか、元に戻せるのか全く理解ができていない。
 ポートマフィアに身を寄せるのであれば異能力の制御は完璧に形作らなければならず、鬱蒼とした小鳥の鳴き声やら獣の唸り声等が聴こえてくる森を歩む太宰に尋ねれば特に厭な様子は見受けられない儘大雑把に教えてくれた。
 曰く異能力には戦闘系、非戦闘系、異能生命体から非常に稀有な治癒能力、現実改変系、精神操作系と呼ばれるものが存在し、中でも精神操作系が最も忌み嫌われるのだとか。発現する種類の他に、常時発動型や意識して発動させるタイプもあり、太宰は前者に値すると云う。

「こればっかりは本人の自覚と要相談だけど、君は意識で操作する戦闘系だと思うよ」

 そこ、ぬかるんでるから気を付けて。
 注意された場所を避けつつ軽い足取りで森の深部を目指す太宰の背を追い乍ら、菖蒲はそっと今は他人と変わりない己の腕に触れて、無意識に息を吐いた。兄弟達が血に汚れた武器を振り払い、腕に戻している様を何度も見ているはずなのに、自分が制御するとなると思った以上に感覚が掴みづらい。 早いことに三日程前に太宰の力で発動が解けたのは善かったものの、今度は如何にして剣を生み出したのかさえ判っていないのだ。
 若しかしなくとも、菖蒲の現状は暗殺一家の人間だとは名乗れない。
 気が昂り、頭に血が昇った状態が鍵となっているのかもしれなかったが一人で試すには大きな不利益デメリットがある。太宰が居れば消えてなくなるのだが、流石に知り合って間もない人間に頼み込める程菖蒲の神経は図太くなかった。

「こっち?」
「あ、右です。右折して川沿いに進めばそろそろ見えてくるはずです」

 見慣れた道のりを指差せば、短く返事をして太宰は外套を翻す。
 今更ではあるが、菖蒲は太宰との距離感を未だ計りかねていた。森との関りや菖蒲の質問に答えてくれるところを見るに人間嫌いではなく、けれど深く踏み込まれるのを善しとするかは、少しだけ違うように思える。根幹から云うと、マフィアに限りなく近しい位置に居る存在が普通の人と同じ物差しで計ってはいけないのだが。
 はたと、そこまで考えて家族以外の歳の近い異性とここまで話すのは初めてだと気づき、微かに胸あたりがくすぐったくなった。 矢張り生い茂る草や木の根に足を取られず前へ進む太宰を追いかけていれば、それにしても、と何てことはない声色で問いかけられる。

「どうしてまた君の生家に行こうと思ったの」

 其れは純粋な興味などではなく、菖蒲が隠そうとしている感情を引き出すための会話。
 ―――現在菖蒲と太宰は真っ白な病院には頼れない急患や病人が運び込まれる診療所から数百メートル離れた位置にある、今や見る影もなく崩れ落ちた廃墟と化しているだろう未剣家を目指していた。理由は簡単。菖蒲が一度戻り、家族と自分を襲った集団の痕跡を見つけるためだ。そう説明したのだが、矢張り太宰には通じなかったらしい。迚もじゃないが彼に本意を隠し通すなんて芸当、できっこない。一人で行こうとした菖蒲に太宰を同行させた森も大部分は知られていると思って間違いないだろう。
 毎日一度の診察で聞かされた言葉の意味を考えるにその通りだ。菖蒲も如何にかしたいと意気込んでも、靄を手繰り寄せるような霞んだ潜在意識に身を任せるのは、思う以上に気力と精神力を要した。云い換えれば其れは無意識に蓋をしている深層を敢えて開封するのと同意義なのだから。
 川のせせらぎが強まるにつれて、全壊した家屋が姿を現す。未剣と彫られた表札は崩れ落ち、玄関は蹴り飛ばされたのか内部にめりこんでいる。砂埃にまみれた木屑と成り果てた表札を太宰はゆっくりと拾い上げ、無言で菖蒲に差し出した。

「……泣けるか、試したかった」

 視界に這入る惨状を目に焼き付け、少女はぽつりと囁くように呟いた。
 菖蒲は泣かなかった。体温も息もない家族であった者の屍を見ても、襲撃者を皆殺しにしても、遺言通りに森の診療所へ赴いても、決して。現実を受け止められていないから。違う、菖蒲は確り家族が亡くなり、命を落としたことを事実として認識している。なのに、泣けない。自分が冷たい人間だと思っていなかったのも相まって、酷く狼狽した。
 しかし逆に納得もしてしまった。如何に生きる為だとしても他者を蹴落ころす姿を見て何も思わなかったのだ。だから親しい人間が死んでも泣けないことに。

「父さんも母さんも、兄さん達も死んで……ちゃんと、悲しめるかどうかを」

 こうまで云っても他人事のように聞こえてしまうのは、如何してなのか。
 自分では判らない暗い眼差しを浮かべた菖蒲を見て、太宰は微かに逡巡の後有無を云わせない強さで腕を掴み、勝手知ったる動きで未剣家に踏み込んだ。咄嗟のことに足を縺れさせるも踏ん張りついていけば、立ち止まったのは居間で。握られた手首は痛くて、急なことで頭が追い付かず、恐怖にも似た感情を太宰へと示してしまう。

「だ、ざいさん……?」

 一体何を、と問いかけるよりも早く。太宰は大仰に振り返る。
 菖蒲が殺した構成員も、息絶えた家族の死体が無いのは菖蒲が訪ねた次の日に森が引き取ってくれたからだ。

「君の家族は、動かない」

 こう云って、理解が及ばぬまま続けて。

「喋らない、笑わない、君を見ない」

 血の気が引いていくのが判る。手が震えるのが判る。自分では制御しきれないそれは、矢継ぎ早に放たれる言葉の前に沈殿していき、最後には。

「二度と―――未剣さんに微笑まないし、愛さない」
「……ぅ、」

 胸が、痛い。
 限界まで見開いた瞳にはどこか切羽詰まっているような表情をする太宰しか映らず、鳶色の双眸は心の奥底で蹲る少女の面影を絡めとり、水面へと引き揚げんとしていた。
 厭だ、厭だ。露わにさせないで。

「や…」
「目を背けるな。見ない振りをするな。苦しくても向き合うんだ」
「や、だ……やだ、よ…ぅ、うぅ……」

 今にも体を食い破ろうとする衝動に必死に抗い、それを呼び覚ます起因となった太宰を半ば睨むような形で見上げて、如何して、と問う。
 見て見ぬ振りをしていれば、他人事のように思えていれば、彼らはまだ菖蒲の心にいたのに。ぼろぼろと見せかけの張りぼてだった心が崩れていく音が聴こえる。辛うじて立てていた地が柔い菓子の如く崩れ去っていくのを、菖蒲は厭だとかき集めていく。
 太宰は錯乱した様子の菖蒲を見下ろして、汚れるのも厭わず眼前に膝をつき、片手で頬を覆い俯いていた彼女の顔を上げて翡翠の双眸を覗き込んだ。何故此処まで知り合ったばかりの普遍で興味ないと思っていた少女の為に言葉を掛けているのか、理解した。弱さを隠す澱みがあっても尚綺麗に輝く翡翠の、澄み切った翡翠が見たいのだと。慣れない言動への報酬は、彼女の瞳で十分だ。

「君は生きている」

 たった一言。それだけなのに彼女はぴしりと固まった。

「亡い人間に思いを馳せるのはいいけど、君自身が亡霊に縋ってはだめだ。生者が死者に縋っては、心が死んでいく」

 あ、と声にならない悲鳴にも似た何かが菖蒲の喉を震わせた。気づかないはずがないのに、太宰は叩みかけるように言葉を紡ぐ。少女の重しになるよう、詛いとなるよう。一片一片に力を込めて。

「先刻、泣けないと云ったね。……違うよ。泣けないのではなく、君は泣くことを諦めているんだ、、、、、、、、、、、、
「そ、んなこと……」
「有るんだよ。本当に泣けない薄情者なら、試しに来たって吐いた時にあんな顔、しないもの」

 口が震える。奥歯が鳴り、喉が張り付いて視界が滲む。
 太宰の手が頬をなぞっていき細めた目元に宛てられ、ぐっと鳶色の読めない瞳が近づいた。あとすこしだ、と直感で把握した。

「―――泣いていいんだ」

 もう声すら出ない。嗚咽と共に頬を伝う幾つもの熱い何かが畳へ零れ落ち、ひっく、と喉が鳴る。

「泣くのも立派に死者への弔いとなる。認めたくないのも理解できる、けど徐々に認めなければ君の心は生き乍ら死んでいるのと同じになってしまう」

 自分の泣く声が響いているのに、太宰の声は鼓膜へ届く。何だかもう訳が判らない。
 と、両肩に何かが掛けられ、手で触れてみると。外套だ。太宰が羽織る、少しだけ大きな外套。

「いいよ、泣いても。みっともなく泣いたって、僕は見てない。背を向けてるから」

 何故太宰がここまで心を支えてくれるのか、判らなくたっていい。だって許されたのだから。泣いて、泣いて、泣くことを。菖蒲は許されたのだから。自分の中で生きている家族に別れを告げるのは、張り裂けそうな程痛くて苦しかったし悲しかった。けど、心配してくれる人達がいる。だから、菖蒲は思いっきり泣いた。喉が枯れるまで、向こう十年分ぐらいは泣きわめいた。
 悲しかったのだ。息も絶え絶えな父から授かった遺言を胸に抱いて、父の旧友を訪ね庇護を受けるまで、しかも他人に指摘されるまで、奥底に沈められていた虚しさと悲嘆は菖蒲が認めた瞬間束になって襲い掛かる。悲しい、苦しい、痛い、如何して。
 抱えきれない巨大な感情が体中を巡り、涙腺をこれでもかという程刺激し乍ら、家族と過ごした思い出が、意味は違うが走馬灯のように駆けていき、嗚咽の中に混じり始めた誰への謝罪かさえ判らぬ言葉に太宰は何も反応しない。
 宣言した通り菖蒲が泣き伏している間、太宰は一度たりとも振り返らなかった。


 菖蒲と太宰が建前として使用した痕跡探しは、そこから約数時間後に行われた。



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