「明日の夜、筆おろしなんだってさ。僕」

 人って、実際に理解がとても追いつかない事態に見舞われると本当に過剰な程の反応を示してしまうことを身を以て痛感する。とんでもない爆弾を云い放った本人はけろっとしていて、大きく狼狽えている自分がいっそ異常なものではないか、と勘違いを起こしてしまうぐらいには。
 どれだけ薄暗く、血と銃弾に塗れたポートマフィアにも、各自で取る休憩時間なるものがある。例えば下級構成員ならば午前の仕事を片付け、尚且つ上司に報告を済ませてから昼休憩に這入ったり、指示系統の違うわたしや太宰さんなんかは普通に集中力が続かなくなったら取ることがある。偶にその休憩を全部使って入水や首吊りなどの自殺未遂を計る太宰さんを探しに行くこともあるけれど、それはまた別の話。大抵は執務室備え付けの居間で紅茶と洋菓子の疑似的茶会を開き、取り留めのない話をするのがわたし達の日常だった―――筈なのだ、今日この日までは。
 まるで翌日の献立を話すかのような声音で飛び出した言葉は、いくらそういう関連に疎いわたしでさえマフィアに這入ったからにはと羞恥を抑えて学んだものの延長線上にあたるもので、真逆その話題を振られることに、否、しかも太宰さんに関することを聞かされるとは露とも思わず、気管に侵入した紅茶が謀反を起こし派手に噎せてしまった。噴き出す汚い姿までいかなかったことは、後で自分を褒めてあげたい。……そうじゃない、否そうじゃない! 今なんて仰った!?

「ふっ…ふへぇ……」
「なんとなく云いたいことは判るけど、間抜けな顔になってるよ」

 筆おろしと感嘆が混ざった最早意味の有る単語に成り立っていない声を太宰さんは正確に理解し、秀麗な顔立ちを歪ますことなく自分に宛がわれた洋菓子を口に運んでいる。
 正直云って、太宰さんは迚も顔が綺麗で、美しい。まだ少年の域を脱していないあどけなさを残した面持ちも、子供だとしても世の中を俯瞰した成熟した大人の色を宿した眼差しは不思議と人を退きつける何かがあった。慥かそれをま、ま、魔性? と云うらしいけれど。……だからそうじゃない、意識しない儘に現実逃避に似た思考を飛ばすのやめてわたし。しっかりして。何故太宰さんが個人的には私的物事プライベートの内容をわたしに告げたのか、だ。
 本当に、なんでだ?

「心底癪だけれども、たぶんその日使い物にならないと思うから」
「……? はい」
「書類整理、頑張ってね」
「ああ……なるほど。意図が読めた。了解です」

 情報が抗争の要と云っても過言じゃない裏社会において、如何に自組織に多大な利益を齎すかが鍵となる。仮令それが自らの身を削ることになろうとも。
 一発でわたしの疑問を解消してくれた太宰さんを見るに、僅かに不機嫌そうなのは見間違いじゃないと思い、意を決して尋ねてみる。これもまた予想できるもので、どうやら筆おろしの日取りが真逆の中也くんと被っているらしく、地雷すれすれ……若しくは地雷を踏み抜いてしまっているのか。
 ポートマフィアには様々な部隊がある。拷問を専門とする特殊部隊に、情報収集を得意とする部隊、医療部隊に事務方。其々が適した仕事をこなし、表裏からひとつの組織を支えている。主に指揮官という立場にある太宰さんがする必要はないといえばないのだけれど、極めて合理的な森さん曰く、心身共に色気をさらに高めれば仕事がしやすくなるだろう、とのことで。

「……僕が云うのもなんだけど、君、全然驚かないね」
「えっ? あ、あー……まぁ、その、裏に生きてるので知らないと後々痛い目に遭うのはこちらなので」
「ふーん? 周囲の人間とか興味なかったからその反応が正しいかどうかは知らない。でも、あやはそのままでいいんじゃない」
「そ、そうかな」
「うん。男は定期的に発散しないといけないし、適当にやっておく」
「適当って」

 複雑重要な位置に居る太宰さんの筆おろしなのだから、首領が見繕う女性は口が硬く利口な人種であることは間違いない。だけども、太宰さんの振る舞いは少し相手に失礼に当たるのでは? と経験も知識も海底に等しいわたしが云っても説得力はなく、突っ込まれぬ程度に笑みを貼り付けて、その日の茶会は終了した。
 判ったのは明日一日、回ってくる仕事を凡てわたしがしなくてはならないこと。太宰さんから激励に近い何かを貰ったということだけだ。ただ引っかかるのは、使い物にならないという言葉。太宰さんがこういうことで何もできなくなる想像がつかず首を傾げるも、太宰さんは答える様子がない。無理に聞き出すものでもないと自答し、わたしはいつも通り翌日も割り振られた執務室で書類を捌き始める。
 毎日行われている茶会がないというのはなんだか寂しい気がしたけれど、顔には出さずに任された仕事を次々と完了していく。夜、といっても正確な時刻は判らないが日付が変わる前には戻ってくると目星をつけ、わたしは大して気にせず定時に凡ての業務を終わらせ、一息つくために紅葉の姐様の下へ。慥か覚えてる限りなら姐様はこの時間帯、書庫で本を読んでいるはずだから。

「―――……菖蒲?」

 昇降機を利用しようと釦を押した時、直ぐ近くから声がした。

「中也くん。お疲れ、今終わったの?」
「あ、ああ。…変わんねえんだな。手前」

 中也くんだった。帽子を珍しく脱いでおり、些か疲労の色が濃い彼は何故だか罰が悪そうな面持ちでわたしの隣に移動してきた。
 ふ、と。
 ―――香りがした。元々中也くんは無臭にほど近い体臭であったのに、ほんの少しだけ近づいただけで鼻を突いたのは、喩えるならば母さんが常にしていた香水の残り香のような……。そこまで考えて、はっと中也くんに投げかけられた言葉の真意を理解して、迂闊な程頬が引き攣った。露骨すぎて、自分でも有り得ないと感じる。

「否…今の評価は適切じゃねえな。意識してなかったんだろ」
「うっ。……うん。恥ずかしながら、何がどう変化したのか、知識はあっても判らないからさ。ええっと、体は平気?」
「おう。俺はなんとかな」
「俺は?」
「あの太宰の野郎だ。一応宛がわれた女に対して僅か乍らでも敬意は払えって首領から云われてんのに、終わった瞬間に睨みつけるわ消えろ云うわで」
「想像できる……やけに詳しいのは、誰かに聞いたの?」
「相手した女が溢してた」

 腹立たしいとため息を吐く中也くんの様子から、これは今夜戻ってくると迚も機嫌が悪いだろうなぁ、と察しがついた。
 知識はなくとも、義務的に半ば強制された行為がどれほど太宰さんの機嫌を損なうのかは何故だか自然と想像がついてしまう。話を聞くに目的地は同様なものなので、書庫がある十二階の釦を押して、共に並び立つ。

「つか、手前未だ此処に居るってことは仕事は?」
「終わってるよ。紅葉の姐様とお話に行くの。流石に終わらない内に行動なんてしないよ」

 途中、這入ってきた構成員が端に寄るのをなんとなく苦い感情で見つめて、僅かに中也くんの側に近づく。

「どう? 姐様直轄になって三ヶ月」
「色々なことを学ばされてる。姐さんの会合に同行したり、殲滅任務に行ったりな。あァ前回のあれは糞食らえだったけどよ」
「……器物破損の額がとんでもなかったもんね」

 もうひとり、構成員が身を縮こませ乍ら昇降機に乗り込む。

「しかもその補填、中也くんと太宰さんのこれからの活躍から引かれるって。……念の為に訊くけど、なにしたの?」
「殲滅と称した取っ組み合いの喧嘩」
「嗚呼……」

 その様子が容易く思い描けてしまえるのだからさぞ現場は悲惨だっただろう。その場に居た構成員が逃げ出したいと心の中で叫んでいるのも、思い浮かべられる。
 取っ組み合いの喧嘩と雖も、太宰さんは強力な反異能があるが体術に関しては佳くて中の上、これは憶測だけれども様々な箇所に罠を張り巡らし、周囲の損害は想像がつかぬ程だろう。
 ……若しかして、頬のガーゼが貼られた奥の傷って。喧嘩の時にできたものでは……?

「ああくそったれ。思い出すだけで腹が立つ……ッ」

 常人では泣きそうになるぐらいの殺意を迸らせ、中也くんは抑えるように拳を握る。右端で時が早く過ぎるよう願う構成員たちの顔色は真っ青だ。分からなくもなかった。
 目的の階に着き、先に降りていく中也くんを横目に、わたしは振り返って会釈する。居心地の悪い中ごめんなさいの意を込めて。「菖蒲」中也くんが呼ぶ。

「青鯖も云ってたが、変なことは考えるなよ」
「? 変なこと?」
「俺達のこれ、、は必要だからやったまでで、手前がやることはねえっつーわけだ」

 青鯖とは、太宰さんのことか?
 云いにくそうにしている中也くんの隣まで歩いて、素直に意味が判らないと尋ねれば。俄然はくはくと口を開きかけては閉じ、それらを繰り返す内に、わたしは一瞬早く理解した。

「―――大丈夫だよ。森さんは、基本暗殺の方を回すって」
「なら、いいが。それよりもあの人格破綻男には気をつけろよ」
「よくそんなにぽんぽん呼称が出てくるね。……気を付けるって、つまり、そういう系の?」
「ああ。彼奴は確実に手が早い。彼奴にしては手元に置いておきたがる菖蒲と何があっても可笑しくねえんだ」
「中也くんの中の太宰さんの印象凄まじいことになってない?」

 出会いと生理的な何かがあるのか矢張り彼らは相容れず、見る度聞く度に悪い武勇伝が積み重なっている。

「たぶんだけど」

 遠くに書庫と掲げられたプレートが見えつつあり、わたしは意図的に速度を落としゆっくり口を開く。これは単なるわたし自身の推測であり、願望でもある。恐ろしく先が見え、頭が切れる太宰さんだから覆されることだって有り得る。でも、不思議なことにわたしは或る直感を二年共に過ごしてきた中で得た一つの答えがあった。慥かに太宰さんは、屹度手が早い。この点は中也くんと同意見だ。生理的現象の為に女を引っ掛けて発散させる。齢十五だけれど、太宰さんは己の顔立ちが武器になる現実を十二分に理解しているのだから。少年らしさを残しつつ、蠱惑げに微笑まれると何かいけないものを見てしまった気分にさせられるのだって、多々ある。
 迷いない顔つきなのか、振り返る中也くんは訝しんだ。「わたしと太宰さんは」まっすぐ透明な空色の眼差しを射抜いて、わたしは云う。

「そんな展開にはならないと思うよ」
「出処は」

 すかさず根拠を問う言葉が挟まれる。言語化しにくい問いかけだけれど、本気で心配されているのが判っている為、僅かに逡巡し―――ふと思い出した言葉が特にしっくりきた。わざとらしく人差し指を米神に付け乍ら。

「女の勘」

 一瞬、瞠目して―――「莫迦か。しかも語尾が若干疑問符ついてんぞ」呆れた目線を寄越された。

「見逃してほしいな。ほんとこれ以外上手い言葉ないしさ、わたし達は多くのしがらみを持ってるからこそ、気安い友人関係がいいんだよ。勿論、中也くんとだってそうだ」
「印象変わるわ、それこそ姐さんが云いそうな……、…………そうか。嗚呼、成程。そういうことか、、、、、、、

 中也くんは納得したように一人ごちて、それ以上わたしに追撃することはなかった。伝えたいものは確り彼には届いたそうで何より。
 書庫まで辿り着き、潜ろうとした際に隣で素晴らしく厭そうな顔になった中也くんが憎々し気に息をもらし、あー、と左右を見渡して。「彼奴の顔見れる心持ちじゃねえ。一旦引き揚げるわ」そう云うなりさっさと踵を返していく様を引き止められず、何は起きたのか判らず首を傾げる。抑も彼奴って。中也くんがそう呼ぶ人間なんて一握り……否、一人しかいない。

「あ、あや。こんなところにいたの」
「えっ」

 廊下の向こうから緩慢な歩みで近づく人影は、どう見ても太宰さんだった。
 ……え? 嘘でしょ? あの距離で太宰さんだって判ったの……??

「ね〜え、なんかここ軟体動物臭くない?」
「気のせいだと思いますよ!」
「そう? じゃあいいや、首領にも報告終わったから通常業務に戻るよ。あやもそれでいい?」
「え、あ、はい。大丈夫です」

 恐るべし。嗅覚が人の比じゃない。
 危機を避けるべく事前に引き返した中也くんの努力を無駄にする訳にはいかず、怪しまれる前に首を横に振った。姐様の下へはもともと世間話をしに行くだけだったので予定を曲げても大して差異はない。
 気を取り直して、太宰さんも戻ってきたことだし遅めの茶会を開くのもいいのかも。でも先ず何より、―――友人を出迎えなければ。

「太宰さん、お疲れ様です。……おかえりなさい」
「ああ、ただいま。あや」



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