08.理想の王子様



 今度は私が沈黙する番だった。まさか、イデアくんに気持ちが伝わってない? そんなはずは。
「……どうだろう。好きって言うのは何回も伝えてるし、わかってくれてるはずなんだけど。はっきり言ったこと、あったかな」
「自分のことを好きでいてくれてるみたいだけど婚約破棄したいんだなって思ってるんじゃないですか?」
「えー……そう、なのかな……? あれだけ好きって言ってれば婚約破棄したくない気持ちは伝わってると思うんだけど」
「そんなに好きって言ってるんですか?」
 ちょっとだけ監督生ちゃんが驚く。私は当然に頷いた。
「昔からずっと言いまくってるよ。だってイデアくんのこと大好きだから言わずにはいられないっていうか……自然と口に出しちゃうっていうか」
「シュラウド先輩、愛されてるな……」
 勘違いでなければ、今確実にデュースくんは引いている様子だ。イデアくんのことになるとつい好きという気持ちが溢れていらないことまで喋ってしまう。しまった、これでは対人折衝の評価が。
「と、とにかく、そういう事情だから……もしかしたら明日には婚約者じゃなくなってるかもしれないの、私は」
「まだそんな話してんの?」
 その言葉に顔を上げれば、にこやかに登場したケイトさんが空いた椅子に腰かけたところだった。
「大丈夫。オレの見立てでは、イデアくんは名前ちゃんのこと大好きっぽいし。ただ気持ちを口にできないだけでしょ」
「実はこの前ついに言ってもらったんです、好きって。でも、イデアくんは書類にサインをすると思う……きっと私が婚約者として何か足りないんだと思います。もし婚約破棄しないで済むなら本当は私だってその方がいいから、なんとか挽回したい気持ちもあって、矛盾してるかもしれないけど」
「まだそんなこと言ってるのか?」
 ケイトさんと似た発言をしながら、トレイさんがケーキをサーブしにやってきた。
「だからやたらと張り切って何かできないかと言っていたんだな」
 その通り、と頷きながらケーキにフォークを入れる。驚くほどの美味しさに思わず目を見開いた。
「なんか難しく考えすぎなんじゃないの?」
 同じくケーキを頬張りながら、エースくんが呆れたように言う。
「好きなら好きってもう一回ぶつかって、それでも婚約破棄の話になったら理由を訊いてみればいいじゃん」
「理由……」
 ケーキを飲み込み、呟く。確かにイデアくんってなんで婚約破棄したいんだろう。私を好きじゃないから、という説は消えてしまったし。
「まさか理由聞いたことなかったんですか? 名前先輩、しっかりしているようで抜けてますね」
「私と結婚したくないからに決まってるよ……」
「じゃあ、なんで結婚したくないのかってことを確認してみればいいんじゃないですか」
 デュースくんも恐ろしいことを言ってきた。そんなの聞くの、怖いよ。どんなダメ出しが待ってるかわからないのに。
「そうだよ。もしそれで名前ちゃんに改善できそうなところがあれば直せばいいじゃん」
「いや、あの心配ぶりを見たからわかるが、案外大した理由じゃないかもしれないぞ」
「どういうこと、トレイくん?」
「今日、名前を迎えに行った時の話なんだが……」
 止める間もなくトレイさんがイデアくんの牽制を語り始めると、テーブルがどっと沸いた。
「イデア先輩ってすごくやきもち妬きな方なんですね。なんか微笑ましいっていうか」
「許可した奴以外と喋るなとか、独占欲強すぎじゃん。大好きかっつーの」
「本当はシュラウド先輩も婚約破棄なんてしたくないのかもしれないな」
「こういうのって、案外本人は気付かなかったりするんだよねー」
 そのやり取りに、頬が熱くなる。やきもち? 独占欲? 大好き? そうなの?
 そんなの全然、わかんないよ。
 パーティーは楽しいけれど、どうしてなのか、無性にイデアくんに会いたくなってしまった。今、どんな気持ちで部屋にいるの? 私のこと、少しは心配してくれてる? 早く帰ってこないかなって、思ってくれてたりするのかな。
 帰ったら何を話そう、と紅茶を注ぎながら考えた。みんなが優しくて楽しい時間を過ごせたこと。連絡先を交換したこと。クッキーやケーキがとてもおいしかったこと。
 だけどイデアくんのことが大好きってみんなに話したことは、怒られそうだから黙っておこう。

 部屋を開けると、イデアくんはデスクの前に座って何らかの作業をしていた。私にチラリと視線を寄越すと、すぐにモニターに向き直ってしまう。
「ただいま戻りました」
「……おかえり」
 まだ機嫌悪いのかなぁ、と声色から察する。私は静かにベッドに腰かけ、彼の背中を見つめて思い立つ。そうか、だからだめなんだ。いつも、機嫌悪そうだなぁ、で終わっていたけれど、じゃあどうして機嫌が悪いのかまではあまり聞いたことがなかった。機嫌が直るのをひたすら待っているだけじゃだめなんだ。
「イデアくんが機嫌悪いのは、どうして?」
 怖々と背中に語り掛ける。イデアくんは振り向きもせずに独り言のように呟いた。
「名前がこっちにいられる時間は限られてるのに、僕以外の人と過ごすから」
「……あ……ごめん、なさい」
 意外な言葉に腑抜けた反応しかできない。
「ずっと僕といればいいのに」
「ご、ごめんね。私、イデアくんのこと全然わかってなくて……私のことが好きっていうのも、この前初めて知ったから。今まで言ってくれなかったし」
「やっぱり忘れてる。そういうのあんまり言わない人が好きって名前が言ったんじゃん……」
 そういえばイデアくん、この前言ってたっけ。
 ――ていうか、やっぱりあのこと、忘れてるパターン?
「ごめん、それ何だっけ……」
「昔、言葉じゃなくて態度で表してくれる方が好きとか、愛を囁かない方がクールでかっこいいとか信用できるとか言ってたじゃん。真に受けた僕が馬鹿みたいなんですが」
 申し訳なくなるほどに全然覚えていない。きっと少女漫画か何かに影響されたんだと思う。ということは、イデアくんは私に少しでも好かれようとそう振る舞っていてくれたということ? どうしよう、嬉しすぎる。
 キーボードを叩き続けるイデアくんの元に行き、モニターを覗き込む。何をやっているのか私には全然理解することが出来なかった。やたらと色々なところに付箋が貼ってあり、そのどれもが誰かからの頼まれ事のようで、ちょっとだけ得意な気持ちになる。
「話しかけていい?」
「いいよ」
「私を思い出すこと、ある?」
 イデアくんがぴたりと手を止めた。モニターを見つめたまま口を開く。
「夜中の十二時。いつも君のことを考える」
「そうなの?」
 問い返すと、頷いた彼がようやくこちらを見た。金色の瞳に私が映る。
「今日はどんな一日だったかとか、体壊してないかとか。いつも会いたいし寂しいよ」
「……じゃあ、連絡くれればよかったのに」
「連絡なんてしたら絶対好きとか言っちゃいますし……まぁ君はあのこと忘れてたし、すべて無駄な努力だったわけだけど」
 イデアくんが拗ねてしまった。幼い頃の私の罪深さにほとほと呆れ返る。それを律義に貫き通した極端なイデアくんにも驚くけれど。
「名前が学校に来てくれて、嬉しいけど嫌だった。君のことを誰にも知られたくない。僕なんかよりいい奴はたくさんいるから、とられたら困りますし」
「……イデアくんの言ってること、全然意味わかんないよ。だって婚約破棄したいんでしょ?」
「そう」
 いつの間にサインしたのか、イデアくんは私に書類を差し出した。いざ受け取ってみるとその紙切れ一枚が妙に重く感じる。
「僕は名前との婚約を破棄したい」








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