「とにかく、今夜はビジネスホテルの部屋をとろう。リボーンさんに指示されてしまったからね」

言って、正一はスマートフォンを取り出し、並盛駅周辺のホテルについて情報の検索を始めた。
そういえば、画面越しにリボーンがそんなことを言っていた。みちるは正一の隣でその横顔を見つめていたが、ふと気にかかり、離れた場所のスパナに視線を向ける。
相変わらず、顔を上げようともせず自身の作業を続けている様子だ。

「この時間だけど一部屋くらいなんとかなるだろう。この後きみを送り届けて、明日の朝迎えに行くから。今夜はゆっくり休んで」

正一のその言葉は、間違いなく自分に向けられたものだ。
みちるは「え」と声を漏らしながら彼の顔を見つめ返した。正一が一度瞬きをする。

「え?」
「……え?正くんたちも行くんだよね?」
「いや、僕はここに残るつもりだけど……スパナには聞いてみないとね」
「ちょ、ちょっと待って?正くんはどうして行かないの?」

正一は苦笑いを浮かべた。「作業を少しでも進めないとね」
そう言われてしまってはと思い、みちるは意見するのは難しくなってしまう。
ボンゴレ陣営の技術面は正一、スパナ、ジャンニーニが一手に引き受けている。戦いが迫っている今、時間が惜しいのは十分理解している。
そしてみちるは、そんな彼らの生活面のサポートをするという名目でこの場に来ている。自分が何かを言える立場ではなく、その状況にもない。

「…………」

目の前で不意に押し黙り、視線を地面に落としたみちるを見て、正一は僅かに疑念を抱いた。
心配をかけてしまうであろうことは想像の範囲内だ。作業の進捗が気がかりなのも本音。
そして、みちるは理解を示してくれるということも、正一は知っている。知っているはずだった。

「……みちるちゃん。気が進まないかな」
「あっ……ううん、……」

言い淀む素振りを見せるみちるの言葉を、正一は促すことなく待った。
どうにかして納得させねばならない。だが、次に飛び出した言葉は正一の予想とは少々ずれたものだった。

「じ……実を言うと、一人で過ごすのが……怖くて……」
「……へ?」

その時、作業に区切りがついたらしいスパナがのっそりとした動作で歩み寄ってくると、みちるの背後に胡坐をかいて座り込んだ。
正一はスパナの顔を見た。みちるの言葉を聞いていたスパナは、正一の顔を静かに見つめ返す。
みちるは反省を示す子どものようにしゅんと項垂れた。その表情は青く暗いが、同時に真剣でもあった。

「いいんじゃないか?作業に必要なものをホテルに持ち込んでも」
「えっ、あ、スパナさん、いつの間に後ろに……」
「昨日は徹夜だったから、ウチも今日は風呂に入りたい。正一もそうしよう」

突然背後から聞こえた穏やかな声に、みちるは驚いて振り返る。
スパナはその表情を一瞥したが、語り掛ける言葉は正一に向いていた。正一は腕を組んで、思案するように首を曲げる。

「ううん。……スパナもそうしたいなら、そうしようか」

正一の言葉を聞いたみちるは、わかりやすく晴れやかな表情を浮かべた。
正一はその顔を見て「はは」と小さく声に出して笑う。みちるは照れくさそうに、答えの代わりに微笑んで見せた。

「よし、そうと決まったら早速部屋を決めよう。僕とスパナ、みちるちゃんで分かれて二部屋……」
「…………」
「……残念そうな顔だけど、他に選択肢は……」

みちるの顔が再び絶望的な色を帯び、正一は冷や汗を垂らした。
年齢が離れているとはいえ、実際は同級生であることは認識し合っている。ましてや他人同士で男女なのだ。
何か起こることなどありえないが、それでもこの三者が一部屋に宿泊するのはどうなのだろうか。社会通念的に。

「ベッドが三つ以上ある部屋でいいじゃないか。みちるがそうしたいんだろう?」
「いや、そうしたいからそうするっていうのは……」
「わ……わたしはそれがいいです……」
「待ってくれ……そんなに嫌なのかい……?」

みちるは至極真面目な表情で、深く頷いた。
もはや体調でも悪いのではないかと疑うような、深刻な様子であった。
自分が、そしてみちるの周りの人間たちが、彼女に甘いことは正一もこの短期間で理解はしているつもりだ。
みちるはワガママを言う人間ではないし、筋が通らないことを通そうとすることもない。
今、みちるが一人の状況に置かれるということは、みちる本人にとって相当参ってしまう程のことなのだ。
正一は後頭部を掻き、はあと小さく息を吐くと、観念したように声を絞り出した。

「……アジトにいるみんなには内緒にするんだよ」

みちるが大きく息を吐いて、安心しきったように、目を細めて笑った。
ああ。10年後のきみもこんな表情で笑うのだろうか。正一はふとそんなことを考えた。


* * *


――24歳の彼女も、こんな風だったらどうしよう。
つい先刻思いを馳せたばかりの、みちるの10年後の人生について。
会ってみたいと思うと同時に、無邪気極まりない14歳のみちるの様子を見るにつけ、正一の胸中では、戦いとは違う意味での焦燥感が募っていく。

並盛駅前のとあるビジネスホテルの部屋を無事に確保した三人は、夜の暗闇の中を歩いていた。
スパナとみちるが隣同士に並んで、暗闇に溶けて消えるようなひそひそ声で会話を交わしている。
そんな二人を一歩後ろからじっと見つめて、正一は黙って足を動かしてついていった。

(スパナはみちるちゃんにとって大人の男だし、スパナにとってもみちるちゃんは子どもだし、……まぁ、いいや)

「スパナさんは、いつから正くんと知り合ったんですか?」
「ん……確か、六年くらい前だ。一緒に出場したロボットコンクールがあって……」

みちるはのんびりと話すスパナに合わせて、実にのんびりと言葉を投げては興味深そうに頷いている。
時折振り返っては正一にも会話を促す。正一は短く言葉を返し、みちるは笑って再度スパナに向き合う。その繰り返しだった。
自分たち技術屋も、すっかりみちるの信頼の対象に入ったようだと、正一はもはや疑う余地はなかった。

正一の抱く“焦燥感”は、何もみちるとスパナの仲の良さにやきもちを妬くような心情からではない。
ひとえにみちるの周囲の人間への警戒心の低さからくるものだ。
世間知らずと表現されるかもしれない。だがその意味では、ずっと打倒白蘭で人生をひた走ってきた自分にも当てはまることだ。
だが、とうに成人を超えて四年。いくら縁遠くとも、知識として正一はもっている。
一方、みちるにとっては、あまりそうとは思えない。

つまり正一は、みちるが心配なのだった。
『この子、いつまで経ってもこんな風に、自分に優しい男をただの善人だと思っていたらどうしよう』。

(14歳なら同じ部屋でもセーフ?……それとも、僕がほんとにロリコンなの?)

普段なら腹痛を覚えるところ、この時ばかりは頭が痛かった。
24歳のみちるに会って、今すぐに確認がしてみたい。

――同じ年齢の入江正一を、彼女は真っ当に『男性』として見てくれるのだろうか?

少なくとも、この後同じ部屋に入ることになる奇妙な三人組は、ビジネスパートナーとその兄妹程度の関係性でなくてはならない。
だからみちるが警戒心のない子どもであることは、正一にとっては間違いなく幸運である。そう考えるべきだと、正一は思い直す。

「あ、このホテルかな?……あ!」
「どうした、みちる」
「最上階に温泉があるって!夜中一時までやってますよ!」
「おお。いいな、行こう」
「楽しみですね!ねっ、正くん」
「う……うん……」

きらきらと目を輝かせるみちるを見てなんとか返事をしながらも、正一は罪悪感に苛まれる。
「可愛いなぁ」。ふと行き当たるその思いは、間違いなく大人の正一が抱いた本音そのものである。

(アウトなのは僕だけか……)

その方面には朴念仁ともいえるスパナを、少々羨ましく感じる。
正一は穏やかな表情のままみちると向き合うスパナの横顔を見て溜息を吐いた。

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