ぐるぐると、お玉で鍋のカレーをかき混ぜるみちるの隣に、スパナが電子レンジを運んできた。

「次は電子レンジ付きのモスカを作るか……」
「やめてくれ、もうこんな機会がないことを祈ってるんだから」

正一の至極真面目なツッコミに、みちるは苦笑を浮かべる。
電気だけが通っているこの場所で、頼りになるのは電化製品だ。コンセントのコードはいくつあっても足りず、ぐんぐん伸びる延長コードが空間の端で乱雑に束ねられている。
電気鍋の中で食欲をそそる匂いを立てているのは、京子たちが昼食に作ったカレーだ。リボーンの進言で鍋ごと持ち込まれたそれは、正一たち三人の本日の夕食となる。

「まるで炊き出しだね」
「そうだね……誰かの作ってくれた食事は久しぶりだよ」
「また聞き捨てならないことを……」

みちるのじとっとした視線を受け、正一は気まずそうに目線を明後日の方向へやる。

「早くボンゴレアジトで作業できるようになるといいね」
「そうだね。あと二日以内にはこの装置も安全な場所に隠せるはずだし……その後はやっと人間らしい生活に戻れるかなぁ」

聞けば、正一とスパナは作業の区切りがつくと、銭湯だのビジネスホテルだのに各々向かい、短い休憩時間を挟んだ後、さっさと戻ってきては作業に戻る生活を続けているそうだ。
食事はみちるが目にした通り、コンビニやスーパーマーケットで購入した軽食をこれまたマイペースに齧るのみ。
辛うじて仮眠スペースだけはこの狭い空間に確保してあった。研究やメカニックという職柄、睡眠不足が作業効率を落とすことだけは理解しているようだ。

「ご飯、あったまったみたい。食べましょう!」
「ありがとう。はいスパナ、きみの分」

みちるが手渡した白米の盛られた器に、正一がカレーをかけ、スパナへと手渡す。
三人分の器が行き渡ったのを見届けると、揃って手を合わせた。

「いただきます。……うん、美味しい」
「でしょ?京子ちゃんとハルちゃんのカレーは絶品だよ」
「日本のカレーは初めてだ。イタリアじゃ見ない」
「そうなんですか。お口に合いますか?」
「美味い」

よかった、とみちるが表情を綻ばせると、スパナも応えるようにゆるく微笑んだ。

「こうやって、誰かと一緒に食事するのもなんだか久しぶりだね、スパナ」
「そうだな」

目の前で穏やかに笑い合う二人の姿を見つめ、みちるは嬉しくなり微笑んだ。
そして同時に、今は非日常で戦時下だと思い知る。多くの人間にとって関わり合いのないマフィアの魔の手が、白蘭によってにじり寄っている。恐ろしい未来が刻一刻と近付いている。

「早く平和な過去に帰って、二人と一緒に、またご飯を食べたい……」

みちるの独り言に、正一とスパナが同時に顔を上げる。「賛成だ」と声を出したのはスパナだった。

「あ、でも10年前じゃ、ウチはまだ正一と出会ってない……」
「……だけどわたしが、スパナさんのことを覚えています。だから、正くんと合流して、またスパナさんと出会います!」
「うーん……14歳の頃か…日本語、話せるかな……」
「なんとかします!また会えたら絶対、楽しいから」

みちるの提案に、スパナが乗って笑い合っている。正一は奇妙な心地だった。
どちらかと言うと、控えめで引っ込み思案な性格の少女だったはずの千崎みちるは、今正一の前で、誰よりも場を華やかに、明るく盛り上げている。
メカ命のスパナの興味を惹くほど、楽しい話題を提供している。諦めずに、きっと叶う、自分が叶えると言葉にしている。

(……きみを変えたのは、いったい誰なのかな)

正一は目を細めてみちるの横顔を見た。
10年以上の年月が正一とみちるを隔てる。変わって当然だ、そう思う。みちるが変わるように、正一も変わったはずだ。

(どうせ僕の知らない場所で変わるなら、もう僕のことなんか振り返ってくれなくてもいいんだ、……なのに、)

太陽のように、花のように、分け隔てなく注がれるその光に、再び、焦がれる。
そして、ぬるま湯のような束の間の幸福を、心地よく感じてしまう。
再会してしまったばかりに。
再会を、喜んでしまったばかりに。



食事を終えると、会話もそこそこに正一とスパナはまたパソコンのモニターに向き合い始めた。
みちるは一時しのぎの食器として用意した紙の器とプラスチックスプーンをまとめてゴミ箱へ入れ、その場を片付け始めた。
アジトに持ち帰るものを一か所にまとめ、ゴミは端へ寄せ、袋が満タンになったら口を縛って積み上げる。
白い装置の下に置かれた大きなデジタル時計は、作業のタイムリミットをある程度設定したうえでスケジュール管理をするために、正一が購入したものだそうだ。
とはいえ、正一もスパナもほとんど顔を上げることがない。みちるは二人の集中力に感服すると同時に、心配でもあった。
緑茶を二人分淹れる作業ももう片手では足りぬほどに繰り返している。みちるは湯呑を配膳した後、空間の端の、自身が持ち込んだブランケットを敷いた場所へ歩いていくと、静かに腰を下ろした。
デジタル時計が示す時間は、午後七時。そろそろアジトに何らかの連絡を入れるべきだろうかと考え至る。
しかし、半日の滞在ですっかりこの空間にも慣れ、危機感のないことに、徐々にまぶたが重くなるのを感じていた。

(いけない、二人はこんなに頑張ってるのに、わたしは眠いなんて……)

重力に負け、かくん、と頭が傾く回数が増え、やがてみちるは眠りの世界に落ちていった。



正一が、肩をぐるりと回しながら顔を上げた。
デジタル時計の表示は午後八時。依然としてモニターを注視するスパナに、無遠慮に声を掛けた。

「スパナ。疲れたでしょ、そろそろ休憩にしよう」

スパナは作業中に声をかけられた程度で気分を害すことはない。
キリの良いところで作業を止め、きちんと言葉を返してくれることを知っているからだ。
スパナとの付き合い方を熟知している正一は、予想通り、程なくして顔を上げたスパナに労いの言葉を掛けた。

「あれ?みちるちゃんは?」

視界をちらつく少女の影が見当たらない。正一が疑問を口にすると、スパナは「あそこ」と言って壁を指差した。
ブランケットの上で身体を丸めてうずくまるみちるを視界に認めると、正一はぎょっとしたようにその場に立ち上がった。

「わっ!大丈夫!?」

正一は思わず大声を上げ、みちるに駆け寄った。
だが一瞬浮かんだ心配などどこ吹く風で、みちるの、規則的に上下する肩も表情も、実に呑気なものだった。
みちるが穏やかに寝息を立てていることに気付くと、正一はホッとしてその場に膝をついた。

「す、すごいな、こんなところで寝ちゃうなんて……」

自分たちとは違いこの場所に来たのは今日が初めてで、ましてやみちるは女の子だ。正一は素直に感心してしまった。

「正一。毛布を一組敷くから、みちるをそっちへ」
「ああそうだね」

ぬっと隣に並んだスパナが、毛布を抱えていることに気付いた正一は素早く立ち上がると、スパナの作業を手伝い始めた。
薄いブランケットの上で身体を丸めたままでは、起きた時に身体の至るところに不快感が残るに違いない。
スパナが簡易的に作った寝床に、正一が、抱え上げたみちるの身体を横たえた。
小さな身体に、10年という月日を感じる。
すやすやと眠るみちるの身体に毛布をかけてやると、正一はほんの少しだけ微笑んだ後、自身のパソコンのモニターの前に戻っていった。

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