翌朝、男子たちの姿のない食堂で食卓に着いた時、リボーンはみちるの顔を見るなり口を開いた。

「ひでー顔だな」

ぎくりと小さく肩を揺らし、みちるは渇いた笑いを向けた。
いつも通りに振る舞えていたと思っていたのに。そんな気持ちで、ほんの少しの恨めしさを視線に込めて、リボーンを見つめ返す。

「う、うん。ちょっと考え事してたら寝るのが遅くなっちゃっただけ」
「考え事?みちるちゃん、何かあったの?大丈夫?」

事情を全く知らない京子とハルは、純粋な心配の念を滲ませ、みちるの顔を伺い見ている。
みちるは大丈夫、なんでもないからと張りのある声で答え、笑顔を向けた。
そんな京子とハルの表情も、いつもと全く同じというわけにはいかなかった。
普段通りであれば、日中は修行で顔を合わせないツナたちと会話ができる貴重な機会が、この食事の時間だった。
お互いの日頃の功労に感謝と労いの言葉をかけ、元気な姿を確認する。
当たり前だと思っていた日課が尊いものだったのだと、できなくなってから気付くのは皮肉なものだと、みちるは感じていた。

「みちる。この後正一とスパナと定期連絡するが、出てみるか?」

リボーンが自身の食事を前に、箸を動かしながらみちるに尋ねた。
みちるは鮭のほぐし身を口に運びながら、リボーンの顔を見た。相変わらず、リボーンの表情から読み取れる感情は少ない。
どう答えたものかと、みちるは咀嚼しながら考えを巡らせた。自分が口を挟むような内容の話はきっとないだろう。理解できない戦術や技術面の話が大方だろうと予想を付ける。
それでも、彼らの顔を見たいとは思う。これはみちる自身のワガママでしかない。

「……いいの?いいなら、ぜひ」

何もしないよりも、何かをしたい。
前に進みたいと感じた時にするべきことは、勇気を出して一歩を踏み出すことしかない。
そう考えたら、断ることは考えられなかった。



じゃあ通信を繋ぎますよ、というジャンニーニの言葉に、みちるが頷く。
パソコンのモニターを共有するために、彼の隣に椅子を運び腰かけた。
画面には、正一・スパナ・リボーンの三人分のカメラの映像が映し出されるそれぞれのスクリーンが表示されていた。
ジャンニーニがみちるを振り返り、ヘッドホンの装着を確認すると一つ頷き、キーを押した。

「やあ、リボーンさん、ジャンニーニさん。……と、みちるちゃん?」

パッと明るくなったモニターに、正一とリボーン、そしてくるりと渦を巻く特徴的な髪型の、金髪の男性が現れた。
みちるは初対面だが、おそらく彼がスパナだろうと見当を付けた。両頬を覆う大判のガーゼとテーピングが痛々しい。
早速物珍しい視線を向けられたものの、正一はすぐにみちるに笑顔を向けてくれた。みちるはほっとしつつ、応答しなければと口を開く。

「こんにちは、正くん」
「うん、こんにちは。珍しいね」
「話には入れないから、ここにいるだけ…です。あはは」

肩を竦めるみちるに、正一は肯定も否定も示さず、ただ笑って「うん」と答えた。
スパナはみちるが話している間視線を向けはするものの、特に反応をすることはなく、自らの作業の手を止めずに耳だけを傾けている様子だ。

「じゃあ、定期連絡を始めよう。まず、こちらの作業の状況だけど……」

みちるの予想通り、彼女がついていけるような話ではなかった。
もし意見を求められてしまったら目をぐるぐると回して諸手を上げるしかできない。だが、そんな心配は杞憂だった。
いっそ清々しいほど、みちるは戦闘の場には“無関係者”であった。
難しい話が、単なる音声としてみちるの耳を右から左へと通り抜けていく。
そんな時間が数分流れたのち、さて、と話を仕切り直したかと思うと、リボーンがふと、みちるをちらりと見た。

「正一、スパナ。みちるが差し入れを持ってそっちに行くが、何か欲しいものはあるか?」

みちると正一が同時に「え?」と声を上げる。

「えっと……みちるちゃんも忙しいでしょ、僕らのことは気にしないで」

正一が気遣うようにそう言うと、みちるはじっとモニターを見つめ、口許を緩めた。
リボーンが水を向けたのだと気付いたからだ。自分もその気持ちに少しでも応えたいと思った。

「大丈夫。……あの、実はさっきから気になっていたんだけど、……お片付けに行きたいなって」

みちるが、正一の後方を覗き込むようにモニターに視線を向け苦笑を浮かべた。
正一とスパナが作業をしているのは、廃墟も同然のメローネ基地跡地だ。辛うじて電気系統の電源だけが通っているのみで、ガスや水道といった他のライフラインがどうなっているのかは怪しい。
だが、環境の劣悪さよりも気にかかるのは、作業に没頭する技術者二人がきちんと食事や睡眠をとり、まともに生活しているかどうかだ。
みちるの目に入ってしまったコンビニ弁当の空き箱や栄養ドリンクの瓶が、彼らにどれだけ自身を顧みる余裕がないかを物語っている。

「あ…」と気まずそうに表情を歪める正一に、みちるはなるべく罪悪感を抱かせないように明るく笑いかける。
きっと、正一自身も気にかけてはいたのだろう。さほど強く食い下がることもなく、正一は苦笑と共に、画面の外のスパナに視線を向けた。

「…スパナ。何か欲しいものあるかって」

少しぶっきらぼうな声が飛ぶ。
正一の声はいつも、みちるにとってはもっと柔らかく響き届いていた。
それはひょっとしたら自分に対してだからなのだろうかと、みちるは考え至る。

「じゃあ、日本茶が飲みたい」
「あのね、それ必要?お茶は嗜好品でしょ」
「駄目なのか?そういう正一はないのか?リクエスト」

ぐっと声を詰まらせる正一の様子を見ると、みちるは画面の前で小さく笑った。
スパナはマイペースな人のようだ。前回みちるが正一と買い物に出かけた時は、付き合いが長く信頼している技術者と聞いていたから、もっと気難しい年配者だと勝手に想像していた。
日本語は堪能だが、少しだけ標準語からはずれたイントネーションだ。どこで覚えたのだろうか。今度会ったら聞いてみたい、そう思った。

「はい。日本茶ですね、わかりました」

手元のメモに、必要と思われるものを書き留めていく。
買い物に行く必要があれば基地から出かけて買い足せば良いだろう。
みちるが考えながらメモを取る姿をしばらく眺めていた正一だったが、俯く彼女の頭頂部にみちるちゃん、と声をかけた。みちるが顔を上げる。

「あまり考えすぎないでいいよ、気楽に来て。僕らもお構いできそうもないし」

みちるが「あ…うん」と答えると、正一はにこりと笑った。

「じゃあリボーンさん、ジャンニーニさん、また次の定期連絡で」
「ああ。二人とも、身体壊すなよ、そのためにみちるに行かせるんだからな」
「わかってますよ。じゃあ」

モニターに白い線が横切り、プツン、と音を立てて通信が切れた。
早速、必要物品を用意しようとみちるは席を立った。

「あ、千崎様。入江さんたちと通じる通信機を準備しますので、出かける前に寄ってください」
「わかりました、ありがとうございます」
「京子たちが、昼飯にカレーを作るって言ってたな。持っていってやれ、きっと喜ぶぞ」

リボーンがニッと笑いながらみちるに言う。
みちるは次々に用意したいものが浮かんでくることに、喜びながらも困っていた。
温かいカレーを食べてもらいたい。メローネ基地跡地に、電子レンジはあるだろうか。お湯は沸かせるのだろうか?食器は?

「正一が考えすぎるなって言ってたな。みちる、とりあえず行ってから考えろ。どうせ、そんなに多く荷物を持てないんだからな」
「あ……そうだよね。そうする」
「楽しそうだな。いいことだ。意外と、じっとしてるより駆けずり回ってる方が、性にあってるのかもな」

リボーンの顔を見つめ返しながら、みちるは動きを止めた。
そんなこと、考えたこともなかった。誰かの役に立つのが好きだ。誰かに必要とされるのが何よりも嬉しい。
振り返ってみると、色々な人に声を掛けられて、力になれるならと足を踏み出すことが多かった。
それはいつだって自分のワガママと相手の気遣いとが、幸運にも同じ方向に向いたからだと思っていた。
全ては周囲の優しさに支えられ、許容され、背中を押してもらったからできたことなのだと。

「……ずっとわたしにできることを探してたけど、やりたいことなんて、考えたこともなかった」

みちるの弾んだ声音に、リボーンはニヤリと微笑みを向けた。
この小さな家庭教師様は、いつだって例外なくわたしたちを導いてくれる。
自らが踏み出す一歩を促し、見守ってくれる。この心臓の高鳴りを忘れないようにしたい。みちるはそう思った。

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