山本がみちるの目の前で、みちるの次の言葉を待っている。
急かすでもなく、気遣うでもなく、ただじっと、穏やかな表情を浮かべて。

(ど、どっ……どうしたら…)

今一度、起こったことを整理してみようとみちるは頭をフル回転させた。

山本はつい今しがた、みちるを「デートに誘った」。
みちるは「ツナや獄寺や京子やハルも誘い、みんなで遊びに出かける」と勘違いをした。
すれ違いに気付きみちるは謝罪をしたが、山本は言葉を曲げなかった。
つまり、山本武は、千崎みちるとデートをしたいのだ。
みちると二人きりで出かけたいと、そう言ったのだ。

以上を踏まえ、今、みちるは答えを出さなくてはならない。
イエスでもノーでも良い。もし、返事を先送りにしたいのであれば、少し考えさせてほしい、でも良いだろう。
重要なのは気持ちを言葉にすることで、山本がどう反応するかは、言葉にしてみた後でないと、わからない。

みちるがどう答えたところで、山本は、それがみちるの本意なのかどうかを気にかけるだろう。

(わたしの正直な気持ちって、なんだろう)

じっくり考えたいならそう言えば良い。
山本くんは絶対に待ってくれる――そう思い至るには、この時のみちるには、時間が少々足りなかった。


「あ……、あ、あの、ええーっと」
「うん」
「山本くんと、出かけたくないとか、そんなのあるわけなくって、あの、だからその、あのね…」

山本はもう一度、うん、と言って頷いた。
優しいなと、みちるは熱暴走を起こす頭の片隅で、ぼんやりと感じていた。

「山本くんに動物園に誘われて、断る女の子なんて、クラスにいないよ」

このセリフの何がいけなかったのかという、その理由の端緒に。
山本がほんの少しだけ、ピクリと眉と口許を動かし、ぱちぱちと瞬きを繰り返す表情を見て、みちるはハッと目を見開き、そして思い至った。

(こんなの全然、答えじゃない)

わたしはなんてことを。
これを、彼への褒め言葉だとでも思ったのか。

みちるは赤い顔を更に真っ赤に染め、自分の犯した失態の正確なかたちも掴めぬままに、ただ焦って、その場に突っ立っていた。

「…あ、あのっ……ごめんなさい、あ、頭がぐちゃぐちゃで…」

これは嘘ではない。みちるは言うに事欠いて、そう告げた。懇願するように。
上手く言葉を伝えられない自分を、山本に理解してもらい、そして「こう言いたかったの?」と提案してもらえたらどんなに良いか。
心の奥では当然、それを良しとしているわけではない。そんな、甘えっぱなしの自分はもう嫌だと、何度自分を叱咤したことだろうか。

ここで泣くのだけは絶対にダメだ。
みちるは、ほんの少しのプライドと目の前の山本への気遣いとして、その糸のような決意に必死に縋った。
山本は眉を八の字にして、明後日の方向を見つめ「ん〜……」と声を発した。
そして少し考えてから、

「……じゃ、みちるも断んないの?」

と、みちるに尋ねた。
みちるはそのいらえに、頭が真っ白になった。

「………それは……」

意地悪な質問だと思った。
だがそう思うと同時に、自分にはそれを山本に告げる資格などないと、その確信もあった。
全然気のない人間が、褒め言葉として使うような、ちっとも心のこもっていないお世辞を、真剣な表情で告げた山本にどうして言えようか。

山本が、目の前で冷や汗を流すみちるを見て、彼女の胸中のどこまでを察したのかは、みちるにはわからない。
だが、優しい山本は実に彼らしく、次の瞬間にはニコッと明るく笑って、子どもをあやすように、励ますように、みちるの顔を覗き込んだのだった。

「みちる。そんなに、大げさに考えなくていーよ。うさぎ、抱っこしに行こうぜ。俺も行きたい」

みちるは誘導されるように、こくんと頷いた。山本はまた笑った。
これはデートへの了承なのか、自分への気遣いを見せた山本への感謝の意に過ぎないのか、みちるはその真意を掴みかねている。


“断っていない”というその一点は、了承へとまっすぐ結びつくのだろうか。



* * *



――果たして、みちるの想定した“クラスの女の子”は、山本武にデートに誘われた時に、どんな風に返事をするのだろう。

(わたし、あれでよかったのかな……。山本くん、傷つけちゃったかなぁ……)

模範解答が欲しいと、いつでも考えてしまう。
相手を傷つけず、自分もくよくよせず、一緒に同じ歩幅で一歩前に進むことができる解が、どこかにあれば良いのに。
そして自分がそれを知っていて、間違えずに相手に伝えることができれば良いのに。

『嬉しい!楽しみにしているね』
『えっ!?急にどうしたの?ま……まぁいいけど』
『山本くんが私に!?悪い冗談ならやめて……え、冗談じゃないの…?』

クラスの女子をざっと3パターンくらいのタイプに大別し、みちるは脳内シミュレーションを行った。
明るく、素直な女の子。
いつも山本と憎まれ口を叩き合うような、クラスの中心のリーダータイプの女の子。
山本とは違う世界に住んでいると決めつけ一定の距離を置いている、自己評価が低いタイプの女の子。

(山本くんはみんなに区別なく接する。どんな子だって、山本くんのことを悪く思ってない、……と思う)

誰も山本の誘いを断らない。こんなことあるだろうか。
自分の想像力の短絡さに辟易しながらも、やっぱりこれが最適解ではないかと、みちるは考えてしまう。

(山本くんって、本当にみんなのヒーローみたい……)

食堂でタオルを畳みながら、ぼーっと山本との会話を思い返し、様々なことを考え、その度に手が止まり、みちるはハッとして慌てて手を動かす。その繰り返しだ。
みちるは目の前に積み上がるタオルのタワーをじっと見つめながら、何度も溜め息をついた。
どう考えても自分に気を遣って話を切り上げてくれた山本を思うと、次は上手くやらなくちゃ、という思いが沸きあがる。
しかし次に顔を合わせた時、何を話せば良いのだろうか。
そもそも、この件を放置していたら、必ずデートの日を迎えることになってしまう。

(……デート。デート…とは……)

何も言葉の意味を問いただしたいわけではない。
二人で動物園に遊びに行くのだろう。それは理解している。

デートの日の朝は、山本はみちるの家まで迎えに行くと申し出るかもしれない。
行先は黒曜方面の動物園で、電車で最寄りの駅まで向かった後は、シャトルバスに乗らないといけない。
一緒にバスに乗って、何を話すのだろうか。
山本が相手なら、会話に詰まることはなさそうだ。

でも……と、みちるは思う。
まる一日も二人きりで、周りからはどう見えるのだろうか。

――どうしてわたしを、デートに誘ったのだろうか。



「あ、みちるちゃん!手伝いますよっ」

突然明るく元気な声が、みちるの背後から飛んできた。
気もそぞろなみちるが振り返ると、そこには笑顔のハルと京子の姿があった。

「あ、二人とも……」
「ありがとう、みちるちゃん。台ふきんはそこの引き出しだから、しまっちゃうね」
「こっちは男子のお洋服ですね。簡単に畳んで袋に入れて、後でお部屋に届けに行きましょう!」

テキパキと動く二人の挙動を目で追いながら、みちるは気のない返事を繰り返した。
みちるの緊張に気付いた京子が、かわいらしく首を傾げて、みちるにどうしたの?と声をかけた。

(……こんなこと言ってもいいのかな。……でも、ずっとこんな調子じゃ、心配かけちゃうよね)

ハルも、心底心配しているように、言葉に詰まるみちるを見つめている。
みちるは意を決して、実はね、と言葉を紡ぎ始めた。

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