「実は……、過去に帰ったら、山本くんと、二人でお出かけをすることになって……」

こういう時、どんな顔をしたら良いのかわからない。
笑えばいいと思うよ、という有名なセリフが、みちるの脳内でアドバイスを囁いているが、果たして今それは正解なのだろうか。

結果として神妙な顔つきのみちるをよそに、目の前の乙女二人はきゃあっと歓声のようなかわいらしい声を上げ、これまたかわいらしく頬をピンク色に染めている。

「みちるちゃん、それって……」
「デートですね!?」

裁判所よろしく、バンッと音を立てながらハルがテーブルに両手を突きながらみちるに詰め寄る。

「でっ……デート…ッ」

ああ、やっぱりこれはデートなのだ。
当事者同士がそう思っているだけではなかったのだ。360度どの角度から判断してもデート。異議なし。
みちるは被告人席で膝から崩れ落ちる心地で、判決を受け入れるしかないことを悟った。
しかし、とりあえず問題はそこではない。みちるは無言で顔を上げ、背筋を伸ばして京子とハルに向き合った。

「楽しみだね!どんな服着ていくの?」
「山本さんはどんなのが好きなんでしょうね!うーん、スカートは鉄板として、動物園なら靴は…」

「あ、あ、あの、あのっ…」

当人ではないから、逆に盛り上がれるのだろうか。
みちるは勝手にデート当日の服装について提案を始める親友二人に、真っ赤な顔で制止を求めた。

「だってかわいいって思ってもらいたいじゃないですか!」
「な、なるほどっ……」

なるほどってなんだ、とみちるはセルフでツッコミを入れた。
盛り上がるハルに微笑んで頷きながらも、冷や汗の止まらない表情のみちるを見て、京子は不思議そうに首を傾げた。

「何か心配事でもあるの?みちるちゃん」

京子のその言葉に、ハルもぴたりと動きを止めた。
みちるは目をまるくして京子を見つめ返す。
心配事?自分は、何をこんなにも焦っているのだろうか。みちるは解決の糸口を探して、口を開いた。

「えっ…山本くんだから、その、きっと会話は続くと思うし……」

なんともレベルの低い心配事だと、みちるは我が事ながらしょげそうになっていた。
ハルはうきうきと笑っていた表情を引っ込め、少しだけ心配そうに、みちるの顔を覗き込んだ。

「……もしかして、あんまり楽しみじゃないんですか?」

ハルの質問に、みちるは咄嗟に「そんなことない、……と思うけど…」と呟いた。
自分の考えが、上手くまとめられない。
みちるは、自分の懸念や反省の原因を、なんとか探し出そうと記憶を手繰り寄せた。
心に影を落とすのは、先刻の失言。
思慮深い山本の意地の悪い返しを引き出してしまったあの言葉は、いったいどうして、ここまでわたしの心をもざわつかせるのだろうかと、みちるは必死に、答えを探し求めた。
みちるがふと視線を感じて顔を上げると、京子とハルが、困り顔のままみちるの顔をじっと見つめていた。

「あ……ごめんね、えっと…」

言葉を切ったままだったと、みちるは慌てて取り繕うように口を開いた。
ハルの投げかけた『楽しみじゃないんですか?』という質問に、咄嗟に否定の言葉が、口を突いて出た。
そうだ、楽しみじゃないわけではない。そして、不安があるわけでもない。少なくとも、デートに関しては。

「……山本くんを、傷つけちゃったかもしれなくて、それが心配で」

力なく、そう本音を吐露し、しゅんと俯いたみちるを見て、京子とハルははて、と顔を見合わせた。
何かあったんですか?と、こわごわと尋ねるハルに、みちるは顔を上げて微笑んだ。話したくないなら無理はしなくて良いと言いたげな、ハルの気遣いを感じたからだ。

「わたし、山本くんにデートしようって言われて、頭が真っ白になって………それで……」

“山本くんに誘われて断る子なんていない”と、そう答えたことを、みちるは目の前の親友二人に白状した。
誘われて嬉しかったのか、それとも困ってしまったのか、それすら、自分自身の気持ちすら掴みあぐねていたのだと、今になって理解する。
イエスともノーとも取れぬ、少なくとも気遣いでも優しさでもない返答を、大切な人にぶつけてしまった。
そこに自分の心など不在だった。更に言えば、誰でもない「クラスの女の子」とやらを主語に置き、主題をすり替えてしまった。

何度考えても、後悔だけがみちるの胸に沸きあがる。
それでもなお、みちるは疑ってしまいたい気持ちを捨てきれなかった。
山本の言葉に嘘はない。それは理解している。そこではない。そうじゃないのだ。

(どうして、わたしなの……?)

――たとえば、もっと山本くんと遊びに行きたい子が、クラスにいるんじゃないか、とか。
そんな、考えても答えが出るわけではないただの希望的観測が、何度振り落とそうとしても、みちるの頭からなくなってはくれない。
真摯に気持ちを告げてくれた山本の表情を、みちるは確かに見た。それでも信じられないのは、彼のことではない。

山本がまっすぐ見つめているのが、まさか自分なわけがないじゃないか――。

そんな、みちるが自らにかけた、自分嫌いの呪いだ。
みちるが信じられないのは、他でもないみちる自身の魅力であったり、頑張りであったり……
自分からは決して見えない、みちる自身の輝きだった。

「でも山本くんは、みちるちゃんと出かけたいんだよ」

京子が、どこまでもあたたかな声でそう言った。

「そうですよ、だって山本さんはみちるちゃんを誘ったんですから!」

ハルの追撃に、みちるは「……そうだよね………」とぽつり呟いた。
全ては自分自身の問題だと、みちるはきちんと理解している。

「……わたし、こんな調子で、山本くんに失礼じゃないかなって……」

せっかく誘ってくれたのに。
せっかく山本くんみたいな人気者が、誰かと並んで歩くのであれば、それはわたしなんかじゃ、もったいない。
彼の時間が、彼のあたたかな気持ちが消費されていく相手がわたしだなんて、そんなのは、もったいないんじゃないか。

こんなどうしようもない卑屈な感情を胸に秘めた自分を、後ろめたく思う。
どうしてこんなに、わたしは自信が持てないのだろう。
失敗続きで、自分を好きになるスピードが、嫌いになるスピードを上回っていかないのだ。

決意だけしていた一人きりの時間とは違う。もう自分は、彼らの隣を歩く時間を迎えたのだ。
スタートラインに立つことを望んだのも、わたし自身なのだ。

「あんまり気負わずに、一回行ってみたら良いと思うな。楽しいかそうじゃないかって、行ってみないとわからないもん」

京子が言った。
みちるが顔を上げると、優しく微笑む京子と目が合った。
その隣で、ハルがうんうんと力強く頷いた。

「そーですそーです!!別に、お付き合いしてなくたってデートしたっていいんですよ!」
「山本くんは、山本くんのためじゃなくって、みちるちゃんを楽しませたくて誘ってくれたのかも。…そんな気がするな」

京子の言葉に、みちるはどきりと、胸の中で心臓が疼くのを感じた。
わたしの悩みはわたしのことばかりだと、誰でもないみちる自身が、刃物のように鋭い声で、みちるに切っ先を突き付けたような衝撃があった。

――山本くんは間違いなく、“わたし”に言ってくれていたというのに。

ハルがずいっと、みちるに一歩近付いた。

「不安なら、いくらでも話してみたらいいんですよ。山本さんはみちるちゃんのしたいようにしてくれます、きっと!」

そう言うハルの表情は、どこまでもまっすぐに山本武を信じているのだと、みちるは疑いようもなかった。
そして同時に、みちるは自分自身の問題の全てを山本に押し付け、楽になろうとしていたのだと気付いた。

『山本くんを傷つけてしまったかもしれない』という心配の裏で、傷つけた自分を慰めたかった。
『こんな思いを抱えていては山本くんに失礼じゃないか』という気遣いの裏で、山本への疑いの気持ちに変換して、あたかも自分の問題ではないかのように振る舞おうとしていた。


「……そうだよね。ありがとう、二人とも……」


みちるは笑顔を浮かべ、そして一旦受け入れることにした。
京子とハルの助言のおかげで、やはり逃げ続けることはできないのだと、なんとなく直感をしながら。

どうして山本が、みちるをデートに誘ったのか。
その問いの答えに辿り着く仮説が、ひとつの道に繋がっていく予感を感じながらも、みちるはまだ、直視できないでいるのだった。

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