ごちそうさまの号令がかかるや否や、ツナたちボンゴレの面々とリボーン、バジルは早々に席を立った。
みちるは目をまるくして彼らの挙動を見ていたが、ふと目が合ったバジルが「トレーニングルームに行ってきますね」と報告をくれた。

「……?…、がんばってね」
「はい。みちる殿も、がんばってください」

にこりと愛嬌のある笑顔を浮かべたバジルは、そんな言葉でみちるのことも労ってくれた。
京子とハルとビアンキは、特に彼らを気にかける様子もなく、食卓を片付けるべく一歩遅れて席を立った。

「ハヤトたちは、バイクの練習だそうよ。修行の一部みたい」

ビアンキがこっそりと、みちるに耳打ちをして教えてくれた。

「え、バイク?」
「ええ。死ぬ気の炎の話は聞いたかしら」

問われて、みちるはこくんと頷く。
昨日、この時代の戦い方について、ディーノから教えてもらった。
死ぬ気の炎は人間の生命エネルギーで、大空や嵐や雨といった天気になぞらえた七つの種類の波動がある。
その人間の持つ波動は生まれながらにして決まっていて、複数持つ場合も、一つの場合もある。
ボンゴレリングをはじめとする、マフィアの世界に伝わるリングが、その波動を死ぬ気の炎として放射することができる。
この死ぬ気の炎を自在に使えることが、この時代の戦い方の大原則となる。
そして、死ぬ気の炎やその放射の役割を果たすリングは、裏を返せばマフィアの戦いには必須アイテムであるからこそ、その存在を探知したり、逆に身を隠す術を持つことが、戦いを有利に進めるには重要となる。
ジャンニーニが開発したバイクは、ツナたちの炎やリングの所在を敵に知られずに移動するために必要不可欠というわけだと、ビアンキは言った。

みちるは押し黙り、ビアンキの言葉を一つ一つ、丁寧に聞いていた。

「………、ありがとうございます、教えてもらって」
「顔が青いわ。ツナたちが心配?」
「…それは、もちろん。……でも、わたしだけ教えてもらうのも、複雑で」

ビアンキは勝気な表情をやわらかく崩し微笑むと、両手でみちるの両頬を包んだ。

「あなたにしかできないことがあるわ。それを後ろめたく思うことはないの」
「………」
「みんな同じよ。みちるにできなくて、京子やハルにしかできないことだってあるのよ。ここでは、それを誰も責めないわ」

あたたかい手が、悪戯っぽくぐにゅぐにゅとみちるの頬を両側から撫でる。
ハルが「あっ、ビアンキさん、楽しそう!」と言ってみちるを見て笑った。

「うふふ、若いっていいわね。羨ましいわ、このお肌のハリ」
「び、ビアンキしゃん……」
「みちるちゃん。洗い物が終わったらお洗濯を一緒にやってもらっていい?」

京子の質問が飛び、ビアンキがやっとみちるを解放した。
みちるはしゃきっとその場に立ち上がると、もちろん!と元気に答えた。
洗い物を全然手伝っていないことが耐えられず、みちるは慌ててシンクの前まで駆け寄った。

バジルの「がんばってください」とは、朝食の席でみちるが女性陣と会話していた内容である、家事への参加へのエールだった。

「地下六階に、洗濯場があるんだよ」

食堂で出たふきん等の洗い物をバスケットに入れ両手で抱えると、みちるは京子と連れ立って地下六階行きのエレベーターに乗った。
洗剤の場所や洗濯物の回収順序など、京子の説明を頭に叩き込みながら、みちるは教え通りに家事の手伝いをこなしていった。

「みんなのお洋服、ぼろぼろなんだよね」

京子がぽつりと呟いた。
みちるはチクリと胸が痛むのを感じた。
彼らの戦いと危険を知っているから……という理由だけではない。
京子は、大切な友人や自分の兄が、なぜ戦っているのかを知らない。
それでも、何も言わない彼らに追究することなく、健気に支え続けている。

「……本当だね」

そんな当たり障りのない返事しかできない自分が情けなく、だが、他にかけられる言葉など思いつくはずがない。

「………何も言ってくれないのって、寂しいね」

京子の瞳が、潤んで見えた。
それでもみちるは何も言えない。
彼らが積み上げてきた「心配をかけたくない」という気持ちとその努力を、自分が台無しにするわけにはいかないからだ。
だが、みちるは京子を見て確信した。彼女は、彼女たちは、もうとっくに「教えてくれない」ことに気が付いているし、「彼らが自分たちに心配をかけたくない気持ちを理解している」からこそ、何も訊かないことを決意し、それを健気にも続けているのだと。

「……。うん」
「…みちるちゃんもそう思う?」
「………うん……」

「ツナくんたちに、訊いてもいいと思う……?」

京子が、みちるの両目を見つめて質問をした。
みちるの心臓がたちまち早鐘を打ち始めた。
わたしだったらどうするだろう。みちるは考えようとしたが、うまく頭が働かない。
自分は京子やハルとは違う。もう知っている。彼女たちの抱く不安とは、似ているようで少し違う。
知らない人間の気持ちは、考えようとしても、わからない。それがひどく悔しく――同時に、悲しくもあった。
知らなかった頃の気持ちを思い出そうとしても、みちるにはそれが不可能なのだ。
まだ、たった一年程前の彼らとの出会いは、不可思議にも最初から、みちるは彼らをマフィアだと知っていたからだ。みちるの中に存在した、スイという少女の記憶操作によって。

「……京子ちゃんたちが、大切だから…、言えないことも、あるんだと思う……」

震える声で、みちるはそれだけを言った。

知らないほうがよかったなんて思わない。
大切にされていないなんて思わない。

――だが、知っていることに優越感はない。
京子やハル以上に、ツナたちの力になれることなど、ただの一つも思いつかないのだから。


「……うん。ごめんね、みちるちゃん。変なこと訊いちゃって。…それから、ありがとう」

京子の声も、少しだけ震えていた。



――寄り添えたら良いのに。誰かの近くに、一歩だけでも。

みちるは教えてもらった通りに洗濯機を三回ほど回すと、京子が去った後の一人きりの洗濯場で、ぼけっと突っ立って考えを巡らせていた。
京子やハルとは、知っていることの範囲が違う。
ビアンキやフゥ太やジャンニーニには、戦闘の助けになる仕事がある。
クロームは女の子だが、同時にボンゴレの守護者だ。

「……わたし、どこにも、いないなぁ……」

寄り添いたいと思う。
どこかに所属したいと思う。
役割が欲しいと思う。
普遍的な欲で、それ自体にくよくよする必要はないと、頭では理解している。
それでも、京子が口にした「寂しい」という感情が、胸に残り消えてくれない。

みちるはふと、雲雀の言葉を思い出した。
誰かの特別な存在になりたい――つまりは、そういう感情なのだろうか。

(京子ちゃんもハルちゃんも、……沢田くんたちが心配でたまらなくて、力になりたいんだよね。……必要とされたいって、わけじゃなくて)

過去に帰るためにツナたちが修行をしていることだけは、京子もハルも知っている。
だが、過去に帰るために力になりたいのではない。ツナたちと一緒に敵と戦いたいから、彼女たちはどうすべきか悩んでいる。

(寂しいから、それをなんとかしてほしいって、ことでもなくて)

みちるはふと、乾燥機から取り出した衣類を眺めた。
炎で焦げた袖口、破けた箇所を修繕した跡……無数の戦いの痕跡が見て取れる。

(一緒にいたいから一緒にいるなんて、……こんなに大変な時に、甘ったれだよね)

せっかくフゥ太が、そう言ってくれたけれど。
みちるはじわりと両目に滲んだ涙を手の甲で拭った。
決意は簡単だ。されど行動は難しい。誰かの思いにふれる度、心はぐらぐらと揺れる。

みちるはひとしきり涙を流した後、洗濯済みの衣類を持って威勢良く立ち上がった。
仕事があるのに泣いている場合ではない。前に進むしかないのだから。

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