のろのろと布団の下から這い出すと、みちるは枕元の電灯のリモコンを手に取った。
明るくなった部屋でまぶたをぱちぱちと上下させながら、壁にかかっているデジタル時計に視線を向ける。

「……四時……え、四時、半?」

みちるは一気に目が覚める心地がして、ベッドの上で姿勢を正した。
昨夜の記憶がない。
正確に言えば、雲雀の部屋から逃げ帰ってから、この部屋に戻ってきて、そこで記憶は途切れている。

現在の時刻は、四時半。
光の届かないこのボンゴレ地下アジトでは、生活リズムはしっかりと意識すべきだろう。
実際に今、時計を見ただけでは午前か午後かも判然としない。
だが、おそらく午前四時半だとみちるは見当を付けた。
昨日雲雀と話したのは間違いなく午後、夕方頃の出来事であるし、起床した今、みちるはお腹が空っぽな感覚だけがあった。
逃げるように自室のベッドに飛び込んで、混乱でぐるぐると回る頭のまま、夕食に起きることもなく、たっぷりと寝てしまったようだ。

(……起きよう。ちゃんと身支度しないと。みんなに今日こそ会うんだから)

着の身着のまま、休む準備もその気もなく就寝という結果になってしまい、みちるの身に着けていた洋服は皺だらけだった。
みちるはシャワー室に向かうべく、ベッドから降りると、イタリアで購入した大きなボストンバッグから着替えを取りだした。



緊張しながら部屋を出たものの、シャワー室に辿り着くまで、みちるは誰とも出会うことはなかった。
家事は京子とハルが担当していると聞いている。おそらく、食事の時間は全員揃って食卓を囲んでいるのだろう。
修行は明日から開始だと、リボーンが言っていた。
ミルフィオーレファミリーの日本支部・通称メローネ基地への殴り込みから戻ったのが昨日の出来事で、すっかり気力と体力を消耗してしまったツナや守護者たちは、二日間しっかり休養を取ることにしたそうだ。

(…まあ、四時半だったらまだみんな寝てるよね……)

嬉しいような、寂しいような。
未来に来てからずっと、早くみんなに会いたいとはやる気持ちを抑えながら生活していたはずなのに、いざ近くに彼らがいると思うと、不思議な緊張感に支配される。

シャワー室の脱衣場は簡素なつくりで、脱衣カゴしか備え付けられていなかった。
昨日、フゥ太がアジトを案内してくれた時に、女性の大浴場の脱衣所にドライヤーが置いてあったことを思い出し、みちるは静かに移動した。
髪を乾かし、歯を磨き、改めて鏡を見ると、すっきりとした表情の自分自身と目が合う。
時計を見ると、五時を少し過ぎていた。
行動を始めると、みちるのお腹の虫が空腹を訴え始めた。食事は何時からだろうかと考えてみる。
働かざる者食うべからず。食糧庫でつまみ食いをするのは良心が咎める。
食堂で京子たちを手伝いたい気持ちは当然あるが、準備が何時からかもわからない。
それでも、今朝は出遅れるわけにはいかない。みちるはよし、と気合を入れると、とにかく一度部屋に戻ろうと、脱衣場を出た。

着替えを入れたトートバッグを肩から下げ、自室へと向かうエレベーターへ向かってのんびりとした足取りで歩いていく。
角を曲がろうとする直前、タタタ…と性急なテンポの足音が聞こえ、みちるはハッとした。
誰かが来る。みちるは固まり、周囲に視線を彷徨わせた。直感的に、隠れる場所を探してしまった。
自分は招かれざる客ではないはずなのだが、心の準備ができていなかった。
そうこうしているうちに、角を曲がってきた人物がみちるに気付き、驚いたように足を止めた。

「……、………みちる……」

目をまるくして、みちるを見つめていたのは、山本だった。
みちるは、山本を見つめ返して目をしばたたかせるばかりだった。

「…山本くん……、お…おはよ……」

久しぶり。
無事でよかった。
朝、早いね。
言いたいことが次から次へ、胸に溢れるようだった。
それなのにみちるは、呑気な表情と間抜けな声音で、挨拶しか言葉にできなかった。
感情が追いつくのは直後のことで、きっと泣いてしまうだろうと直感した。
そして山本のほうがずっと、思いを行動にするのが早かった。

「みちる!どこも怪我してないか!?いつここに……、」

みちるの両肩を両手で掴み、白い顔で声を荒げる山本に、みちるは面食らい、平気だよと呟いてぎこちなく微笑んで見せた。
山本はその表情を見てハッとしたように手を放すと、ばつが悪そうに姿勢を正し、そして安堵を浮かべながら、今度はしっかりと明るく笑った。

「ごめん、大声出して……。無事だったんだな、よかった」

山本は落ち着きなく瞬きを繰り返しながら、みちるに視線を合わせたり、外したりしている。
みちるは、山本らしくない態度にほんの少しだけ不安を抱えながらも、無事に再会できた喜びがじわじわと胸の中に広がってくるのを感じていた。

「うん、ありがとう…。山本くんの方こそ、大丈夫だった?」

首を傾げて尋ねるみちるに、山本は視線を向けた。
その表情は、何か納得がいかなそうに不満を滲ませ、それでも、心配をかけまいと苦笑で上塗りをしているようだった。

「一回……敗けちまった」

二人の間に一瞬、沈黙が落ちる。
ひりりと擦り傷が冷たい風に沁みるように、みちるは身体のどこかに痛みを感じた。胸の中のような、そんな気もした。

「けど、だからこそ、今度は勝たないと。だから絶対、死ぬわけにはいかねーんだ」

山本の浮かべた笑顔が、迷いなく心からの言葉だと教えてくれるようだとみちるは思った。
何か吹っ切れている。それでもその言葉は、およそ平和な世界の中学生が語るには不自然だと感じるし、そうでなくてはならないと、みちるは思う。
敗北したら、死ぬ。
そんな戦いに身を投じているのが、目の前の優しいクラスメートだなんて、みちるは信じたくはなかった。
それでも、みちるは確かに知っている。
リング争奪戦で危うく命を奪われてしまうんじゃないかと何度も疑った、そんな現実を、この目で見てきたのだ。

何よりも、山本武は、嘘を言わない。

「…………」

声を、かけなければ。
その思いだけが、みちるの口から、音にならず、ただの空気となって零れ落ちる。
何を言っても山本の決意の邪魔になるようで、言葉にならなかった。
黙っていても困らせてしまうだけなのに。
山本が言葉選びを間違えるとは思わない。その年齢に不相応なほど、いつだって優しく、思慮深く、周囲を明るくする言葉を使う男だ。
それなのに、みちるが間違いなく心配するような言葉を使った。
彼は今、余裕がないのかもしれない。
だがそれ以上にみちるは、山本が死を恐れたことを悟り、その事実が何よりも恐ろしかった。
きっと山本は、みちるに約束を交わすように、言葉を選んだのだろう。自分は絶対に勝つ。だから死ぬことはないと。
敵は恐ろしく強大で、殺すことに容赦がない。その事実を突きつけられたようだった。
そんな敵を率いていたのが昨日までの入江正一で、彼が反旗を翻した今、山本たちはどんな怨嗟と殺意を、より強大な敵から向けられることになるのだろうか。

みちるには未だ、想像もつかない。
それでも、目の前の山本がまた危険な目に遭うことは必至で、無性に胸に沸きあがる不安感を抑える術など、みちるは知らない。

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